2009年6月13日 (土)

辻井伸行さん

Photo 辻井伸行さんが7日、米テキサス州で4年に1度開かれるヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、日本人として初めて優勝しました!

翌日、そのニュースが伝わると、その瞬間から所属事務所やレコード会社には問い合わせが殺到。 CDの売り上げは急増し、コンサートのチケットは完売。クラシック界の若きヒーローの誕生に列島は熱狂しています。

確かに快挙には違いなく、Kidsも以前から大きな期待を抱いていたピアニストですが・・・・・ なんだかなあ、4年前の第15回ショパン国際ピアノコンクールで「批評家賞」を受賞したときは、ほとんどニュースにならなかったのに

今、その時のCDを聴いていますが、この頃からもっと騒がれても良かったような・・・ もっともテクニックは万全だけども ”16歳か、なるほど” という若さは感じます。 それでも、とても素晴らしい。

そういえば、以前TVで見たカプースチンの「8つの演奏会用エチュード」は良かったなあ! また、再放送しないかしら

ところで、彼のピアノの素晴らしさについて敢えて言えば、それは、指揮者・佐渡裕さんが ”音楽の神様が舞い降りた瞬間を見るようだった”、又、恩師のピアニスト・横山幸雄さんが ”じっくりと彼の音楽に耳を傾けてほしい。きっと彼の心のメッセージがあなたの心をゆさぶるはずだ” というように、その音楽の「やわらかさ」と「やさしさ」ではないかと思います。

たとえて言えば、温泉の源泉のような感じ。 強靭なテクニックで不足なく圧倒的な演奏をみせる「硬水」のピアニストがいる一方、彼の紡ぐ音楽は「軟水」 とても「やわらかい」感じがします。

それは、前述の佐渡裕さんと共演した最新CD「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番」にも顕著にあらわれています。 緩徐楽章のような「うたわせる部分」に限らず、早いパッセージを弾くときのタッチも力強く、しかも、とても「やさしく」「やわらかい」 (ところで、このCDはいいですよ! オーケストラの演奏もバッチリで絶対オススメです)

しかし、マスコミが何かといえば 「全盲のピアニスト」 と騒ぐのには閉口します。 全盲で優れたピアニストは、Kidsが、モーツァルトが特に素敵だと思っている梯剛之さんとか、他にも何人もいらっしゃるし、どうして、日本のマスコミの報道姿勢っていうのは、いつも「扇情的」なんでしょうかね。

CDが5万枚も売れるのも、マスコミとエイベックスの策略か! なんて、思わず考えてしまう加熱ぶりです。

まあ、でも、日本人はすぐ飽きるから そうしたら、久しぶりにコンサートへ出かけたいと思います。 さて、いつになるでしょうか(笑)

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2009年6月 6日 (土)

1Q84

1q842_2 「1Q84」を読み終えました。 満足しました。

そう、いつも思うのですが、村上春樹(敬称略)の小説は、「面白い」という表現では言い尽くせないところがあります。

それは、例えて言えば、寝ているときに見る夢を、起きたらほとんど忘れていて断片的にしか思い出せない、しかし、とても大切ななにかを語っている夢だったような気がする、その夢をつなぎ合わせてきちんとストーリーにしてくれたみたいなそんな感じ

なんとなくファンタジックでなじみやすい、でも、しっかりとした内容というか重みのある、自分のアイデンティティ探しをしているようで、されど、まだ行き着かない、そして、次の作品を待ち望んでやまない。

もちろん、作品ごとに、背景も登場人物もストーリーの展開も皆違っているのに、思想というか何かの意志が連綿として引き継がれていて、いったん、そこに入り込むと、その魅力から抜け出せない、というか出たくない。

特に、「1Q84」は、話の展開がまだまだありそうな余韻があり、おそらく、今回発刊された2冊がBOOK1、BOOK2となっていて、上下でないことは、BOOK3以降がありそうな予感もあります。

ネタバレをしたくないので中身には触れませんが、とにかく確かな満足感、充実感が得られる小説です。

信じられないほど人気があって、出たばかりなのに入手困難となっているようですが、予約してでも買う価値は十分あると思います。

この際、村上春樹「信者」じゃなくても、是非、読んでみてください。

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2009年5月31日 (日)

夢の変容

Photo_2 久しぶりに記憶に残る夢を見ました。

今回の夢も、これまで同様に「間に合わない」焦り (例えば、①誰かを助けに行こうとしているのに ②期限が迫っているのに ③急用があるのに) がある点は変わりませんが、違うのは、「行きたくない」・「間に合わなくても仕方がない」気持ちがあったこと

具体的には、夢だから訳が分からないところが多いのですが、多分、仕事ではなく学校に行こうとしていて「間に合わない」 でも、行きたくない。そしたら、いつの間にか、銭湯だか温泉だか大きな湯船に入っていて、でも寛げず、内心焦っている。 そこに仲間が大勢入ってきて、”いいじゃなない、ゆっくりしようよ” とばかりに笑う。 で、本人も ”まぁ、いいか” と(笑)  そうこうすると、場面が変わり、今度は、古びた木の廊下を、恐る恐るといった足取りで教員室?に向かっている。?????

と夢はここまでですが、何だか「仲間」といった「支援者」が現れたせいか、「焦り」あるいは「恐れ」の程度が軽くなったような気がしました。また、起きたときの気分の悪さは相変わらずですが、圧迫感が減ったような気もしました。

もしかすると、最近、出来る限り、身体だけじゃなくて気持ちのリラックスに心掛けている効果が出てきたのかもしれません。

自分には、良いところも悪いところもあり、好きなところも嫌なところもあるけれど、それが自分(私が認識している自分)、人の意見は聞いても、その取捨選択をするのも自分、だと思うと、少しだけ気分が楽になります。

しかし、自己認識に仲間(支援者)の存在は大きいようです。『人は相手の気持ちに寄り添うことは出来ても、相手に同化することはできない』  それでも、周りがあってからこそ、「自分は自分」たることができます。

逆の立場になって考えると、例えば、カウンセリングをする際に、”すべての人間は、自分自身のなかに、個人的にも満ち足りた、社会的にも建設的な方向に、みずからの人生を導いていく能力を持っている。ある特定のタイプの援助関係のなかで、その人間が自由にみずから内面の智恵と自信を発見していくように援助していけば、その人びとは、ますます健康で、ますます建設的な選択をする” といった観点から、最も信頼される「仲間」になることは、極めて重要な意義を持つことでしょう。

それには、もっと懐の深い、器の(大きいだけでなく)確かな人間に、己が成長しないといけませんね。

「道なお険し」といったところです。(泣)

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読書

Photo 私の趣味の一つに読書があります。

趣味というよりは、1年365日、本を開かない日は「ありえない」ので、習慣といってもいいかもしれません。

読む時間は、1日平均1時間程度。 本当は、通勤時も読みたいのですが、首都圏のラッシュアワーという極めて非人間的な環境を強制されるなかで、それは到底無理。 だから、主に昼食後、外出時、そして、就寝前を読書に当てています。

それが可能なのは、昼食の時間が、15時に行ければ早い方といった按配で、職場の同僚と「つるんで」行かなくてすむことと、外出の際に単独の場合が多いため、気兼ねなく本を読むことができるせいです。 それと、子どもの時分から、「寝る前は読書」と決めているので、時間の確保に苦労することはありません。

ジャンルは、何でも。 でも、ノンフィクションよりはフィクション、小説が好きでビジネス書は苦手です。

ビジネス書が苦手というのは、つまり、読書という行為は、極めて個人的なもので、読者が抱く個別的なイメージはそれぞれ違うのだから、それを相対化し普遍的な共通項で括ったり、筆者の体験だけで 「こうすれば、うまくいく」 みたいなことを言われると、鼻持ちならない気がするからです。

一方、専門書はよく読みます。 社会、心理、文化系が多いです。

小説は、基本的には何でも来い(笑)ですが、「量産」小説なら雑誌のゴシップの方がまだマシ。 テーマが明快で、筋がしっかりとしていて、確かな重心があり、文章に難解さがなくて、しかも上手い、プラス、エンターテイメント性があれば、よりベターです。

そこで、勝手に最近のお気に入りをまとめてみれば

佐々木 譲、今野 敏、柴田 哲孝、誉田 哲也、伊坂 幸太郎、奥田 英明、海堂 尊、広川 純、乙川 優三郎、山本 一力、宇江佐 真理、澤田 ふじ子、宮部 みゆき、志水 辰夫、村山 由佳、森 絵都、恩田 陸、長島 有

こんな感じ、漏れているのもあると思うけど あ、そうそう、村上 春樹は別格扱いです。 ほとんど信者に近いですね。

また、谷川 俊太郎、倉本 聰など、詩文やシナリオもよく読みます。

さて、まあ、読書については、書くことが沢山あって(もちろん、主観ですが、もともとブログなんてものは日記なので)、今後は、ネタに困ったら、ときどき書いていきたいと思います。

では、ようご期待←誰も待ってないって(笑)

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2009年5月24日 (日)

あいまいな言葉

Photo 日本語表現のあいまいさはよく指摘されますが、その理由として「相手を傷つけまいとして直接的な表現を避ける」、「察することを尊ぶ伝統」などが挙げられます。

カウンセリング(の演習)をしていると、しばしば、この「あいまいな言葉」に遭遇します。

このとき、カウンセリングでは、そのあいまいさを取り去り、意識の面積を拡大する作業、即ち、クライエントが、まだはっきりと意識化していないところを先取りして言語化する「明確化」という手順をふみます。

それは、カウンセリングが本来、さまざまな問題や課題を抱え、その解決を求めようとする個人に対して心理的援助を行うものであり、その方法の一つとして、相手に自分自身の潜在意識を納得感を持って理解させる(気づき)を与えることが必要不可欠だからです。

そうしないと、クライエントがいつまでも空想的思考、願望的思考を繰り返し、その言動に現実性が出てこないことになります。

ところが、日本語には、「あいまいな言葉(表現)」が非常に多く、カウンセラー自身も、日常、その「あいまいさ」に慣れて生活していることから、初心者の段階では、その「あいまいな言葉」を、何気なく聞き過ごしてしまう場合があります。

たとえば、「こそあど」

「これ・それ・あれ・どれ」といった事物、「こちら・そちら・あちら・どちら(こっち・そっち・あっち・どっち)」といった方角、「ここ・そこ・あそこ・どこ」といった場所を示す指示代名詞を始め、「こんな・そんな・あんな・どんな」および「この・その・あの・どの」といった連体詞、「こう・そう・ああ・どう」にみいだされる副詞など

ものの本には、「こ」系で近称を、「そ」系で中称を、「あ」系で遠称を、「ど」系で不定称を表すと説明されていますが、近称とか遠称とかいっても、単に距離が問題なのではなく、「こ」は話し手の勢力圏にあること、「そ」は聞き手の勢力圏にあること、「あ」は両者の勢力圏の外にあることを示すと読んでいくと、とても「あいまい」 (笑)

従って、カウンセラーは、こんなふうに→どんなふう?、こんなわけで→どんなわけ?、そういう意味で→どんな意味?、そういうことで→どういうこと? といった具合にポイントを捉え、内容を掘り下げ、さらに、要約や繰り返しで確認しながら面談を進めて行くのですが、これは、一見やさしそうでいて、経験の浅いカウンセラーには案外難しいものです。

ところが、こうした過程で、クライエントがときに沈黙したり、顔色を変えて ”そうなんだ...” ”そうかもしれない” と潜在意識に目覚める場面があります。 この場合、その後の面談はダイナミックに変容し、深く洞察力に富んだものとなります。

そんなに滅多におとずれる機会でもなく、また、そんなに上手くいくものでもありませんが、ひとたびこうした経験をすると、背筋が震えるような嬉しさと達成感が入り混じったような興奮を覚え、それは素晴らしい体験です。

となれば、諸外国から批判される「日本人のあいまいさ」って悪くない。 ”謎解きのようでちょっと楽しい” なんていうと顰蹙物でしょうか。

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2009年5月16日 (土)

鶴巻温泉

Photo 風薫る5月と言いながら、雨が続いたり、そうでなくともGWは皆勤賞、そろそろ嫌気がさしてきたので、有休を取って温泉へ行くことにしました。

ネットで近場の温泉を検索したところ、安・近・短を満たす温泉場では、どうも「鶴巻温泉」が良さげと判断し、目的地に決定。

「鶴巻温泉」といえば、その昔、相鉄線沿線の高校へ通っていたころ、現代国語の担任が「鶴巻温泉」に住む鶴巻先生だったこともあって、名前だけはしっかり頭にインプットされていましたが、これまで、実際に訪れたことはありませんでした。

でも、調べてみると、思いのほか近い。 最寄駅からすれば、「飯山温泉」・「七沢温泉」・「廣澤寺温泉」の方が本厚木なので手前なのですが、いずれも駅からバスで40分あまり行くことを考えれば、ほとんど駅前にある「鶴巻温泉」の方が格段とアクセスが便利です。

そこで、早速出かけてみると、あにはからんや、そこは、「鶴巻温泉」という駅名から想像していた<神奈川の田舎> とは異なり、なんと ! 駅前にデンとライオンズマンションが !! それはないだろうって(泣)

まことに不安だったのですが、道沿いに歩いていくと、マンションの肩越しに丘というか、こんもりとした木立の集積が見え始めました。 あそこかなと思って5分程度歩くと、左右に数軒の宿があるようです。これらを総称して「鶴巻温泉」といいます。

さて、ここで、少々迷ったあげく、中でも一番由緒有り気な「陣屋」へ 

聞くと、日帰り入浴は14時~だけど、昼食とセットなら11時半から利用できるということで、日帰りパックにすることにしました。 

玄関を入り、「お客様」の入場ごとに打ち鳴らす太鼓の音を聞きつつ、深みのあるチョコレート色と光沢がいい感じの通路をたどって、まずは何はともあれ露天風呂へ!

Photo_4 露天風呂は、内風呂とは別の離れにありましたが、これがなかなかのもの。檜の香りが漂う浴槽に無色透明の温泉、泉質は必要以上に柔らか過ぎず、比重も重さを感じない自然な感じ。 それでいて、暫くたつと額から汗がツツーっと流れ、まさしく効能がありそうです。

内風呂も、ゆったりと清潔感があり申し分なし。 シャワーがカランのすぐ横にあり、洗う姿勢のまま使えるのも嬉しい限りです。

Photo_5 内風呂から出てきたすぐの部屋が休憩に使えて、これがまた、井草の香りが残る畳の部屋で大広間とも呼べるほど広く、ここに寝転んで、大きなガラス戸の向うの広~い庭を見ながら、つい、うとうとする。 これがまた、至上の気分でした。

そして、この日は、別棟のレストランで名物 「やまと豚のひつまぶし」を昼食にいただきました。 

Photo_6 これは、ご存じ 「(うなぎの)ひつまぶし」を豚肉バージョンにしたもので、炭焼きにしてタレをつけた「やまと豚」がうなぎの代わりにごはんに乗っています。次いで、これに海苔やわさびを薬味に乗せ、特製の出し汁でいただきます。 美味いッ!

また、食事と同時に、ここの窓から、池の鯉とその向うの庭を眺めるのもなんとなく優雅な気分でした。

木々の若葉と咲き誇る花々、水辺と散策路、温泉と美味、半日程度の小旅行でしたが、暫し喧騒を離れリラックス、そしてリフレッシュすることができました。 

遠くに行かずとも、近場でちょっとした非日常を体験する。 TVも携帯も切り、五感が感じるものだけをたよりに自然体で過ごすのは、反って今の時代には贅沢なのかもしれない。そんなことを思った有意義な一日でした。

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2009年5月10日 (日)

母の日

Photo 週末に家族4人が揃い、又、「母の日」が明日ということもあって、ランチバイキングへ出かけてきました。

場所は、横浜西口の「歓悟雲」という中華料理店、TVでもよく取り上げられるお店です。

ここは、とにかく「味」がいい!

横浜西口とはいっても、駅からはちょっと離れていて、古い雑居ビルの中で、ちょっと見つけづらいし、グルメ情報ガイドには、”シックなアジアンスタイルのインテリアでまとめられていて、女性1人でも気軽に利用できそうな雰囲気” なんて書いてあっても、その実、いつ行ってもザワザワしていて、中華料理店というよりは「中華屋台」みたいな感じ。 およそ「シック」とは程遠いと思うので、やはり「口コミ」で「美味しい」ことが伝わったのでしょう。 とにかく常に繁盛しています。

値段は、どうなんでしょうね? 時間とオーダー出来る品数で1,180円~1,980円(本日現在)だから、普通? それとも安い? まあ、高くはないかな。

そうそう、言い忘れましたが、バイキングとはいっても、料理がテーブルにずら~っと陳列してあるかたちではなく、好きなものを1回ごとに3~6品注文していくオーダー制です。

と、まあ、店のことはこの辺にしておいて、この日、我々4人は、日頃メタボと貧乏で「粗食」に甘んじている恨みを晴らすため、親の敵とばかりに都合20品完食いたしました。(※注文した料理を残すと1人500円取られます。← Kids家には、残すという習慣が全くないので問題外)

特に辛い物に目が無いKidsは、「麻婆豆腐」、「豚モツピリ辛和え」、「四川風豚肉の細切りぴり辛炒め」 を連発し、母のひんしゅくを買いました。(良い「母の日」でした  笑)

そのくせ、これだけ平らげた割に、いつもバイキング後に感じる胃の重さがさほど無かったのは、オーダー制なので、注文から出てくるまでの間が適当にあって、2時間かけて馬鹿話をしながら食べていたからでしょうか。

とはいえ、夕食がそうめんorパンになったのに変わりはありません。(笑)

たわいのない「母の日」の話でした。

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2009年5月 3日 (日)

つまらない

Photo 「毎日が面白いか、面白くないかは、己の心が決める」って誰かが言っていましたが、最近、その己の心は「面白くない」と駄々をこねています。

「世の中は、自分の思う通りにならない。だから思う通りにしようと努力をする」って、テレビであの人が語っていましたが、「努力は報われるとは限らない」とも言います。

「自分が”自分らしく”生きること」をカール・ロジャーズは提言しましたが、”自分らしく”いられる人間関係を経験する機会は滅多にありません。

ポジティブ思考は格好いいけれど、テンションの低いときには鬱陶しく、上っ面に聞こえます。

最近、ずっとこんな感じ ...

この前も友人の一人に 「誰かに何かしてもらうのを待っているんじゃなくて、一歩踏み出す勇気が必要」とアドバイスされたけど、現実的に「一歩踏み出すこと」が阻まれる環境があることを知る人は少なく、友人だって言えない個人の都合だってあります。

人に役立つことをして、喜んでもらっている姿を見るのは本当に嬉しいけれど、独りになると、自分だって幸せになりたいし、心から笑いたい。

なんか・・・ 偽善者みたいで、自己嫌悪

そんな気持ちで、世の中、GWで浮かれているときに、特に急ぐ必要もないつまらない仕事をやるために出社。 インテリジェンスビルに入居する他の会社はどこも休みで、照明は暗いし、玄関そしてエレベーターですらIDカードを通さないと動かないのにうんざりして

あ~ぁ、やだやだ

酒は飲めないし * * * * * *  メキシコ料理でも食べに行こうかな ← ほとんど自虐ネタですね。

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2009年4月25日 (土)

凛とした

Photo 乙川優三郎さんの新刊 「闇の華たち」 を読みました。

<凛とした> 素晴らしい短編集でした。

読み終えた途端、端正でも、清々しさでも言い足りなくて、思いついた言葉が <凛とした> でした。

りりしく引き締まった文章に、雰囲気やオーラが込められた見事さは思わず溜息が漏れるほどで、「自分も、死ぬまでに一度でいいから、こんな文章を書いてみたい」  と素人が勘違いで嫉妬じみた感想を抱くほど

例えば、”雪に埋もれた小路を歩いていくと、いつになく確かな幸先が心を軽くしていく。逃れようのない虚しさの裏に無上の喜びが貼りついている。薄い陽射しの朝で、町は足下から冷えていたが、やがて娘を迎える雪たちは道という道の木立に美しい華をつけていた。” と描かれた「冬の華」の末尾などは、ストーリー全体を知らなくとも、主人公のきりりとした風情、ひたむきな生き方が、風景と一体となって心に迫ってきて、美しさに泣きたくなってしまう。

決して常に品行方正であるわけでもなく、しかし、己に正直で筋の一本通った言行、もしかしたら、現代に最も失われたものが <凛とした> という言葉に含まれているのかもしれない なんてちょっと思ったりしました。

そんなことを考えながら、今度は、届いたばかりのメジューエワのCDを掛けてみたら、このベートーベンがまた <凛とした> としか言い表せない見事な演奏でした。

彼女は、その清純な容姿から、どちらかと言えば、線の細い、楚々としたピアノを想像してしまいがちですが、実は、かなり強靭で安定感のある演奏が持味だと思います。

そういう意味では、確かに、かなり期待していたCDではあったのですが、この「ワルトシュタイン」は素晴らしい。 彼女の数あるCDのベストワンではないでしょうか

その堂々とした品格のある演奏は、やはり <凛とした> と称すべき確かさを備えていました。

滅多にない <凛とした> 作品2点、”いいものはいい” を実感できる特上の作品です。

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2009年4月13日 (月)

若者支援

Photo 4月1日より新年度とあって、うちの会社にも7名の新入社員が入社しました。

入社式、導入教育、その他、人事としては大忙しです。 なんせ入社式の会場設営から現場への引率、はたまた花見の引率までしなければならない始末なのです。(普通、花見って、新入社員が段取るものじゃないのかしら?)

しかし、だから嫌かと言えば、そんなことも無く、反って、積年の喜怒哀楽を言葉や振る舞いに貼り付けながら、成仏間際の魚のように死んだと思えばピクッと動くおじさん達と付き合うよりは、エネルギーの損耗が少なく、むしろエネルギーをいただけたりするわけなので、この方が断然楽しいですね。

だからと言って、ここが不思議なところなのですが、Kidsが同じころに戻りたいかと言われれば、ノーサンキュー。 正直、これからの時代に明るい展望を抱いていないし、これまでのウン十年を繰り返すなんて嫌なこったという思いが強いです。

違う脚本の違う人生を歩めるのなら ・・・・・ それでも嫌かな

でも、だから後ろ向きかと言えば、このおじさん、これからやりたいことは沢山あるし、まだまだ十分にエネルギーはあるし、条件さえ整えば頑張れる、いや、頑張ろうという気概に満ちています。

若さは生命力に溢れ美しいけど、反面、脆くて危なっかしい部分が多く、そこをフォローしてあげるのが先輩の役目、むしろそこをやりたい。

しかしながら、例えば今の会社で人材教育に専念できるのならともかく、ただでさえ職務がオーバーフロー気味のプレイングマネージャーにその実践を求められても絶対無理というのが本音。

ゆえに、出来れば環境を変えて、別の方向、別の視点で若者支援、かつキャリア教育に取り組みたい。 そんな思いで、今日も一社面接を受けてきました。

さて、どんな長いトンネルにも出口はあると言いますが、果たしてKidsのトンネルの出口はどこまで繋がっていることやら

未だ明かりの兆しすら窺えません。(泣)

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2009年4月 5日 (日)

鬱屈と怒り

Fukkinpolitics 母を土下座させてしまいました。

最近つらいことが多くてストレスが溜まっていたせいか、怒りを押さえることができませんでした。

後で悲しくて、自己嫌悪に陥りました。

でも・・・ 家はいつもこうです。

子どもの頃はそうでもなかったのですが、父が会社を二度、三度潰して、社会的信用を失ったあたりから、「お金」の問題に慢性的に悩まされるようになり、その父が莫大な借金を残し他界した後は、その為に青春時代の殆どを失いました。

その後、多少上向いた時代もあったのですが、社会人となった弟の多重債務問題、次いで、別の弟の二度にわたる癌の入院・手術、未就労期間の長期化に伴う出費が嵩み、その余波が今でも続いています。

Kidsとしては、その為に北海道から戻ってきたつもりなので、援助は惜しまないつもりでしたが、あまりにも改善が進まず、「不幸ゲーム」の脚本を繰り返しているばかりなのにはいかかさかイライラが募りがちで

また、自身、ここのところ、転職が思うように進まず、やりたい勉強の費用すら都合がつかなかったり、会いたい人に会いに行く旅費すら取り上げられるような「ネガティブ」な感情に取れれて、ついにその不満が噴出しました。

おそらく、その裏には、今年76歳になった母へ、息子として、これまで何も良い思いをさせてあげられなかったことへの憤り、2人の弟への叱咤という感情が渦巻いているのでしょう。

残念ながら、こんなときには、これまで培ったカウンセリングや心理学の勉強も全く無力で、己の人間としてのレベルの低さに驚くやら呆れるやらしています。

でも、正直に本音を晒せば、お金のない人間は(借金のある家の人間は)幸せになってはいけないのでしょうか。

何か悲しくて仕方ありません。

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2009年3月29日 (日)

ある人生

Photo 叔父が亡くなりました。 67歳でした。

叔父は、東京工業大学出身、成績優秀にして、富士製鉄(現 新日本製鉄)に入社の際には社費で大学院まで行かせてもらったそうです。

入社後もその期待を裏切らず職務にまい進、機械設計や製造ラインの改良、公害対策、その他に携わり、技術部長にまで出世しました。

ところが、どういう経緯があったのか、その3年後に関連会社に出向、専務という肩書きながら、以前のような 「やりがい」 は薄れてしまったようで、山登りや読書など趣味に 「生きがい」 を見い出すようになりました。

そして、この辺りから ”足が痛い” ことを訴えるようになったといいます。 当時、姉である母と私が久しぶりに室蘭を訪れたときは、表面上はいささか歳を取った程度でしたが、リビングのテーブルの下にスリッパ風の足を温める器械が置いてあったのを覚えています。

その後、暫くは、公私共に忙しく、消息を聞く機会もあまりありませんでしたが、今から5年前に脳梗塞に羅患していることを伝えられました。 以前からの ”足が痛い” もその一端であったそうです。

また、ショッキングなことには、その後、アルツハイマーを発症し、これが急速に進んで他人のことが分からなくなりました。 それでも不思議なことに、母が見舞いに行き ”私が誰か分かる?” と尋ねると ”姉ちゃん” と答えるのでした。

しかし、歩行も全く困難になった叔父は、イライラが募るのか大声を上げたり、物を投げつけたりするようになり、そのせいか病院を転々としたあげく、とうとう誰も分からない状態に陥りました。 後は階段を転げ落ちるように病状が悪化。

そして、暫くぶりに聞いた消息が冒頭の ”亡くなった” であったのです。 (母は、ときどき叔母と連絡を取っていたようですが)

昨日は告別式に出席し、納棺時に同葬品を入れる際、諸々の愛用品とともに数十枚の表彰状や資格証をお棺に納めました。 図面・数式など、理科系でない私には読んでもチンプンカンプンでしたが、これだけをとっても、会社が見込んだとおり、特別な頭の持主だったのでしょう。

超エリートだっただけに、突然出世コースを外れたショックも、私たちの想像以上のものであったのかもしれません。 人生仕事だけではないと気持ちをシフトしかけてままならず、それが顕在化した病気だったような気がします。

人生いろいろ、音楽葬といって僧侶のいないアットホームな雰囲気のなかで、叔父が好きで自分の結婚式に自ら歌ったという 「テネシーワルツ」 が静かに流れていました。

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2009年3月 1日 (日)

下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム

Photo_2 ついに生の舞台を見に行ってきました。

とても面白かったです。

ストーリーは、脚本・演出をした大泉洋氏が言われる通り、「大きな感動を生んだり、人生について深く考えたりするもの」ではないけれど、確かに「兄弟や家族と過ごした子供の頃の日々を、ふと思い出す」ものでした。

いつもながらの、彼ららしい真摯さとエンターテイメントが程よくミックスされた舞台で、また、この日は確か昼間の公演もあったずなのに、疲れをまったく感じさせない彼らのタフさには驚きました。

幕開けのヤスケンのU指定(笑)、洋ちゃんの盗聴おたくぶり、音尾氏のはまり役ヤクザ、シゲの女装、森崎氏の人間味溢れる演技が楽しく、故淀川長治調に言えば「舞台って、いいものですねぇ~」といった感じで、2時間半弱があっという間に過ぎました。

しかし、観客の大半が女性だったのは、ちょっと居辛かったです。 ビジュアル的には、イケメンはいないと思うけど、男の目とは違うのでしょうか?

