2009年6月13日 (土)

辻井伸行さん

Photo 辻井伸行さんが7日、米テキサス州で4年に1度開かれるヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、日本人として初めて優勝しました!

翌日、そのニュースが伝わると、その瞬間から所属事務所やレコード会社には問い合わせが殺到。 CDの売り上げは急増し、コンサートのチケットは完売。クラシック界の若きヒーローの誕生に列島は熱狂しています。

確かに快挙には違いなく、Kidsも以前から大きな期待を抱いていたピアニストですが・・・・・ なんだかなあ、4年前の第15回ショパン国際ピアノコンクールで「批評家賞」を受賞したときは、ほとんどニュースにならなかったのに

今、その時のCDを聴いていますが、この頃からもっと騒がれても良かったような・・・ もっともテクニックは万全だけども ”16歳か、なるほど” という若さは感じます。 それでも、とても素晴らしい。

そういえば、以前TVで見たカプースチンの「8つの演奏会用エチュード」は良かったなあ! また、再放送しないかしら

ところで、彼のピアノの素晴らしさについて敢えて言えば、それは、指揮者・佐渡裕さんが ”音楽の神様が舞い降りた瞬間を見るようだった”、又、恩師のピアニスト・横山幸雄さんが ”じっくりと彼の音楽に耳を傾けてほしい。きっと彼の心のメッセージがあなたの心をゆさぶるはずだ” というように、その音楽の「やわらかさ」と「やさしさ」ではないかと思います。

たとえて言えば、温泉の源泉のような感じ。 強靭なテクニックで不足なく圧倒的な演奏をみせる「硬水」のピアニストがいる一方、彼の紡ぐ音楽は「軟水」 とても「やわらかい」感じがします。

それは、前述の佐渡裕さんと共演した最新CD「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番」にも顕著にあらわれています。 緩徐楽章のような「うたわせる部分」に限らず、早いパッセージを弾くときのタッチも力強く、しかも、とても「やさしく」「やわらかい」 (ところで、このCDはいいですよ! オーケストラの演奏もバッチリで絶対オススメです)

しかし、マスコミが何かといえば 「全盲のピアニスト」 と騒ぐのには閉口します。 全盲で優れたピアニストは、Kidsが、モーツァルトが特に素敵だと思っている梯剛之さんとか、他にも何人もいらっしゃるし、どうして、日本のマスコミの報道姿勢っていうのは、いつも「扇情的」なんでしょうかね。

CDが5万枚も売れるのも、マスコミとエイベックスの策略か! なんて、思わず考えてしまう加熱ぶりです。

まあ、でも、日本人はすぐ飽きるから そうしたら、久しぶりにコンサートへ出かけたいと思います。 さて、いつになるでしょうか(笑)

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2009年6月 6日 (土)

1Q84

1q842_2 「1Q84」を読み終えました。 満足しました。

そう、いつも思うのですが、村上春樹(敬称略)の小説は、「面白い」という表現では言い尽くせないところがあります。

それは、例えて言えば、寝ているときに見る夢を、起きたらほとんど忘れていて断片的にしか思い出せない、しかし、とても大切ななにかを語っている夢だったような気がする、その夢をつなぎ合わせてきちんとストーリーにしてくれたみたいなそんな感じ

なんとなくファンタジックでなじみやすい、でも、しっかりとした内容というか重みのある、自分のアイデンティティ探しをしているようで、されど、まだ行き着かない、そして、次の作品を待ち望んでやまない。

もちろん、作品ごとに、背景も登場人物もストーリーの展開も皆違っているのに、思想というか何かの意志が連綿として引き継がれていて、いったん、そこに入り込むと、その魅力から抜け出せない、というか出たくない。

特に、「1Q84」は、話の展開がまだまだありそうな余韻があり、おそらく、今回発刊された2冊がBOOK1、BOOK2となっていて、上下でないことは、BOOK3以降がありそうな予感もあります。

ネタバレをしたくないので中身には触れませんが、とにかく確かな満足感、充実感が得られる小説です。

信じられないほど人気があって、出たばかりなのに入手困難となっているようですが、予約してでも買う価値は十分あると思います。

この際、村上春樹「信者」じゃなくても、是非、読んでみてください。

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2009年5月31日 (日)

