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2008年11月30日 (日)

夢の解釈

Photo 私はもともと朝が弱くて、「快適な寝覚め」などはついぞ経験したことがないのですが、最近はそれがさらにひどくなってきました。

第一に、体がとても重く、無理に起き上がると体がバラバラに分解しそうな気がします。

又、この頃は、夢を見る機会が多く、「悪夢」とは言わないものの、その結果、気分が優れない常態です。

例えば、ある夢のケースでは「何か計算をしている自分がいて、「表」が見えたので、多分エクセルか何かで集計作業をしているようなのですが、何回計算しても縦・横が合わなくて、計算式を再入力したり、いろいろなことをしてみてもどうしても上手くいかない」 これが延々と続きます。

ひどいことには、トイレに起きて、安堵し、もう一度寝ると、先ほどの続きがまた延々と繰り返し、朝起きたときはグッタリでした。

又、別のケースは、これは子どもの頃から時々見る夢なのですが、道を真っ直ぐどこかへ向かって走っています。(すぐ傍を数人の誰かが、同じ目的地に向かって一心不乱に駆けています) 道はかなり広くて、でも両側に杉のような針葉樹の木立が一定の間隔で生えているため、時代劇の中のような薄暗い感じがあります。 そして、木々の間、少し向うの方で、城だか家だか分かりませんが大きな建物が燃えています。 しかし、いくら頑張って急いでも、その距離は一向に縮まらないのです。

何か 「自分が望むものに行き着かない苛立ちか焦り」 のようなものだろうかと思ったりしてはいますが、どうなんでしょうかね?

そんな中、昨日、ロールプレーイングをご一緒させていただいた仲間からこんな話を聞きました。

彼女は、よく高いところにいて降りられない夢を見るそうです。 それは塔の先のようなところにいる場合もあれば、山の頂上や断崖絶壁のような場所であることもあるようですが、決まって何かメンタルストレスを抱えているときにその類の夢を見るそうです。

彼女の夢も、一定期間、繰り返し繰り返し現れるそうですが、そこそこ続くと、見たらそこにロープが張ってあったり、隠れていた階段や道があって、おっかなビックリ時間をかけて降りると、最後には地面に降りて来れるそうです。 そして、そのときは、現実の生活でも問題が解決の方向に向かっていたといいます。

う~~~ん・・・///

ところで、フロイトの「夢分析」によれば、夢は暗号文に等しく、「夢は無意識への王道である」といいます。 フロイトは、<眠っているときは意識が働いていないので、意識の統制力は弱まっている=従って、思い出したくないことも出てきているはずだ> ⇒ <目覚めるとき思い出したくないものをそのまま意識に残すのは良くない> ⇒ <心の中にある検閲機能が働いて、夢で見ていた内容が象徴的なもので置き換えられたり変形されたりして、意識にそれとわからないようにして覚醒時に思い出す> と考えたのだそうです。

また、ユングは、すべての人は、無意識の中に「元型(アーキタイプ)」という固有の要素を持っていて、それが様々な形になって夢の中に現われるといいました。

ここでそれを長々というつもりもなければ、上手く説明する自信もないので完結に述べると ①シャドウ・・・もう一人の自分、自分を脅かす存在 ②アニマ・・・男性が無意識の中に持っている女性原理 ③アニムス・・・女性にとっての『心の中の男性』 ④グレートマザー・・・あらゆる物を育てる偉大な母のイメージ、但し、「子どもを慈しんではぐぐむ力」と「子供を束縛し、のみこんで破滅させてしまう恐ろしい力」と両面の力を持っている。 ⑤老賢人・・・男性にとって、成長の最終的到達点、仙人のイメージ

夢に出てくるアーキタイプを認め、受け入れれば、アーキタイプは成長する。 五つのアーキタイプを成長させること、それが自分の心の成長につながる。 それが、ユングの夢分析の考え方らしいです。

でもね、その夢が「何の象徴」なんだか、どの「アーキタイプ」なのか、そもそも分からないんですけどォ

もう疲れたよ、誰か教えてください。 Help Me!

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2008年11月23日 (日)

日本で一番大切にしたい会社

Photo_2 大切な友人から紹介されて、法政大学の坂本先生がお書きになった「日本で一番大切にしたい会社」を読みました。 不覚にも涙が出ました。

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%93%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%84%E4%BC%9A%E7%A4%BE-%E5%9D%82%E6%9C%AC-%E5%85%89%E5%8F%B8/dp/4860632486/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1227416055&sr=1-1

坂本先生は、会社には「5人に対する使命と責任がある」と言われます。 そして、その5人に対する使命と責任を果たす行動のことを本当の「経営」と定義されています。

その5人とは、①社員とその家族 ②外注先・下請企業の社員とその家族 ③顧客 ④地域社会(地域住民) ⑤株主 です。

この順番について、多くの経営学者や経営者から ”お客様が3番なんておかしい。お客様第1に決まっているじゃないか・・・” と言われるそうですが、坂本先生はそれは違うと言われます。