また、ロビーでは、公演グッズが文字通り飛ぶように売れていき、買い控えや不景気の話が嘘のようでした。

この舞台も、多分近い将来DVDになるのでしょうが、また、機会があれば、実際の舞台に足を運びたいと思います。

男の方、きっと隠れFanはいると思いますので、遠慮せずにもっと来てください。 よろしくお願いいたします。

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弱い心

Photo Kidsは、キャリアコンサルタントとしてはまだまだ駆け出しですが、それでも資格認定を受けるにあたって講習を受け、その後も向上演習、試行的実務研修、そしてカウンセリングの実践を通じて、いくばくかの経験を積んでいます。

しかし、クライエントに対するキャリア支援をする立場でありながら、ことが自分自身の問題に及ぶと、キャリアに関する不安や心配への対処方法、ストレスに対するコーピング等、必ずしも知識や経験を有効に生かすことができるかと言えば、多くの課題があります。

特に、精神力の面で、不安や心配を仕事のし甲斐や生き甲斐に変えていく強靭さが足りないと感じています。

見かけは外交的で包容力があるように見えるらしく、自分でも、それはある程度当たっている面はあると思う一方、センシティブな傾向も強くてマイナス思考に陥りやすい点もあります。

また、本来わがままで、それでいて正義感が強く、不公平・不公正を許せないため、「長い物には巻かれろ」 「みんなで渡れば怖くない」 的な会社の決定が自分の信念に反することが多く、サラリーマンには向かない性格だと思うこともしばしば

高圧的な人、偉い人、「大物」が嫌いで、上下の隔てがないリラックスした雰囲気が好きなので、そういうことからも、自分で何かやる方に向いていると思うのですが、現実的には、もろもろ環境要因があって、前に進めないまま○十年もサラリーマンを続けてきました。

そして、世の中には結構こういう人が多いことを知りました。

思えば、東京オリンピック以降、近代化という錦の御旗のもとに滅私奉公で働いてきたサラリーマンが、高度成長→バブルという時代を経て、GNP世界第何位だの、先進国だのといううわべの華やかさから、実は、潤ったのは、一部のカネや権力を持った人間で自分たちは決して裕福でもないことに気づいたとき、「自分らしさ」を取り戻そうにも、一般に組織ダイナニズムにおいて、実現できる範囲は極めて限定されていることに呆然としたものです。

Kidにとっても例外でなく、例えば、人事という仕事で、社員のキャリア開発に携わるとき、会社の方針と自分が望むキャリア支援の方向性が全くかみ合わず、サラリーマンとして会社に迎合したあげく、深い失望感に苛まれたことも日常茶飯事でした。

しかし、敢えて誤解を恐れずに言えば、Kidsは、人との関係を気持ちよく保つこと、つまり、人間関係さえ上手くいけば、生きていく上での悩みの大方は克服されたと言ってよいと考えます。

このことをもっと真剣に考えなければ、メンタルリスクも減らず、生き生きと活力に富み、笑顔に満ち溢れた世の中は決してやってこないでしょう。 笑いこそが「国力」という認識が必要だと思います。

まずは、自分自身のセルフカウンセリングから始めないといけませんね!

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2009年2月22日 (日)

ヘルシーカンパニー

Mental_disorder 先日、大庭さよ先生のセミナーに行ってきました。

セミナーのテーマは <健康な組織づくりのためのメンタルヘルスマネジメント> ということで、企業人事担当者向けのセミナーだったのですが、臨床心理士として神田東クリニック・産業精神保健研究所で多数の実例を見ておられることから、統計にはない生のお話しを伺うことができ、なかなか有意義なセミナーでした。

特に、企業にとって「今なぜメンタルヘルス?」というときに、大方の捉え方は  ①コンプライアンスの観点から ②リスクマネジメント(リーガルリスク)の観点から ③企業の社会的責任(レピュテーションリスク)の観点から ④経営戦略の観点から というのが殆どだと思われますが、企業の多くが「リスク対応」に追われる中で、メンタルヘルスは「心の健康を保つこと」として、〔健康―不健康?―病気〕 と様々な段階で連続体で考えるべきだと先生は言われます。 即ち、健康の定義は 「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」 からです。

そのためには3つのコンセプトがあります。 1)予防(1次予防、二次予防、三次予防) 2)自己効力感:「出来そう」 「やってみよう」 3)組織サポート:「組織から大事にされていること」 がそれです。

一次予防とは、病気にならないように環境を整備することで、二次予防は、こころの不健康が悪くならないように予防すること、又、三次予防とは、復職支援および復職後の再発予防をいいます。

自己効力感とは、自分が適切な行動をうまくできるかどうかの予測をいい、能力とリンクして、ロールモデルや成功体験の積み重ね、組織の承認のもと絶えず変化するものです。

そして、組織サポート! これは、組織がメンバーの組織に対する貢献をどれぐらい尊重し、メンバーの安寧をどれくらい気遣っているのかの程度で測ります。 即ち、組織の公平性や受容、精神的に何ら脅かされないという信頼感に基づくものです。

ところが、ほんの一握りの企業を除いて、今日の会社はメンタル不調・不安を、忌むべきもの、除外するものとの発想から抜けきれず、個人の健康と企業の収益性を結びつけ、経営管理と健康管理を統合的に捉える視点がありません。

健全な企業文化を持つヘルシーカンパニーでは、企業の収益は個人の活力が効果的に発揮できるかに係るため、「ストレスの少ない職場環境の開発」と同時に、「ストレスマネジメントの上手い人材を開発」できるような職場環境を創造する経営方針や健康教育を実施しています。

つまり、結果としての業績の向上と個人の健康・幸福はイコールである との理念があるということです。

そこをいくと、Kidsの会社などは、パワハラ等で年間400人~500人が退職し、内定取消しさえしないものの、エントリー者に対して、途中で面接はしても採用はしない方針に切り替えるなど人権無視の経営方針で、増してやメンタル不調者などは、「出来れば、勝手に辞めて欲しい」ことを公言するなど、ヘルシーカンパニーの理念とは真っ向から対立しています。

やれやれ、いい加減、転職したいけど・・・ 今の社会状況じゃあ・・・  難しいんだろうなぁ!

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2009年2月15日 (日)

少年メリケンサック

Photo <少年メリケンサック>を見てきました!

公開初日とあって混雑を想定し、昨日の夕方、先駆けて座席指定券をもらっておいたのですが、午前中(第1回目)の上演とあってそれほど込み合うこともなく、ゆっくりと見ることができました。

どんな映画かは、こちらの公式サイトで見ていただくこととして

www.meriken-movie.jp

紛れもないクドカンもの、そして、宮崎あおいチャンのはまり役。 面白かったです。

何よりも彼女が役を楽しんで演じているのが伝わってきて、他の役者たちを完全に食っていました。 他では佐藤浩市も頑張っていましたが、それでも、これは彼女あっての映画ですね。

しかし、今さら言うのも可笑しいくらいですが、スゴイ女優さんです。

「EUREKA(ユリイカ)」や続編の「SAD VACATION」のようなシリアス物、「好きだ」「ただ、君を愛してる」のような恋愛物、その中間でかなりシリアス寄りの「初恋」、さらに「NANA」のような青春物、そして、昨年の大河ドラマ「篤姫」では重厚な役もこなせることを実証したし、「パコダテ人」や「ラブドカン」、そして今回の「少年メリケンサック」のようなコミカルな役はお手の物、この年令の役者さんにこれ以上望むのは無理というほどの大活躍は、皆さんご承知のとおりです。

個人的には、北海道文化放送の30周年記念特別番組の3話物「ノースポイント ポートタウン」が好きですが、これは、舞台が北海道という身びいきがあるので、その話はちょっと横に置いておきます。

正に今旬な女優さんですね。

ところで、映画と言えば、来週には「TEAM NACS FILMS N43」。 TEAM NACSに関しては、その後、舞台「下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム」東京公演を立て続けに見に行く予定にしています。

www.teamnacs.com

ちなみに、TEAM NACSをご存じない方に少々説明させていただくと、最近テレビ等で活躍が見られるようになった大泉洋が所属する演劇ユニットです。

この演劇ユニットには、他にも安田顕、森崎博之、戸次重幸、音尾琢真と、これからの飛躍が大いに期待されるメンバーが揃っていて、北海道フリークのKidsの大のお気に入りです。

やはり売れているだけあって、平均点の高いのが大泉洋であることは明らかですが、個人的には安田顕に尋常でない個性の魅力を感じています。 彼も結構、単独でテレビ・映画等に出ていますので、興味のある方は検索してみてください。

さて、ここで、Kidsが好む宮崎あおいチャン、TEAM NACSに共通する魅力を考えてみました。

そして思いついたのが、それぞれに勿論まったく個性は違うものの、どちらも今の時代に真に少なくなった「あざとさ」のない「ひたむきさ」を持っているというか、不器用なほどに真剣に対象に熱中するマインドがあるという点

多分、Kidsは、その辺に清々しさを覚えるのでしょう。

しかし、その「ひたむきさ」を維持するのに、現代ほど困難な時期はありません。 でも、だからこそ、今の気持ちを失わずに頑張って欲しいものです。

両者の今後益々のご活躍、ご発展をお祈りいたします。

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2009年2月 7日 (土)

差別

Photo 「コロンブスのアメリカ大陸発見!」

いきなり "なんなんだ!" と思われるでしょうが、皆さんはこの表現に違和感を感じますか?

Kidsは "どうして?" と思ったのですが、実はこれ、差別表現なんだそうです。

つまり、この表現は、ヨーロッパ人の視点で発信されている。 しかし、当時、既にアメリカ大陸に住み暮らしていた、いわばネイティブアメリカンの立場で言えば、決して「発見」でも「新大陸」でもないわけです。

しかも、この言い方には、明らかに「発見者」としてのコロンブスへの賞賛や敬意が含まれていますが、ネイティブアメリカンにとってのコロンブスは侵略者であり、彼らから生まれた土地を奪って僅かな「居住区」に追いやった略奪者、なんで歴史上の偉大な人物に列せられるのか。 従って、今の教科書では「コロンブスのアメリカ大陸到達」と記載されているようです。

確かにそう言われれば、「差別」に違いありません。

こうした私たちが普段何気なく使っている身近な表現には、実は、非常に多くの「差別」が存在します。

例えば、「ジプシー生活」という表現。 住まいを転々として彷徨う流浪の民に類する意味で使われますが、「ジプシー」も現代では定住生活を営むのがほとんどで、差別・偏見を廃する意味から、国際的には「ロマ」と呼ばれています。

他にもいろいろありますね。 身の回りにも沢山あります。

日常的に 「女のくせに」「女々(めめ)しい」「女だてらに」 とか言ったりしますが(この頃はセクハラ問題もあって面と向かって言うことは少なくなりました)、これは、良かれ悪しかれ、日本社会が相変わらず男性優位のシステムで機能していることによる弊害からきている「差別」でしょう。 実は、男の方がよほど「女々しく」「タフでもない」のですが(笑)

そういえば、ここ3内閣続けて 「日本は単一民族」 なんて言って物議を醸し出した大臣がいました。 そして、こういう「事件」が起こるたびに、こういう人たちに限って "そんなつもりで言ったんじゃない!" とか "差別するつもりはなかった!" とか弁解します。もしかしたら本当にそうだったのかも知れません。 ただし、それは発言者の視点で言えばそうかもしれないということ。 しかし、言われた側にとっては堪りません。そんな軽い話ではないわけです。

とは言っても、Kidsは、「差別」についてそんなに過敏になる必要もないと考えます。 前述の「先生方」が "表現の自由" と反論するのを弁護するつもりはさらさらありませんが、<日常会話に使えない言葉はない> と思うからです。

ただし、こうしたことは必要だと考えます。

1)次の事柄に関する言葉や表現に出会ったら、まず立ち止まる

①身体の名称に関する言葉 ②身体の症状や特徴を表す言葉 ③心身の病気や症状を表す言葉 ④職業、身分に関する言葉 ⑤民族、人権に関する言葉 ⑥性、年齢に関する言葉 ⑦地域、国名に関する言葉

2)それらの言葉の前後の文脈や流れを見て、以下のチェックをする。

①マイナスのイメージの比喩、例えになっていないか。 ②断定的表現や比較表現になっていないか。 ③見下す表現や価値観の偏った表現になっていないか。 ④発信者の目的や意図はどうか。

3)さらにこれらの言葉が発信されたときの影響を考えて

①責任の所在を明らかにする。 ②(媒体の)影響の大きさを考える

4)最後に相手の立場になって考えてみる。

最後とはいっても、究極のはなし、4)ができれば、全てがストレスなく収まると信じています。

特に、国や企業等、集団の立場でものを言うとき、上位者である人ほど相手の心を思いやる「個の自律」がもっともっと求められるべきでしょう。

そういう意味では、残念ながら、私たちはまだ「人権」を学んでない。 景気回復は重大問題ですが、成熟した「大人」になるには他にも課題は山積しています。

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2009年1月30日 (金)

関係性の障害

Photo 会社で障害者の雇入れを担当して1年半、就職面接会も含めれば100人余りの面接を経験する中で、最近、特に聴覚障害者の応募が増えてきました。

とはいえ、いきなり聴覚障害者自体が増えるはずもないので、それだけ障害者雇用が進展したのか、あるいは「派遣切り」や「内定取り消し」がニュースとして伝えられる中で、障害者もまた職を失って再就職に臨んでいるのかも知れず、でも、会社に提出された「履歴書」を見る限り、そのような様子は無いようです。

身体障害者、特に聴覚障害者は、知的障害者や精神障害者と違って、現場の理解は比較的得られ易いのですが、一般の企業と異なり、取引先店舗で不特定多数のお客様と接点を持つ仕事をする場合、特性的に非常に困難が付きまといます。

それはこういうこと。そもそも聴覚障害が、①情報(フォーマル/インフォーマル)の障害 ②コミュニケーションの障害 ③関係性の(相対的な)障害 という特性を持つ障害であることからくる課題が大きいからです。

それでも昔に比べれば、①情報の障害は、伝達手段のIT化により、又、ユニバーサルデザイン化による職場環境改善の工夫によって、飛躍的の改善されたし、②コミュニケーションも、仕事をする上で最低限必要な部分は筆談、その他ですることが可能なわけですが、③の関係性の構築がなかなか難しく、就労あるいは職場定着を阻む最大の原因となっています。

そういう意味では、手話を社内の「公用語」にするなど、特例子会社を中心に、関係性の構築に本気で取り組んでいる 『よい会社』 もある反面、例えば、Kidsの会社では、会社の障害者雇用についての考え方自体が「総論賛成、各論反対」、現場は、お店の責任者によって理解と無理解の幅が大きく、さらに取引先のお店そのものが障害者に対して偏見があったり、お店がよくても、不特定多数の「お客様」の一人でもが、障害を持つ従業員に不満や不信を示してクレームをつければ、『神様』 に反論は一切できない現実があり、雇用は遅々として進まない状況にあります。

また、手話そのものについても、聞いたところでは、生まれつき、あるいはそれに近い段階から手話に親しんできた、言うなれば 「ネイティブ」の手話 と、成長の過程または事故等で、あるいは障害者とのコミュニケーションの手段として学んだ手話とは、それこそネイティブと日本人の英語ほどの開きがあるといいます。 だから手話がいらないということではありませんが、一考に価する問題ですね。

しかし、先ほどの話に戻れば、私達が聴覚障害者に真にこの会社で働いて欲しいと思うとき、手話を使うということは 「あなたと話がしたい」 という意思表示そのものです。そして、その行為は、障害者にとっても、仕事上のコミュニケーションを越えて <自分自身の存在価値を実感でき、人とつながっていることを実感できる> 関係性の障害を打ち破る重要なキーとなるに違いありません。

要は、私たち一人一人の、その会社の、社会の意識そのものが、関係性を創造するし破壊もするということです。

想像してみましょう。

その1) 休憩時間に仲間どうし雑談で盛り上っていてしばしば笑い声も聞こえる中、聴覚障害者Aさんは、笑い声すら聞き取れませんが楽しげな雰囲気は感じていて、仲間の肩をつついて 「ねぇ、何の話?」 と紙に書いて質問します。 肩を叩かれた方は 「うん、B子がさあ、・・・・・・・・」 と説明してくれましたが、また、元の仲間の方を向いて話を続けました。

その2) 休憩時間に仲間どうし手話で盛り上っていてしばしば笑い声も聞こえる中、健常者Cさんは、全く何の話だか分からず、仲間の肩をつついて 「ねぇ、何の話?」 と大きくはっきり口を開けて質問します。肩を叩かれた方は 「うん、B子がさあ、・・・・・・・・」 と紙に書いて説明してくれましたが、また、元の仲間の方を向いて手話を続けました。

関係性の障害は 「悪意のない無視」 のようなものです。

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2009年1月26日 (月)

頭が先か? 身体が先か?

Photo 2009年最初の月は、終始、心身の不具合に悩まされ続けました。

前半は、体調こそそこそこでありながら、公私ともに(特に無理してまでやることの少ない私的局面で)気力が出ないまま、絶えずガソリン不足を感じながら、騙し騙し自分という名の車を運転しているような状態。

後半は、札幌行を契機に、エネルギーは多少戻ってきたのにも関わらず、体の方が絶不調! 特に、先週の土曜は風邪で一日中全くベッドから起き上がることが適わず、38度を超える発熱とともに強い吐き気に襲われて、深夜から日曜の明け方にかけてトイレ通い三昧の有り様でした。

それでも、小康状態の合間、昨年7月より受講してきた厚生労働省「平成20年度 キャリア・コンサルタントの資質確保体制整備事業~実務研修制度」試行的実務研修が最終回を迎えるとあって、修了証書を貰いに渋谷まで出かけてきました。

総括研修と銘打った最終回のプログラムは、前半が研修グループごとの総括、そして後半はクロスグループ・ディスカッションといって、研修グループをシャッフルし、新たに出来たグループに対して、指導者が討議テーマを提示の上でグループ・ディスかションするというもの

こう言うと何ら格好いいですが、実際はシャッフルしたはいいものの、時間不足と運営方法の拙さで一言二言発言したらハイお仕舞い、で即発表みたいな、バタバタ(ワサワサ)したディスカッションと発表でした。

それでも、さすがに皆目的意識を持って受講してきた研修生、結構いい意見が出ました。

例えば 【キャリア・コンサルティングを普及させるためには】 というテーマでは、キャリア・コンサルティング活動の社会的PR、行政の取組み、といった誰もが思いつくものに加えて、「雇用保険でキャリア・コンサルティングを受けられるようにする」 「弁護士会のようなコンサルティング・ファームを設立する」 「キャリア相談をハローワーク等厚生労働省管轄だけでなく、もっと市民に近いレベルで実施する」 といった声が挙がっていました。

又、【キャリア・コンサルタントの専門性とは】 というテーマでは、キャリア・コンサルタントどうし、あるいは所属団体どうしのネットワークということが盛んに言われていた中で、「総務省、及び厚生労働省の職業分類にキャリア・コンサルタントという項目がないこと自体が、キャリア・コンサルティングに関して行政が本腰を入れて取り組んでない証拠」 と決め付ける方もいて、”え、そうなの?” と己の不勉強を知るオチまでつきました。

Kidsの意見では、この日本でキャリア・コンサルティングが日常的に行われるようにするためには、行政やキャリア・コンサルティング協議会等関係団体、そして私達キャリア・コンサルタントの努力に加えて、企業に対する働きかけが不可欠だと思います。

国が「サラリーマンの便益を図る目的」で健康保険や雇用保険、税金等を給与天引きというシステムで作ったように、先の「雇用保険でキャリア・コンサルティングを受けられるようにする」は未だ議論の余地があるように思われますが、何か社会的システムとして機能させる必要があると思量します。

というのは、誤解を恐れず言ってしまえば、この国において、企業という単位は新たな社会サービスを普及させるにあたって、極めて有効に機能する可能性の高い「媒体」であり、これを活用するのが早道だと思われるからです。

しかし、残念ながら、殆どの企業は利益を追求することを至上目標としていますので、インセンティブを受けられないサービスには難色を示します。(障害者雇用が思う通りに進まないのも、この点が不十分であるからだと私見します)

逆に何かインセンティブを与えれば、キャリア・コンサルティングは急速に普及し、その結果、キャリア・コンサルタントの専門性が深まり、キャリア・カウンセリングやメンタル・マネジメントが多くの企業で実施されて、今のかなりの社会問題が沈静化に向かう。

なんて、ちょっと楽観的過ぎるかと思ったりもするのですが

今からそうなった時のことを考えて、せいぜいキャリア・コンサルティング能力を高めるよう研鑽に努めることにします。(笑)

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2009年1月10日 (土)

新年のスタート

Photo 新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。

と言っても、もう松の内も過ぎていますが(苦笑)

どうも昨年の暮れから体調も含めて、と言っても体調はそれほど悪いわけではなくて、されどどうも何事もやる気が起こらず、正直ブログを書くことすら面倒くさい気分。 今もかなり義務感でやっています。

何でしょうね?

詩人の谷川俊太郎さんが「沈黙のまわり」というエッセイで書かれていた ”我々は生き続けようとして生活し、正にその生活によって、生を失いつつあるのだ” という言葉に妙に共感する自分がいて、”毎日毎日退屈で非人間的な勤め”をしながら、一方で他人のキャリア支援をしようとする自分に矛盾を感じてしまったというか

年末年始で好かったのは、特に三が日の天気が良かったことと箱根駅伝ぐらい。  個人的には早大が負けたのにはややガッカリですが

そう、感動することが少なくなりました。

まあ、生来情緒的人間なので、それでも人より感動する場面が多いのかもしれないし、ようやく人並みになったのかもしれないけど・・・ Kidsを行動に駆り立てるものは、与えられるものではなくて得るもの、モノではなくて感動の量なのかもしれない。 それが減った分、エネルギーが補填できなくて行動に支障をきたしているのかもしれないなどと、想いを巡らしたりしています。

さて、来週はまた大好きな北海道に行く予定です。

キリリと引き締まった寒空の下で、友に会い、美味しいモノでも食べて、エネルギーの補充をしてきます。

新年のスタートは、遅まきながらそれからです。

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2008年12月28日 (日)

無機質な心

Photo 2008年もあと数日を残すところとなりました。

このブログをご覧の方々の中にも、もう仕事納めも済んで、家でゆっくりという方もおられることと思います。

残念ながら、Kidsの会社は、原則祝祭日は出勤日となっていて、30日までは仕事、その後、31日~4日まではお休みですが、元旦と3日(土)、4日(日)以外は代休のため、後日、どこかで休日出勤して埋め合わすことになっています。

それはともかく、今年は、その「仕事納め」の30日に、来春卒業予定の学生の面接が3件入っています。

ちょうど「内定取り消し」や「派遣切り」のニュースが、インターネット・新聞等で騒がれ出す暫く前から、それまで再三アプローチしても「なしのつぶて」だった学校より、応募についてのご相談を受ける機会が増え、その結果、こうしたことになった次第です。

ところが、これがマスコミが盛んにいうように「大不況」の前触れかというと、それはまだハッキリしません。 Kidsの大手有名企業の人事部長をしている友人の談によれば、"今年度の利益予算不達がほぼ確定しただけで、企業にはまだ余力がある" と言いますし

それを裏付けるように、こんなデータがあります。

◇企業名/内部留保/現金、定期預金など/役員報酬(平均)

◆キヤノン/2兆9050億円/8873億円/5004万円

◆トヨタ/12兆6658億円/2兆5845億円/1億2200万円

◆日産/2兆8204億円/5039億円/3億5583万円

◆ホンダ/5兆3629億円/9544億円/6057万円

◆ソニー/2兆850億円/1兆1761億円/2億8986万円

◆シャープ/8341億円/3270億円/1億1030万円

◆東芝/7166億円/2667億円/6087万円

◆コマツ/7911億円/774億円/1億3571万円

つまり、企業、特に大企業の多くは、口でいうほど本当は何も困っていないようなのです。

もちろん内部留保は、新たな設備投資など企業の成長に充てる大事なカネですし、キャッシュだって手元に置いておけば安心でしょう。 しかし、一方で、年収300万円程度の派遣社員はクビを切られ住む家まで奪われる。 初めて社会に出ようとする学生は内定を取り消され失望感に苛まれる。 この世はどこか矛盾していないでしょうか?

テレビの会見で、経営者は、皆一様に苦渋に満ちた顔を見せ、口先では「(雇用を)努力する」と言っていますが、本心は、非正規社員はリースした設備と一緒で、余ったら返せばいいと考えているのが透けて見えます。 学生だって、"内定は決定でない" と言い放った経営者も実際に知っています。言うなれば、人間としてカウントしてなどいません。

また、先のデータを見れば、内部留保(利益剰余金)や、現金、定期預金、流動性のある有価証券の金額は、兆円単位の数字がずらりと並んで、役員報酬は、上記企業の最低でも平均5004万円。

役員まで出世するような人たちは、当然、これまでにもそれなりの給与を貰っているはずで、家もクルマも欲しいものは皆持っているし、これからだって食費や衣料品等、ひとの5倍、10倍お金がかかるわけではないのは明らかです。 極論を言えば、5000万円が2000万円になったって痛くも痒くもない。 だったら、単純計算すれば、1人で年収300万円程度の(派遣)社員なら10人は維持できることになりますよね。

まったく最近の日本を見ていると、企業、行政を始めとして一般ピープルに至るまで、こうした自己本位というか、無慈悲というか、無機質な心に遭遇する場合が実に多くて驚かされます。

まあ、現状を嘆いているばかりでは何も変わらないので、何か草の根から出来ることを考えていかなければなりません。

さて、果たして何ができるのか・・・

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2008年12月13日 (土)

創作熟語

Photo 住友生命保険相互会社が募集した<2008年の世相を反映した「創作熟語」>の優秀作品が発表になりました。

「苦労長寿」、「株式逃資」、「窮々病院」等、今年もなかなかの出来栄えですが、実は、Kidsはこういうのが大好き! そこで、ちょっとばかり頭を捻ってみました。

たとえば、歳を取って苦労ばかりしなければならない「苦労長寿」も嫌だけど、リストラされて将来が見えないのも悩ましい「不労弔受」なんていうのはどうでしょう。

そんな状況だと、我慢するのにも限界がありますね。・・・ 「我身悄嘆」

どうして自分だけが!なんて気分に陥ることも ・・・「唯我独損」

ちょっとしたことでも傷つきがちになって ・・・「心傷膨大」

偽装だの公約違反だの世間も賑やかで ・・・「混迷盛大」

景気が悪くて転職もままならず、嫌々会社に通う電車はすし詰め状態が益々酷くなり ・・・「痛筋電車」

おまけに電気系統のトラブルだ、信号機の故障だ、人身事故だ、と毎日のように止まるし ・・・「隔駅停車」

でも、世の中、うまくやっている奴もいるんだなぁ ・・・「不義蜜有」

髪の毛の乏しくなってきたこちらには関係のない世界だけど ・・・「天辺晩化」

ところで、これらは皆フィクションです。 ・・・「無我夢中」 ←あってるがな!(笑)

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2008年12月 7日 (日)

やりたい仕事

Photo 今度生まれ変わったら、是非やりたいと思う仕事があります。 それは「保父さん」です。

大変な仕事だと思いますが、創造性や洞察力が身につき、ホスピタリティを発揮することができる「やりがいのある仕事」だと思います。

それに、何といっても、やはり子どもは可愛いです!