夢の変容

Photo_2 久しぶりに記憶に残る夢を見ました。

今回の夢も、これまで同様に「間に合わない」焦り (例えば、①誰かを助けに行こうとしているのに ②期限が迫っているのに ③急用があるのに) がある点は変わりませんが、違うのは、「行きたくない」・「間に合わなくても仕方がない」気持ちがあったこと

具体的には、夢だから訳が分からないところが多いのですが、多分、仕事ではなく学校に行こうとしていて「間に合わない」 でも、行きたくない。そしたら、いつの間にか、銭湯だか温泉だか大きな湯船に入っていて、でも寛げず、内心焦っている。 そこに仲間が大勢入ってきて、”いいじゃなない、ゆっくりしようよ” とばかりに笑う。 で、本人も ”まぁ、いいか” と(笑)  そうこうすると、場面が変わり、今度は、古びた木の廊下を、恐る恐るといった足取りで教員室?に向かっている。?????

と夢はここまでですが、何だか「仲間」といった「支援者」が現れたせいか、「焦り」あるいは「恐れ」の程度が軽くなったような気がしました。また、起きたときの気分の悪さは相変わらずですが、圧迫感が減ったような気もしました。

もしかすると、最近、出来る限り、身体だけじゃなくて気持ちのリラックスに心掛けている効果が出てきたのかもしれません。

自分には、良いところも悪いところもあり、好きなところも嫌なところもあるけれど、それが自分(私が認識している自分)、人の意見は聞いても、その取捨選択をするのも自分、だと思うと、少しだけ気分が楽になります。

しかし、自己認識に仲間(支援者)の存在は大きいようです。『人は相手の気持ちに寄り添うことは出来ても、相手に同化することはできない』  それでも、周りがあってからこそ、「自分は自分」たることができます。

逆の立場になって考えると、例えば、カウンセリングをする際に、”すべての人間は、自分自身のなかに、個人的にも満ち足りた、社会的にも建設的な方向に、みずからの人生を導いていく能力を持っている。ある特定のタイプの援助関係のなかで、その人間が自由にみずから内面の智恵と自信を発見していくように援助していけば、その人びとは、ますます健康で、ますます建設的な選択をする” といった観点から、最も信頼される「仲間」になることは、極めて重要な意義を持つことでしょう。

それには、もっと懐の深い、器の(大きいだけでなく)確かな人間に、己が成長しないといけませんね。

「道なお険し」といったところです。(泣)

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読書

Photo 私の趣味の一つに読書があります。

趣味というよりは、1年365日、本を開かない日は「ありえない」ので、習慣といってもいいかもしれません。

読む時間は、1日平均1時間程度。 本当は、通勤時も読みたいのですが、首都圏のラッシュアワーという極めて非人間的な環境を強制されるなかで、それは到底無理。 だから、主に昼食後、外出時、そして、就寝前を読書に当てています。

それが可能なのは、昼食の時間が、15時に行ければ早い方といった按配で、職場の同僚と「つるんで」行かなくてすむことと、外出の際に単独の場合が多いため、気兼ねなく本を読むことができるせいです。 それと、子どもの時分から、「寝る前は読書」と決めているので、時間の確保に苦労することはありません。

ジャンルは、何でも。 でも、ノンフィクションよりはフィクション、小説が好きでビジネス書は苦手です。

ビジネス書が苦手というのは、つまり、読書という行為は、極めて個人的なもので、読者が抱く個別的なイメージはそれぞれ違うのだから、それを相対化し普遍的な共通項で括ったり、筆者の体験だけで 「こうすれば、うまくいく」 みたいなことを言われると、鼻持ちならない気がするからです。

一方、専門書はよく読みます。 社会、心理、文化系が多いです。

小説は、基本的には何でも来い(笑)ですが、「量産」小説なら雑誌のゴシップの方がまだマシ。 テーマが明快で、筋がしっかりとしていて、確かな重心があり、文章に難解さがなくて、しかも上手い、プラス、エンターテイメント性があれば、よりベターです。

そこで、勝手に最近のお気に入りをまとめてみれば

佐々木 譲、今野 敏、柴田 哲孝、誉田 哲也、伊坂 幸太郎、奥田 英明、海堂 尊、広川 純、乙川 優三郎、山本 一力、宇江佐 真理、澤田 ふじ子、宮部 みゆき、志水 辰夫、村山 由佳、森 絵都、恩田 陸、長島 有

