あいまいな言葉
日本語表現のあいまいさはよく指摘されますが、その理由として「相手を傷つけまいとして直接的な表現を避ける」、「察することを尊ぶ伝統」などが挙げられます。
カウンセリング(の演習)をしていると、しばしば、この「あいまいな言葉」に遭遇します。
このとき、カウンセリングでは、そのあいまいさを取り去り、意識の面積を拡大する作業、即ち、クライエントが、まだはっきりと意識化していないところを先取りして言語化する「明確化」という手順をふみます。
それは、カウンセリングが本来、さまざまな問題や課題を抱え、その解決を求めようとする個人に対して心理的援助を行うものであり、その方法の一つとして、相手に自分自身の潜在意識を納得感を持って理解させる(気づき)を与えることが必要不可欠だからです。
そうしないと、クライエントがいつまでも空想的思考、願望的思考を繰り返し、その言動に現実性が出てこないことになります。
ところが、日本語には、「あいまいな言葉(表現)」が非常に多く、カウンセラー自身も、日常、その「あいまいさ」に慣れて生活していることから、初心者の段階では、その「あいまいな言葉」を、何気なく聞き過ごしてしまう場合があります。
たとえば、「こそあど」
「これ・それ・あれ・どれ」といった事物、「こちら・そちら・あちら・どちら(こっち・そっち・あっち・どっち)」といった方角、「ここ・そこ・あそこ・どこ」といった場所を示す指示代名詞を始め、「こんな・そんな・あんな・どんな」および「この・その・あの・どの」といった連体詞、「こう・そう・ああ・どう」にみいだされる副詞など
ものの本には、「こ」系で近称を、「そ」系で中称を、「あ」系で遠称を、「ど」系で不定称を表すと説明されていますが、近称とか遠称とかいっても、単に距離が問題なのではなく、「こ」は話し手の勢力圏にあること、「そ」は聞き手の勢力圏にあること、「あ」は両者の勢力圏の外にあることを示すと読んでいくと、とても「あいまい」 (笑)
従って、カウンセラーは、こんなふうに→どんなふう?、こんなわけで→どんなわけ?、そういう意味で→どんな意味?、そういうことで→どういうこと? といった具合にポイントを捉え、内容を掘り下げ、さらに、要約や繰り返しで確認しながら面談を進めて行くのですが、これは、一見やさしそうでいて、経験の浅いカウンセラーには案外難しいものです。
ところが、こうした過程で、クライエントがときに沈黙したり、顔色を変えて ”そうなんだ...” ”そうかもしれない” と潜在意識に目覚める場面があります。 この場合、その後の面談はダイナミックに変容し、深く洞察力に富んだものとなります。
そんなに滅多におとずれる機会でもなく、また、そんなに上手くいくものでもありませんが、ひとたびこうした経験をすると、背筋が震えるような嬉しさと達成感が入り混じったような興奮を覚え、それは素晴らしい体験です。
となれば、諸外国から批判される「日本人のあいまいさ」って悪くない。 ”謎解きのようでちょっと楽しい” なんていうと顰蹙物でしょうか。
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