そして、時折、思わずハッとするような言葉を発し、神秘の力を見せてくれます。

最近読んだ 「続一年一組せんせいあのね」 は、まさにそのことを実証してくれるような本でした。

今日は、多くを語るより、そこに載っていた詩のいくつかをご紹介したいと思います。

【 人 】

えらい人より  やさしい人のほうがえらい

やさしい人より  金のない人のほうがえらい

なぜかというと

金のない人は  よくさみしいなかで  よくいきているからだ

【 もしわたしがかみさんに 】

もしわたしがかみさんになれたら  いじめられているこがいたら  たすけてあげる

からだがふじゆうなひとたちがいたら  なおしてあげる

目がみえないひとがいたら  目をあげる

ものがいえないひとがいたら  いえるようにしてあげる

あしや手がうごかないひとがいたら  うごけるようにしてあげる

よのなかには  よわいひとがたくさんいますね

ほんとうのかみさんがいないからです

【 おかあさんのこころ 】

せんせい  ひみつやで

おちちはおかあさんのこころ

あかちゃんがのんで  おかあさんのこころが  あかちゃんにつたわる

それから

おっぱいのこころをいっぱいためて  こころのおおきいにんげんになっていく

そやから 

おかあさんのこころは  ええこころでなかったらあかん

【 あかとんぼ 】

あかとんぼは  ゆうやけをみたから  めがあかくなった

【 にんげん 】 

にんげんは  どうしてしぬのですか

しぬのは  つかれすぎるんですね

【 たのしい日 】

たのしい日いって  どんな日いがあるかしっとう

いろんなたのしさが  あるんちゃうねんで

かなしさがいっぱいあるから  たのしい日があるねんで

ご感想をお聞かせください。

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2008年11月30日 (日)

夢の解釈

Photo 私はもともと朝が弱くて、「快適な寝覚め」などはついぞ経験したことがないのですが、最近はそれがさらにひどくなってきました。

第一に、体がとても重く、無理に起き上がると体がバラバラに分解しそうな気がします。

又、この頃は、夢を見る機会が多く、「悪夢」とは言わないものの、その結果、気分が優れない常態です。

例えば、ある夢のケースでは「何か計算をしている自分がいて、「表」が見えたので、多分エクセルか何かで集計作業をしているようなのですが、何回計算しても縦・横が合わなくて、計算式を再入力したり、いろいろなことをしてみてもどうしても上手くいかない」 これが延々と続きます。

ひどいことには、トイレに起きて、安堵し、もう一度寝ると、先ほどの続きがまた延々と繰り返し、朝起きたときはグッタリでした。

又、別のケースは、これは子どもの頃から時々見る夢なのですが、道を真っ直ぐどこかへ向かって走っています。(すぐ傍を数人の誰かが、同じ目的地に向かって一心不乱に駆けています) 道はかなり広くて、でも両側に杉のような針葉樹の木立が一定の間隔で生えているため、時代劇の中のような薄暗い感じがあります。 そして、木々の間、少し向うの方で、城だか家だか分かりませんが大きな建物が燃えています。 しかし、いくら頑張って急いでも、その距離は一向に縮まらないのです。

何か 「自分が望むものに行き着かない苛立ちか焦り」 のようなものだろうかと思ったりしてはいますが、どうなんでしょうかね?

そんな中、昨日、ロールプレーイングをご一緒させていただいた仲間からこんな話を聞きました。

彼女は、よく高いところにいて降りられない夢を見るそうです。 それは塔の先のようなところにいる場合もあれば、山の頂上や断崖絶壁のような場所であることもあるようですが、決まって何かメンタルストレスを抱えているときにその類の夢を見るそうです。

彼女の夢も、一定期間、繰り返し繰り返し現れるそうですが、そこそこ続くと、見たらそこにロープが張ってあったり、隠れていた階段や道があって、おっかなビックリ時間をかけて降りると、最後には地面に降りて来れるそうです。 そして、そのときは、現実の生活でも問題が解決の方向に向かっていたといいます。

う~~~ん・・・///

ところで、フロイトの「夢分析」によれば、夢は暗号文に等しく、「夢は無意識への王道である」といいます。 フロイトは、<眠っているときは意識が働いていないので、意識の統制力は弱まっている=従って、思い出したくないことも出てきているはずだ> ⇒ <目覚めるとき思い出したくないものをそのまま意識に残すのは良くない> ⇒ <心の中にある検閲機能が働いて、夢で見ていた内容が象徴的なもので置き換えられたり変形されたりして、意識にそれとわからないようにして覚醒時に思い出す> と考えたのだそうです。

また、ユングは、すべての人は、無意識の中に「元型(アーキタイプ)」という固有の要素を持っていて、それが様々な形になって夢の中に現われるといいました。

ここでそれを長々というつもりもなければ、上手く説明する自信もないので完結に述べると ①シャドウ・・・もう一人の自分、自分を脅かす存在 ②アニマ・・・男性が無意識の中に持っている女性原理 ③アニムス・・・女性にとっての『心の中の男性』 ④グレートマザー・・・あらゆる物を育てる偉大な母のイメージ、但し、「子どもを慈しんではぐぐむ力」と「子供を束縛し、のみこんで破滅させてしまう恐ろしい力」と両面の力を持っている。 ⑤老賢人・・・男性にとって、成長の最終的到達点、仙人のイメージ

夢に出てくるアーキタイプを認め、受け入れれば、アーキタイプは成長する。 五つのアーキタイプを成長させること、それが自分の心の成長につながる。 それが、ユングの夢分析の考え方らしいです。

でもね、その夢が「何の象徴」なんだか、どの「アーキタイプ」なのか、そもそも分からないんですけどォ

もう疲れたよ、誰か教えてください。 Help Me!

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2008年11月23日 (日)

日本で一番大切にしたい会社

Photo_2 大切な友人から紹介されて、法政大学の坂本先生がお書きになった「日本で一番大切にしたい会社」を読みました。 不覚にも涙が出ました。

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%93%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%84%E4%BC%9A%E7%A4%BE-%E5%9D%82%E6%9C%AC-%E5%85%89%E5%8F%B8/dp/4860632486/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1227416055&sr=1-1

坂本先生は、会社には「5人に対する使命と責任がある」と言われます。 そして、その5人に対する使命と責任を果たす行動のことを本当の「経営」と定義されています。

その5人とは、①社員とその家族 ②外注先・下請企業の社員とその家族 ③顧客 ④地域社会(地域住民) ⑤株主 です。

この順番について、多くの経営学者や経営者から ”お客様が3番なんておかしい。お客様第1に決まっているじゃないか・・・” と言われるそうですが、坂本先生はそれは違うと言われます。

会社の使命は、「お客様のニーズに応える」 「お客様が欲しいと思うものを創造する、提案する」ことなので、それに対応する社員が一番大事で お客様がいなければ創ればいい。 お客様が「こんなものがあればいいな」 「こんなことができたのか」という価値を創造してあげることの出来る担い手は社員だから、自社の不平・不満・不信でいっぱいの社員では、感動とサービスを期待しているお客様に応えることなどできるはずがない。 だから、社員満足度と外注企業の満足度を高めるのが先だと先生は弁じられます。

又、会社は、”あの会社は私たちの町のシンボルだ” ”この会社はわが町の自慢だ” ”この会社にこそ、息子や娘を入社させたい” と思われるように努めなければならないと申されます。

さらに、株主に対する使命と責任というものは、目的というより、結果として実現されるもので、株主の満足度(特に株価の上昇や配当金などの現金的な見返り)を優先して短期の業績を追求し、経営者として資質のないトップやその周辺の人間を、強い発言力をもつ地位に就かせてしまうことは、経営者が一時の繁栄でおごり高ぶり、儲け主義に走るあまり、最も大切な「5人に対する使命と責任」の順番を間違え「正しい経営」を実践できなくなった証だと判じられます。

正に、Kidsが言いたかったことそのままです。

そして、実は、日本には、坂本先生がこのように言われる「経営」を以前から実践し、継続いている会社が少なからずあることを知りました。

日本理化学工業株式会社は、特例子会社でないにも関わらす、障害者雇用率70%! しかもマーケットシェアは30%!! 業績のために犠牲者を出すことなく、誰もが幸せになることを目指し実現しています。 50年前に採用した障害者が今でも勤務し、お茶を出してくれたくだりなど、感動で眼鏡が曇ってしまいました。

伊那食品工業株式会社は、48年間増収総益。 50年間1度のリストラもなく、同業者とも戦わず、とことん環境に配慮した工場をつくり、「会社は社員の幸福のためにある」をモットーに常に工夫し、未来を見据えてきた「年輪企業」です。 会社の敷地内で幼稚園児が遠足したり、おじいさん・おばあさんが日向ぼっこをしたりしている開かれた環境を一度この目で見てみたいと思います。

こうした「いい会社」がある反面、会社を経営者や株主の私物と勘違いし、「人財」を無駄にし、社員に犠牲を強いてまで業績(利益)をひたすら求める会社も決して少なくありません。

Kidsの会社などは、年間労災が30件以上、事故・クレームに対する損害賠償額が1億円以上、パワハラ・セクハラ等の弁護士マター、コンプライアンスはもとよりCSRは一切果たさず、5年間定昇ゼロで年間退職者1,000人、それでいて ”人を愛する” などというふざけた会社です。 本当に頑張っている社員が気の毒で仕方がありません。

「日本で一番大切にしたい会社」を読んで、嬉し涙にくれるとともに、会社への憤りがますます強くなりました。

いままで漠然と思っていた不平・不満・不信がかたちあるものに変わり、メンタル面も含めてもう我慢の限界のようです。

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2008年11月15日 (土)

ノクターン

Photo 前回お話した「風のガーデン」の挿入歌 『ノクターン(カンパニュラの恋』 が発売になりました。

歌うのは平原綾香さん、ドラマでも新人歌手・氷室茜として登場していて、実は、かなり重要な役どころを果たしています。

ちょっと不思議な感じも漂う彼女ですが、実父はサックス奏者、祖父はトランペット奏者、姉は歌手・サックス奏者という音楽一家。 本人も洗足学園音楽大学ジャズコースサックス専攻を卒業しています。

そのせいと言うわけでもないでしょうが、基礎がしっかりしている上、ちょっとハスキーで変わった声ながら独特の魅力があり、倉本先生もお気に入りのよう。 かつて、TVドラマ「優しい時間」の主題歌に『明日』が使われたことはまだ記憶に新しいところです。

そして、今回の『ノクターン(カンパニュラの恋』 これが実にいい!

ドラマの第5回で、主人公の白鳥貞美が「この原曲はショパンのノクターンだね」と明らかにしたとおり、原曲は『ショパンのノクターン20番 嬰ハ短調 遺作』 そして、実は、ピアノの詩人ショパンが残した数々の名曲の中でもKidsのベスト3に入るお気に入りの曲なのです。

それだけに、ある意味、<聖域を侵されたくない>感もあったのですが、全くの危惧に過ぎませんでした。

ショパンであってショパンでない、原曲の良さを十分知り尽くした上で、「欲しいものにどうしても手が届かない」さびしい気持ち、怒りや不安の気持ちを新たに再構築した現代のショパンともいうべき感性が息づいていました。

ところで、この原曲、「遺作」とはいうものの、実際はショパン19歳の時の作品です。 そして、これほど素晴らしい曲でありながら、ショパンはあまり良い作品と思わなかったため、生前発表されず「遺作」となりました。

ロシア、プロシア(ドイツ)、オーストリアの3つの帝国に侵略され、海外に逃れた若きショパンは、ピアノの前に座りどのような気持ちでこの曲を書いたのか・・・

そんな想いで 『ノクターン20番 嬰ハ短調 遺作』 を聴き、風のガーデンに想いを馳せながら 『ノクターン(カンパニュラの恋』 を聴く。 そんな秋のひとときも結構乙なものです。

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2008年11月 9日 (日)

風のガーデン

Photo 秋の新番組として、倉本聰先生の「風のガーデン」が始まりました。

ドラマの放映に先立って、名優 緒形拳さんが亡くなった「効果!?」もあって、番組としては順調な滑り出しだったようですが、回を追って視聴率が低下しているそうです。

Kidsは、倉本先生のドラマなら、何でも見る人なので、視聴率云々はどうでもいいのですが、確かに、「北の国から」や「優しい時間」のような富良野のドラマを見たい人には物足りなさが残ると思います。

配役も大学病院のエリート麻酔医で、末期の膵臓癌に侵される主人公が中井貴一さんというのは、決して嫌でも拙いわけでもないけれど、ちょっと意外というか違和感を感じました。

しかし、回を重ねるごとに物語に深みが出てきて、Kids的には、視聴率の推移に逆行するように関心が深まっています。

特に、主人公の息子、やや知恵遅れの少年・岳を演じる神木隆之介クンの演技は素晴らしく、前から「上手な子」だとは思っていましたが、将来どこまで伸びるのか、末恐ろしいまでの演技力を見せてくれています。

さて、物語はこれからが佳境です。 オフィシャルサイトのファーストタイトルにある「人は最後に何処に還るのだろう」というテーマは、シナリオ本を読んで、物語の行き先を知るKidsには既に自明ですが、二つの花<カンパネラ>と<エゾエンゴサク>に込められた人間のさ優しさに目頭が思わず熱くなってしまい、この先、テレビ前で涙ぐまない自信がありません。

そういえば、倉本先生のドラマはいつも優しい思いに満ちていて、ヤクザであろうと犯罪者であろうと「悪人」は一切出てきません。 所詮、人間は「過ちを犯すもの」、「強くて弱いもの」、「優しくて儚いもの」ということを教えられます。

倉本聰先生は、Kidsが躊躇いも無く「先生」と呼べる数少ない一人です。

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2008年11月 2日 (日)

推理小説

Photo Kidsは推理小説が好きで、昔からよく読むのですが、最近の推理小説は読後感があまり好くないように感じます。

スッキリ感がないというか、胃に重たいものが残ったままというか、真犯人は見つかっても事件は未解決のままという感じのものが多いようです。

どうしてなんだろう?と考えて思うのは、まず、犯罪の原因が、昔はいろいろあっても、<貧困> <愛憎> <怨恨> 辺りに集約されていて 「起きてしまった」 のものが多かった。 一方、このごろは 「起こした」 ものが多くて犯罪が主体的になってきたということが挙げられると思います。

そして、犯人にはそれなりの理由があって 「起こした」 ものでも、作者自身に首肯すべき理由、言い換えれば納得感が見つけられないので、その辺をウヤムヤのままにしてしまっているという点があります。

まあ、時代性というか、ITの進化に伴ってコミュニケーションがなくなってきた今日を反映して 「分からない犯罪」 が多くなったこと。 警察やマスコミもその異常性を訴えるだけで、原因の根本的な掘り起こしを行わない上、その顕在化された部分のみセンセーショナルに伝えるので、小説家も題材として取り上げざるを得ない反面、未消化のまま書いているのかもしれませんが ・・・

特に顕著なのが少年犯罪です。

最近は、書店の店頭にも少年犯罪をテーマにとった作品が目白押しですが、そのいくつかを読んだだけでも、「少年犯罪であるが故に訴求できない被害者や被害者の家族の憤りや諦念」、あるいは「少年犯罪の異常性」を極大に取り上げたもので、犯罪者が断罪され、あるいは抹殺された後も「犯罪は消えず、繰り返す」ことが前提のような結末となっています。

こうした作品見ると、作者自体も迷っているのか、推理小説の醍醐味である(捕まえる側にも追われる側にもある)善悪のポイントが不明瞭で、時には ”何で書いたの!” と思うものも少なくありません。 ズルイのは、結末を主人公や読者に委ね問題提起をしただけで終わってしまっているものさえあります。

そして、なぜかこういうテーマの小説が売れているらしいです。 不可解です。 中には、ベストセラーとなってTV化や映画化されるものもありますが、Kids的には、大抵はまったく見るに耐えません。

少なくても、楽しみで見る推理小説ぐらい、もっと気持ちよく読みたいと念じるのは私だけでしょうか?

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2008年10月26日 (日)

大泉 洋

100_soup_curry 皆さんは、大泉洋というタレント、いや、「ハケンの品格」や「東京タワー」とかがあったから、今は俳優としての方が有名なのかな? を知ってますよね?

Kidsは、約10年、北海道に住んでいたので、「水曜どうでしょう」や「パ・パ・パ・パフィー」、STVの木村洋二アナとの絡みなどはよくTVで見ていました。

最初のころは、まだ学生だったのかな? とにかく若くて、あの顔とアフロヘア(天パー)がインパクト大、セサミストリートの人形みたいに思えて、なんか変なやつがいるなぁ~と感じていました。

それでいて、とにかく、いつも全力投球(ギリギリとも言う!)な姿が好ましく、キャラが立って、ちょっとコメントが普通の人と違うので、愉快なやつだなぁ~と。 でも、ファンというほどでもなく、ちょっと気になる存在というか・・・

さて、話は変わりますが、今回、その大泉洋の誕生日を記念して作られた「100% SOUP CURRY」というDVDを入手したので、早速見てみました。

構成は、①スリランカの旅 ②スープカレー・クッキング ③はっぴぃばぁすでぃ!YO ④「本日のスープ」(ミュージック)

①スリランカがスープカレー発祥の地だということで訪れたものの、当地の人は「スープカレー? そんなもの知らないよ!」みたいな感じが可笑しいです。

その後は殆ど<水曜どうでしょう>の乗りで進行し、やたら口の上手いスパイス売りのおじさんに大量にスパイスを買わされたり、象の放牧(大量にいる!)や水浴を見て騒いだり、まあ、いつものYOちゃんですね。 スープカレーではないものの、食べていたカレーはどれも美味しそうでした。

②北海道が生んだローカルタレント・小橋亜樹がアシスタントでの登場です。 YOちゃんとの掛け合いは、長年の絡みから手馴れたもので、それでも二人の馬鹿さ加減に笑ってしまったのはいつものことですね。

③YOちゃんのお誕生会ということで、TEAM NACS(チーム・ナックス)が集結です。 皆、歳取ったけど、大学のコンパのような乗りに一段と磨きがかかって、それぞれをけなしつつ、それでいて、その裏にある温かい視線が好ましく、スープカレー鍋を食べながらの昔話に興じる姿は、なんかホッとする風景でした。

そうそう、YOの顔を模ったバースデーケーキには驚き! そしてYO以外のメンバーが嬉々としてナイフを入れる様子に笑ってしまいました。

④スターダストレビューとYOちゃんのコラボ曲「本日のスープ」のPVを2バージョンで収録したものです。

YOちゃんの歌が思いの外上手いのにビックリ!(ファンとは違うというのが分かるでしょう)  又、2年ぐらい前のカウントダウンライブでは、観客の笑顔がはじけて、幸せそうな雰囲気が伝わってきました。

こんな具合で、とにかくとても楽しいDVDでした。

でも、大泉洋の魅力ってなんなんでしょう?

お笑いタレントやおバカタレントでさえ、何となく計算づくなところが透けて見える中で、彼の「ギリギリ」の姿勢が共感できるからなのかな?

なぜか大泉洋のことが、最近、とても気になっています。

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2008年10月19日 (日)

Photo 夏の余韻がようやく遠ざかり、秋の気配が濃厚になってきました。

朝晩はふとん1枚では ”ちょっと寒い” 感じもあるこのごろ、皆さんはどうお暮しでしょうか?

寒くなってくると、とたんに食べたくなってくるのが「鍋料理」、Kidsも大好物ですが、なかなか家では食べられません。

というのも、Kidsの住まいは実家の「向う三軒両隣」に有って、実家に母と二人の弟が住んでいるのですが、夕食は実家で取るのが習慣になっています。 ところが、この弟二人とKidsの生活時間がほとんど噛み合わないのです。

休みも違えば、それぞれに帰宅時間が異なる三人にいちいち鍋を拵えるよう母に頼むのも気が引け、また鍋というものは、おなじ材料、おなじ調理方法でこさえても、独り二人で食べる場合と大勢で食べる場合、不思議と美味しさが違う気がするので、Kids家では、なかなか夕食のテーブルにのる機会がありません。

子どもころは、亡父が鍋が好きだったせいで、団地の狭い部屋のテーブルを囲んで、よく鍋を作ったものです。

よく出たメニューは、定番の「鶏の水炊き」、「酒煮」、「タラちり」、たまに「あんこう鍋」、ちなみに「すきやき」は、値段が高いことに加えて、砂糖が入ったあの独特の甘ったるい味がどうも苦手で、父以外に人気がイマイチだったこともあってあまりやりませんでした。 そういえば、「しゃぶしゃぶ」も子どもの頃は一度も食べたことがありません。

大人になってからは、「ちゃんこ」、「チゲ」、「ふぐちり」なども食べる機会が出来ましたが、辛党のKidsにとって、もはや「チゲ」は欠かすことの出来ない定番メニューです。 ところで、「おでん」って鍋なんでしょうかね?

そういえば、滅多に行きませんが、料亭の鍋って美味しいですよね! やはり「だし」の取り方が違うのでしょうか? 材料を吟味してあることは言うに及びませんが、それに最後に作ってもらう「雑炊」がたまらない!☆

今日あたり、一般のご家庭では、休みの日の一家団欒の締めくくりとして、夕食に家族全員で鍋を囲むなんて状況がありそうですが、Kidsのところでは、下2人がきょうもお仕事、当分鍋はお預けです。(泣)

もう忘年会を期待するしかないかな。

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2008年10月12日 (日)

ヴィルヘルム・ハンマースホイ展

Photo 以前から駅のポスターを見て気になっていた「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展」に行ってきました。

感想は?

とにかく良かったのひとこと。

ポスターの絵だけを見てもKidsの感性に合うだろうと予感はありましたが、まさしく予感的中でした。

その特徴は?

展覧会の副題にも有るとおり、「静かなる詩情」 とにかく、風景画、人物画、建築画(室内画)、全篇を通じて、静謐な美しさが一貫して漂っていました。

画調は、この時代の北欧画の多くがそうであるようにほの暗い、陰影に満ちた感じ。

しかし、フェルメールなどのそれと決定的に違うのは、その殆どの絵に生命感が全く感じられないことです。

構成上も、見る者から距離を置いた画面構成で、特に、室内画では、ハンマースホイは、繰り返し繰り返し、自分が実際に暮らしていた家の内部を同じような、それでいて微妙に異なる角度から描いているものの、ある絵でそこにあっても、また別の絵でそれが必要ないと感じられると、大胆にも本来そこにあるはずのものを消してしまったりしています。

人物画でも同じような印象を受けます。 変な例えですが、画面上に人間の姿があっても、人間ドラマの痕跡だけがそこに残って見るものにその痕跡を探らせる。 ある意味、演劇の誰もいない、舞台だけがそこにあるような静けさを感じました。

窓や開いた扉から注がれる光りが薄暗い室内を映し出す画面に言い知れぬ感興を覚え、静かでありながら、心の奥底に妙なざわめきが起こり、自然と収束していく。

余韻の残る静けさは、「詩情」と表現するのが適当なのかどうか分かりませんが、心の中に永く留め置かれる、そんな絵が沢山そこにありました。

芸術の秋に相応しい、見る価値のある展覧会だと思います。

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2008年10月 6日 (月)

アルテピアッツァ美唄

Image081006 土日と札幌で遊んだ後、今日は帰りの飛行機まで多少時間があったので、以前から気になっていた「アルテピアッツァ美唄」に行ってきました。

札幌から、旭川行「スーパカムイ」で34分、”エッ、そんな近いの!」とちょっとビックリ!

しかし、そこからは典型的な田舎のバスで、1時間に1本有るか無いか。

やっと来たバスは、お年寄りとKidsを乗せ、駅から山里に分け入って約30分、ようやく「アルテピアッツァ美唄」に着きました。

ちなみに「アルテピアッツァ美唄」は、炭鉱住宅が密集し、賑やかだった往時の小学校の木造校舎・体育館、そして、それらを取り巻く広場に、世界的彫刻家・安田侃(かん)氏の作品を常設展示した芸術広場(アルテピアッツァ)です。

氏の作品以外にも、年間を通じて、絵画展や各種のコンサートが行われ、芸術文化の発信基地として地元を始め、道央で広く親しまれるようになりました。

とはいえ、Kidsも現実に見るのは初めてだったのですが、これはもう、ひとことで言って ”来て良かった!”

小高い山に囲まれた、緑豊かでのどかな自然に抱きかかえられた静寂な地域に、そこにあたかも昔からあったように溶け込んだ彫刻の数々。
それらがそこにあることによって、静寂さが一層引き立ち、日本にしかない美しさを際立たせていました。

起伏に富んだ広場に広がる芝生と松林が美しく、学校や体育館、カフェの窓から、それらの間に絶妙に配された彫刻を眺めているだけで、心がスーッと柔らかくなっていくのを感じます。

いつまで居ても飽きないというか、自分も彫刻になって同化してしまったような気持ちよさ。
こんなところがあったなんて!

美術に造詣がなくたって、なんも関係ありません。
日本人であるだけで十分!

今回の旅の大きな収穫でした。

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2008年10月 3日 (金)

何か、納得いかない!

Photo 私たちCCY(キャリア・コンサルタント有志の自主グループ)の活動目標の一つに、これから資格を取ろうとしている後輩の「ロープレトレーニングセミナー」があります。

キャリア支援は、資格があるから出来るという生易しいものではありませんが、少なくとも、優秀なキャリア・コンサルタントを輩出することは、これからの時代に是非とも必要なことだと思います。

ゆえに、なかなかトレーニングの機会がない学習者に場を提供し、擬似試験を体験してもらうことは、教える側の勉強にもなることから、このセミナーを実施しています。

ただ、グループが発足したばかりであることや、地域性等の観点から、当面は、あまり間口を広げ過ぎないよう、横浜地区の受験予定者に限定して告知をしてきました。

そんな中、今回も通学講座の開講中、休憩時間等を利用して告知させていただこうと、たまたま、実施団体に縁があったことから、私的に連絡させていただいたところ、何と!そこのシニアマネージャーから、「全国いずれのクラスも同じサービスを提供することを主眼として講座を開催しているため、特定クラスのみのご案内はご遠慮いただいておる次第でございます」との「返事」が舞い込みました!

一見、もっともらしい回答ですが、何か変!というか、納得いきません。

だれも、そちらに「サービス」してもらおうと言っているわけでもなし、先輩が後輩のサポートをしたいというだけで、大げさに言えば、キャリア・コンサルティングの底辺を広げるようとすることは、キャリアの発展に帰すると考えるからです。

つまり、この会社、要は資格を商売にしている自社の権益を守りたいだけで、本当はキャリアなんてどうでも良いんだろうと勘ぐりたくなります。

実は、これに似たことが以前にもあり、このときは、1次試験対策を後輩たちと共に勉強するために、テキストの購入を希望しました。

私が勉強していた頃使っていたテキストでは、最近のものと中身がかなり違うため、新しいテキストを分けて欲しいと申し出たわけですが、返答は、「販売期間が終了したので、申し訳有りませんが、ご要望にお応えできません」というもの

これって、テキストが売り切れて在庫がないという話でもなく、合格者を増やそうという主旨から言えば、本来、歓迎されてもいいはずなのに・・・ これも、「資格を商売にしている自社の権益を守りたい」というビジネスの視点としか思えませんでした。

そう言えば、この会社、国家資格の技能検定にも反対しているとか

資格なんて無くても、本当に相談者の役にたてるキャリア・コンサルタントを創出できれば、これ以上のことはないのですが、実際は、こうした資格を売り物にするビジネスが蔓延っていています。

ついつい、私たちも、それが早道だと乗せられてしまうのですが、介護ビジネスを例に引くまでもなく、何でもビジネスが一義的という風潮は時代性なのでしょうか?

何か、とても情けない気持ちになりました。

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2008年9月28日 (日)

変態!

Photo 香港紙・文匯報のコラム「日本のアダルト文化の日常的基礎」に、アダルトビデオや成人向け雑誌、風俗街などが日常にあふれている日本文化は「変態」的だという記事が載ったそうです。

まあ、フロイトによれば、「自我によって受け入れ難い性欲がコンプレックスの構造を色取る」そうで、人間生活の根源には性生活がつきまとうとするならば、人は何をもって「常態」といい、「変態」というかということもあるわけですが、そういう難しい話は置いておいて、確かに、最近の日本はあまり品が良いとは言えないですね。

アダルト文化はさて置いても、電車の座席で化粧直しをしていたり、ひどい場合には、着替えていたり、「恥の文化」が無くなったというか

そもそも、週刊誌なんかで、始終、俳優やタレント、芸人の「熱愛」スキャンダルのスクープ合戦をするのも、最近は、その「熱愛」が、「やったか、やらないか」なんて話になるわけなんで、何で熱愛がスキャンダルなのか分かりませんし、行き過ぎなような気もしますが、正直、ちょっと関心があったりします。(笑)

でも、どの場合も、その一つ一つの局面だけを捉えて、「文化」と言うのは極論でしょうね。

「文化」というよりは、むしろ、今の日本の「常態」は「変態」だなんていうパラドックスを考えたりしています。

つまり、以前、こういう話は、アンダーグラウンドな雑然とした雰囲気の中でされていたのが、極めて日常的かつ整然とした中で、「市民権を得た」ようになってきている様子がうかがわれるからです。

まあ、ブームなのか文化なのか、どちらにしても、言って変わるものでもなし(笑)

さて、あなたは、日本文化を「常態」、「変態」、どちらだと思いますか?

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2008年9月21日 (日)

狭い!

My_room 最近、本やCDがますます増えてきて、部屋の中がごった返しています。

とはいっても、別に散らかしているわけではなく、100円ショップで買ってきたカゴに入っていたり、入りきらないものは積んであったりしているのですが、とにかく量がもの凄い!