こんな感じ、漏れているのもあると思うけど あ、そうそう、村上 春樹は別格扱いです。 ほとんど信者に近いですね。

また、谷川 俊太郎、倉本 聰など、詩文やシナリオもよく読みます。

さて、まあ、読書については、書くことが沢山あって(もちろん、主観ですが、もともとブログなんてものは日記なので)、今後は、ネタに困ったら、ときどき書いていきたいと思います。

では、ようご期待←誰も待ってないって(笑)

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2009年5月24日 (日)

あいまいな言葉

Photo 日本語表現のあいまいさはよく指摘されますが、その理由として「相手を傷つけまいとして直接的な表現を避ける」、「察することを尊ぶ伝統」などが挙げられます。

カウンセリング(の演習)をしていると、しばしば、この「あいまいな言葉」に遭遇します。

このとき、カウンセリングでは、そのあいまいさを取り去り、意識の面積を拡大する作業、即ち、クライエントが、まだはっきりと意識化していないところを先取りして言語化する「明確化」という手順をふみます。

それは、カウンセリングが本来、さまざまな問題や課題を抱え、その解決を求めようとする個人に対して心理的援助を行うものであり、その方法の一つとして、相手に自分自身の潜在意識を納得感を持って理解させる(気づき)を与えることが必要不可欠だからです。

そうしないと、クライエントがいつまでも空想的思考、願望的思考を繰り返し、その言動に現実性が出てこないことになります。

ところが、日本語には、「あいまいな言葉(表現)」が非常に多く、カウンセラー自身も、日常、その「あいまいさ」に慣れて生活していることから、初心者の段階では、その「あいまいな言葉」を、何気なく聞き過ごしてしまう場合があります。

たとえば、「こそあど」

「これ・それ・あれ・どれ」といった事物、「こちら・そちら・あちら・どちら(こっち・そっち・あっち・どっち)」といった方角、「ここ・そこ・あそこ・どこ」といった場所を示す指示代名詞を始め、「こんな・そんな・あんな・どんな」および「この・その・あの・どの」といった連体詞、「こう・そう・ああ・どう」にみいだされる副詞など

ものの本には、「こ」系で近称を、「そ」系で中称を、「あ」系で遠称を、「ど」系で不定称を表すと説明されていますが、近称とか遠称とかいっても、単に距離が問題なのではなく、「こ」は話し手の勢力圏にあること、「そ」は聞き手の勢力圏にあること、「あ」は両者の勢力圏の外にあることを示すと読んでいくと、とても「あいまい」 (笑)

従って、カウンセラーは、こんなふうに→どんなふう?、こんなわけで→どんなわけ?、そういう意味で→どんな意味?、そういうことで→どういうこと? といった具合にポイントを捉え、内容を掘り下げ、さらに、要約や繰り返しで確認しながら面談を進めて行くのですが、これは、一見やさしそうでいて、経験の浅いカウンセラーには案外難しいものです。

ところが、こうした過程で、クライエントがときに沈黙したり、顔色を変えて ”そうなんだ...” ”そうかもしれない” と潜在意識に目覚める場面があります。 この場合、その後の面談はダイナミックに変容し、深く洞察力に富んだものとなります。

そんなに滅多におとずれる機会でもなく、また、そんなに上手くいくものでもありませんが、ひとたびこうした経験をすると、背筋が震えるような嬉しさと達成感が入り混じったような興奮を覚え、それは素晴らしい体験です。

となれば、諸外国から批判される「日本人のあいまいさ」って悪くない。 ”謎解きのようでちょっと楽しい” なんていうと顰蹙物でしょうか。

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2009年5月16日 (土)

鶴巻温泉

Photo 風薫る5月と言いながら、雨が続いたり、そうでなくともGWは皆勤賞、そろそろ嫌気がさしてきたので、有休を取って温泉へ行くことにしました。

ネットで近場の温泉を検索したところ、安・近・短を満たす温泉場では、どうも「鶴巻温泉」が良さげと判断し、目的地に決定。

「鶴巻温泉」といえば、その昔、相鉄線沿線の高校へ通っていたころ、現代国語の担任が「鶴巻温泉」に住む鶴巻先生だったこともあって、名前だけはしっかり頭にインプットされていましたが、これまで、実際に訪れたことはありませんでした。