会社の使命は、「お客様のニーズに応える」 「お客様が欲しいと思うものを創造する、提案する」ことなので、それに対応する社員が一番大事で お客様がいなければ創ればいい。 お客様が「こんなものがあればいいな」 「こんなことができたのか」という価値を創造してあげることの出来る担い手は社員だから、自社の不平・不満・不信でいっぱいの社員では、感動とサービスを期待しているお客様に応えることなどできるはずがない。 だから、社員満足度と外注企業の満足度を高めるのが先だと先生は弁じられます。

又、会社は、”あの会社は私たちの町のシンボルだ” ”この会社はわが町の自慢だ” ”この会社にこそ、息子や娘を入社させたい” と思われるように努めなければならないと申されます。

さらに、株主に対する使命と責任というものは、目的というより、結果として実現されるもので、株主の満足度(特に株価の上昇や配当金などの現金的な見返り)を優先して短期の業績を追求し、経営者として資質のないトップやその周辺の人間を、強い発言力をもつ地位に就かせてしまうことは、経営者が一時の繁栄でおごり高ぶり、儲け主義に走るあまり、最も大切な「5人に対する使命と責任」の順番を間違え「正しい経営」を実践できなくなった証だと判じられます。

正に、Kidsが言いたかったことそのままです。

そして、実は、日本には、坂本先生がこのように言われる「経営」を以前から実践し、継続いている会社が少なからずあることを知りました。

日本理化学工業株式会社は、特例子会社でないにも関わらす、障害者雇用率70%! しかもマーケットシェアは30%!! 業績のために犠牲者を出すことなく、誰もが幸せになることを目指し実現しています。 50年前に採用した障害者が今でも勤務し、お茶を出してくれたくだりなど、感動で眼鏡が曇ってしまいました。

伊那食品工業株式会社は、48年間増収総益。 50年間1度のリストラもなく、同業者とも戦わず、とことん環境に配慮した工場をつくり、「会社は社員の幸福のためにある」をモットーに常に工夫し、未来を見据えてきた「年輪企業」です。 会社の敷地内で幼稚園児が遠足したり、おじいさん・おばあさんが日向ぼっこをしたりしている開かれた環境を一度この目で見てみたいと思います。

こうした「いい会社」がある反面、会社を経営者や株主の私物と勘違いし、「人財」を無駄にし、社員に犠牲を強いてまで業績(利益)をひたすら求める会社も決して少なくありません。

Kidsの会社などは、年間労災が30件以上、事故・クレームに対する損害賠償額が1億円以上、パワハラ・セクハラ等の弁護士マター、コンプライアンスはもとよりCSRは一切果たさず、5年間定昇ゼロで年間退職者1,000人、それでいて ”人を愛する” などというふざけた会社です。 本当に頑張っている社員が気の毒で仕方がありません。

「日本で一番大切にしたい会社」を読んで、嬉し涙にくれるとともに、会社への憤りがますます強くなりました。

いままで漠然と思っていた不平・不満・不信がかたちあるものに変わり、メンタル面も含めてもう我慢の限界のようです。

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2008年11月15日 (土)

ノクターン

Photo 前回お話した「風のガーデン」の挿入歌 『ノクターン(カンパニュラの恋』 が発売になりました。

歌うのは平原綾香さん、ドラマでも新人歌手・氷室茜として登場していて、実は、かなり重要な役どころを果たしています。

ちょっと不思議な感じも漂う彼女ですが、実父はサックス奏者、祖父はトランペット奏者、姉は歌手・サックス奏者という音楽一家。 本人も洗足学園音楽大学ジャズコースサックス専攻を卒業しています。

そのせいと言うわけでもないでしょうが、基礎がしっかりしている上、ちょっとハスキーで変わった声ながら独特の魅力があり、倉本先生もお気に入りのよう。 かつて、TVドラマ「優しい時間」の主題歌に『明日』が使われたことはまだ記憶に新しいところです。

そして、今回の『ノクターン(カンパニュラの恋』 これが実にいい!

ドラマの第5回で、主人公の白鳥貞美が「この原曲はショパンのノクターンだね」と明らかにしたとおり、原曲は『ショパンのノクターン20番 嬰ハ短調 遺作』 そして、実は、ピアノの詩人ショパンが残した数々の名曲の中でもKidsのベスト3に入るお気に入りの曲なのです。

それだけに、ある意味、<聖域を侵されたくない>感もあったのですが、全くの危惧に過ぎませんでした。

ショパンであってショパンでない、原曲の良さを十分知り尽くした上で、「欲しいものにどうしても手が届かない」さびしい気持ち、怒りや不安の気持ちを新たに再構築した現代のショパンともいうべき感性が息づいていました。