CDは4,000枚を超え、本も数えたことはないですが、おそらく100冊単位ではきかないでしょう。

綺麗に整理したくても、これ以上、部屋に本棚やCDキャビネットを置くスペースは無く、不要なものを処分というのは簡単ですが、専門書やクラシックCDは、一度手放すと二度と入手できない場合が多くて、いや、だいたい手放す気はこれっぽっちもないんですけどね。happy01

文庫や小説類は、リサイクルショップに持っていっても二束三文だし、もらってくれる同好の士もほとんどいないし、かといって、捨てるのはもったいないsign01ということで、ほとんどそのままになっています。

CDは、PCに取り込んでしまうことも検討しましたが、何せ数が桁違いですし、音質的にも、普段、国産高級車1台分程度のオーディオ装置で聴いているので、とても満足できそうもなく諦めました。

あとは、本、CDに続いて増殖している洋服をどうするか?というところですが、これも、結構愛着や、体型が変わったときのことを考えると、古くても捨てるに忍びなくて・・・ そう、だいたい物を捨てられないタイプなんです。

「いっそのこと、広い部屋に引越ししようかな」と言ったら、母親曰く、「親兄弟3人がいる家よりも広い所に住んでいるんだから (中略) 捨てなさいsign01」と一蹴されてしましました。

だって、本やCDはKidsの命の糧だから... あどけない「Kidsの部屋」のお話でした。smile

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2008年9月13日 (土)

権力

Photo Kidsは「権力」が大嫌いです。

地位や身分、経済力を笠に着て、自分の意思を通そう、あるいは、通るのが当たり前だという態度には虫唾がはしります。

しかし、一方で、会社であれ、何であれ、世の中に権力というものがなければ成り立たないという思いも密かに抱いています。

例えば、Kidsは、会社でマネージャーという地位にあります。

名ばかり管理者のような立場ではありますが、実際に部下が数名いて、仕事の指示をしています。

Kidsは、命令をすることは有りませんが、それでも、仕事を受ける側から見れば、Kidsからではなく、マネージャーから指示されたということに、職務を遂行すべき義務を負ったという感じは当然あるに違いありません。 だから、権力というものは、ある意味、必要悪だと考えています。

それでも、Kidsは、権力というものは、権威という裏づけがあってこそ認められるべきだと信じています。

権威は、権力を振るうことが許される人品の確かさだと思います。

人品の確かさとは、何も、常に清廉潔白であれということではありません。 だいたい、そんな人間はまずいません。

生き方の根底に正義がある、それともちょっと違います。

強いて言えば、「清濁合わせ飲む」こともしながら、心は和してるような、ときに間違いも犯すけど、それを過度に恥じたり、自己信頼を失わないような 。。。 ちょっと上手く言えないのですが、そんなイメージです。

そして、清廉潔白な人がいないように、人品が確かな人も滅多にいません。

権威は、一般的に人生経験の上に築かれます。 ゆえに、Kidsは、人は若いうちに権力を持つべきでない、又、歳若い者に権力を与えるべきではないと考えます。

実行力や成果に見返りを与えるのならば、コミッションで与え、権力は権威のかけらが備わってからでも遅くないのではないでしょうか?

「二世」が大方、初代を越えられないのは、権威のかけらさえ持たないうちに、権力を握ってしまうせいだと思います。

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2008年9月 7日 (日)

バランス

Photo 人は誰も自分を生かした「生」を送りたいと望んでいます。

しかし、現実は「思いどおり」や「したい放題」にやれるわけではありません。 現実に合わせていくことを要求されます。

つまり、現実には、いろいろな制約があって、大人も子どもも本音とたてまえを別々にして、ある意味、二重生活を営んでいます。

どの辺でバランスを取るかはその人に委ねられますが、そのバランスの取り方はなかなか難しいものです。

即ち、「本音」で生きれば外部に抵抗が生じ、期待に応えようと合わせてばかりいると自分が潰れてしまいます。

だから、時折、バランスを崩すこと自体は自然なことであり、長い目で見た場合、そんなに否定的に捉えることでもないと思います。

しかし、最近、このバランスの崩れ方が極端、あるいは、崩れ方の程度は軽度に見えながら、期間が長期に及ぶ人が多くなってきたような気がします。

普通、子どもが幼いうちは、何でも自分の通りになると思いたがります。 しかし、大きくなるうちに、なかなかそうはいかないことに気づきます。

そうして、だんだんと歳相応に現実を受けとめて、自分を生かしていくコツを覚えていきます。

ところが、要求を極度に抑えて現実に合わせてばかりだったり、逆に、要求に固執して現実を逸脱するばかりでいると、このコツをつかむタイミングを逸してしまいます。

それなのに、今の大人や世間はこの「ばかり」を無意識に要求する。 だから、こうしたバランスを崩した人間が増えてきたのだと思います。

又、「ばかり」ばかり(笑)だと、コミュニケーション的には当然、攻撃的か非主張的になり、本当の意味での協調が出来ないので、企業の生産性も次第に落ちてきます。 モラルやモチベーションが失われるからです。

どこの会社でも、上層部には優秀な人が多いはずなのに、このことに気がつく人がいないのは不思議なことです。 それとも、知ってて何もしないのでしょうか? だとしたら、それこそ会社、いえ、社会への背信行為に等しいと思います。

話は変わりますが、Kidsが以前働いていた会社の社長は、「勝つ」とか、「強い会社」という言葉がとても好きで、よく使う人でした。

これに対し、Kidsは、これらの言葉が嫌いで、しばしば聞いているフリをしながら、「克つ」、「好い会社」と心の中で唱えていました。

人それぞれ、立場があり、一概には言えませんが、「勝つ」、「強い」は、相手を想定して言うことばです。

ゆえに、もし、彼同様、多くの経営者が、グローバル時代・ユニバーサル社会の背景に「競争原理」しか見出せず、社員にバランスを崩さざるを得ない要求しか発想できないのならば事態は深刻です。

現実の生は「思いどおりにならない」、「合わせていく必要がある」という原点に帰らないと社会の歪みは大きくなるばかりだと思います。

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2008年9月 1日 (月)

充実感

Photo 最近、プライベートが充実してきました。

CCY(キャリア・コンサルタンツ・ヨコハマ)の活動をスタートし、規約の作成、グループの登録、施設利用の予約、月例会の準備の他、細かいところで、名刺や会印の準備、メールアドレスの取得、ブログの開設など、又、これからCDA試験を受ける後輩のロープレトレーニングセミナーをやったり、上級カウンセラーにスーパーヴィジョンを受けたり、産業カウンセラー系の勉強会に出たり、本を読んだり、結構忙しくしています。

又、そんな多忙な中、大好きな北海道にちょこちょこ出かけて、疲れた頭のクーリングダウンにも余念がありません。

もっとも、頭が疲れても、むしろ気持ちは活性化している感じです。 仕事で心身が疲労するとは好対照で、プライベートの充実がブレイクダウンを食い留まらせているようです。

実というと、体は絶不調で、糖尿の数値が高いと言われ、カロリーを控えめにして体重はかなり落ちましたが、どういうわけかA1Cはむしろ高くなってきて、通院のたびに検査検査、事実、いくら眠っても、疲れが全くといっていいほど取れません。

飲まないのに肝臓も悪いし、お腹のあたりが締め付けられるような気がするし、立ちくらみやめまいがするし、もっとも、後の方は、お医者さんに聞いても、「検査したけどなんともないよ」で済まされてしまい、「あまり気になるのなら、心療内科に行ってみたら」と言われる始末。

お腹の方は痛いわけではないし、立ちくらみやめまいも始終というわけではないので、忙しさを理由にあいまいにしてしまっていますが、正直、検査ばかりで結果が分からないのには辟易しています。

でも、モチベーションは高いです!やる気が漲っている感じ。

これで、仕事さえなければ、病気も良くなると思うのですが・・・ 一刻も早く、キャリアシフトが出来るように実力をつけたいと念じています。かつ、いろいろな出会いをこれまで以上に大切にして、プランドハプンタンスにしたいと思います。

さて、ブログも書いたし、次は何をしようかな?

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2008年8月30日 (土)

見捨てられ不安

Photo ここのところ、公私ともに忙しく、ブログの更新が滞ってしまいました。

先週末には、暫く前から参加している産業カウンセラーの自主グループの「サマースクール」に参加し、実に多くの気付きと感動に打たれて帰ってきました。

そのことについては、まだ、人様にきちんとお伝えするほど、体験したことをまとめられませんので、又、機会を改めてご報告します。

さて、最近、聴いた話の中で<見捨てられ不安>というものがあります。「見捨てられそうな不安」ということです。

これは、正しく、最近の世の中を表わしているように思われます。

昔は、子どもが外に遊びにいけば、近所の子が一人や二人必ずいて、何となく遊べたのが、いまや塾や習い事に行かない子どもは見捨てられる。 だからと言って、親に無理やり頼んで塾に行ったら、勉強についていけなくて、友だちや先生にまで見捨てられるわけです。

家庭では、核家族化が進んで、お父さん、お母さんと子どもだけ。 ところが、お父さんは忙しい。 お母さんも忙しい。 お父さん、お母さんが忘れたら、子どもはまったく見捨てられてしまいます。

でも、お父さん、お母さんは反論するでしょうね。 「見捨てたりしていない」・「子どものために一生懸命生きている」って言われると思います。

でも、本当にそうなのでしょうか?

例えば、家庭内暴力 : 最近の事例は、暴力なんて限度を越していて、殺人ですら珍しくない様相ですが、こうしたニュースのときに、よく親御さんが「あいつのために何でもやってやったのに、何が不満なんだか分からない!」といいますが、「何でもやってやった」ってなんでしょう? 「あいつのため」って誰が決めたのでしょう? 本当に見捨ててないですか?

学校で暴力を振るう子どもも社会問題になっています。 でも、彼らは、「本当に先生が憎くて」・「何かをされたから」暴れているのでしょうか? <見捨てられ不安>のために " これだけ殴っても、先生、僕のこと、好きか? " と叫んでいるのではないでしょうか?

子どもに限らず、おとなだって、グローバル社会の中で、職場で家庭で<見捨てられ不安>に苛まれています。

職場では、 成果主義人事のお蔭で、実績を上げないとすぐ見捨てられるし、バイトは使い捨てのように見捨てられるし、奥さんは、" 仕事なんだから、仕方ないだろう! " と見捨てられるし、旦那は、" どうせ話なんか、ろくに聞きもしないし " と見捨てられるし、爺ちゃん、婆ちゃんは、" 忙しいから、その話は後で " と見捨てられるし・・・・・

「見捨てられ方」が、現象面に留まっているのならまだましですが、これが『たましい』の問題になってきていることが、この世の中を歪めている根本原因のように思います。

先の家庭内暴力の話に戻ると、親は「あいつのために何でもやってやった」と言う。 確かに、言えば何でも買ってくれた。 塾に行きたいといえば、厳しい家計の中で、お母さんがパートに行ってまでして行かせてくれた。 旅行や行きたかった所にも連れていってくれた。

でも、そのとき、親の心の中に、少しでも恩着せがましい思いがなければ、「やってやった」という風にはならないはずです。

このとき、子どもが訴えたいのは、おそらく、言葉に出して上手くいえないけど、「お父さんの宗教は何ですか?」・「お母さんのたましいはどこに有るの?」みたいなことでしょう。

話が突然変わりますが、母乳で育った子どもは、哺乳瓶でもらった子より、お乳の出具合に合わせて、我慢したり、頑張って吸ったり、満腹だったり、赤ん坊でありながら、いろいろな人生経験をしているという話があります。

そうした人生経験を、『たましい』を通じて誰かに伝えることから逃げていると、<見捨てられ不安>は、今後益々世の中に蔓延していくように思います。

WEBやメールでは『たましい』は伝えられません。 便利さは常に「見捨てられる」危険を含んでいます。 膝詰め談判が無くなったことも、人生経験を、『たましい』を通じて伝えることが無くなった一原因でしょう。

時に、Kidsは、こんな話を誰かが読み、何かを感じてくれるかどうか? という <見捨てられ不安>に駆られているわけです。(笑)

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2008年8月16日 (土)

メンタル ストレングス

Photo 北京では熱戦が続いていますね!

志を遂げて、嬉し涙や爽やかな笑顔を浮かべる選手、思いが叶わず、悔し涙を浮かべる選手・放心してしまう選手、結果はさまざまですが、これまで辛い練習に耐えてきた、又、マスコミの心無い報道に耐えてきた日々を考えると、誰もが本当に良くやった!と称えてあげたい気持ちです。

それにしても、勝負に勝つことが「成功」というのならば、その「成功」する選手には、共通する特徴がありますね。

それは、「メンタル ストレングス」、精神力の強さと訳してしまうと何となく違う気がするので、敢えてカタカナで書きました。

精神力というと、「心頭滅却すれば・・・」 みたいな逆境をはね返す力みたいな感じで、どうもあまり好きな境地ではないのですが、Kidsがいう 「メンタル ストレングス」 は、自己信頼・自己肯定感に基づく 「心の安定感」 みたいなもの

自分で自分の 「気持ちの弱さ」 を十分知っていて、それを自分は素直に認めることが出来る。 ゆえに 「それをばねとして」 ではなく、「それが自分なんだ!」・「それでいいんだ!」 という潔さというか、自己信頼感が生まれる。

それがKidsが思う 「メンタル ストレングス」

もちろん、生まれ持った身体能力(フィジカル ストレングス)に、さらに鍛え抜かれた体と技術、こうしたものが備わっているのは大前提ですが、「いい選手」 には、だいたいこの 「メンタル ストレングス」 が有るように見受けられます。

例えば、競泳の北島選手、柔道の 「やわらちゃん」 こと谷選手、『また、勝っちゃいました!』 の内柴選手、女子レスリングの吉田選手

今回、予想以上の大活躍だった体操の新星・内村選手、卓球の 「愛ちゃん」 こと福原選手あたりは、年齢と経験を重ねて 「メンタル ストレングス」を身につけたら、もう鬼に金棒でしょう。

では、どうしたら 「メンタル ストレングス」 が身につくか?

それは、カウンセリングでしょうね。 自分の心の有り様に気がつくことから、「自己信頼や自己肯定感」 が生まれてきます。 最近流行の 「セルフカウンセリング」 も有効だと思います。

実は、Kidsはキャリアカウンセラー(コンサルタント)なのですが、こうした 「本当の自分の見つけ方」 みたいなものにより関心があります。

それには、もっと自分自身の 「メンタル ストレングス」 を鍛えないといけないですね。(笑)

個人的には 「オグシオ」 にカウンセリングしたいんだけど・・・ ダメかしら(爆)

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2008年8月 8日 (金)

中吊り広告

Photo 今週は遠距離の外出が多く、よく電車に乗った1週間でした。

車内では、大方本を読んでいるか寝ていたのですが、そのどちらもしていない時、嫌でも目に付くのが「中吊り広告」。 これがよく見るとなかなか興味深いものがあります。

特に面白いのが雑誌の広告です。 あの手この手で読者の目を引こうとしている努力のほどがうかがえます。

その一番のポイントが文字。 書体・色・大きさ・縁取り・中抜き・遠近加工、いろんなことをやっているものですね。

でも、やはり <目立たせる>という意味で、ゴシック系の文字が多いようです。 背景が青・紺・赤で白抜き文字が目立ちます。

雑誌のコンセプトや雑誌社によって選ぶカラーも微妙に違うようです。 例えば、週刊新潮などの一般週刊誌 と女性誌、ファッション誌、フライデー等の写真週刊誌、ヤングビジネスマンをターゲットにしたSPAなんかでは明らかに違います。

一般週刊誌では、先ほど述べた『青・紺・赤/白抜き』か、『白の背景/黒・紺の文字』で、やたら文字数が多く、卒業アルバムの欠席者の写真のように首から上だけの顔がぞろぞろくっついています。

女性誌は、文字の種類がとても多く、 「!」マークが多いのも特徴です。 <欠席者の写真>の表情が記事のタイトルによくマッチしていてなかなか笑えます。

ファッション誌では、ピンクや紫の文字が使われることが多く、写真は専属モデルのもの程度と意外と少ないみたいです。

写真週刊誌やSPAなどでは、<欠席者の写真>に手や足がついてきます。(笑)  『赤・金/黄抜き』など、全般的に派手な文字と文字飾りが使われていることが多いようです。

こうしてみると、日頃、何気なく見過ごしている「中吊り広告」も、その道の専門家がプロの意地をかけて取り組んでいる様子が分かって感心してしまいます。

それにしても、Kidsって、ひまなんだねぇ~って ・・・ そんなことはありませんよ。(笑)

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2008年8月 2日 (土)

CCY

Cda このたび、「キャリア・コンサルタント・グループ CCY(Career Consultants Yokohama)」を設立しました。

これまで、同期のCDA4人で毎月行っていた雑談会( 課題研究ともいう (笑) )に、今回、後輩CDA数人が参加してくれることになり、今後の活動展開の方法を検討した結果、当面NPOとまではいかなくても、会組織にして規約を定め、対外的にもアピールしていこうという方針のもと、グループ名を「CCY(Career Consultants Yokohama)」と決定しました。

活動目的は、規約に 「キャリアコンサルタントとして、キャリアカウンセリングの実践を通じて、学生・社会人・主婦・その他の就職支援を中心とする活動、ならびに、職場環境の変化の中で自立的なキャリア選択を求める人たちに対して、キャリア開発を支援する活動を行う。」謳っていますが、具体的には、キャリアコンサルタントとしてのスキルを高めるために、勉強会・セミナー等を自主的かつ定期的に行い、又、他の同様な活動をしている社会的グループや機関と協力や連携を進めて、キャリアカウンセリングの実効性を示すことです。

まだ、経験も浅く、実力も未知数なところが多いキャリアコンサルタント達ですが、その分、キャリア支援活動に対する意欲に満ち、かつ人間性に富んだメンバーが集い、きっと「何かが出来る!」と確信しています。

じっくり、焦らず、そのとき、その場で出来ることを確実に進め、機会があれば、今後、ますます重要になってくると思われるキャリアについての様々な問題に積極的に関わりながら、グループとしての存在意義を示したいと念願しています。

何はともあれ、ようやく滑走路についた飛行機のような気分。さあ、エンジンを入れて助走開始です。

大空に飛び立てるのは、果たしていつかな?

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2008年7月27日 (日)

天然?

Photo 先週、おかしな出来事が2つありました。

前のブログにあったように、今回、離島(利尻・礼文)に行ってきたわけですが、旅行に行くと必ず買う「絵葉書」に気に入ったものが少なく、そういえば、フェリーターミナルに掲示してあった「観光ポスター」を貰えないかと役場に尋ねると、実費で分けてくれるとのこと。

早速、言われた通りに現金書留を送ると、数日後、電話が ⇒ 「礼文町役場ですが」 「はい、お世話になっています。」 「あの、ポスターの件で」 「ええ」 「4書類あるのですが、どれが良いでしょう?」 「・・・・・・・・・・」

「あの、どれがと言われても、見てないので」 「ああ、それはそうですね。で、どうしましょう?」 「・・・・・ 後から又お金を送りますので、全部送ってください」

そして、その翌日 ⇒ 「利尻富士町産業課ですが」 「はい」 「ポスターの件で」 「はい、何か不備があったでしょうか?」 「いえ、ただ、ポスターが2種類あって」 「どちらがいいかと?」 「そうなんです!」 「・・・・・ 両方送ってください」

はあ~~~(笑)

そういえば、かつて、こんなこともありました。

札幌の映画館で、連れがポップコーンが欲しいというので ⇒ 「ポップコーンの(中)をください」 「あいにく(中)は売り切れで、(大)ならありますが」 「・・・・・ あの、そこに(中)の入れ物、有りますよね?」 「ええ、でも、(中)は売り切れなんです!」 「・・・・・・・ (連れに)どうする?」 「・・・ いらない」

芽室町に居た頃、朝起きて、あまり窓から見える日高連峰が綺麗なので、戸外に出て見惚れていると、近くの農家のじいちゃんが来て ⇒ 「どした?」 「綺麗ですねぇ~、あの山、何ていうんですか?」 「ん、昔からあるからなあ~!」

そういえば、みな、北海道の話ですねぇ~!

あの雄大な自然に壌なわれた風土が、こうしたおおらかな、というか、ちょっとピントのずれた天然の会話に繋がるのでしょうか?

でも、テレビのお笑い芸人のあざといネタよりも、これらの「脱力的」な言葉の数々が、いつまでも可笑しくて、繰り返し誰かに伝えたくなってしまうのは、なぜ?

やたらスピードが要求される時代に「天然」は、そのペースを一瞬、見直すべき、一種の清涼剤のような気がします。

もっとも、そう思っているのはKidsだけで、本気で怒る人もいるんだろうなぁ~!

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2008年7月20日 (日)

道北の旅 その3

【7月14日】 9時55分発のフェリーで利尻へ フェリーターミナル前の営業所(土産物屋)でレンタカーを借り、島巡りに出発。 昨日よりはかなりマシだが天気は相変わらすだ。

時計回りに観光コースを巡る。 姫沼⇒オタトマリ沼⇒仙法志⇒沓形港、姫沼はちょっと薄暗い感じ、観光案内所のような島の写真が飾ってある木の小屋の中で、若い女性が退屈そうにしていた。 オタドマリ沼に来て若干天気が回復、でも利尻富士は見えない。 売店の熊笹ソフトが美味しかった! 沓形港で海中探勝船に乗る。乗員は船長ともう一人のおじさんを除いて7人、船長は現役の漁師だそうで、うにの種類、コンブの裏表、その他を詳しく説明してくれる。 ほう引きで「スルメ」が当たったし、さほど期待していなかっただけに意外と面白かった。

そして、観光の合間にもう一つの目的「ルーツ探し」、 母が父の義姉から " 家の先祖は利尻島出身らしい "と聞き、その確認のため、役場を尋ねたが、「個人情報保護法」の関係で調べてもらえないそう ・・・ それでも職員は、すまなそうな顔で「電話帳」を渡してくれた。(笑) 結局、確認は出来ず。 後は郷土資料館や博物館、寺に聞くしかないようだが、残念なことに時間がない。 帰ってから手紙で聞くしかないか!?

夕方、フェリーターミナルに戻って、宿まで送迎してもらう。 今夜のお宿は高台の林に囲まれたペンション。

" ちょっと疲れた " という母を残して、ペンションから5分程度の町営温泉に行く。 ペンションの裏側に回り、サイクリングロードを横切って、遊歩道(散歩道)を進むと、ほどなくそれらしき物が見えてきた。 温泉はなかなかいい! 幾分、潮の香りがして、それでいて塩の味はしない。 回りは森林、野鳥の声がやけにハッキリ聞こえる。 特にウグイスの声は「爽やかに響き渡る」風。 快適だ!

夕食はペンションとはいえ、そこは場所的に純和風。 「うに」は甘いし、ガヤの煮付けは身離れがよく適度な弾力があって美味しかった。

夕食後に、ペンションのオーナーが、希望者を夕日を見に連れていってくれるというので、母と共に参加。 天気がずっと良くなかったので、見れるかどうか心配だったが、綺麗に見えた。 ただし夕日が丘展望台に70歳過ぎの母が登るのはちょっと大変。 まあ、喜んでいたみたいだからいいけど。

さて、明日はもう帰らなければならない。 されど、一度は利尻富士を天辺まで見たかったなあ!

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道北の旅 その2

いよいよ島に渡る。

【7月13日】 朝一のフェリーで礼文島へ。 今回初めて一等席に座る。 ゆったりしていて、リクライングしても後ろの席に迷惑がかからなそう、高いだけある。

残念ながら、天気はあまりよくない。 降ってはいないもののどんよりしている。 かなり島に近づいても島影が霞んで見える。

9時25分到着、定期観光バスAコースで島巡り。 決して若くない「たっぷりとした」ガイドさんだったが、島出身で花のこと、漁師さんのこと、生活一般のこと、とても具体的で分かり易く、ユーモアもあって好印象。

西上泊・スカイ岬⇒スコトン岬⇒桃岩猫台と進行、スカイ岬の遊歩道脇になぜか9月の花・レブンイワレンゲを発見! 全般的には白い花、特にカリフラワーのようなエゾニュウが幅を利かせている。 スコトン岬で風力ゼロは驚き! ここの売店の「昆布ソフト」はとても美味。 桃岩は上3分の1に雲がかかって見えなかった。もちろん、全篇を通じて利尻富士はまったく見えない。7月に入って殆どこんな天気が続いているそうだ。

フェリーターミナルに戻り、昼食後、しばらくブラブラしてから、宿に連絡、送迎してもらう。 今夜の宿は島の南端にある民宿、新館というのだろうか、食堂のある宿の正面海側にある小奇麗な部屋。 本来なら真正面に利尻富士のパノラマが見えるはずが、下の方が霞んでみえるばかりだ。

風呂をもらい、ひと寝入りして夕食。 漁師の宿のふんだんな魚料理を堪能、特にホッケの刺身が美味かった! 夕食後の散歩で海岸にスズランに似た可愛い花を発見、宿の息子さんと思しき若者に聞いたところ「ハマベンケイ」というらしい。 それにしても花に詳しいと思ったら、宿に飾った花の写真は全部彼が写したものという。

さあ、明日はいよいよ利尻だ!<続く>

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道北の旅  その1

40 12日から15日まで3泊4日で稚内・利尻・礼文を回ってきました。

【7月12日】 12時30分過ぎ、旭川空港に到着。 早速、空港カウンターで、予約していたレンタカーの手続をしようとしたところ、「滅多にない混み方」で30分以上待たされる。 その後、近くの営業所へ移動、母と2人だけなのでSクラスを予約していたのが新型ランサーになった。 稚内まで走ると言ったら、ナビの登録をしてくれた。 ナビは使ったことがないし、苦手なんだけど " まっ、いいか "

ナビのお薦めルートを進行、お蔭でどこをどう走っているのか分からない。 そうこうするうちに高速に乗っけれてしまった。 まったくの予想外。 まあ、早く着くだろうと気持ちを切り替える。

士別剣淵で降りて40号線に、本当は霧立峠越えで日本海側に出て走りたかったが、友人が「ずっと山の中でスタンドも店もない」というので、年寄り連れの為このまま走行。 しかし、車外の景色は全く単調、いわゆる北海道の田舎のまま。

17時30分、稚内着。 レンタカーの営業所からホテルまで送迎してもらう。 ドライバーのお兄さんは素朴な感じながら、天候のことから西條デパートのことまでよくしゃべった。

ホテルで小休止。 ビジネスホテルだが部屋は広くて新しく、設備や什器のレイアウトがよく考えられていて使いやすい。 窓の外は全日空ホテルの向うに北埠頭(旧フェリーターミナル)が見える。 夕食は、たこしゃぶが食べたくて、評判の「車屋・源氏」へ行く。 たこがやわらかくて美味しいが、味噌ごまのタレとの相性は? 別に頼んだ陶板焼の方が好みだった。 ホテルに戻って露天風呂(Good!)に浸かって就寝。<続く>

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2008年6月29日 (日)

時代小説の楽しみ

Photo 最近「時代小説」がよく売れているそうです。

そう言えば、本屋に行くと、毎月のように「時代小説」の新刊が平台に積んであって、中年以降の男女を中心に手を伸ばす人も多く、確かによく売れているようです。

かく言うKidsも、「時代小説」をよく読みます。

池波正太郎、藤沢周平、山本周五郎等、物故された大家の小説から、山本一力、乙川優三郎、宇江佐真理、澤田ふじ子など、どちらかと言えば、剣士物よりも市井物が好きですね。

勿論、「捕物帳」や「チャンバラ」も嫌いではないのですが、活劇場面ばかりだと、今で言うアクション、あるいはハードボイルドに似ていても、時代背景的にちょっと息が続かない感じがします。

それを考えると、大家と言われる方々の作品は、活劇場面の緊張感と日常場面が巧みに書き分けてあってバランスもよく、しかも日常場面の中に、主人公の性格や生きざま、さらに、物語を解決に導くヒント(伏線)がさりげなく添えられていて、さすがだと感心してしまいます。

大家といえば、先に述べた中で、司馬遼太郎が抜けていて "あれっ" と思われた方がおられると思いますが、実を明かすと、ちょっと苦手です。

何ていったらいいのでしょう。 真面目すぎるというか、硬いというか、しかも何冊にも及ぶ長編物が多く、読み終えてしまえば、かならず唸ってしまうような素晴らしい作品ばかりなのですが、時に、氏の膨大な知識や取材に基づく綿密な時代考証が疎ましくなることがあるのです。 ちょっと余談ですが

さて、時代小説の楽しみは、何といってもその自由さです。

情報網が発達していない、ある意味「逃げ場」のある社会で、誰でも捜査できるし、違法捜査もOK!それでも、道徳観念がきちんと通用して、「良い悪い」が正しいか、正しくないかで判断できる。 これが読後の爽快感につながります。

また、時代小説には、現代小説に無い「清潔感」があります。

何と言っても、昔は、人々が今より純粋でスレていなかったと考えられ、もちろん、不倫や袖の下もあったには違いありませんが、江戸時代以前の道徳観念や社会的制裁は死か、全てをなくすくらいの覚悟が必要でした。 よって、「悪」を成すにも「純粋さ」が必要だったです。 「時代小説」を読んで、後にもやもやが残ることがないのは、こうした「清潔感」ゆえなのでしょうね。

市井物(人情物)が好きな理由もそこにあります。

現代と比べれば行動範囲が狭く、情報が少なく、交際範囲も狭い社会で、余計な要素が少ないがために、生の人間同士の問題(人間同士の諍い、家族愛、夫婦愛、師弟愛、忠誠心、義理、人情)を通じて、人間を素直に深く見つめることができる。 優れた「市井物」を読むと温かい気持ちが湧いてきます。

今、時代小説を求める人々が増えた背景は、"生きるのに忙しくて、自分以外の事に構ってなんていられない" なんて世の中にあって、おそらく、多くの人が「生の渇き」を自覚しているからでしょう。

本が読まれるのは嬉しいけど、本当に嫌な世の中になったものですね。

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2008年6月22日 (日)

ポータブルオーディオ

Gigabeat_s30 先週から、外出時にHDDオーディオプレーヤーを聞きながら移動しています。

昔、ウォークマン全盛時代にしていたことはありますが、結構、持ち運びにかさばってしまって、又、バッグに入れておくとコードが絡まって難儀するので、数週間で止めてしまいました。

それに引きかえ、今のHDDプレーヤーやMP3プレーヤーは、非常にコンパクトな上、容量も大きく、以前とは比べものにならないほど沢山の曲を収録できます。 僅かな間なのに、テクノロジーの進歩に驚かされますね。

Kidsは、あまのじゃくに加えて、音質にかなりこだわりがあるので、かなり出費してiPodとは違うメーカーの機種を使用していますが、今になって、外で聞くなら、そんなこだわりも必要なかったような気もしています。

まあ、それなりに楽しんでいるので、いいんですけど...