でも、調べてみると、思いのほか近い。 最寄駅からすれば、「飯山温泉」・「七沢温泉」・「廣澤寺温泉」の方が本厚木なので手前なのですが、いずれも駅からバスで40分あまり行くことを考えれば、ほとんど駅前にある「鶴巻温泉」の方が格段とアクセスが便利です。

そこで、早速出かけてみると、あにはからんや、そこは、「鶴巻温泉」という駅名から想像していた<神奈川の田舎> とは異なり、なんと ! 駅前にデンとライオンズマンションが !! それはないだろうって(泣)

まことに不安だったのですが、道沿いに歩いていくと、マンションの肩越しに丘というか、こんもりとした木立の集積が見え始めました。 あそこかなと思って5分程度歩くと、左右に数軒の宿があるようです。これらを総称して「鶴巻温泉」といいます。

さて、ここで、少々迷ったあげく、中でも一番由緒有り気な「陣屋」へ 

聞くと、日帰り入浴は14時~だけど、昼食とセットなら11時半から利用できるということで、日帰りパックにすることにしました。 

玄関を入り、「お客様」の入場ごとに打ち鳴らす太鼓の音を聞きつつ、深みのあるチョコレート色と光沢がいい感じの通路をたどって、まずは何はともあれ露天風呂へ!

Photo_4 露天風呂は、内風呂とは別の離れにありましたが、これがなかなかのもの。檜の香りが漂う浴槽に無色透明の温泉、泉質は必要以上に柔らか過ぎず、比重も重さを感じない自然な感じ。 それでいて、暫くたつと額から汗がツツーっと流れ、まさしく効能がありそうです。

内風呂も、ゆったりと清潔感があり申し分なし。 シャワーがカランのすぐ横にあり、洗う姿勢のまま使えるのも嬉しい限りです。

Photo_5 内風呂から出てきたすぐの部屋が休憩に使えて、これがまた、井草の香りが残る畳の部屋で大広間とも呼べるほど広く、ここに寝転んで、大きなガラス戸の向うの広~い庭を見ながら、つい、うとうとする。 これがまた、至上の気分でした。

そして、この日は、別棟のレストランで名物 「やまと豚のひつまぶし」を昼食にいただきました。 

Photo_6 これは、ご存じ 「(うなぎの)ひつまぶし」を豚肉バージョンにしたもので、炭焼きにしてタレをつけた「やまと豚」がうなぎの代わりにごはんに乗っています。次いで、これに海苔やわさびを薬味に乗せ、特製の出し汁でいただきます。 美味いッ!

また、食事と同時に、ここの窓から、池の鯉とその向うの庭を眺めるのもなんとなく優雅な気分でした。

木々の若葉と咲き誇る花々、水辺と散策路、温泉と美味、半日程度の小旅行でしたが、暫し喧騒を離れリラックス、そしてリフレッシュすることができました。 

遠くに行かずとも、近場でちょっとした非日常を体験する。 TVも携帯も切り、五感が感じるものだけをたよりに自然体で過ごすのは、反って今の時代には贅沢なのかもしれない。そんなことを思った有意義な一日でした。

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2009年5月10日 (日)

母の日

Photo 週末に家族4人が揃い、又、「母の日」が明日ということもあって、ランチバイキングへ出かけてきました。

場所は、横浜西口の「歓悟雲」という中華料理店、TVでもよく取り上げられるお店です。

ここは、とにかく「味」がいい!

横浜西口とはいっても、駅からはちょっと離れていて、古い雑居ビルの中で、ちょっと見つけづらいし、グルメ情報ガイドには、”シックなアジアンスタイルのインテリアでまとめられていて、女性1人でも気軽に利用できそうな雰囲気” なんて書いてあっても、その実、いつ行ってもザワザワしていて、中華料理店というよりは「中華屋台」みたいな感じ。 およそ「シック」とは程遠いと思うので、やはり「口コミ」で「美味しい」ことが伝わったのでしょう。 とにかく常に繁盛しています。

値段は、どうなんでしょうね? 時間とオーダー出来る品数で1,180円~1,980円(本日現在)だから、普通? それとも安い? まあ、高くはないかな。

そうそう、言い忘れましたが、バイキングとはいっても、料理がテーブルにずら~っと陳列してあるかたちではなく、好きなものを1回ごとに3~6品注文していくオーダー制です。

