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2009年4月25日 (土)

凛とした

Photo 乙川優三郎さんの新刊 「闇の華たち」 を読みました。

<凛とした> 素晴らしい短編集でした。

読み終えた途端、端正でも、清々しさでも言い足りなくて、思いついた言葉が <凛とした> でした。

りりしく引き締まった文章に、雰囲気やオーラが込められた見事さは思わず溜息が漏れるほどで、「自分も、死ぬまでに一度でいいから、こんな文章を書いてみたい」  と素人が勘違いで嫉妬じみた感想を抱くほど

例えば、”雪に埋もれた小路を歩いていくと、いつになく確かな幸先が心を軽くしていく。逃れようのない虚しさの裏に無上の喜びが貼りついている。薄い陽射しの朝で、町は足下から冷えていたが、やがて娘を迎える雪たちは道という道の木立に美しい華をつけていた。” と描かれた「冬の華」の末尾などは、ストーリー全体を知らなくとも、主人公のきりりとした風情、ひたむきな生き方が、風景と一体となって心に迫ってきて、美しさに泣きたくなってしまう。

決して常に品行方正であるわけでもなく、しかし、己に正直で筋の一本通った言行、もしかしたら、現代に最も失われたものが <凛とした> という言葉に含まれているのかもしれない なんてちょっと思ったりしました。

そんなことを考えながら、今度は、届いたばかりのメジューエワのCDを掛けてみたら、このベートーベンがまた <凛とした> としか言い表せない見事な演奏でした。

彼女は、その清純な容姿から、どちらかと言えば、線の細い、楚々としたピアノを想像してしまいがちですが、実は、かなり強靭で安定感のある演奏が持味だと思います。

そういう意味では、確かに、かなり期待していたCDではあったのですが、この「ワルトシュタイン」は素晴らしい。 彼女の数あるCDのベストワンではないでしょうか

その堂々とした品格のある演奏は、やはり <凛とした> と称すべき確かさを備えていました。

滅多にない <凛とした> 作品2点、”いいものはいい” を実感できる特上の作品です。

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2009年4月13日 (月)

若者支援

Photo 4月1日より新年度とあって、うちの会社にも7名の新入社員が入社しました。

入社式、導入教育、その他、人事としては大忙しです。 なんせ入社式の会場設営から現場への引率、はたまた花見の引率までしなければならない始末なのです。(普通、花見って、新入社員が段取るものじゃないのかしら?)

しかし、だから嫌かと言えば、そんなことも無く、反って、積年の喜怒哀楽を言葉や振る舞いに貼り付けながら、成仏間際の魚のように死んだと思えばピクッと動くおじさん達と付き合うよりは、エネルギーの損耗が少なく、むしろエネルギーをいただけたりするわけなので、この方が断然楽しいですね。

だからと言って、ここが不思議なところなのですが、Kidsが同じころに戻りたいかと言われれば、ノーサンキュー。 正直、これからの時代に明るい展望を抱いていないし、これまでのウン十年を繰り返すなんて嫌なこったという思いが強いです。

違う脚本の違う人生を歩めるのなら ・・・・・ それでも嫌かな

でも、だから後ろ向きかと言えば、このおじさん、これからやりたいことは沢山あるし、まだまだ十分にエネルギーはあるし、条件さえ整えば頑張れる、いや、頑張ろうという気概に満ちています。

若さは生命力に溢れ美しいけど、反面、脆くて危なっかしい部分が多く、そこをフォローしてあげるのが先輩の役目、むしろそこをやりたい。

しかしながら、例えば今の会社で人材教育に専念できるのならともかく、ただでさえ職務がオーバーフロー気味のプレイングマネージャーにその実践を求められても絶対無理というのが本音。

ゆえに、出来れば環境を変えて、別の方向、別の視点で若者支援、かつキャリア教育に取り組みたい。 そんな思いで、今日も一社面接を受けてきました。

さて、どんな長いトンネルにも出口はあると言いますが、果たしてKidsのトンネルの出口はどこまで繋がっていることやら

未だ明かりの兆しすら窺えません。(泣)

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2009年4月 5日 (日)

鬱屈と怒り

Fukkinpolitics 母を土下座させてしまいました。

最近つらいことが多くてストレスが溜まっていたせいか、怒りを押さえることができませんでした。

後で悲しくて、自己嫌悪に陥りました。

でも・・・ 家はいつもこうです。

子どもの頃はそうでもなかったのですが、父が会社を二度、三度潰して、社会的信用を失ったあたりから、「お金」の問題に慢性的に悩まされるようになり、その父が莫大な借金を残し他界した後は、その為に青春時代の殆どを失いました。

その後、多少上向いた時代もあったのですが、社会人となった弟の多重債務問題、次いで、別の弟の二度にわたる癌の入院・手術、未就労期間の長期化に伴う出費が嵩み、その余波が今でも続いています。

Kidsとしては、その為に北海道から戻ってきたつもりなので、援助は惜しまないつもりでしたが、あまりにも改善が進まず、「不幸ゲーム」の脚本を繰り返しているばかりなのにはいかかさかイライラが募りがちで

また、自身、ここのところ、転職が思うように進まず、やりたい勉強の費用すら都合がつかなかったり、会いたい人に会いに行く旅費すら取り上げられるような「ネガティブ」な感情に取れれて、ついにその不満が噴出しました。

おそらく、その裏には、今年76歳になった母へ、息子として、これまで何も良い思いをさせてあげられなかったことへの憤り、2人の弟への叱咤という感情が渦巻いているのでしょう。

残念ながら、こんなときには、これまで培ったカウンセリングや心理学の勉強も全く無力で、己の人間としてのレベルの低さに驚くやら呆れるやらしています。

でも、正直に本音を晒せば、お金のない人間は(借金のある家の人間は)幸せになってはいけないのでしょうか。

何か悲しくて仕方ありません。

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