これまで、通勤を始めとした移動時には、たいがい文庫本を読んでいました。

しかし、昨今は、益々乗車時の混雑が酷くなって、通勤時の車内などでは、立っているときはもとより、座っているときですら、足を蹴飛ばされたりバッグやカバンを顔にぶつけられたりするので、いっそ寝る体勢でバックミュージックにHDDプレーヤーを使おうと考えた次第です。

すると、これは、寝るには極めて効果的であることが分かりました。

つまり、本の場合は、中身が佳境に入ってくると、つい夢中になってなかなかページを閉じられず、目が疲れて読むのが辛くなったとき、ページを閉じて眠るかたちだったのですが、音楽の場合は、自然なかたちでいつの間にか寝られるので、体調回復にはもってこいだと知りました。

ここ最近、以前にも増して朝が弱くなり、通勤するときは、快速や急行に乗れば、20分以上遅い時間でいいのに、わざわざ数本早い各駅停車に座って爆睡し、それでも、少しも疲れが取れず、朝起きてから1時間半ぐらいたって、ようやく体が動き出すような毎日。

ちょっとやばいので、病院に行こうとも思うのですが、どうせ、また検査検査のあげく「何でもない」になるかと思うと、お金と時間が勿体なくて踏み切れません。

まあ、延々と待たされるのも、今後は、ポータブルプレーヤーを聞きながら寝ていればいいという対策が立ったので、後はタイミングだけ。

そのうち行ってきますよ、そのうちね。(笑)

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2008年6月15日 (日)

間に合わない!

Photo 昨夜、久しぶりに夢を見ました。

Kidsの場合、ほとんどの夢での背景やストーリーは覚えていません。

ただ、分かっていることは 「時間が足りない」 こと、そして、誰かのために何かをやっているっていうことだけです。

必ず一人か二人知っている人が出てきて、それ以外は知らない人ばかり。 とにかく必死で走ったり、階段を駆け上がったり降りたりしている自分がいます。 間に合わなければ何か大変なことが起こることが決まっているらしい。

夢はいつも途中で終わります。 ストーリーは完結せず、その割に間に合わなかったことだけは何故か分かっています。

非常に後味が悪く、ただでさえ朝が弱いKidsに二重のダメージを与える夢です。

心配なので、又、興味半分もあって 「夢判断」 をしてみました。

結果は、「進む道がわからず不安、混乱している状態です。決断力の低下や、ものごとが思うように運ばない焦りやいらだちを表すこともあります」

また、「夢の中の目標は現実世界の目標と関係している場合が多いが、この目標が何であるかを把握するのは難しいです。 『迷う』 夢の中の目標は取り戻したい精神状態、または物質的存在と関係があることが多いようです」 ということで、夢の目的地が家ならば⇒安全で安心できる安息の場、職場ならば⇒実行力、想像力、学校ならば⇒気楽で楽しい時間、という例が挙げられるということ。

ふ~ん、という感じですね。 " 思うように運ばない焦りやいらだち " は間違いないけれど、目標といったところで、夢の中でどこへ向かっているのかも不明。

例えば、<木立の中を必死で駆けている(自分以外にも10数人駆けている)。向うで大きな家、お屋敷といってもいいほどの家が燃えている! しかし、自分の家かどうかは分からない>とか、<スキー場で、上級者の彼女(?)が快調に滑っている。しかし、ゲレンデのその先には崖が迫ってるのが分かっていて ⇒ 助けたい、でも自分はほとんど滑れない>とか、<建物の中を上に行ったり下に行ったり、走り回って何かを探している。 そして、今度は、誰かのためにその人が休める場所を探している>といった具合です。

でも、強いて言えば「家」の範疇なのですかね。 どんなにテンパッテいても「職場」の夢って見たことないですから(笑)

しかし、どうせならば楽しい夢が見たいです。

何たって、一日で一番疲れているのが朝起きたとき、極端を言えば、<この状態のままならば、このまま一生起きない方がいい> と半分本気で思うぐらいグロッキー状態。 それでも、どうにか起き出して、嫌で仕方がない仕事に向かうKidsって、まるで殉教者のようです。(笑)

「(精神的な)安全で安心できる安息の場」 が欲しいものですね。

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2008年6月 8日 (日)

テキトー

Photo 皆さんは、「テキトー」というとどんなイメージが有りますか?

「いい加減」、「無責任」、「高田純次」(笑)、まあ、その他にも色々有ると思いますが、大体において良いイメージは無いと思います。

では、「適当」ではどうでしょう?

変わりませんか? でも、" かっこの中に適当な言葉を入れなさい " という試験問題に 「テキトー」な答えは入れないでしょう?(笑)

そう、「テキトー」には、" ある状態や目的に合う " という意味があります。

そして、今の若者たちは、この「ほどよく」 という生き方において、正に「テキトー」なような気がします。

というのは、彼らは、会社で出世のために必死になっても何の保証もないことを知っています。 自分の将来どころか、会社の将来も、日本の将来だって分からないので、だったら、「テキトー」にしていて、リスクを巧みに避けながらサバイバルするのが一番だと理解しているのです。

ところが、実は、彼らの多くは「理想」・「夢」をしっかり持っています。 でも、それは、団塊の世代やバブル世代の「おやじ」たちとはちょっと違うのです。

なぜなら、彼らの生き方は「ほどよく」で、「おやじ」たちの生き方は「よりよく」だからです。

「おやじ」たちが「よりよく」を求めたのは時代とも大きな関連があります。 「おやじ」たちは、戦後のマイナスあるいはゼロから、「よりよく」を目指して懸命に働き、高度成長という信じられないほど大きなプラスをもたらしました。

一方、現代の若者は、生まれた時、既にプラスで、それが次第にマイナスにシフトしてきた様子を見ながら成長しています。

だから、彼らは「よりよく」の限界も知り、又、飽食の時代にこれ以上「よりよく」は必要ではないと感じています。

「よりよく」よりは「ほどよく」、理想や夢も、家族や友だちの中で「テキトー」に暮していく中で実現したいと思っています。

敢えて繰り返しますが、彼らの「テキトー」はいい加減ではありません。 即ち、未来に大きな希望を持てない中で 「男らしく頑張るだけではバカバカしい」・「結果は後から付いてくるのはウソ」 と考えているわけです。

そういう意味では、内心同じ思いを持ちながら、それを押し殺してサービス残業している「おやじ」たちの方が心理的に「下流」なのかも知れません。

そういう若者が好きな「おやじ」は、①いつまでも若々しい ②いばらない、押し付けない、文句を言わない ③人の悪口を言わない ④仕事を楽しくやっている ⑤専門外のジャンルにも明るい、遊びが得意である(仕事オンリーじゃない、趣味が多い) ⑥むやみにつるまない ⑦家族を大事にしている ⑧友だちが多い ⑨必死にならない(無理をしない) だといいます。

正直言うと、Kidsもこういう「おやじ」が好きです。 自分はどうかって? ④以外はいい線いっていると思いますが・・・(笑&泣)

さて、そういう若者たちもそのうち「おやじ」になる日がやってきます。 Kidsはその時どういう風に世の中が変わるかとても楽しみにしています。

彼らが、 " 今の若者はダメ " というのか、" 世の中、変わった!" と喜ぶのか、はたまた関心を持たないか、少なくとも、今よりも明るい世の中になればいいと期待しています。

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2008年6月 2日 (月)

旅の非日常性

Photo 2日間、急ぎ足で札幌・小樽を巡ってきました。

土曜日は札幌で映画とショッピング&グルメにボウリング。 まあ、お決まりのコースです。

映画は、相方の希望で「ナルニア国物語 2」に決定。 ところが、前作を見てなかったので、始まってしばらくは???

説明が一切無いところをみると、 どうも最初から連作で作られているような気がしました。 しかも、「ロード オブ ザ リング」にかなり似ている! まあ、連れが満足気だったので良かったことにしておきます。(笑)

日曜は小樽行。 前日の天気予報が雨でちょっと心配だったのですが、晴れとは言えないものの時折日も射す程度の天気。

まずは、ちょうどお昼時だったので、「なると」で鳥焼き定食を賞味。 若鶏半身のから揚げがすごいボリューム! でも、とてもジューシーで、塩加減が絶妙、皮もパリパリで、あまりの美味しさにあっと言う間にペロッと完食してしまいました。 ただし、手も口もベタベタになります。 見れば、お客さんのほぼ100%が鳥焼き定食を頼んでいて、「キング オブ B級グルメ」に認定!

店を後にしてからは、色内大通りから堺町本通りへ出て土産物店やガラス体験工房、飲食店などを探訪。 何か前よりもお店が増えているような気がしました。 北一ガラスのアウトレットまであります。 ただし、アウトレットだもんねという感じの品揃え。

ガラス製品以外には、オルゴール、木・布・革の工芸品のお店が沢山ありました。 革製品のお店で「いたがきの鞄」にちょっとグラッときましたが、その良さは知っていても、衝動買いにはなかなか辛いお値段なのであえなく撃沈。

後は北菓楼でお土産を買って、北一ホールでお茶。 途中、少しばかり雨に降られたものの帽子を被っていると感じない程度で、のんびり散歩モードで楽しんできました。

「のんびり」いいですよね。 なぜか最近、自分でも明らかに「ストレス モード」で疲れていたのがスーッと消えていく感じ。 「旅」に出ると、例え、短期間であっても、都会の喧騒を離れ「非日常」に身を置く事がリフレッシュに繋がり大きな効用をもたらします。 Kidの場合、特に歳を重ねていく連れその感覚が強くなってきました。

さて、今度は、いつ「旅」に出ようかな。

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2008年5月25日 (日)

プラス思考

Photo 最近、日本人に横行している「個人主義」。

Kidsに言わせれば、救急車をタクシー代わりにしたり、家庭のゴミをコンビニや他人のマンションのゴミステーションに捨てに行ったり、シルバーシートを占領したり、単に " 自分だけ好ければそれでいい " ような行為 = 他人に迷惑を掛けたり、相手を貶めたり否定すること が「個人主義」とも思えませんが、とにかく「日本人が変!」です。

私見では、「個人主義」は「成果主義」の導入に伴って進化してきた概念のように思います。 即ち、ビジネスにおける「損得」を人間関係やプライベートにまで適用してしまった結果、大きな社会的な歪みが生じてしまったと捉えています。

本来、「善悪」で判断すべき事柄を、何でも「損得」で考え判断するから、環境破壊、資源の枯渇、弱い者苛めに歯止めがかからないのだと思います。

しかも、終身雇用制が失われて、「成果主義」の環境のもと、「父親」は余裕を全く失って益々仕事一辺倒になりがちです。 家庭にあって子どもに示さなければならない父親の権威、特に「善悪」の判断を示す機会はほとんどないと言っていいでしょう。

その結果、日本人は、古来日本人の類稀なる「気」の文化を失う危機に直面しています。

「気」は普段、私たちが見えない世界に有りながら、その人の「根っこ」にあるもので、大雑把に「本心」と置き換えられるものです。 これまで、私たち日本人は、この「気」が見えないものでありながら、「言霊」を通じてこれを感得する力を持っていました。

しかし、「気」を知るには無心であることが必要で、「損得」を考えていると無心になれないため、相手のマイナスの言動をマイナスでしか受け取ることが出来ません。

ところが、「日本型個人主義」は「損得」の関係性で成り立っているため、職場においても家庭においても上辺だけの関係となり、本当のコミュニケーションが成り立たない結果、多くの場面で機能不全に陥っているように思います。

しかも、前述の本来「善悪」の教育を担うべく(中間)管理職の「父親」は本当に忙しくて、プラスの人生を望みながらマイナス思考に傾きがちなストレスにさらされています。

それでも、哲人曰く、" プラス思考でプラスの言葉を話し、ポジティブに行動した方がプラスの運勢を引き寄せられる " 世の理不尽や不合理を嘆いているよりは、プラス思考に変換した方が「成幸」(幸せに成る)出来そうです。

ならば明日からはプラス思考で行きましょう! ・・・・・ と大きな自戒を込めつつ(笑)

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2008年5月17日 (土)

トイレトレーニング

Photo 先ほど何気なくラジオを聞いていたら、「神経質」について興味深い話をしていました。

「神経質」は気質のように思われているけれど、育った文化や慣習が大いに影響しているというのです。

その顕著なものが「トイレトレーニング」

母親にとって、自分の子どもがどれだけ早くオムツが取れるかいうことは、母親としてのプライドの一つであって、一生懸命に努力するのだそうです。
一方、それは、子どもにとって、初めて緊張感を強いられる体験であり、例えば、いつまでも「おねしょ」が止まないという状況は、"自分は汚いんだ。 だから親に愛されないんだ。" という常に親に気を使う神経的な素質を生み出す。

もともと日本人は、「清潔」という衛生面を重んじる傾向があって、特に、最近の母親たちは、消臭・抗菌というものに異常なくらい「神経質」になっているので、少しでも汚れている環境に耐えられません。

しかし、世界のいくつかの発展途上国に見られるような本当の不衛生にさらされているのと違って、日本は極めて衛生的な国です。(最近、一連の食品関係の不祥事は別として)

だから、『子どもの生理的な状況にあまり過敏だと「閉鎖的」な性格の子どもが育つ』 とそのラジオでは言っていました。

そして、そういう状況で、子どもたちが大人になると、もちろん個人差はありますが、「おおらかさ」が欠けてしまって、ひどい場合は神経症的になる場合も有り得、翻って、そういう大人たちが住む社会は、「神経質」なストレス社会であって間違いはないということでした。

まさか育児がストレス社会に影響を及ぼすとは思いませんでしたが、日常生活の中で、確かに日本人、特に今の日本人に「おおらかさ」を感じる機会はあまりないですね。

もっと自他に向けてリラックスし、ゆとりを持って接することに多くの人が努めたら、世の中はもっと良くなるのではないかと思うのですが・・・

皆さん、いかがなものでしょうか?

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2008年5月11日 (日)

シスレーと空

Photo 毎週土曜日10時、テレビ東京の「美の巨人たち」はお気に入りの番組の一つです。

その「美の巨人たち」の今回のテーマは「シスレー『ポール・マルリ 洪水と小舟』」

1876年に実際に起きたセーヌ川の氾濫を描いた有名な作品ですが、だからと言って、シスレーに災害をドラマティックに描こうとした意図は希薄で、ただ「洪水によって作られた水のある美しい風景」という印象を受けます。

特に印象的なのは、テレビでも指摘していましたが、その青々とした空の広さと高さ。

番組中に空を専門に撮っている女性写真家が言っていましたが、確かにシスレーの空は、他の画家の描く空に比べて、キャンバス全体における空の割合が多く、又、その殆どが上向き目線で描いたものばかりです。(俯瞰的な構図の作品は「ルーヴシエンヌのマルリーの丘ぐらいでしょうか?)

なぜそうなのか? その答えとして、写真家は、自作の連続写真を示しながらこういう意味のことを言っていました。 " 空は一瞬たりとも同じ表情を見せない。 風も雲も光りや影さえ・・・ "

そう、私たちの周りの風景でさえ、瞬時に千変万化して同じところに留まらない。

ならば、Kidsもよく言う 「変わりばえのしない人生」 って何なのでしょう? きっと、変わっているはずですよね。

でも、人間は意識したものしか見ないし聞こえないから、自分の意図にそぐわない事象をシャットアウトしている。

もしかしたら、人生の大事な瞬間を見落としているかも!

シスレーは生涯、人物画を描かず、身の回りの平凡な風景を描き続けました。

画風も生涯変わらず、美しくも地味な絵ばかりを描き、貧乏なまま一生を終えました。

しかし、晩年の「モレの橋」や「サン=マメス」に至るまで、その空は、移ろい行く一瞬一瞬のベストショットとして、私たちの心を和ませてくれます。

もしかしたら、人生にムダはなく、ムダなのは、私たちの「落ち着かない心」なのかもしれないなんて、似合わないことを考えてしまいました。

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2008年5月 4日 (日)

スローライフに主役はいらない

Photo Kidsはスローライフに憧れています。

だから、これまで2回ほど都会を脱出して北海道の田舎で暮らしました。

シンプルな生活はなかなか良いものです。 畑や漁とはいかないかもしれないけど、お店でも何でも生業を果たし、一日が否応なく終われば、美味しいものを食べたり、一杯やって後は寝るだけ。 休みには自然の中に身を横たえ・・・

「生きがい」・「自分探し」なんて考えもせず、考えるひまもなく、考えなくても十分幸せな生活。 う~ん、・・・・・憧れますねぇ~

だいたい「生きがい」や「自分探し」なんて、ビジネス以外に自分という「主役」の居る場所を追求することなのですから、「主役」を張ることを端から臨まなければ悩む必要はない。

そう、Kidsはコンペティティブ(競争的な)社会が大嫌いなのです。

コンペティティブ社会では、最終的に「主役」を張れるのは唯一人です。 なぜなら、誰もが競争相手だから、他社や同僚、時には上司と競争してこれに勝っても、別な相手が際限なく現れて終わりというものがないからです。

従って、大多数の人間はこの競争に勝てない。 だから、「生きがい」・「自分探し」という『現代病』に罹ってしまうのだと思います。

週刊誌やマスコミが「みんなが主役」なんていう特集を組んだりするのも誤解を与えているのでしょう。

" 誰もが良いところを持っている " とか、" 精神的に自立する " とか、" ライフキャリアを考えよう " という趣旨は分かりますが、どうして「主役」でなくてはいけないのでしょう? 「脇役」の方が輝いているドラマはいっぱいありますよね。

さて、Kidsは、過去2回、その大嫌いなコンペティティブ社会から離れ、スローライフを実現しようと健闘して失敗しました。

と言うのは、正直な話、田舎暮らしというのは、田舎に行けば行くほど、都会人が入り込めない地縁という名の人間関係や習慣があるということに気付くのが遅れたからです。

又、その田舎でスローライフを実践したいと思っても、その道筋を作るためには、政治的な手腕やお金が必要だという希望と逆向する現実があって、「重心の置きどころ」が見つけられなくなってしまい精神的に疲れてしまったこともありました。

しかし、それも今になって考えれば、" どこかで「主役」になりたいと望んでいたのかな " というような気もします。

何といっても、一番面倒なのは「人間関係」。

そして、又、今や「主役」を張る自信もその気もないKidsは、遅くとも10年後には、「本当のスローライフ」を追求しようと画策しているのです。

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2008年4月27日 (日)

コンピューターシティ

Photo 水信というフルーツパーラーが閉店します。 横浜で昭和31年から営業してきた老舗です。

今後、別の場所に移って営業する予定はあるといいますが、未確定のようです。 なかなか繁盛していたように思うのですが、これはビルのオーナーの意向なのでしょうか?

話は変わりますが、最近、家のそばにあった銭湯が2軒相次いで廃業しました。

後継者問題・老朽化等、色々と問題があったようですが、その為、近所の古いアパートに住む単身者や高齢者は、電車に乗って「スーパー銭湯」に行かなければならなくなりました。

昔、通ったせんべい屋さん、和菓子と洋菓子両方やっていたお菓子屋さんなど、横浜に帰ってきた2年前には既に無く、時代の流れといえばそうなのかも知れませんが、その代わりに出来た建物は、何処に行っても代わり映えのしないファッションビルや大型複合施設ばかりです。

ブランド物やミシュラン級のレストラン、CDショップやアミューズメント施設(ゲームセンター、映画館、エステ、スパ、・・・ )等、おしゃれではあっても没個性的で無機質、Kidsには、どこがいいのか全く分かりません。

何か、先に店有りきで、人は後回しのような気がします。

本来、街というのは、自然発生的なものでした。 村と村の間に市ができ、そこに人が集まり市街地となった。 街は生き物でした。

ところが、今の様相は、日本、特に都市部は、流行に乗ることでしか生き残れない不幸な人工の島になってしまいました。

日中はまだしも、夜は空虚なビルと化し、生活の臭いが殆どなくなります。

そこでは、人間も、家や学校、その他の「最寄」から分離して、日常が画一的になりました。 ゆえに、社会性が失われて「民主主義」が「個人主義」と同義になってしまいました。

上下関係をはっきりさせ頭と体に覚えこませる「教育」がされない反面、情報社会の恩恵をたっぷりと受け、権利意識や自己中心的な観念ばかりが育って、本来、集団生活を営む動物に必要なルールを学んでいない人間が増えています。

民主主義は拝金主義ではなく、自由でもないことを理解しなければ国は滅びます。

赤坂のビルの28階からガラス越しに林立するビルを眺めるたびに、ファッションビルやインテリジェンスビルの乱立が、公共性を捨て経済優先主義に走る行政の論理と同じ根っこのように感じるのはKidsだけなのでしょうか?

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2008年4月19日 (土)

上から目線

Photo 赤坂の新オフィスに移ってから早くも1ヶ月になろうとしています。

千代田線赤坂駅直結のインテリジェンスビルで、セキュリティ・その他、ハイテクを駆使したビルなので、引越し当初は " エリートサラリーマンばかりなんだろう " と思っていました。

でも実際は、TBSに隣接していて、博報堂さんが数フロアーを占めているなど、クリエイティブ系の人たちが多く出入りしていて、エレベーターの中で聞こえてくる会話も、良く言えば「ざっくばらん」、悪く言えば「がさつ」で、ちょっとイメージと違っていました。

例えば、よく聞くのが " 〇〇さん(ちゃん)は・・・・・な人だから " というフレーズ、それ以外にも " だって・・・しなきゃどうしようもないだろう " みたいな言葉を耳にすることが多いようです。

そう、「決め付け」あるいは「レッテル貼り」。 Kidsもしないとは言えませんが、ちょっと気になります。

しかも、まだ、社会経験ならびに人生経験の浅い人たちが言うのならともかく、殆どがKidsと大して年齢の違わない、おそらく会社にあっては中間管理職以上の方々

それが、部下やスタッフにさっきのような「訓示」を垂れている。 多分この構図は、聞いている人たちが上級職に就いたときに繰り返されることでしょう。

そう言えば、テレビでよく見る " 〇〇の事情にお詳しい□□評論家のX氏 " や日曜討論等で発言される政治家にもこういう言い方が多いようです。

ちなみに、Kidsの会社でも、次期社長がよくこういう言い方をします。まあ、30代そこそこで苦労も知らず、親の引いた路線に乗って歩んできただけなので、仕方がないと言えば仕方がないのですが、はっきり言って " お前に他人の人たる何が分かるのよ! " と言いたくなることも始終です。

どうも「レッテル貼り」には「上から目線」が多いようです。

かつて海軍元帥・山本五十六氏は、かの著名な <やってみて、いって聞かせて、させてみて・・・・・・> の後に次のような言葉を述べました。

『やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず』

地位だけではない人間的な高みに到達した人間の誠の言葉には、深い含蓄がありますね。

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2008年4月13日 (日)

帽子

Wind_bell 若い頃からファッションに興味があったのですが、当時は健康優良児を遥かに凌ぐ体型で好みを選ぶことができなかったので、思いを封印していました。

それが、ある時、会社の健康診断でレッドカードを突きつけられ、通院中に、カロリー制限の甲斐があって3ヶ月で17kgのダイエットに成功。

すると、数値もみるみるうちに標準のど真ん中になって、通院する必要がなくなってしまいました。

そうなると、当然ながら、それまでいた服を着ることができません。 ウエストなんかは15cm以上細くなってしまったので、リフォームさえままならず全取っ替え。

それをいいことに、一時は、お金の続く限り、憧れのブランド品を買いあさって悦に入っていました。

今は、その「熱」も去り、体型も、何回かのリバウンド⇒ダイエットを繰り返した後で立派なメタボになったので、着る物も適当にブレンドしていますが、それでも、街のウインド越しにお洒落な洋服を見つけると自然と目が行くのは避けられないようです。

その代わりと言ってはなんですが、最近、凝っているのが帽子。

最初は、ショップで洋服を買う際に、トータルファッションで薦められた物を被っていただけなのですが、鏡を見たら、確かにKidsの頭は帽子に合う形をしているようで、そうと知ったら、元々「新し物好き」&「変わった物好き」の血が騒ぎ、気が付いてみると、壁に掛かっているだけでも30個以上の帽子持ちになっていました。

しかも、5年ぐらい前から頭を短いスポーツ刈りにしてしまったので、帽子の選択肢の幅が増えて最近また増殖中。

ところで、素朴な疑問なのですが、日本の女性や最近の若者は帽子を被る機会が多いようですが、男性、特に中年以降はあまり帽子を被りませんね。 どうしてなんでしょう?

ただでさえ、女性に比べて地味、没個性的なファッションが多いのですから、自分をもっとアピールしてもいいのではないかと思うのですが・・・

これも「組織内個人」である日本の男性の表れなんでしょうかね。

そういえば、アメリカの友人が 「日本人男性のファッションは、制服と似ているね」と言っていました。

「 ‐ ‐ ‐ ‐ ‐ ‐ ‐ 」

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2008年4月 6日 (日)

思いの核心

Photo 後輩たちの「CDA二次試験勉強会」にオブザーバーとして参加しました。

皆、未だ新米の域を超えない先輩CDAの話を素直に、且つ、とても熱心に聴いてくれて感激しました。

インテーク面談における「傾聴」は、とても奥が深く、これで出来たというゴールがありません。 そう、カウンセリングが有益だったか否かはクライアントが判断することだからです。

クライアントが真に伝えたいこと。 その思いの核心部分に感応し、寄り添うことができるかどうかは、「心の琴線」に触れたかどうかと言ったような極めてセンシティブなものなので、相手に対する尊敬や信頼性があって初めて生じるものです。

だから、新米CDAにとっても、こうした「勉強会」は非常に有益な体験の場であり、しかも「同好の士」は、皆、本質的にキャリア支援を通じて何らかの・・・ 大げさに言えば、社会貢献や自己実現を果たしたいという意思があるせいか、Kidsは、とても「体温」が近いような気がして居心地の良い時間を過ごすことができました。

「集い」が「試験対策」のみならず、長く続くことを願っています。

さて、話は変わりますが、昨日は勉強会の後、自宅で古い映画を見ました。

ダスティン・ホフマン主演の「レインマン」という映画です。

賞とかも取って非常に有名な作品であり、ご覧になった方も多いと思いますので、ストーリーには敢えて触れませんが、この映画を見て感じたことが、正に「心の琴線」であり、「体温」が近いというものでした。

しかし、アメリカという国は、一方ではこうした素晴らしい映画を生み出す傍ら、ベトナムでそして中東で人権無視の殺戮を続けてきました。

人の心の二面性、あるいは多面性はよく知られるところですが、その総体としての国や企業が、最近「背反する意思」を国民や従業員に押し付けようとするあまり、世の中が混沌としてきたような気がします。

もっと相手それぞれの「思いの核心部分に感応し、寄り添う」ことに心を尽くせば・・・例えば、後期高齢者医療制度のような馬鹿げた悪政は行われるはずがないと思うのはKidsだけでしょうか?