と、まあ、店のことはこの辺にしておいて、この日、我々4人は、日頃メタボと貧乏で「粗食」に甘んじている恨みを晴らすため、親の敵とばかりに都合20品完食いたしました。(※注文した料理を残すと1人500円取られます。← Kids家には、残すという習慣が全くないので問題外)

特に辛い物に目が無いKidsは、「麻婆豆腐」、「豚モツピリ辛和え」、「四川風豚肉の細切りぴり辛炒め」 を連発し、母のひんしゅくを買いました。(良い「母の日」でした  笑)

そのくせ、これだけ平らげた割に、いつもバイキング後に感じる胃の重さがさほど無かったのは、オーダー制なので、注文から出てくるまでの間が適当にあって、2時間かけて馬鹿話をしながら食べていたからでしょうか。

とはいえ、夕食がそうめんorパンになったのに変わりはありません。(笑)

たわいのない「母の日」の話でした。

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2009年5月 3日 (日)

つまらない

Photo 「毎日が面白いか、面白くないかは、己の心が決める」って誰かが言っていましたが、最近、その己の心は「面白くない」と駄々をこねています。

「世の中は、自分の思う通りにならない。だから思う通りにしようと努力をする」って、テレビであの人が語っていましたが、「努力は報われるとは限らない」とも言います。

「自分が”自分らしく”生きること」をカール・ロジャーズは提言しましたが、”自分らしく”いられる人間関係を経験する機会は滅多にありません。

ポジティブ思考は格好いいけれど、テンションの低いときには鬱陶しく、上っ面に聞こえます。

最近、ずっとこんな感じ ...

この前も友人の一人に 「誰かに何かしてもらうのを待っているんじゃなくて、一歩踏み出す勇気が必要」とアドバイスされたけど、現実的に「一歩踏み出すこと」が阻まれる環境があることを知る人は少なく、友人だって言えない個人の都合だってあります。

人に役立つことをして、喜んでもらっている姿を見るのは本当に嬉しいけれど、独りになると、自分だって幸せになりたいし、心から笑いたい。

なんか・・・ 偽善者みたいで、自己嫌悪

そんな気持ちで、世の中、GWで浮かれているときに、特に急ぐ必要もないつまらない仕事をやるために出社。 インテリジェンスビルに入居する他の会社はどこも休みで、照明は暗いし、玄関そしてエレベーターですらIDカードを通さないと動かないのにうんざりして

あ~ぁ、やだやだ

酒は飲めないし * * * * * *  メキシコ料理でも食べに行こうかな ← ほとんど自虐ネタですね。

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2009年4月25日 (土)

凛とした

Photo 乙川優三郎さんの新刊 「闇の華たち」 を読みました。

<凛とした> 素晴らしい短編集でした。

読み終えた途端、端正でも、清々しさでも言い足りなくて、思いついた言葉が <凛とした> でした。

りりしく引き締まった文章に、雰囲気やオーラが込められた見事さは思わず溜息が漏れるほどで、「自分も、死ぬまでに一度でいいから、こんな文章を書いてみたい」  と素人が勘違いで嫉妬じみた感想を抱くほど

例えば、”雪に埋もれた小路を歩いていくと、いつになく確かな幸先が心を軽くしていく。逃れようのない虚しさの裏に無上の喜びが貼りついている。薄い陽射しの朝で、町は足下から冷えていたが、やがて娘を迎える雪たちは道という道の木立に美しい華をつけていた。” と描かれた「冬の華」の末尾などは、ストーリー全体を知らなくとも、主人公のきりりとした風情、ひたむきな生き方が、風景と一体となって心に迫ってきて、美しさに泣きたくなってしまう。

決して常に品行方正であるわけでもなく、しかし、己に正直で筋の一本通った言行、もしかしたら、現代に最も失われたものが <凛とした> という言葉に含まれているのかもしれない なんてちょっと思ったりしました。

そんなことを考えながら、今度は、届いたばかりのメジューエワのCDを掛けてみたら、このベートーベンがまた <凛とした> としか言い表せない見事な演奏でした。

彼女は、その清純な容姿から、どちらかと言えば、線の細い、楚々としたピアノを想像してしまいがちですが、実は、かなり強靭で安定感のある演奏が持味だと思います。

そういう意味では、確かに、かなり期待していたCDではあったのですが、この「ワルトシュタイン」は素晴らしい。 彼女の数あるCDのベストワンではないでしょうか

その堂々とした品格のある演奏は、やはり <凛とした> と称すべき確かさを備えていました。

滅多にない <凛とした> 作品2点、”いいものはいい” を実感できる特上の作品です。

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2009年4月13日 (月)

若者支援

Photo 4月1日より新年度とあって、うちの会社にも7名の新入社員が入社しました。

入社式、導入教育、その他、人事としては大忙しです。 なんせ入社式の会場設営から現場への引率、はたまた花見の引率までしなければならない始末なのです。(普通、花見って、新入社員が段取るものじゃないのかしら?)

