感情の共有
外交的とはいえないまでも誰とでも話せるし、話題もそこそこ豊富だし、その状況に応じた展開も図れるし、ゆえに、他人からは "コミュニケーション能力がある" といわれ、自分でもそう思っていました。
確かに、「コミュニケーション能力」を言語学的側面に限っていえば、CanaleとSweinのいう「文法的能力…文法的に正しい文を用いる能力」・「談話能力…意味のある談話や文脈を理解し、作り出す能力」・「社会言語能力…社会的な文脈を判断して、状況に応じて適切な表現を行う能力」・「方略的言語能力…コミュニケーションの目的達成のための対処能力」はそれなりにある方でしょう。
しかし、最近、キャリアカウンセリングを学びコーチングをかじる中で、コミュニケーションとは言語能力だけでないということ、即ち、"コミュニケーションを単なる情報や知識のやりとりではなく、同時に感情の分かち合いと意識すること" と知るに至り、コミュニケーション能力不足を痛感して、感情面に焦点を当てるようになりました。
ところが、これはなかなか難しいことです。 というのも、人は良かれ悪しかれ感情を抑制して社会生活を行っています。 従って、家族の中でも上手くいかない「感情の共有」を他人との間で形成しようと思えば一層困難なわけです。
でも、「感情の共有」は大切なことだと思います。 今の日本社会で生じている数々の「ひずみ」も、インフラの整備だけでなく「感情の共有」が出来なければ解決できないでしょう。
そういう意味で、最近、特に危惧している問題があります。 それは、この頃、学校や企業で頓に行われるようになったディベート形式の訓練です。
Kidsは、欧米の「論理的コミュニケーション能力」の養成をベースとしたディベート形式の訓練は日本人に馴染まないと考えています。 それは、特に、「個の社会」として成熟していない日本で、「個」にコミュニケーションをテクニックと捉え、論理至上の思い込みを生み、相手の言いたいことを本当に理解せず、相手の揚げ足取りをしたり、弱点を攻め立てたり、論理をすりかえる習慣がつけてまうと思うからです。
世の中は「言い負かし」では成り立ちません。 そのようなスキルが役立つのは裁判ぐらいであり、後はトラブルになるだけです。 又は、トラブルまで発展しないまでも、「火種」としてコミュニケーションの阻害要因となります。 そして、このことが新たな「ひずみ」を生むことに疑う余地はありません。
「個」それぞれがコミュニケーションの重要性を意識し、家族間、地域間、組織間、社会で「感情の共有」に努めることが、何よりも大切なことなのです。
| 固定リンク


コメント
「感情の共有」とっても大切。しかし、ビジネスでは無視されやすい。たとえそれが人材を扱うビジネスでも・・。
感情面にも配慮した人材ビジネス、ここを
目指したいものです。
投稿: ちゃーちゃん | 2007年9月30日 (日) 15時24分