なさけない。

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2008年3月30日 (日)

有為な全体

Photo 先週の暖かさが嘘のように、厚い雲の立ち込めた寒い朝です。

休日とはいえ、こんな日は外に出掛ける気分にならないので、先ほどから「hyperion」のロマンティック・ピアノ・コンチェルト・シリーズ を続けざまに聴いていましたが、アレンスキー、ボルトキエヴィチ、パデレフスキー、モシュコフスキー、リャプノフ、グラズノフ、ゲヂッケ、いずれも「ロマンティック」で魅力的な部分はあるのですが、チャイコフスキー、ラフマニノフ、グリーグ等、大家のコンテェルトに比べると全体的にまとまりに欠け、消化不良な感じが否めません。

音楽に限らず、こういうことってよくありますね。

麺もスープも美味しいのにもう一度行こうかという気にならないラーメン屋とか、女優やモデル並みの美人なのに色香を感じない女性とか・・・ どうしてなんでしょうね?

会社でもそうです。ひとりひとりは能力もあり、目標設定も的確で一所懸命頑張っているにに会社の業績は一向に上がらないとか、そういえば、Kidsにはロシア人の友だちがいないので本当かどうか分かりませんが、ロシア通の友人はロシアを称して「皆、とてもフレンドリーで良い人ばかりなんだけど、ロシアという国自体はなんか変で、いつまで経っても理解できないし、好きではない」と言っています。

そう、「有為な全体」として機能していない。 そういう感じです。

それでも、よくよく考えれば、それなりの答えはあるのでしょう。 先ほどのピアノ・コンチェルトでいえば、作曲家として「メロディーメーカー」を超える才能がないとか、ラーメンでいえば、麺の素材や太さがスープとマッチしていないとか、でも、人間の場合はどうなんでしょうね?

会社や国家は、" 卵が先か、ニワトリが先か? " でいえば、人が最初にあってその後に出来た概念ですから、言わば「契約関係」で、その目標や理念に「個々の思い」などは想定していないでしょうから、それが、その従業員なり国民を一定の枠に取り込んで、かつ「有為な全体」の為に機能させようと思えば無理があるのだろうと勝手に想像しています。

個人の立場でいえば、会社なら、嫌なら辞めればいいわけですが、国を辞すのは、不可能とは言わなくとも、そうそう勝手にできることでもありません。 又、国家としても、それを望み推進するものでもないでしょう。

となれば、為政者は、もっと視点を国民レベルに据えて真剣に考えて欲しいと思います。 上に立つものの意識が民衆と乖離し、勝手な法律を作って、上から目線で「逆らうのなら・・・」みたいなことをやる一方、自分たちは利益誘導を図っているばかりではどこかの会社と変わりがありません。

美味いラーメンを「美味い!」と感じ、有為なる全体として社会に認識させるのは最終的に「ひと」であって、完璧なラーメンを飾っておいてもどうにもならないことを己の「舌」で知るべきだと思います。

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2008年3月23日 (日)

ラジオ

Photo 家のテレビが映らなくなってかなり経ちます。

最初はさんざん叩いたり、付けたり消したりした結果、暫く放っておくと勝手に付くことがわかり、見たい番組がある時は早めにスイッチを入れて待っていましたが、その後、しだいしだいに待ち時間が長くなって音しか出ないようになりました。

普段の夜はたいてい11時過ぎまで実家に居るし、深夜や休みの日にテレビを見る習慣がないので、あまり痛痒は感じませんが、借りてきたDVDをパソコンのモニターで見ていると暗い画面で細部がハッキリしません。

「カカクコム」や「ヤフオク」でテレビを探したりもしましたが、そうなると「地デジ」搭載テレビが欲しくなって⇒ そこそこ大きな画面が見たくなって⇒ でも、まだまだ値段が高いし⇒ 普段はほとんど見ないので⇒ 勿体ないから、買わずじまいで今日に至っています。

でも、おそらく、喫煙者が何となく手持ち無沙汰でタバコを吸うように、天気が悪かったり、寒くて外出しないときに、本もCDも寝るのにも飽きてしまった結果、何となくテレビを見たいと思うことがあります。

そんな折、床屋で久しぶりにラジオを聞き、「そうだ、ラジオがあるじゃないか!」 と早速リサイクルショップで聞いたこともないメーカーのラジオを買ってきました。

ところが、これが意外とスグレモノ。 AM&FM&TVまで聞くことが出来て、しかも感度がいい!

ラジオだと「ながら聞き」で寝てしまってもいいし、眼は疲れないし、音楽などは、TVよりも数段早く最新情報に触れられるし、ニュースだって、暗くて重たい内容をもっともらしい顔で語るキャスターを見なくて済むし、いざとなればインターネットだってあるのだからTVがなくても快適です。

正直言って、映画やスポーツ、旅番組を高画質・大画面のTVで見たいという気がしないわけではありませんが・・・ まあ、当面、そちらの方はDVDや実家のTVで見ることにして、ここは倹約に努めることにしました。

と言いつつ、Kidsは今の今まで、ネットでアナログプレーヤーを物色していたのでした。(笑)

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2008年3月22日 (土)

引越し

Photo 今週は、会社(正確にいうと一部)の引越しのため、荷造り・片付け、運搬と忙しなく動いていました。

人事総務部は女子社員が多く、僅かばかりいる男性社員と言えば、役員と年配者、そしてKidsなので、こうした場合はどうしてもKidsに負荷が罹りがちになります。

もちろん、実際の移動は運送会社がやるのですが、今度の引越し先が赤坂駅直結という最新ビルの高層階。 家賃の関係で専有面積が減ってしまった分だけこれまで使っていたキャビネット等什器の置き場が無くなり、書類や備品を倉庫やしかるべき保管場所に移す必要に駆られてということなのでした。

しかし、だからと言って、人事総務(労務)関係の書類は法令により保有期間が定められているものが多く、捨てることはもとより、万が一『査察』が有った場合に「今から取りに行きます。」というわけにはいかないので、減量には自ずから限度があります。

それを知ってか知らずか(←おそらく後者)、上司は「何とかしろ!」の一辺倒。 だいたい営業はともかく、管理部門に『見栄え』のメリットはあまりないので、何でわざわざ狭い所に引越ししなければならないのか疑問です。

まあ、『成り上がり』の経営者というのは格好つけたがりが多いので、『見栄え』というよりは『見得』でしょうね。 自分は皇居の見える眺めのよい部屋を専有できるから、社員がオイル・サーディンよろしく窮屈な思いをしても心は痛まないのでしょう。 ついでに言えば、当社に食堂・休憩室・その他福利厚生施設は特にありません。

建物は役職別カードにより、セキュリーティは万全。 空調、照明、ブラインドに至るまでマイコン制御。 もともと稟議書等、多くの回覧書類は電子決裁なので、ある意味では、時代の先端を行っているように錯覚しがちですが、それよりも、ES、EQ、CSR等、『人』に関わる部分で時代をリードするような会社であって欲しいというKidsの想いは、常に届くことなく空しい気持ちばかりが募ります。

「この国」があって「この会社」があり、権力や金を握った『強者』が庶民という『弱者』にパワーハラスメントを行使するという図式には公私の別もなく、些かの揺るぎもないようで「遺憾に思います。」

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2008年3月16日 (日)

気持ちに寄り添う態度

Photo 産業カウンセラー有資格者の自主的勉強会に参加しました。

CDA仲間で産業カウンセラーの有資格者である知人の紹介です。

なぜ「他流試合」に行ったのかと言えば、そもそもCDA(キャリアカウンセラー)の役割はキャリア(職業)に関する支援を担うものなので、その支援の範囲に限界があり、クライエント(相談者)に精神疾患が有る場合や心理療法が必要な場合、その他、特別な支援が必要な場合には専門家にバトンタッチ(リファー)しなければなりません。

一方、産業カウンセラーは、「心理学的手法を用いて、働く人たちが抱える問題を、自らの力で解決できるように援助しています。」 というように、その活動領域がメンタルヘルスにまで及ぶので、より広い範囲の支援が可能です。

よって、「仕事の相談」に留まらず、より多様な場面で人間関係開発の援助が出来る産業カウンセラーの「CDA+α」の資質を担うカウンセリングとはどういうものなのかを体験したいと思ったのでした。

行くまではちょっとドキドキ、でも、始まって数分で、そんな思いは無用だったと知りました。

というのも、講師の方が御歳81歳の女性のカウンセラーだったのですが、そこに居るだけで自然と「温もり」が伝わってくるような素晴らしい先生で、しかも「感度」が抜群。

「クライエントは、必ず何かを話したくて来る」 ⇒ (だから)「クライエントの気持ちを受け入れ」 ⇒ 「調査的、解釈的、評価的、支持的態度を捨て」 ⇒ 「共感的・受容的態度で」 ⇒ 話し手の語っている事柄と気持ち(感情)が十分に言語化するように」・「体に閉じ込めている感情が表出するように」  ⇒ 「素直に精一杯聴く」 これだけだと言われます。

即ち、心理を勉強するのは、カウンセラーが必要だと思えばやればいいことで、それよりも 「クライエントがより良く生きようとする力と傾向を信じ、奥底の求めに関心を寄せて、語るところを素直に聴き、温かく生き生きと実感に基づく理解を伝える」、「その関わりを続けることを通して、その人の心の世界に近づく道を学び続ける」 覚悟が大事なんだと話されました。

例えば、初回面談で、クライエントが 「私は薬(ヤク)をやって刑務所に入ったの・・・ 昨日、刑務所から帰ってきたばかり。」 と言ったとき、貴方はどう応えるでしょう?

ここで、先生は 『私』が主語であること、『昨日』とわざわざ言っている事柄とその気持ちを理解しなければならないと言われます。

だから、反応する時は、素直にその部分を受けとめ 「昨日、帰ってきたばかりなの?」 と発音・発声にまで気をつけて温かい気持ちで応じること。

そう、必要なのは 「理論武装」ではなくて「やさしさ」、温かい気持ちの感度を磨くことなのですね。 一所懸命に聴いたつもりでも 「真剣」に聴いていないと、応じたときに 「相手の心に沁みない言葉」になってしまう。

唯々、先生の経験と人間力に深い感銘を受けて帰ってきた充実の一日でした。

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2008年3月 9日 (日)

おしゃべり

Photo 今日は大人の女性3人とランチタイム

というと、何やら濃厚な空気が・・・ と思いきや、レディもこのお年頃になると、そこに異性がいようがいまいが話題が明け透けで遠慮がほとんどありません。

しかも、ほぼ同年代ともなると、親の介護問題とか生活に密着したシリアスな内容が多くなります。でも、不思議と重くなったり、暗くなったりしないのは、彼女等のポジティヴな生き方によるものなのでしょう。

男でも女でも、それなりに人生長くやってると色々あるけれど、男の悩みや課題の多くが仕事関係に集約されるのに対して、女のそれは、家族のこと、親(義理の親も含む)のこと、子どものこと。 その上、最近は、女性の社会進出が進んで仕事のことまで加わるから、今の社会では、質的にはともかく、少なくとも量的には間違いなく女性に対する負荷が増えていますね。

でも、その負荷をプラスと感じるかマイナスと感じるかは本人次第、不安や不満は当然あっても、とにかくじっとしていて情勢が変わることはあまりないから行動してみることが大切と彼女たちは言います。

しかし、この熟女たち、その行動に力みや焦りが見られず、どことなくスロー&ソフト、場合によっては優雅にすら見えるのが、いつも不思議かつ新鮮です。

そう、世の中は、テレビやマスコミで繰り返し宣伝されるように「グローバル社会」には違いない。 だからといって、そこで生活する私たちがスピードと正確性ばかりを求められるのはちょっと違うとKidsは思うのです。

私たちは、それこそ証券マンのように一刻一刻の株価に反応しなければならない日常に居るわけではありません。 必ず相手がいて、相手の思いや状況があって、かつ、相手にだって考える時間が必要です。

タバコを咥えたら、空かさず火が差し出されるなんていう行動を鬱陶しく思わないのはお酒の席だからで、プライベートであれ、ビジネスであれ、いつも先回りして良かれと思う対応を示しても、相手によっては、不快に感じる場合が決して少なくないように思います。

要は、相手の「流れ」に沿うことでしょう。 「KY」じゃないですが、そう説諭している「偉い人」に限って「KY」であることが多く、事態を反って複雑にしてしまう状況が多々あります。

今の日本人の大半は、受動的であれ、能動的であれ、皆「生き急ぎ過ぎ」だとKidsは思います。 力みや焦りを伴った「過剰反応」はストレスフルで、しかも結果的にあまり必要性のないことが多いのに行動を迫られるパターンが多すぎます。

自分の出来る範囲で、自分を信じて悠々と人生を渡る彼女たちを見ていて、"自分もああなりたい" と思いながら、楽しくおしゃべりに興じた午後でした。

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2008年2月29日 (金)

怒り心頭!

Photo Kidsは、障害者が持てる能力を十分に発揮し、健常者と共に職場で働くことは、ノーマライゼーションの理念である成熟した社会のあるべき姿だと考えています。

ゆえに、企業においては、CSRを「企業の社会的責任」と解すよりも「企業の社会的信頼度」と捉え、障害者雇用に前向きに取り組むことが、いかに高邁な企業理念にも増して「良い会社」を表わすバロメーターの一つだと思います。

ところが、現実には、Kidsが勤める会社一つ取ってみても、障害者を「特別なもの」と捉え、”お客様(取引先)が嫌がる” ”人手が取られる” ”生産性が落ちる”等、まるで「忌避すべきもの」のような扱いを受ける場合が多く、その負の条件を改善しようとする努力を怠ってというよりは、最初から「ムリ・ムダ」で済ます気でいるのがありありと分かります。

そして、これは現場の意見に止まりません。

実は、先日、当社の多くの役員で構成される「コンプライアンス委員会」に臨んで思い知らされました。

某役員曰く、”現在、下請けの障害者に外注でやらせている仕事を自社でまかなったら良いんじゃないか?” 又、別の役員曰く、”月に5万円ずつ支払っている負担金がなくなると考えれば、1人工が1.3人工ぐらいになってもいいのではないか?” 担当部長曰く、”でも、実習させても言われたことが出来ないんですよね。 一つ終わると次の指示を待ってるだけで”

要するに、全てが「経費」としての考えにしか行き着かないのです。 これで、企業理念には、「単に収益性を上げるだけではなく、企業もまた社会の一員であるとの視点から『企業の社会的責任』を果たし・・・」なんて書いてあるのだから、呆れて物も言えません。

残念なのは、懸命のネットワーク作りの結果、紹介された良質の障害者(障害等級が軽度で性格も好い)ですら、先の理由で断らなければならない場合の多いこと。

何のために(本人を含め)皆で頑張ってきたのか、もうバカバカしくて、やってやれないから、社長に直談判して、それでもダメならこんな会社辞めてやろうかな!

でも、企業名が公表されて、取引先からも見捨てられ、沈んでいく姿を見たい気も(冷笑)

とにかく、ダメだな、この会社 !!

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2008年2月23日 (土)

利尻島

Photo 我が家のルーツが北海道であると言うことは、父が存命中、なんとなく漏らした言葉から 「ああ、そうなのか」 と思っていましたが、その父も末っ子で詳しいことは知らないらしく、「なんか島らしい」 ということだけが手がかりで、Kidsも特に調べてみようとはしませんでした。

それが、Kidsがちょうど北海道在住中に父の長兄が亡くなり、母からの電話で 「そういえば、伯母さんが伯父さんから聞いた話だっていうけど、利尻だってさ」 ということを聞かされ、「ああ、やっぱりそうか」 という想いが広がってきました。

というのも、20代後半に初めて旅行で利尻島を訪れた時、観光地を巡る合間に町中を行き来するなかで、例えば、会津藩士の墓とか小学校のたたずまいに何か惹かれるものがあって不思議に思った経緯があったからです。

しかし、『「リイ・シリ」(高い・山)のある島』 を開港・通商を求めていたロシアから護るために戦った多くは津軽・南部・仙台・秋田・庄内・会津藩と東北の諸藩で、これが我が家とどう繋がるのかは全くもって分かりません。

一番「らしい」想像は、食い詰め浪人であった我が祖先が出世を求めてこの諸藩の利尻行きにもぐり込んだというくらい(笑)、ご先祖様には申し訳ありませんが、当たらずとも遠からずというところではないでしょうか。まさか、元禄9年(1696)に漂着した8人の朝鮮人の末裔ということでもないでしょうし・・・

さて、その利尻島に今年は母を伴って再訪したいと思っています。だからといって、別段ルーツを巡る旅ではなく、単なる観光ですが、母も今年75歳になったのでいい機会だと考えています。

そこで、行くならやはりベストシーズンということで、いろいろ調べているのですが、夏は高いですね! ホテルなどは通常時の倍以上の料金というところも結構あって、ビンボーなKidsにとっては頭の痛いところです。 日程のことを考えると、格安ツアーとのマッチングもいまいちで、さて、どうするかな。

そういえば、時雨音羽って人をご存知ですか? 利尻島出身の作詞家で、フラック永井の歌った「君恋し」の作詞で有名です。 名前は知っていましたが、まさか利尻島出身とは! 利尻島役場のホームページに載っています。(笑)

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2008年2月14日 (木)

ティ&ファニーで朝食を

Photo_2 今晩、帰宅したらポストに「不在者連絡票」が、早速、連絡して届けてもらった金色の包み紙をウキウキしながらほどいたら、「ん?」 予想していたチョコではない別のものが表われました。

そのジャム風の瓶に入っていたのは、「ミルクジャム~ロイヤルミルクティ」

まあ、ジャムです。 間違いなく

見た目も間違いなくロイヤルミルクティ色。

そして、試しになめてみたら、これが目茶苦茶美味! これは癖になる味です。

しつこくなくて、まったりしていて、大人のフレイバーが鼻をくすぐる感じ。フッ(笑)

見た目が比較的似ているピーナッツバターも好きだけど、何の根拠もなくワンランク上の感じがする。

それにね、フフ(笑)  バーバリーのVD限定ハンカチーフも貰ったもんね。

羨ましいでしょ? でも、実は、「何の根拠もなく」 ひとりで盛り上がるのも大変なんですよ。

ちなみに、今日のVD(バレンタインデー)、Kidsの会社では「虚礼廃止」だそうで、少なくとも、Kidsの目に付く範囲でチョコの姿は一切拝めませんでした。

「3倍返し」がなくて助かりますが・・・ これも何かスッキリしないですね。

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ユニバーサルサービス

Photo 土曜日の落下事故で内転筋を痛めてしまい、結局2日間、会社を休む羽目になってしまいました。

それでも、連休明けに近くの整形外科に行ったら、「骨も問題ないし、内出血もしていないし、それだけやったら普通こんなもんじゃすまないよ。」と言われ、不幸中の幸いと胸を撫で下ろし、だからといって、歩けば痛いので殆ど寝てばかり、普段、時間が有ったら、とことん本でも読んでやろうと思っていたのに・・・読めないものですね。

そして、養生の末、とにかく歩けるようにはなったので、今日から職場復帰。 部長から「滑って転んで・・・じゃ労災のオバさんと一緒だな。」とおちょくられ、「ちゃんと危険予測をしながら注意深く降りたんだい!」と思ったものの、考えてみたら尚更悪いです。(笑)

さて、それはともかく、こうして不自由してみると、いつもと違う視点で物が見えることに気がつきました。

例えば「引力」! 今どき小学生だって、地球が太陽の周りを回っていることやニュートンとりんごの木のエピソードぐらいは知っているけれど、だからといって、大人だって普通実感することはないでしょう。

ところが、たまたま右手に下げていたトートバックを左手で持ったら、左足が地面に引きつけられるのが良く分かりました。 ズーンと重い引力でした。

また、駅の階段の上り下りが辛いので、出来るだけエスカレータ、エレベーターを使っていたら、地下鉄の駅の多くは、ホームから改札口までのエレベーターは有っても、改札口から地上へのエレベーターはないことを知りました。

因って、しかたなく階段を使って壁際を左側通行していると、曲がる度に手すりが右にいったり左にいったりして結構難儀することも分かりました。

なるほど、「人の立場になって」とか「同じ視点に立って」とかいっても、知識や情報として理解しているのと、身を持ってそれを経験するのとは大違いなのですね。

少なくても、今回の怪我でこうしたことが分かったことは、正に「怪我の功名」というか(?)

とても貴重な体験をしました。

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2008年2月10日 (日)

痛っ!

Photo 昨晩、アパートの階段から落ちて足と股の骨を痛めてしまいました。

外階段に屋根が無く、積雪があったので普段より注意していたつもりでしたが、後で考えれば、履物すら北海道とは違うのでもっとゆっくり降りるべきでした。(でも、それでも落ちたかも。母でなくて良かった!)

股の骨というのは、手すりの柵を足と股の間で挟んで止まったというわけです。

とにかく痛くて、胴体と左の股の付け根から先が分かれている感じ。歩けることは歩けるのですが、花魁道中のように足を外側から回さなければダメで、足を真っ直ぐ出して進むことができません。

おかげで、今日の予定は全部キャンセルのうえ、家から一歩も出ずに済ますはめに

寝て、DVDを見て、寝て、本を読んで、寝て、音楽を聴いて、寝て、DVDを見ての繰り返し

「骨休み」にはなったけど、今度は目が疲れてしまって、何も行動しないでいた割りにはグロッキー状態です。

さて、果たして明日は会社に行けるかな? うん、疲れたし(笑)

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2008年2月 9日 (土)

道路財源

Photo インターネットのビジネスサイトになかなか興味深い記事が出ていました。

今が旬の道路財源についてのコラムですが、政府自民党を「戦後のビジネスモデルであり、権力の源泉である道路特定財源を死守したいだけ」とバッサリ、又、返す刀で民主党を「洞爺湖サミットで環境問題を議論する日本が、今年ガソリンを下げましたといって、世界が納得するのか」と切捨てていました。

そして、問題は「ガソリン税などの道路財源が、相変わらず新しい道路に使われていることだ」と言います。 「ガソリンの値下げよりも使い道を変えるべきだ」という主張なのでした。

では、道路財源を何に使うのかと言えば、環境対策であり、その為には、一般道路に流用されている2兆円の道路財源を道路公団の借金返済に充て、高速道路の無料化を実現する。 そして、燃費の向上ならびに道路渋滞の緩和によってガソリンを節約し地球環境に貢献するべきだというのです。

正に慧眼です。 だいたい56年前の臨時措置が、当時の400倍のお金が使われるようになるまで放っておいたのもスゴイし、自民党は、如何に道路にお金がかかるか、どれだけ道路が必要かを力説しますが、私が以前暮らしていた北海道の田舎では、近辺に民家がまったく無く、人よりも動物が通ることが多いので「熊の道」と揶揄される山奥にまで舗装道路が通っていました。 そう、新しい道路はもういらない。少なくても、一般道路と高速道路合わせて年間8兆円の建設費なんている訳はないのです。

でも、ここでKidsはふと考えました。 確かに著者の考えは素晴らしいけれど、政治家や高級官僚の殆どは国立大や有名私大といった最高学府を卒業した秀才ばかりのはず、その誰もがこうした考えに辿り着かなかったのだろうか?

いや、多分、分かっているはずです。

要は、自民党は利権維持、そして、民主党は、耳障りのいいことばかりをアピールしていますが、眼目は選挙対策なのでしょう。

現代は、良くも悪くも「自己責任」が問われる時代です。 私たちもニュース等をよく吟味し、将来に向けて賢い選択をしていかなければなりませんね。

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2008年2月 2日 (土)

歩け、歩け!

Photo 最近、外出の機会が多く、ちょっと遠くまで足を延ばすことがあってよく電車に乗ります。

大抵が初めて行く場所なので、予めインターネットの乗り換え案内を見て出かけるのですが、北海道から帰ってきて驚いたことの一つに、私鉄、地下鉄、JRの相互乗り入れが益々進んで、一昔前には「田舎」だったところが「近郊」となって十分通勤圏内であったりすることがあって、いやぁ、便利になりましたね!

その反面、路線が錯綜して、インターネットでもなければ、地図を片手に目的地にたどり着くなんてわけにはなかなかいきそうにありません。 本来は「都会人」であるはずのKidsにしたところが、結構右往左往して時間をロスしてしまい、残りを翌日回しにしてしまったり。(笑)

特に参ってしまうのが、地下鉄です。 何だってあんなに分かりづらいのでしょう!

改札を出て、階段を降り、他線のプラットホームを通って、階段を上がり、連絡通路を延々と歩いて、又階段を降り(上がり)、乗り換え線の改札へ ・・ ・・ ・・ と思えば、今度は又、反対側のホームへ行くのに階段を下って ・・・ 正に迷路です。

そういえば、先般、視力障害者の外国人女性とお話していて、「視力障害者は音や臭い、触感等を頼りに歩くのですが、慣れてしまえば思うほど大変なことではありません。でも、日本の地下鉄は、ただでさえ歩きづらい上に工事をしていたり、進路が変わってしまうので大変です。」と言っていらして、強く心に残った次第。

健常者にしたって、日頃運動不足のKidsなどは、幹線駅でA線からB線に乗り換えの際に歩かなければならないのあの長~い通路だけで辟易します。 それにしても長過ぎますよね。 しかも無駄な距離を歩かされているような ・・・ すすきの駅から大通駅に続くオーロラタウンより数段長いように感じます。 まあ、仕事でなければ、メタボ解消に良いのでしょうが(笑)

まあ、要は土地の問題なんでしょうね。 好きで地下に鉄道を敷設したわけでもないでしょうから。

それにしても、都会人はよく歩きます。 ちなみにKidsの帯広の友人は、以前、万歩計を付けて測ったところ、平日の平均が400歩。 それが出張で東京に来たら、空港に着いて吉祥寺の事務所に着くまで20,000歩だったそうです! でも、彼は会社の真ん前のコンビニに行くのに車を出す人ですけど・・・(笑)

今はガソリン代の高騰で大変でしょうが、北海道の車社会が懐かしいです。

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2008年1月28日 (月)

空の旅

Photo 実を言うと、Kidsは飛行機があまり得意ではありません。

なぜなら、あんな巨大な鉄の塊が空に浮かぶのが信じられないとか、高所恐怖症であるわけではなくて、ただ非常に居心地が悪いからです。

まず第一に、居住空間が狭過ぎる! 特に3シートのB席なんか最悪です。

スーパーシートにでも乗れば違うのかもしれませんが、いつも価格comあたりで「格安航空券」を買うのが精一杯でノーマルシートしか乗ったことが無いKidsにとって、飛行機の座席というのはシートベルトも含めて「拘束具」としか思えません。

リクライングとて、前の座席でされたときの「大いなる迷惑」を考えると、後ろの座席の方に気の毒で使用する気にもなれないし、気圧のせいで乗るたび必ず耳が痛くなるし、乱気流はエクソシストとしか思えないし、景色だって綺麗なのはたまたま、雲の中に入ってしまえば、富士山に登って土産物屋(休憩所)の屋根しか見えなかった昔の社員旅行を思い出します。

でも、そんなに嫌いならなぜ乗るのかと問われれば、それは至って簡単、ただ速いからです。 だいたい、年間100日程度しか休みのない会社で、休みを有効利用するには飛行機を使うしかありません。

本当は、列車でのんびりと、最低1週間ぐらいかけて旅してみたいのですが、現実はそう甘くないのです。 せいぜい夏場、霧のため釧路発の飛行機が欠航になったのを聞き、帯広にいながら「飛行機が飛ばないから」という理由で会社を休んだ程度、可愛いものです。(笑)

又、最近は空も空港もかなり混雑しているようで、離陸着陸で待たされることしきり、こうなると唯一メリットである「速さ」すら有難味が薄れて、軟禁状態を一刻も早く解除して欲しいと祈るのみ。

やれやれ…何ならいっそのこと自家用戦闘機でも買いますか、トム・クルーズ付きで。

でも、そうなるとトム・クルーズが二人居ることになっちゃうか!(爆)

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2008年1月19日 (土)

氷点下

Photo 今朝、いきなり道東の友人から「水道管が凍った」とメールがありました。 メールによれば、今朝は-26.8℃だということで、いつも通り夜通しストーブをつけていたのに! ということ。

そうかと思えば、帯広のマイミクさんからは、「バスが来たのにドアが開かないあせあせ(飛び散る汗) えっ?まさか故障ですか??って思ってたら、しばれて開かなかっただけでした」 という日記が届きました。

そういえば、暖冬だ地球温暖化の影響だという割には、海外でもグリーンランドに記録的寒波が襲来し、ほぼ全島で氷点下25℃以下、氷の厚さは最大で50センチ。強い北風が吹き付け、「すさまじい寒さ」だとか

北海道については、Kidsも十勝に4年、札幌近郊に5年暮らしていて、十勝では-28℃も経験したので、まあ、寒いは寒いですが、本州とは住宅の造りが違って家の中はぬくぬくだし、車や電車・バスの中は暑いくらいなので大丈夫だろうと想像がつきますが、グリーンランドについては、元からのイメージもあって、聞くだけで 「寒そ~~~っ!」

まあ、北海道で真冬に外で遊んでいるのは、大方本州出身者だと相場が決まっていて、増してや、山奥の山小屋でキャンプファイアーをしたり、フリーフライトで気球を飛ばしたり、氷結した湖面に穴を空け、ウェットスーツを着て潜った「モグラ」が出て来たところをビニールハンマーで叩いたりするのは何処かの馬鹿者だけで(笑)、常識的な北海道人は絶対にやらないから、敢えていえば 「事故には充分お気を付けください」 ということぐらいでしょうか、何せ圧雪アイスバーンで時速60km以上で飛ばす運転者が普通にいるところなので…ここで言ってはマズイのかな?(笑)

ところで、この寒波、来週北海道に遊びに行こうと予定しているKidsへのデモンストレーションなのかも。 でも、神様だって何だって負けないもんね!