しかし、だから嫌かと言えば、そんなことも無く、反って、積年の喜怒哀楽を言葉や振る舞いに貼り付けながら、成仏間際の魚のように死んだと思えばピクッと動くおじさん達と付き合うよりは、エネルギーの損耗が少なく、むしろエネルギーをいただけたりするわけなので、この方が断然楽しいですね。

だからと言って、ここが不思議なところなのですが、Kidsが同じころに戻りたいかと言われれば、ノーサンキュー。 正直、これからの時代に明るい展望を抱いていないし、これまでのウン十年を繰り返すなんて嫌なこったという思いが強いです。

違う脚本の違う人生を歩めるのなら ・・・・・ それでも嫌かな

でも、だから後ろ向きかと言えば、このおじさん、これからやりたいことは沢山あるし、まだまだ十分にエネルギーはあるし、条件さえ整えば頑張れる、いや、頑張ろうという気概に満ちています。

若さは生命力に溢れ美しいけど、反面、脆くて危なっかしい部分が多く、そこをフォローしてあげるのが先輩の役目、むしろそこをやりたい。

しかしながら、例えば今の会社で人材教育に専念できるのならともかく、ただでさえ職務がオーバーフロー気味のプレイングマネージャーにその実践を求められても絶対無理というのが本音。

ゆえに、出来れば環境を変えて、別の方向、別の視点で若者支援、かつキャリア教育に取り組みたい。 そんな思いで、今日も一社面接を受けてきました。

さて、どんな長いトンネルにも出口はあると言いますが、果たしてKidsのトンネルの出口はどこまで繋がっていることやら

未だ明かりの兆しすら窺えません。(泣)

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2009年4月 5日 (日)

鬱屈と怒り

Fukkinpolitics 母を土下座させてしまいました。

最近つらいことが多くてストレスが溜まっていたせいか、怒りを押さえることができませんでした。

後で悲しくて、自己嫌悪に陥りました。

でも・・・ 家はいつもこうです。

子どもの頃はそうでもなかったのですが、父が会社を二度、三度潰して、社会的信用を失ったあたりから、「お金」の問題に慢性的に悩まされるようになり、その父が莫大な借金を残し他界した後は、その為に青春時代の殆どを失いました。

その後、多少上向いた時代もあったのですが、社会人となった弟の多重債務問題、次いで、別の弟の二度にわたる癌の入院・手術、未就労期間の長期化に伴う出費が嵩み、その余波が今でも続いています。

Kidsとしては、その為に北海道から戻ってきたつもりなので、援助は惜しまないつもりでしたが、あまりにも改善が進まず、「不幸ゲーム」の脚本を繰り返しているばかりなのにはいかかさかイライラが募りがちで

また、自身、ここのところ、転職が思うように進まず、やりたい勉強の費用すら都合がつかなかったり、会いたい人に会いに行く旅費すら取り上げられるような「ネガティブ」な感情に取れれて、ついにその不満が噴出しました。

おそらく、その裏には、今年76歳になった母へ、息子として、これまで何も良い思いをさせてあげられなかったことへの憤り、2人の弟への叱咤という感情が渦巻いているのでしょう。

残念ながら、こんなときには、これまで培ったカウンセリングや心理学の勉強も全く無力で、己の人間としてのレベルの低さに驚くやら呆れるやらしています。

でも、正直に本音を晒せば、お金のない人間は(借金のある家の人間は)幸せになってはいけないのでしょうか。

何か悲しくて仕方ありません。

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2009年3月29日 (日)