ところで、この原曲、「遺作」とはいうものの、実際はショパン19歳の時の作品です。 そして、これほど素晴らしい曲でありながら、ショパンはあまり良い作品と思わなかったため、生前発表されず「遺作」となりました。

ロシア、プロシア(ドイツ)、オーストリアの3つの帝国に侵略され、海外に逃れた若きショパンは、ピアノの前に座りどのような気持ちでこの曲を書いたのか・・・

そんな想いで 『ノクターン20番 嬰ハ短調 遺作』 を聴き、風のガーデンに想いを馳せながら 『ノクターン(カンパニュラの恋』 を聴く。 そんな秋のひとときも結構乙なものです。

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2008年11月 9日 (日)

風のガーデン

Photo 秋の新番組として、倉本聰先生の「風のガーデン」が始まりました。

ドラマの放映に先立って、名優 緒形拳さんが亡くなった「効果!?」もあって、番組としては順調な滑り出しだったようですが、回を追って視聴率が低下しているそうです。

Kidsは、倉本先生のドラマなら、何でも見る人なので、視聴率云々はどうでもいいのですが、確かに、「北の国から」や「優しい時間」のような富良野のドラマを見たい人には物足りなさが残ると思います。

配役も大学病院のエリート麻酔医で、末期の膵臓癌に侵される主人公が中井貴一さんというのは、決して嫌でも拙いわけでもないけれど、ちょっと意外というか違和感を感じました。

しかし、回を重ねるごとに物語に深みが出てきて、Kids的には、視聴率の推移に逆行するように関心が深まっています。

特に、主人公の息子、やや知恵遅れの少年・岳を演じる神木隆之介クンの演技は素晴らしく、前から「上手な子」だとは思っていましたが、将来どこまで伸びるのか、末恐ろしいまでの演技力を見せてくれています。

さて、物語はこれからが佳境です。 オフィシャルサイトのファーストタイトルにある「人は最後に何処に還るのだろう」というテーマは、シナリオ本を読んで、物語の行き先を知るKidsには既に自明ですが、二つの花<カンパネラ>と<エゾエンゴサク>に込められた人間のさ優しさに目頭が思わず熱くなってしまい、この先、テレビ前で涙ぐまない自信がありません。

そういえば、倉本先生のドラマはいつも優しい思いに満ちていて、ヤクザであろうと犯罪者であろうと「悪人」は一切出てきません。 所詮、人間は「過ちを犯すもの」、「強くて弱いもの」、「優しくて儚いもの」ということを教えられます。

倉本聰先生は、Kidsが躊躇いも無く「先生」と呼べる数少ない一人です。

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2008年11月 2日 (日)

推理小説

Photo Kidsは推理小説が好きで、昔からよく読むのですが、最近の推理小説は読後感があまり好くないように感じます。

スッキリ感がないというか、胃に重たいものが残ったままというか、真犯人は見つかっても事件は未解決のままという感じのものが多いようです。

どうしてなんだろう?と考えて思うのは、まず、犯罪の原因が、昔はいろいろあっても、<貧困> <愛憎> <怨恨> 辺りに集約されていて 「起きてしまった」 のものが多かった。 一方、このごろは 「起こした」 ものが多くて犯罪が主体的になってきたということが挙げられると思います。

そして、犯人にはそれなりの理由があって 「起こした」 ものでも、作者自身に首肯すべき理由、言い換えれば納得感が見つけられないので、その辺をウヤムヤのままにしてしまっているという点があります。

まあ、時代性というか、ITの進化に伴ってコミュニケーションがなくなってきた今日を反映して 「分からない犯罪」 が多くなったこと。 警察やマスコミもその異常性を訴えるだけで、原因の根本的な掘り起こしを行わない上、その顕在化された部分のみセンセーショナルに伝えるので、小説家も題材として取り上げざるを得ない反面、未消化のまま書いているのかもしれませんが ・・・

特に顕著なのが少年犯罪です。

最近は、書店の店頭にも少年犯罪をテーマにとった作品が目白押しですが、そのいくつかを読んだだけでも、「少年犯罪であるが故に訴求できない被害者や被害者の家族の憤りや諦念」、あるいは「少年犯罪の異常性」を極大に取り上げたもので、犯罪者が断罪され、あるいは抹殺された後も「犯罪は消えず、繰り返す」ことが前提のような結末となっています。

こうした作品見ると、作者自体も迷っているのか、推理小説の醍醐味である(捕まえる側にも追われる側にもある)善悪のポイントが不明瞭で、時には ”何で書いたの!” と思うものも少なくありません。 ズルイのは、結末を主人公や読者に委ね問題提起をしただけで終わってしまっているものさえあります。

そして、なぜかこういうテーマの小説が売れているらしいです。 不可解です。 中には、ベストセラーとなってTV化や映画化されるものもありますが、Kids的には、大抵はまったく見るに耐えません。

少なくても、楽しみで見る推理小説ぐらい、もっと気持ちよく読みたいと念じるのは私だけでしょうか?

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