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2008年1月16日 (水)

生命力

Photo この土曜日に「マッスルミュージカル」を見に行ってきました。

マッスルミュージカルは、テレビ番組「筋肉番付」等で取り上げられたモンスターボックス(巨大跳び箱)やマウンテンバイクなどのパフォーマンスを元に創られた舞台で、台詞は一切ないけれど、音楽に乗って鍛えられた肉体が躍動する新しいかたちのミュージカルです。

出掛ける直前に見たHPの "筋肉で音を奏でる" というキャッチコピーには多少引きましたが(笑)、見終わった後の感想は、"なるほど…" と納得しました。

人間の肉体というものは、鍛え方次第でここまで強くなるのですね。

さすがに、メンバーはせいぜい30歳ぐらいまでの若者ですが、その圧倒的なパワーと生命力をまざまざと見せ付けられ「口あんぐり」、しかも、見ていて爽快感があり、まるで自分が踊ったり跳んだりしているかのようで、メタボの入口にいる身としては若干息が上がり気味だったかも(笑) これをミュージカルとして興行しようと思った事業センスには素直に脱帽です。

http://www.musclemusical.com/guide/about/concept.html

さて、打って変わって、その翌日の日曜日は、脳梗塞が原因で認知症、さらに脳梗塞腎不全になり、殆ど寝た切りの叔父を見舞いに行って来ました。

叔父は、元々新日本製鉄の前身である八幡製鉄から社命で大学院を卒業させてもらったほどのエリートで、入社後も順調に階段を上り、自他共に近い将来の役員を期待していたようですが、40代半ばで、突然関連会社への出向を言い渡されたのをおそらく契機にその数年後に発病しました。

最初の数年は軽い手足の痺れ程度で、まだ歩くこともでき、しっかりしていましたが、暫く見ない間にすっかり弱って、幼い頃、母親代わりにおぶったり、授業参観にまで行ったというKidsの母には、叔母が "誰が来てくれたの?" と言うと、"姉ちゃん" とはっきり言いますが、甥のKidsは、名前に聞き覚えはあるようですが、分かっているのかどうかよく分かりませんでした。

しかも最近は、何かに苛つくのか、叔母に暴力を振るったり、物を投げたりすると言います。 Kidsたちがいる間にも、会話が途切れた時にテーブルの上にあったカップを手で払うような状態が見られました。

でも、母が "大事な〇〇子さんにそんなことしたらダメよ。 ほら笑ってごらん" というと、顔を引きつらせながら笑う仕草を見せます。 "そうそう、そうしていれば元々良い男なんだから" と言うと、さらに…

そう、そんな叔父でも、まだ、運動能力も知力もあり、生命力はそこにあるのです。

その叔父を預かってくれる病院がなくて困っていると叔母は言います。 さすがに暴力に対しては、これ以上対応しきれない様子です。

老いも若きも違ったかたちの生命(いのち)があり、又、健康な者も病人も、障害者も生命に軽重はないはず。

むしろ、日本そのものの生命こそ末期症状ではないかと思いました。

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2008年1月12日 (土)

サービス

Photo Kidsは、10年前まで延べ約20年デパートで働いていました。

その頃、デパートには3Sという接客に及んでの行動指針があって、それは、「Smile(笑顔)」 「Speed(速さ)」「Sincerity(誠実)」の頭文字3つのSを示したものでした。 又、他にも「さしすせそ」(さわやか、しんせつ、すばやく、せっきゃく、そくじっこう」なんていうものがありました。

ところで、デパートを含む接客業は、一般にサービス業と呼ばれますが、最近仕事でまた、その小売流通業と少なからず関わることになっても、サービス業の基本は昔から何ら変わりはないようです。 三波春夫も言った 「お客様は神様です!」って、あれが未だに幅を利かせています。

しかし、客観的に言えば、当然なことに「お客様は神様」では決してありません。 ゆえに、ご奉仕サービスやおまけのサービスで「ともかく買っていただく」ことが出来たとしても、その事実が「生涯リピータ」になっていただけることを保証するわけではありません。

お客様は、どんなに崇められても「神様」ではないだけに相当我儘です。 まあ、ある程度の我儘は仕方がないにしても、時に傍若無人、コンプライアンス無視を強制される場合すら有ります。

だとすれば、サービスとは、こうした「偽神様」にまで顧客満足を図っていかなければならないのでしょうか?

Kidsは、こう考えます。

①サービス業は、サービスの理念(哲学)を持ち、お客様を選ぶこと

②サービス業は、サービスの理念をスタッフと具体化すること(「コンシェルジェ」の役割強化等)

③サービススタッフは、プロのコミュニケーションでお客様の購買目的と「心」を知ること

④サービススタッフは、知りたい情報、プロの知識(知恵)を伝え、センスと感動を売ること

⑤サービス業は、出来るサービスの限界を知り、お客様のご要望に応じられない場合は「リファー」する(応じられる所をご紹介する)こと 

デパート等、小売販売業にしても、物品販売以外(例えば、ヘアサロン、宿泊業、運送業)のサービス業にしても、サービスセンスの基本は「相手への思いやり」です。だから、常にお客様にとって、お店や自分が何を出来る存在なのかを知り、要望を満たす努力を続けると共に、出来ないことは出来ないとはっきり伝えることが真のサービスだと思います。

他とは抜きん出た斬新、かつエンターテイメント性のあるサービスを提供するためにも、己の領分を守り、徒にお客様に媚びないでその「心」を知り、精一杯お答えするために懸命の努力をしていくことが、本当の「神様」を見つける結果に繋がることでしょう。

何でも子どもの言うことを聞き、与えてやまないママのようなサービスは、お客様の成長のためにも良くないことなのです。

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2008年1月 5日 (土)

初心表明

Photo_2 Kidsの2008年の運勢はかなり良いようです。

おみくじに始まって、易、姓名判断、四柱推命、六星占術、西洋星占術、タロット、風水… インターネットでたまたま見ただけなので、手相は見てもらっていませんが、大方が以下のような感じ。

「積極的に人生を切り開く意欲がわいてくる、2008年のあなた。知らない世界、知らない分野に恐れず飛び込んでいくことが、飛躍のきっかけとなります。生活の基盤が築け、恋愛や趣味などの楽しみも満喫できる充実した一年となるでしょう。」
 
占いは基本的に良い時しか信じないことにしているので、これは信じることにしました。

「知らない世界、知らない分野」というところが、本当に知らないことなのか、それとも、やりたいんだけれども条件が揃わないで足踏みしている未体験の世界なのかは分かりませんが、きっかけを待つのではなく、きっかけを作る働きかけをもっとしていかなくてはいけないですね。

幸い去年から「仲間の輪」がどんどん広がってきて、仕事を除けば興味のあることがどんどん増えています。 本当に「生活の基盤が築け、恋愛や趣味などの楽しみも満喫できる充実した一年」なら嬉しいことこの上もありません。

一方、仕事の方は停滞気味です。

昨日初出社だったのですが、新年の挨拶もなし、正月どうだったというような話題もなし、いつも通りに机に座って与えられた仕事を淡々とこなしてきました。

上の方では、何やら正月から、いつも通り続けざまに「密室会議」をしているようで、「認め印」を貰うことすら出来ない状態。 だからといって、何が決まるわけでも、何の報告がされるでもなし、Kidsの直属の部長は " 馬鹿な考え休むに似たり " とうそぶいています。

普段から情報開示がされず、上位下達で物事を進めていくやり方はアナクロそのもの。 「提案」を出しても、こちらから聞くまで返事すらなく、ビジネスの提案は十中八九却下があって当然ですが、理由がよく分からないで不信感が募るばかりです。

まあ、あまり長くないかな、この会社も

ということで、2008年は、積極的に行動し、「知らない世界、知らない分野」を切り開いていくことに専心したいと思います

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2008年1月 3日 (木)

謹賀新年

Photo 正月そうそうやってしまいました。 メタボ街道一直線、カニ1.5kg完食です!

別に、正月のテレビで、チャンネルを変えても変えても表われるギャル曽根に対抗したわけではありません。

実は、我が家では、正月前から母・次弟が風邪をひいていて、最初は頭が痛い程度だったのが年明けとともに悪化して胃腸に来たらしく、気持ちが悪くて食べたくないといいます。

ところが、冷蔵庫には暮れに買いだめした魚が満杯状態。 マグロにサーモン、タコにしめ鯖、そしてカニ!

いくら冷蔵庫に入れてあるとはいえ、鮮度的にもそんなに持つものでもなし、増してや、魚担当の4番打者Kidsはピンピンしているので、末弟と処理してしまえと豪華に盛り付けてしまいました。

しかし、想定外のことが判明。 他の魚はともかく、末弟はカニがあまり得意でなく、その殆どがKidsに回ってくる事態になり

まあ、カニはKidsの大好物ですから、これ幸いとばかり、嬉々としてかぶりつき始めたのですが、さすがに独りで1.5kgはきつ過ぎます。

よって、途中何度も棄権しようと思ったのですが、その都度、今日の大学駅伝を思い出しながら、ここで負けたらこれから先悔いが残ると我が身を励まし、ついに完食!

早速、大田胃酸と三共胃腸薬をちゃんぽんで飲んで、こたつの脇に丸まりました。

この苦しさと幸せが入り混じったこの感じは正に人生そのものです。(笑) 初夢の二日目は、朝日の昇る海原をマグロとカニが舞い踊る夢に違いありません。

なんて言いつつ、その数時間後には、ハーゲンダッツの新作とコーヒーを3杯もお替りして飲んでいるKidsって、言うなればメタボの権化というか、 「でも、そんなの関係ねぇ~!」って「どんだけ~!」(笑)

一発で沈む恐れの高いKidsでした。

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2007年12月30日 (日)

お正月の準備

Photo 今日は休みの日なのに、さっさと起きて " いざ、お買物 " です!

そう、正月の準備、行き先は松原商店街。

松原商店街は「浜のアメ横」と呼ばれ、とにかく安くて有名な商店街です。 昭和27年に「松原安売り商店街」として発足し、戦後の物資が不足していた時代から安売りをモットーにしてきたそうです。

松原商店街は他の商店街とかなり違っています。 まずはアーケードが無く、お店が十字路のような感じで並んでいること。

看板のある店がかなり少ないこと。 道の真ん中辺りまで地べたに商品を並べているお店。 十字路の交差点の所にある八百屋では、空き箱になったダンボールをそのままビニールテントの上に放り投げて乗せていてその数20個~30個。

店頭で商品を煮たり焼いたりしながら売っているお店が多いこと。 おでん、焼き鳥、焼き豚、焼き芋、おからの煮付け等々。

麺(そば、うどん、蒸し麺、ラーメン…)だけ売っているお店、味噌の量り売りなど、昔懐かしのお店。

そして魚幸、「魚幸水産」は、毎日「マグロの解体ショー」をやっていることから、この商店街で最も有名なお店です。 しかも激安!

又、そういう「商店」に混じって、今様のお店もあります。 薬のチェーン店「HAC」、100円ショップ「ダイソー」、元祖10円まんじゅうの和ふ庵、パン・ケーキ店「BELLBE(ベルベ)、小さいながらもマルセンというスーパーもあって、このスーパーでレジに人が千切れるのを未だかつて見たことがありません。

要するに、庶民的というか雑然としているというか、それでいて活気があって… だから「浜のアメ横」なんですね!

聞くところによると、松原商店街では、平日でも平均20,000人弱の買物客が訪れるとか。 この間はTBSの安住アナが取材でうろついていました。

土日ともなれば、マイカー客でごった返し、しかも、駐車場が少ないため、幹線道路にまで違法駐車の車が並んで取締りの対象となっています。

さて、なんか買物の話をする予定が松原商店街の話になってしまいましたが、先にお伝えした通り、この商店街はKidsの「家の前」にあるので、極端に言えば、料理の途中で忘れた物に気が付いて「ちょっと行ってくる!」と走っても間に合う程度なのです。 だから、本当はわざわざ「お買物」でもない…

しかし、例年この時期は、行く時間によっては歩く隙間さえなくなってしまうので、良い物を手に入れるためには早く出かける必要があるのですね。

よって、早起きの〇〇文の得(戦利品)をしっかり得て(魚幸とは違ったさかな屋―人知れぬ名店 でしっかりマグロやカニを仕入れて←教えない!)ホクホク顔で帰ってきました。

いよいよ明日は大晦日、そしてもう一日寝るとお正月です。

皆さん、今年はお世話になりました。良いお年をお過ごしください。(ちなみにKidsはいいお歳です)

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2007年12月29日 (土)

消化試合

Photo 年末の仕事は野球の消化試合にちょっと似ていますね。

勿論、サービス業の方とか、世の中の休みの時に限って忙しく働かなくてはならない人もいて、うちもサービス業なのですが、内勤の管理部門は、多くの会社が通常の業務を休んでいるこの時期に殆ど急いでやる仕事も無く、増してや、大掃除を済ませた後では意欲も湧かず、営業時間だから、少ない「観客」の為にそれなりの仕事はしますが、「タイトル(報酬)」もかかってなければ、熱意は知れたものでしょう。

さて、そんな中、やたらとテンションの高い上級管理職が二人、「オーナーの息子で球団副社長」と「取締役スカウト部長」が、この期に及んで「何でうちにはいい人材が集まらないのか?」と、スカウト担当たちにまるで責が有るかのような「イジメ」をしていました。

だけど、なんたって契約金や年棒が他社に劣るうえ、「トレーニングセンター」も「保養所」も無し、「マッサージ」は自腹、おまけに、ろくなコーチもいないので、折角新人が入っても、才能を開花できずに辞めていく、だったら、そんな球団(会社)誰が選びますか? 何度も足を運ばれた学校だって迷惑なだけです。

そう、超高校級スラッガーやエースを取りたいと思ったら、少なくともお金以外に「相手に期待する熱いメッセージをどれだけ継続的に伝えていくか」ということに尽きます。 それには「会社の品格」をもっと高めなければ無理ですね。

まあ、今年のドラフトは粗方結果が出たことだし、今いる選手の契約更改にどれだけの提示が出来るか考えた方がいいのではないでしょうか。

ともかく、仕事納めの日に今の現状にイライラするより、いい初夢が見られるように「善行」に励むべきでしょう。

それにしても、ライフワークバランスって知らないのかね、この人たち?

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2007年12月24日 (月)

2007年 雑感

Deai 今年は、1月に失職し、5月にビルメン会社の人事に再就職しました。

5月にCDA試験に合格し、8月~10月にCDA養成講座のアシスタントを務めました。

10月に障害者職業生活相談員となり、障害者支援に携わり始めました。

これまで、毎年、年の瀬にその1年を振り返っては、溜息をつくことが多かったけど、この歳になってようやく、軸がブレなくなってきたような気がしています。

そう、キーワードは「人材支援」、そう言うとなんか格好いいですが、要は、他人との関わりの中に生きがいを感じる自分を見出した年でした。

まだまだ未熟で勉強することは多いけど、その勉強が苦痛(負担)ではなく楽しみ(意義)に感じています。

その理由の一番は、「師」を得たこと。 偶然の出会いがプランドハプンタンスだったことを実感。

二番目は、「仲間」が出来たこと。 それも自分にとって都合のいい「仲間」ではなく、特に相反する意見を戦わせても、結果的に自らを成長させてくれる仲間を見つけたこと。

三番目は、「自分は自分でしかない」ことを知ったこと。 だから、もう無理をして他人に合わせることはしない。 人間の多様性を理解しても、その全部と付き合えるわけではない。 Kidsのフィールドから外れている相手は「リファー」してしまう。(笑)

ということで、後は老後を共にしてくれる「親友」を探すことでしょうか?

これだけは、プランドハプンタンスに期待しても「遅きに失す」ことになりそうですね。

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2007年12月22日 (土)

品格

Photo 藤原正彦氏の「国家の品格」以来、数匹目のドジョウを狙ってか「〇〇の品格」というタイトルの本が毎月のように書店の店頭を飾っています。

坂東眞理子氏の大ベストセラー「女性の品格」、その続編(?)「親の品格」、小笹芳央氏の「会社の品格」、「男の品格」、「父親の品格」、「子どもの品格」 等々

中には、明らかに「数匹目のドジョウ」というのもあるようですが、その多くは「良書」で、これらの良書がベストセラーになるということは、その内容に共鳴、あるいは少なくとも関心がある日本人が多くいるということでしょう。 " 日本人もまだまだ捨てたものでない!" と意を強くしました。

しかし、日本人個々のレベルやその思いはともかく、日本社会は確実に病んでいますね。

つい先日、日本産業カウンセラー協会のアンケート調査で、「職場のいじめ」、パワーハラスメント(職権を背景とした嫌がらせ)が最も多く、8割近くに上ったという発表がありましたが、「子供のいじめが社会問題となっているが、大人社会も陰湿と言わざるを得ない。企業はまず実態を把握する努力が必要」というコメントに " 何を今さら! " と思ったサラリーマン(サラリーウーマン)も多いのではないかと思います。

Kidsの職場? 勿論有りますよ!(笑) 職位と職権がイコールだと思っている人間はどこの会社でもいるだろうと想像していますが、皆さんの会社では如何でしょうか?

「ののしる」・「怒鳴る」・「威嚇する」・「無視する」・「仲間はずれ」・「嫌がらせ」・「評価に反映させる」・・・など、さすがにトップはあまりしないと思いますが、その下あるいはそのさらに下あたりに「勘違い」が多いですね。

しかし、この10月には、パワハラ自殺を労災と認定する初の判決が東京地裁で出ていることだし、近い将来に「容疑者」は「殺人者」と変容して裁きを受けることになるかもしれません。

反論としては、「パワハラの相談が増えた一番の原因は雇用の形態や職場環境の変化、即ち、バブル崩壊後に進んだリストラと成果主義の導入により、削られた人員で結果を求められる職場環境が生まれたため、パワハラが増えている」、「10年前は上下関係にも余裕があった。でも仕事が質、量ともにアップし、ミスも許されない。上司と部下、双方に余裕がなくなっている」と言いますが、だからと言って「どの企業にも起こりうる問題」として片付けられるのも今のうちでしょう。

かつては精神的な問題を社員が抱えると「あいつは弱い」のひと言で切り捨てられましたが、まともな企業では、今は上司や社内環境に問題があることに気付き始めていて、一度問題になると、マスコミにも取り上げられ、賠償金の請求やイメージの低下など、企業の受ける打撃も大きいこと、又、何よりも、パワハラで有能な人材を失うことになれば、会社の経営にも直接響くことから対策を講じようとしています。

まともでない会社(笑)にも、今後、波及していくことでしょう。 そして、それを推進するには、我々も一人ひとりが「品格を意識」していても仕方がない。 その「品格を示す」行動を取ること、そうでないと、単なる自己満足で終わってしまいます。 「単なる自己満足」では「品格がある」とは言えませんね。

さて、話は変わりますが、いよいよ暮れも押し迫ってきました。 いろいろ楽しいイベントも多いことでしょうが、くれぐれも「品格を失わない」ようにご注意ください。

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2007年12月15日 (土)

名曲喫茶

Photo ふと入った本屋で、「東京クラシック地図」という本を見つけました。

手に取ってながめて見ると、これが実にマニアの心をくすぐる代物!

だって、ちなみに目次を列記してみると、第一章「誘い」~クラシックライフ道案内、第二章「憩う」~名曲が流れる隠れ家案内、第三章「巡る」~手始めの音楽ホール案内、第四章「こだわる」~至高のクラシック音楽専門店案内、 どうです?クラシックファンの皆さん、欲しくなりませんか?

早速、購入して、ドトールでコーヒーを啜りながらページをめくること暫し、" 名曲喫茶なんて、まだ、こんなに有ったんだ! " と意を強くして、早速、会社の帰りに行ってきました !!

店の名は「ライオン」、場所は渋谷の道玄坂2丁目。 正直言って、周りは風俗店やラブホテルなど、あんまり風紀がよろしい環境とは思いませんが、なぜ、ここに「名曲喫茶」と考えれば、おそらく、これは、どちらが先にあったかという関係でしょう。

さて、その「ライオン」、歴史の重みを感じさせるヨーロッパ風の一軒家。 店内に足を踏み入れれば、ここが平成の渋谷とは到底思えない異空間で、コンサートホールのステージのように店奥にスピーカが鎮座し、2階まで吹き抜けの空間に収まって、1、2階の全てスピーカーに向いた座席(いにしえの映画館風)を睥睨しているかの様。

店内は暗めで、天井にはシャンデリアが吊るされていますが、これが又レトロで、「照明」というよりは「雰囲気作り」の効果大です。

そして、1階にも3人しかお客さんはいませんでしたが、どうせならと2階の吹き抜けに近い席に座ってコーヒーを注文しました。 1杯 500円也。 ブラームスのヴァイオリンソナタが聞こえていました。

「ライオン」では、毎日15時、19時に「レコードコンサート」が催されているそうです。 この日は、たまたまジョン・フィールドのノクターン集、ショパンに影響を与えたという美しいノクターンを聴きながら、1時間ばかりゆったり(時々うとうと)して来ました。

ところで、ちょっとビックリ、というか、少しばかり感動したのが、この日この時間、確かに全店合わせても数人しかお客さんは入っていなかったものの、音楽以外、何の音も聴こえてきませんでした。(コーヒーを啜る音すら聞こえない) 名曲喫茶って、どこでもこうなんでしょうかね?

ということで、ちょっとした「昭和ツアー」を体験しましたが、これもなかなかのもの。 特に、クラシックにあまり関心のない友人や地方から遊びに来た知人を連れてきたら、後々まで話題になりそう。 今度は、阿佐ヶ谷、高円寺、吉祥寺等にも足を延ばしてみようかな!

ところで、「名曲喫茶」って呼び方、歴史の重みは感じるけれど、「ジャズ喫茶」に比べると大分マイナーな印象なのはKidsだけでしょうか?

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2007年12月 9日 (日)

人身事故

Photo_3 Kidsは、横浜から東横線・渋谷で半蔵門線に乗り継ぎ、半蔵門の会社に通勤していますが、この1週間、「人身事故」で電車が遅れるアナウンスを聞かない日は有りません。

年の暮れという時期的なものもあるのでしょうが、この「人身事故」ラッシュは、些か異常に感じます。

そこで、ここ2年間の「鉄道事故発生状況」を調べてみました。

  2006 2007
1月 78 65
2月 47 51
3月 49 69
4月 63 64
5月 45 89
6月 61 67
7月 67 84
8月 53 78
9月 63 74
10月 76 64
11月 78 91
12月 78  
758 796

明らかに増えています。 特に、5月と夏場(7~8月)、そして、11月、多分12月も…

まあ、「人身事故」といっても、「列車にはねられて死亡」というだけの発表しかないのが殆どなので、これが自殺なのか事故なのかはっきりしないのですが、ホームの乗客が故意でなく転落事故や接触事故に遭ったのならニュースになるので、多分、自殺でしょう。

" 迷惑この上ない! " と言いたいところですが、同時に、こうしたニュースに対し、「遅れる」ことにだけに意識を向けて、消極的にしろ肯定的に捉えながら通勤する日本人にKidsはある不気味さを感じています。

私たちは、こういう人たちを殺してしまう日本に生活しているってことなのに、誰も不思議に思ったり、憤りを感じたりしないのでしょうか?

自殺者は、確かに「弱虫」でしょうが、運もあります。 でたらめな会社にはいると、人並みの能力があっても自殺に追い込まれるケースも往往にあり、これまで「サラリーマンの悲哀」を数多く見てきたKidsにはある程度理解できます。

それとも、自分だけは競争に打ち勝って、会社にたくさん儲けさせて、いっぱい税金を払いたいという人が殆どなのか、通勤シーンを見ていると、そんなうがった見方もしたくなります。それとも、皆「冷静なおとな」なのかもしれませんね。

ところで、その自殺が若い人よりも中高年男性が多いことは、最近マスコミ等で伝えられたこともあって結構知られていますが、こういった中高年男性の自殺にはある傾向があるそうです。

それは、成功率が高いこと。 若い人のように未遂に終わる事はまずないそうです。

そして、精神科医やカウンセラーに相談する率が諸外国の男性に比べて極めて低い。 事前に友人や家族などに相談することもほとんどないそうです。

つまり、日本の男達は誰にも相談せず、悩みを全て自分で抱え込んだまま、死を選ぶ。 しかも確実に死ぬ。 孤独なことです。

そして、平成9年から平成10年にかけて急に増えてきた自殺者の内訳は、無職者と被雇用者が非常に多い。つまり失業者と何かを苦にしたサラリーマンが電車に飛び込んでいるようです。知人が言っていましたが、「今日電車に飛び込んだ人は明日の自分かもしれない

それでも " 人の迷惑を考えろ! " と批判する人はいるでしょう。当然ですが…。

しかし、「飛び込み」を実行する人は、" もう、これ以上、他人に迷惑をかけられない " から死ぬのであって、だから、一瞬で死ぬ可能性が高い手段を選んだとは考えられないでしょうか?

Kidsは、決して、鉄道自殺を擁護するわけではありません。 ただ、あまりに周囲が無感動かつ無関心なのに危機感を感じています。

最近読んだ本に「人は感情から老化する」という本がありましたが、若干論点は違うものの、この観点から見ると、日本人は年齢に関係なく皆老化の一途をたどっているような感じがしてなりません。

もはや戦後ではありません。 人も企業も国も「強さよりも善さが求められる時代が来た」のではないかと思います。

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2007年12月 2日 (日)

自己防衛

Photo_2 最近、仕事が忙しく、寝る時間を確保するのが精一杯な中、親戚を一人殺して(笑)ピアノのコンサートに行ってきました。

結論、すごく良かった! コンサートの内容については、 《 CDフリーク 》 を参照していただくことにして、人間やはり適度な息抜きが必要ですね。

と言うのも、ここのところ、日々緊張の仕放しで天張っていて、イライラはするし、皆がそうだから、職場がキスギスして鬱陶しい毎日だったのです。

体調も悪いし、だからといって帰るわけにもいかないし、従って、時折、どこかの部署で人が病気になったり死んだりするわけですが(爆)

というのも、今の会社は、昔と違って、数字や効率性を重視するあまり、限られた人数の従業員に過度な労働を強いる傾向にあります。

しかも、給与に「家族手当」や「住居手当」、その他が無くなってきていることから分かる通り、個人的あるいは家庭的な事情などは " そんなの関係な~い! " とばかりに人間関係が希薄になったので、従業員自らが「自己防衛」する必要があるわけです。

冗談ではなく、あなたが万一、大病を患ったら、一般の会社ならば、公休が無くなれば給与は支払われません。

しかも、ようやく直って出勤したら、座るところが無かったとか、そこまで露骨でなくとも、仕事の内容が変わって、心理的に追い詰められていってしまった多くの事例が見てきました。そう、「会社が守ってくれる」なんていうのは、もはや完全な幻想です。

会社には、休んだ間の「代わりの人」などいくらでもいます。 何故なら、代替わりできる人材を育てておくことは、会社のリスク管理の一つだし、第一、そんなに高度かつ重要な仕事に携わっている人間なんて、世の中にどれほどいるのでしょうか

そう、「自己防衛」は必要悪というか…、  「悪」なのかな???