ある人生

Photo 叔父が亡くなりました。 67歳でした。

叔父は、東京工業大学出身、成績優秀にして、富士製鉄(現 新日本製鉄)に入社の際には社費で大学院まで行かせてもらったそうです。

入社後もその期待を裏切らず職務にまい進、機械設計や製造ラインの改良、公害対策、その他に携わり、技術部長にまで出世しました。

ところが、どういう経緯があったのか、その3年後に関連会社に出向、専務という肩書きながら、以前のような 「やりがい」 は薄れてしまったようで、山登りや読書など趣味に 「生きがい」 を見い出すようになりました。

そして、この辺りから ”足が痛い” ことを訴えるようになったといいます。 当時、姉である母と私が久しぶりに室蘭を訪れたときは、表面上はいささか歳を取った程度でしたが、リビングのテーブルの下にスリッパ風の足を温める器械が置いてあったのを覚えています。

その後、暫くは、公私共に忙しく、消息を聞く機会もあまりありませんでしたが、今から5年前に脳梗塞に羅患していることを伝えられました。 以前からの ”足が痛い” もその一端であったそうです。

また、ショッキングなことには、その後、アルツハイマーを発症し、これが急速に進んで他人のことが分からなくなりました。 それでも不思議なことに、母が見舞いに行き ”私が誰か分かる?” と尋ねると ”姉ちゃん” と答えるのでした。

しかし、歩行も全く困難になった叔父は、イライラが募るのか大声を上げたり、物を投げつけたりするようになり、そのせいか病院を転々としたあげく、とうとう誰も分からない状態に陥りました。 後は階段を転げ落ちるように病状が悪化。

そして、暫くぶりに聞いた消息が冒頭の ”亡くなった” であったのです。 (母は、ときどき叔母と連絡を取っていたようですが)

昨日は告別式に出席し、納棺時に同葬品を入れる際、諸々の愛用品とともに数十枚の表彰状や資格証をお棺に納めました。 図面・数式など、理科系でない私には読んでもチンプンカンプンでしたが、これだけをとっても、会社が見込んだとおり、特別な頭の持主だったのでしょう。

超エリートだっただけに、突然出世コースを外れたショックも、私たちの想像以上のものであったのかもしれません。 人生仕事だけではないと気持ちをシフトしかけてままならず、それが顕在化した病気だったような気がします。

人生いろいろ、音楽葬といって僧侶のいないアットホームな雰囲気のなかで、叔父が好きで自分の結婚式に自ら歌ったという 「テネシーワルツ」 が静かに流れていました。

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2009年3月15日 (日)

就職活動

Photo 3月に入って就職活動を本格化させました。

行政・民間を問わず、出版物、データベース、WEB、人脈、その他の職業情報を元にいろいろとアプローチしていますが、クライエントに対してキャリア相談をするのと勝手が違いなかなか上手くいきません。

やりたいことは就労支援。今までも長年それを望んでいながら、生活のため、条件面を意識して別の選択をしてしまい、不満足な結果になってしまいました。

だから、今回は、たとえ年収が今の6割、7割になったとしても、やりたいことをしたいと思っています。

その点は、一人身の自由さでしょうか、病人をかかえているとはいっても、今すぐそれがどうだという訳でもなく、もし妻子がいたら、到底このような選択はできないでしょう。

しかし、活動を始めて分かったのは、思った以上に深刻な雇用状況。 ハローワークの職員も 「年明けはまだしも、3月に入って急速に悪化した」 と話していました。 企業の雇い止めも影響しているようです。

Kidsも現在、企業の人事をしていますが、口で人材の重要性を唱える割には、企業の人に関する認識はとにかく 「経費」。  でもKidsには異論があります。

人材は 「運転資金」 と同じ。 運転資金がなくなれば会社が倒産するのと同様、人材が枯渇すれば、やはり会社はいずれ無くなる運命に違いありません。

また、人材は育てる観点が重要でしょう。 Kidsの会社では年間1,200人の退職者が出ますが、「新陳代謝がよくていい」 「イニシャルコストで雇うことが出来る」 「いざとなれば、優秀な人材を外から仕入れてくればいい」 等を公言してはばからず、その結果、企業ごとに異なる風土・環境がある中で、社員があちこちを向いて仕事しているデメリットに目を向けようとしません。 まあ、だから出て行こうとしているのですが・・・

Kidsが一番嫌いなことは、<強い者が弱い者を踏みつける>構図です。 これは食物連鎖における 「弱肉強食」 とは意味が異なります。 なぜなら、それは意識して防げることだからです。

まあ、それはともかく、まずは自分の生計の戸を見つけなければなりませんね。 明日から再スタート、頑張ります!

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2009年3月 1日 (日)

下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム

Photo_2 ついに生の舞台を見に行ってきました。

とても面白かったです。

ストーリーは、脚本・演出をした大泉洋氏が言われる通り、「大きな感動を生んだり、人生について深く考えたりするもの」ではないけれど、確かに「兄弟や家族と過ごした子供の頃の日々を、ふと思い出す」ものでした。

いつもながらの、彼ららしい真摯さとエンターテイメントが程よくミックスされた舞台で、また、この日は確か昼間の公演もあったずなのに、疲れをまったく感じさせない彼らのタフさには驚きました。

幕開けのヤスケンのU指定(笑)、洋ちゃんの盗聴おたくぶり、音尾氏のはまり役ヤクザ、シゲの女装、森崎氏の人間味溢れる演技が楽しく、故淀川長治調に言えば「舞台って、いいものですねぇ~」といった感じで、2時間半弱があっという間に過ぎました。

しかし、観客の大半が女性だったのは、ちょっと居辛かったです。 ビジュアル的には、イケメンはいないと思うけど、男の目とは違うのでしょうか?

また、ロビーでは、公演グッズが文字通り飛ぶように売れていき、買い控えや不景気の話が嘘のようでした。

この舞台も、多分近い将来DVDになるのでしょうが、また、機会があれば、実際の舞台に足を運びたいと思います。

男の方、きっと隠れFanはいると思いますので、遠慮せずにもっと来てください。 よろしくお願いいたします。

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弱い心

Photo Kidsは、キャリアコンサルタントとしてはまだまだ駆け出しですが、それでも資格認定を受けるにあたって講習を受け、その後も向上演習、試行的実務研修、そしてカウンセリングの実践を通じて、いくばくかの経験を積んでいます。

しかし、クライエントに対するキャリア支援をする立場でありながら、ことが自分自身の問題に及ぶと、キャリアに関する不安や心配への対処方法、ストレスに対するコーピング等、必ずしも知識や経験を有効に生かすことができるかと言えば、多くの課題があります。

特に、精神力の面で、不安や心配を仕事のし甲斐や生き甲斐に変えていく強靭さが足りないと感じています。

見かけは外交的で包容力があるように見えるらしく、自分でも、それはある程度当たっている面はあると思う一方、センシティブな傾向も強くてマイナス思考に陥りやすい点もあります。

また、本来わがままで、それでいて正義感が強く、不公平・不公正を許せないため、「長い物には巻かれろ」 「みんなで渡れば怖くない」 的な会社の決定が自分の信念に反することが多く、サラリーマンには向かない性格だと思うこともしばしば

高圧的な人、偉い人、「大物」が嫌いで、上下の隔てがないリラックスした雰囲気が好きなので、そういうことからも、自分で何かやる方に向いていると思うのですが、現実的には、もろもろ環境要因があって、前に進めないまま○十年もサラリーマンを続けてきました。

そして、世の中には結構こういう人が多いことを知りました。

思えば、東京オリンピック以降、近代化という錦の御旗のもとに滅私奉公で働いてきたサラリーマンが、高度成長→バブルという時代を経て、GNP世界第何位だの、先進国だのといううわべの華やかさから、実は、潤ったのは、一部のカネや権力を持った人間で自分たちは決して裕福でもないことに気づいたとき、「自分らしさ」を取り戻そうにも、一般に組織ダイナニズムにおいて、実現できる範囲は極めて限定されていることに呆然としたものです。

Kidにとっても例外でなく、例えば、人事という仕事で、社員のキャリア開発に携わるとき、会社の方針と自分が望むキャリア支援の方向性が全くかみ合わず、サラリーマンとして会社に迎合したあげく、深い失望感に苛まれたことも日常茶飯事でした。

しかし、敢えて誤解を恐れずに言えば、Kidsは、人との関係を気持ちよく保つこと、つまり、人間関係さえ上手くいけば、生きていく上での悩みの大方は克服されたと言ってよいと考えます。

このことをもっと真剣に考えなければ、メンタルリスクも減らず、生き生きと活力に富み、笑顔に満ち溢れた世の中は決してやってこないでしょう。 笑いこそが「国力」という認識が必要だと思います。

まずは、自分自身のセルフカウンセリングから始めないといけませんね!

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