それを「悪」と言うならば、むしろ、キャリアという概念が、「仕事」から「人生」にシフトしてきている時代に、会社が成果や効率性だけを追求する姿勢を取り続けることが大いに問題だと思うのです。 

企業は、その社会的使命について、もっと真剣に考えるべきだと思うのはKidsだけでしょうか? 

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2007年11月21日 (水)

みんなちがって、みんないい

Photo 昨日今日、二日間にわたり、終日「障害者職業生活相談員」の認定講習を受けました。

障害者の促進等に関する法律第79条の規定で、企業にあっては、5人以上の障害者を雇用する場合に「障害者職業生活相談員」の選任届出が必要です。

しかし、Kidsの会社では、これまでこの選任届出がなされていませんでした。

ところが、近年、障害者雇用が、誰もが職業を通して社会参加できる「共生社会」の実現に向けての一施策として重要視されるに至って、法定雇用率を達成していない企業への指導が強化され、取組みの遅れている当社に対して改善が求められる状況となりました。

こうした事態を受けて、当社もコンプライアンスの観点から「やらなければならないことは、やってないとまずいだろう」ということで受講することになったわけです。

でも、Kidsは、正直言って、とても複雑な気持ちです。

というのは、「やらなければならないことは、やってないとまずいだろう」というのは、「怒られるから宿題をしなければ…」という学生と同じで極めて消極的な態度だからです。

しかも、「障害者の雇入れ」にあたって、採用方針すら殆ど決定せずに「数さえ満たせばいい」と求人票を出し、「お客さんをお迎えする」式のやり方に反感すら感じます。

障害者であっても、企業が従業員を募集するということは、一緒に働く仲間(スタッフ)を求めることで、大げさに言えば、その人生に関わるということだと思うのです。

もちろん、健常者に比べて、特殊な事情を斟酌しなければならない点はあります。 しかし、少なくとも、就業可能な障害者は「健常な障害者」と認識すべきでしょう。

インフルエンザにかかってもいなければ、胃が痛いわけでもない。 疾病と障害は別物です。 障害は「個性」と考えて協働していくのが理想です。

この点、さすがに、法定雇用率を達成している企業は考え方、取り組み方が違います。

採用を入口とすれば、社会的な自己意識を触発するプログラム(教育・訓練)から職業リハビリテーション(カウンセリング)まで、トータル的に障害者が社会生活が出来るような施策を持ち、健常者と同じように会社の中でレベルアップしていくことができるような取組みをしている会社もあります。(大企業に限りません)

要はやはりマインドですね。 Kidsは、効率性ですら最終的にはその職場全体をリードするマインドによって決まると思います。

そのマインドで、「みんなちがって、みんないい」社会にしたいものです。

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2007年11月 4日 (日)

休日出勤

Photo 会社で「新人事制度」の運用が始まって、実施のための諸々の作業に追われて休日出勤しました。

本当はゆっくり休みたいのですが… 最近、体調が悪いのことだし

しかし、止むを得ません。 部下の女性たちが出てくるのに上司が休んでいるわけにもいかないし、第一、これ以上、仕事が溜まると職場放棄したくなりそうです。(笑)

そこで、出勤してみると、居るのは人事のみ。 でも、案の定、本部長殿はいませんでした。

まあ、「スワンの馬鹿」の課長(上川隆也の上司)みたいなものですから、居ない方が仕事がはかどるので、反ってありがたいというのはありますが、平役員でテレビの課長とは比べ物にならないくらい偉そうなくせに、部下の思いは全く読めないのですね。

でも、お蔭で、仕事は普段より格段に進みました。 部内のコミュニケーションもスムーズで、特に、女性スタッフは、優秀かつ頑張り屋が揃っていて頭が下がる思いです。

Kidsも、何だか夢中で、昼食も忘れて16時頃までPCに向かっていました。

それでも、さすがに休日を丸々潰すのは嫌になって、途中で止めて引き上げてきましたが、帰りにスパに寄って寝てきたにも関わらず、疲労度は増すばかりです。

何だか健康診断のレッドカードが気になりますが、平日に病院に行く閑はなく、あと少し頑張れば… と日延べする一方。

メンタル面が充実しているのは救いですが、そろそろヤバそうなので、考えなければいけませんね。

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2007年10月28日 (日)

出張

Photo 11月1日から適用する「新人事制度」の内容が役員会で承認されたのを受けて、全国各地の事業所で勤務する従業員にその内容を説明する目的で出張が続いています。

昔は出張に憧れていました。 若い頃、リゲインのCM「24時間働けますか !?」を見て育ったこともあり、出張する人=エリート みたいな感じがして、特に、海外出張に及んでは、「海外雄飛」の「雄」が猛々しく、「いつかは…」と密かに燃える思いがあったものです。

今でも多少そういう気持ちは残っていますが、それよりもデスク仕事から解放される嬉しさ(上司から、訳の分からない面倒な仕事を押し付けられずに済む)の方が強く、しかし、帰った後にやらなければならない仕事が山積している場合には、勘弁して欲しいこともあります。

もう一つ、出張時のデメリットとしては、最近、「さすがに若くないなぁ!」と感じることに、乗り物の移動がかったるいということがあります。 空港は勿論、この頃は電車のホームに行くにもエレベーターを設置したり、スロープやバリアフリーを設けたりしていますが、そこに行くまでの動線が考えられていなかったり、エスカレータを駆け上がる人たちの起てる「振動」に疲れてしまいます。

そうそう、エスカレーターと言えば、一昨日の出張で、大阪では、エスカレーターに乗る人は右に寄って乗り、エスカレーターを駆ける人は左を通ることを知りました。 東京と全く逆です。 ちなみに、外国ではどうなんでしょうね?

まあ、そのことはともかく、日帰り出張で短時間の滞在であっても、日頃馴染みのない土地に行けるのは、いくつかの新たな発見があって、ちょっとした楽しみでもあります。

その土地の事業所に勤める、これまで会ったこともない従業員との対話も、利害関係の殆どない間柄にあってはなかなか好いもので、結構打ち解けたりするものです。

こうしてみると、サラリーマンを元気づけたり、疲れさせる源の多くは、仕事ではなく「人」であることに気付かされます。 前から感じていることは、日本人は結構「エゴイスチック」ですね。 欧米人の「ドライ」とは角度が違うように思うのですが…

さて、明日は北海道行です。 大好きな北海道! でも、遊んでいるヒマは無さそうです。(泣) 仕事じゃ仕方ないですね。

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2007年10月21日 (日)

近況

Photo 2夜連続で映画のレイトショーに行きました。 小さな映画館で、テレビのCFで宣伝している映画ではないせいか比較的空いていて、ゆっくり見られました。

急に休日出勤となり、出勤前に予てから決まっていたCDAの勉強会に参加、その後、会社で18時まで仕事をしました。 普段、全く違う仕事をしている「志が同じ仲間」と居る方が、同じ会社で働いている「志が異なる社員」と過ごすよりも寛げます。

会社の定期診断の結果が出て、肝臓の判定がG評価。 最近、疲れやすいので、又、肝臓が悪いんじゃないかとは思っていたけど、予想以上に悪い結果。 普段、お酒は殆ど飲まないのでストレス…なのかもしれません。

急に寒くなってきて、風呂が有り難い季節となりました。 でも、家の狭くて寒い風呂場はどうも好きでなく、とはいえ、遠くに出かけて湯冷めするのも嫌なのでジレンマに陥っています。 北海道のほんの少し走れば温泉!という環境が懐かしいです。

明日は会社で「新人事制度模擬説明会」。 今週以降、各地で「従業員説明会」を開催するにあたって、"説明者がKidsで大丈夫か" ということで、役員の前で説明させられるらしいです。 そこで、明日、よんどころのない事情で休む部長が心配して 「大丈夫か?」 Kidsが 「どうせ人事の何をも知らない年寄り相手でしょう!?」 と返事をすると 「違いない」と笑っていました。

どうも薄給のうえ経済観念があまりないせいか、毎月20日前後は金欠病気味。 テレビで、目茶苦茶美味しいけれど量がちょっとしかないそば屋を見て、鼻で笑ってしまいました。

とにかく始終眠いので、冬眠したいです。

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2007年10月14日 (日)

組織変更

Photo_2 10月1日付で組織変更があり、5月に入社したばかりのK管理本部長が、人事総務本部長に横滑りしてきました。

K本部長は、S銀行の出身で、上場申請のための補強要員だったのが、会社が、いくつかの理由で上場を取り下げたため、前会社で営業の取締役の経験があるI本部長を営業に回しての異動のようです。

又、それとともに、経営企画部がなくなり、I専務が副社長となって、人事総務部・財務経理部のある6階へ来られました。

と、ここまでは、どこの会社にもある異動の話。

問題は、前述のK本部長が、I副社長の薫陶よろしく、仕事の訳のわからない部分に口を挿んでくること。 具体的に言えば、決定事項の方針変更、他部門の管轄である業務の請負い等。 しかも、自分では何もせず、部下に下ろすだけ。

そう、I副社長は社長の御曹司、ヤングエクゼクティブで将来の社長だから、言うことに反対を唱えるのはタブー。 従って、K本部長の仕事は「提灯持ち」なのです。

ところが、一方、現場は堪ったものではありません。Kidsの上司のS部長は、すっかり嫌気がさしたようで、最近体調が今ひとつだったことにかこつけて、すぐ居なくなってしまうようになりました。

Kidsも、このままでは、ただでさえ新人事制度への移行で忙しい中、余計なことまで背負わされてしまいそうで、どう避けるか検討中です。

まあ、理由があれば、やれと言われたことを引き受けるのに躊躇はありませんが、実は、先のヤンエグが、虎の威を借るバカ息子で、しかも、自分に地位相当の実力が備わっていると思い込んでいる様子。

でも、考えてみたら、そうさせておくような体制にした社長がバカなのかもしれないですね。

しかし、日本のサラリーマンってやつは、仕事の中身で悩むよりは、こうした理不尽な重圧で悩む方が、数段多いような気がします。 これが「格差」のもたらすストレスなんでしょう。

余分なエネルギーを費消しないよう淡々とやることにします。

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2007年10月13日 (土)

また、札幌行

Photo_3 CDA講座が終了し、アシスタントの仕事もなくなって、翌朝から札幌へ遊びに行ってきました。

しかし、CDA講座の「打ち上げ会」はすごかった!

二次会なんかは、"盛り上がった" なんていう言葉が慎ましく感じるほどで、"飲めや歌え踊れ" と竜宮城での宴もかくもあるかなと言わんばかり、ちょっと顔出すつもりが、結局、家に戻ったのは翌朝3時頃。

それで、羽田発7時の飛行機だから・・・、なんとか乗れたのはいいけれど、座ったとたんに爆睡しました。 従って、緊急時のシートベルト云々のアナウンスも機内サービスも受けずじまい。 目が覚めたら千歳空港でした。(笑)

そして、札幌に移動。 「彼女」(←見得はっている!)と待ち合わせの場所へ。

後は、映画にショッピング、温泉、カラオケ、ボウリング、寿司、ラーメン、スープカレー、イタリアンと大いに札幌を満喫してきました。

そんな中、特に印象に残ったところをいくつか述べると

先ず、映画では『クローズト・ノート』、『犯人に告ぐ』・『虚貌』等、ミステリー物が多い雫井 脩介氏の恋愛小説が原作ですが、氏のファンなのに、なぜかこの作品には食指が伸びず未読でした。(推理作家の恋愛物はどうも・・・という感覚があります)

まあ、それでも、相方が見たいと言ったわけで。そう言えば、この映画、例の沢尻エリカの「別にぃ」発言で話題になったから、少々興味があり、「まあ、いいか」とばかり見てみたというところ・・・

なかなか良かったです。 特に君代ちゃん、最近の子役は皆上手ですね。 それから先生役の竹内結子、昔と違って「ふっくら感」は減ったけど、癒し系であることに変わりはなく、特に、今回の役は適役だと思います。 ストーリーは途中で分かってしまったけど、結構いい映画だと思いました。

それから、札幌ラーメンの話。

Photo_5ラーメンは大好きで、札幌のラーメンも、北海道時代に何度も食べましたが、「北海道ウォーカー」のラーメン特集を見て、ランキング順に食べに行っても、まあ美味しいことは美味しいんだけれど・・・程度。 もしかすると、横浜の「シティボーイ」(笑)は北海道人と味覚が違うのかとも思ったりしていました。

でも、この店は違いました! 『麺屋 三四郎』(中央区南8条西13丁目)。 これは美味い! 今回、我々が食べたのは「塩」でしたが(「限定潮」・「限定しょうゆ」は残念ながら売り切れ)、「限定」がつかなくても十分美味い! 手放しで絶賛できる味でした。 あるとこにはあるんだなぁ、私的ランキング一位決定!

続いて、また、食べ物の話。 今度は大好物のスープカレーです。

今回訪れたのは「ベンベラ・ネットワーク・カンパニー」(中央区南2条西7丁目)。 超人気店で、狸小路西7丁目の東側入口近くという立地もあって、相方に聞くと "早く行かないとスープ切れ" ということが多いそう。

そのスープは、「エピローグ」(旧インドネシア風)、「プロローグ」(旧スリランカ風)、その中間の「エピローグプラスP」とあって、今回、選んだのはプロローグの「ラム野菜」。 プロローグのスープは若干酸味があるけれど、まあ合格点。 でも、ラム肉に下味が付いていて、それがかなり強く、スープの味を損なっている感じがしました。 ちなみに、相方の「チキン野菜」の方が美味しかったです。

さて、滞在記はまだまだ続きます。 ですが、大分長くなって、かつ、今後の話題が尽きるといけないので、続きは次回にしたいと思います。

こうご期待(してないかも・・・)

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2007年9月30日 (日)

感情の共有

Photo Kidsは「人付き合い」が苦にならないタイプです。

外交的とはいえないまでも誰とでも話せるし、話題もそこそこ豊富だし、その状況に応じた展開も図れるし、ゆえに、他人からは "コミュニケーション能力がある" といわれ、自分でもそう思っていました。

確かに、「コミュニケーション能力」を言語学的側面に限っていえば、CanaleとSweinのいう「文法的能力…文法的に正しい文を用いる能力」・「談話能力…意味のある談話や文脈を理解し、作り出す能力」・「社会言語能力…社会的な文脈を判断して、状況に応じて適切な表現を行う能力」・「方略的言語能力…コミュニケーションの目的達成のための対処能力」はそれなりにある方でしょう。

しかし、最近、キャリアカウンセリングを学びコーチングをかじる中で、コミュニケーションとは言語能力だけでないということ、即ち、"コミュニケーションを単なる情報や知識のやりとりではなく、同時に感情の分かち合いと意識すること" と知るに至り、コミュニケーション能力不足を痛感して、感情面に焦点を当てるようになりました。

ところが、これはなかなか難しいことです。 というのも、人は良かれ悪しかれ感情を抑制して社会生活を行っています。 従って、家族の中でも上手くいかない「感情の共有」を他人との間で形成しようと思えば一層困難なわけです。

でも、「感情の共有」は大切なことだと思います。 今の日本社会で生じている数々の「ひずみ」も、インフラの整備だけでなく「感情の共有」が出来なければ解決できないでしょう。

そういう意味で、最近、特に危惧している問題があります。 それは、この頃、学校や企業で頓に行われるようになったディベート形式の訓練です。

Kidsは、欧米の「論理的コミュニケーション能力」の養成をベースとしたディベート形式の訓練は日本人に馴染まないと考えています。 それは、特に、「個の社会」として成熟していない日本で、「個」にコミュニケーションをテクニックと捉え、論理至上の思い込みを生み、相手の言いたいことを本当に理解せず、相手の揚げ足取りをしたり、弱点を攻め立てたり、論理をすりかえる習慣がつけてまうと思うからです。

世の中は「言い負かし」では成り立ちません。 そのようなスキルが役立つのは裁判ぐらいであり、後はトラブルになるだけです。 又は、トラブルまで発展しないまでも、「火種」としてコミュニケーションの阻害要因となります。 そして、このことが新たな「ひずみ」を生むことに疑う余地はありません。

「個」それぞれがコミュニケーションの重要性を意識し、家族間、地域間、組織間、社会で「感情の共有」に努めることが、何よりも大切なことなのです。

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2007年9月23日 (日)

期待感

Photo 昨日は個人的にかなり実りの多い一日でした。

と言うのも、Kidsのキャリアにおける将来的な展望に密かな明かりが射してきたからです。

つまり、このブログでも、Kidsは、前から "CDAとしての活動をライフワークにしたい" ということを散々述べてきました。 しかし、いくら一人で気張ってみても物事はスムーズに進みません。

そこで、有志数人で勉強会を定期的に開き、カウンセリングスキルの向上と情報交換をメインとした活動をスタートしたのですが、少ないメンバーの中でも、活動をボランティアとして捉えるメンバーとビジネスとして正業にしたいメンバーとは当然温度差がありました。 そして、現実的には、キャリアカウンセラー一本で飯を食っているCDAは殆どいないので、CDA活動をビジネスに繋げたいKids等にとっては、若干ジレンマになっていたわけです。

それが、今回、幸運にも「CDA養成講座(通学コース)」のアシスタントをさせていただき、昼休みや休憩時で講師の先生と、又、アフターで先生や先輩CDA、同期CDA数人とコミュニケーションを取るうちに、それぞれが描いている絵の細部こそ異なれテーマは同じであることを確認しました。

そして、昨日は、突然のアフターながら、なかなか充実した会話の中で、先生や有志から、"要はスキーム次第で、それさえ整えば後援したい" という有り難い申し出をいただきました。

その帰り道、PASを牽きながら(笑)熱く語る先輩から "とにかくやってみよう!"と企画・戦略・実施のタイミングについて、プロジェクトチーム(委員会)を作って具体的にスタートすることを告げられ快諾。 急激にテンションが上昇してきました。

とは言え、道は険しく、又、どこで行き止まりになりとも知れません。でも、その時は、無理して突き進むことはせず回り道をして、さらに回り道すら無い時は、いったん戻って道具を携え、道を新たに切り開けばいいんじゃないかと思っています。

その点、同じ価値観を持つ仲間がいることはとても心強いです。

「転機」になれば… と期待しています。

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2007年9月16日 (日)

Kidsの強み

Photo Kidsは、元々、本が好きな子どもで、とりわけ勧善懲悪物(最後は正義が勝つ!)や家族愛をベースとした人情物語が好きでした。 又、音楽に興味があって、オルガンやアコーディオンを習っていました。

ところで、この「好き」って生まれつきなのでしょうか?

思えば、Kidsの父は、早大の文学研究会で、敢えて名前は秘しますが、 後に有名な作家や大手出版社の編集長になる方々と一緒に活動していたそうですし、グリーンクラブで歌っていたこともあったようです。

又、母は、大衆文学が好きで、女学生時代、病気で休学していた1年間は、比較的裕福な銀行家であった祖父に全集を買ってもらって、飽かず眺めていたと聞きました。

とすれば、こうした環境も無視できませんね。

Kidsが、小学生時代に作文コンクールで賞を取ったり、漢字テストやで優等をもらったのも「元々の資質」に影響を与えたと思います。

即ち、親や先生から文学的才能があると思われ(言われ)、その気になって何かに挑戦すると、上手くいくから自信がついて、次に同様な機会があると「いける!」と思うわけです。

従って、ここで実際に、Kidsがこの才能(?)を活かすべく大学の文学部に進み、更に何らかの機会があって、興味が目標そして行動へと発展して新聞社や出版社に就職し、在職中に書いた小説が文学賞を受賞して・・・ といけばキャリア発達理論のロールモデルになるのでしょうが・・・ 実際はそれほど甘くありませんでした。(笑)

大学受験の折には、父が自営の会社を二度三度と潰して、飯を食うために就職せざるを得なくなり、そうこうするうちにその父が急逝して、多額の借金を返すために仕事を辞められなくなったし、それが済んで、気づいてみればいい歳になっていて、キャリア変更するには別の環境がそれを困難にしていた現実。

でも、人生色々。 それからも沢山、人には無い経験をしたから、「転機」のコントロールの仕方も分かるし、「偶然の出来事」の重要性も理解出来るし、「有意義な全体(人生の役割)」や「組織の欲求と個人のキャリア」の管理調整の意義も頭だけでなく心で知ることが出来るようになったのです。

これって大きな「強み」ですよね!

ということで、昨日はCDAセミナーのアシスタント、今日は受講生達の勉強会、明日は、会社で新人事制度プロジェクトの実践。

やりがいや充実感はあるのだけれど、さすがに若い頃と違って体力面が不安です。

でも、会社は休んでもアシスタントは休まないぞ~!(笑)

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2007年9月 9日 (日)

劣化する日本人

Photo_5 最近思うのは、当たり前のことだけど、「ビジネス=お金」ということです。

大企業が「地球環境」への取り組みをアピールしたり、企業メソナを推進したりするのも、そこから生まれるイメージ、延いてはビジネスに繋げようとする試みに過ぎません。

そして、その「ビジネス優先主義」も年々あざとくなる一方です。

その証拠に、好景気が続いて、大卒の初任給が10年ぶりの高水準とかいっても、労働分配率はむしろ下がってきています。

「欧米化」が日本を進化させたどころか、人間の「意識レベル」を中心に考えると、むしろ劣化させたような気がしてなりません。

例えば、医療や教育、公的事業、これらは本来「サービス」であるべきで、それを「ビジネス」として展開しようとすると問題が生じるのは当然です。

人材派遣・紹介業などでも、一部に「サービス」の必要性を自覚し、「ビジネス」と「サービス」の複合を試みる会社が無い訳ではありませんが、多くは「人材ビジネス」を展開する以上、「お金にならない仕事は意味が無い」と考える様子が見られます。

つまり、彼らにとって、「お金に換算できる人的価値の高い商品」=「ハイレベルな人間」のやりとりがビジネスの鍵であって、それ以外はゴミ箱行きなのです。

では、「お金に換算できない人的価値」ってないのでしょうか? 「お金に換算できない人的価値」が豊富で、経済力に乏しい人間が仕事を求めても、受け入れる余地が無いほど日本の「意識レベル」は下がってしまったのでしょうか?

かつての「ムラ」を始めとする「共同体社会」では、「相互扶助」の精神が行き届いていて、原則的に「困っている仲間」を放置することはありませんでした。

ところが、戦後の「経済至上主義」に基づく「欧米化」がこうした日本人の精神をすっかり蝕んでしまいました。

従って、かなりの日本人が、「納得できないという感覚」に折り合いを付けられぬままに、社会に適応したふりをしながら「環境要因(事情)」さえ許せば・・・と思いつつ日々を過ごしています。メンタル面が苛まれるのも当然ですね。

では、解決策は?

ずばり、やり直すこと。 「ムラ」に戻すこと、「夜型社会」から「朝型社会」に戻すこと、「統合」を廃し「分割」すること・・・

きっと、政府・産業界が許さないでしょうが。

そして、Kidsも《「環境要因(事情)」さえ許せば・・・と思いつつ日々を過ごしています。》(笑)

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2007年9月 2日 (日)

氷山の一角

Photo 「氷山の一角」ということばがあります。

" 表面に現れている事柄は、好ましくない物事の全体のほんの一部分 " であることのたとえですが、「好ましい」かどうかはともかくとして、フロイトは「深層心理」について、 " 意識の水面下に多くの無意識がある " ことのたとえとして「氷山」を使って説明しました。

さて、私たちが毎日話している「ことば」についても、「氷山」を使って説明することが可能です。

つまり、私たちが発する「ことば」は、極端にいえば「音声」としての現象ですから、その水面下にたくさんの「気持ち」や「感情」が隠されているからです。 「本音の部分」といってもいいかもしれません。

そして、その「気持ち」や「感情」はなかなか窺い知ることが困難です。 文字通り " 心を開かせ " ないと表に表れてこないからです。

" 心が開かない " のは「自己防衛」です。 痛めつけられるのを避けているわけですね。

となれば、この「心の蓋」をどうしたら開けることができるのでしょうか?

それは、「信頼」です。 " この人なら信用できる " と思わなければ「蓋」は開かないのです。 考えて見れば、家族の中でもこうしたことが言えると思います。

仕事に忙殺されて、なかなか奥さんや子どもとコミュニケーションを取れないお父さん、家での僅かな時間に何か相談されても、ついつい面倒で "ん・・・ " とか " あ、そう " とかいっていませんか?

「忙」という字は、「心」を「亡くす」と書きます。ならば、「心の無い」相手に何を言っても無駄で、誠実かつ真剣に自分の話に「共感」を持って聴いてもらえる相手と判断されないので、だんだんコミュニケーションが取れなくなっていくわけです。

反対に「信用できる」相手だと、「自己防衛」が緩み、普段隠れている「本音の部分」が露出して、自分自身ですら気づかなかった「本当の自分」に気づいて、現実理解の中で " これからどうしたらいいか " が分かってくるのです。

こうした「自己概念」の開発を通じて、個人が環境の中で「自律的」に機能できるように支援するのがキャリア・カウンセラーの役割で、特に現今の、いや、これからの時代には必要不可欠と考え、その研鑽に努めているわけですが、1億人の人間がいれば、一億の個性があり、なかなか大変です。 しかし、一方、人間理解という面で見れば、これほど興味深くかつ有意義な仕事はないと思います。

「金太郎飴」が徹底的に向かないKidsとしては、なんとかこの世界の一端を担いたいのですが、事はなかなか思うようには進みません。 「現実理解」が進むほど「自律」の部分が増えてくるので、ジレンマに陥りがちです。(笑)

まあ、焦らずにいくことにしましょう。 まだまだ実力不足だし、やることはたくさんありそうです。

頑張るぞ~!

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2007年8月26日 (日)

金太郎飴

Photo 昨日、CDAの通学コース(セミナー)の休憩時間に講師のA先生とお話していた時、先生から、"この頃の学生は『金太郎飴』みたい" な発言がありました。

A先生は、CDAマインドの塊のような方で、常日頃から、一貫して「個人の成長する力~可能性の実現に向けて自ら発展させる傾向」を信じ、「その内なる力を最大限に引き出す」ことを目的としてキャリア支援に尽力されている方です。 ですから、そのA先生から出た『金太郎飴』という言葉にはとても実感があり印象的でした。

ところで、文部科学省の「新学生指導要領」には4つの視点が定められています。

① 豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚の育成 ② 多くの知識を教え込む教育を転換し、子どもたちが自ら学び自ら考える力の育成 ③ ゆとりのある教育を展開し、基礎・基本の確実な定着と個性を生かす教育の充実 ④ 各学校が創意工夫を生かした特色ある教育、特色ある学校づくり がそれです。

いずれも極めて尤もらしいのですが、現時点では、①は到底ありそうもないし、②も「学歴社会」に向けた「受験制度」そのものを変えなければ問題解決にならず、③は週5日制によって学力低下が懸念されることから「塾」の需要が増えた、又、休日における「家庭の役割」を無視しては成り立たないことだし、④においては、高校に「総合学科」の創設等で「選択学習」の幅が拡大したものの、それでも「受験」につながらない課目は選択度が低いなど、 "だから今取り組んでいるんだ!" という反論もあるでしょうが、あまり実効性はない感じがします。

それにKidsが一番懸念しているのは、そうこうして卒業後も、「グローバル社会に求められる新しい人材」として「社会のあらゆる分野において、主体的に行動し自己責任の観念に富んだ創造力あふれる人材」であることが求められながら、実際は、多くの企業内で、相変わらず『金太郎飴』が求められている現実です。

まあ、会社としては、① 会社の方針に逆らわず、② 上司の言うがまま、あるいは、逸脱しても「釈迦の手の上」で、③ ノルマ(売上・利益)を達成して ④ 対人関係も良好な  『金太郎飴』が一番扱いやすいのですから、当然といえば当然ですね。

でも、それならば、どうして今の若者が『金太郎飴』だといって問題視されるのか?

つまり、彼らにとって、『金太郎飴』でいるのに「覇気」は反って「障害」にしかならないわけですから。

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2007年8月18日 (土)

カレー!

Photo 久々に猛暑から逃れ、「曇り」がこんなにありがたいことに初めて気がつきました。

ということで、最近グロッキー気味だったので、午前中家で休んでいたら、「一個人」9月号の "夏こそ日本一の「カレー」を食べる" という記事にすっかり感化されてしまいました。中でも一番近場の「アルペンジロー」に行ってみることに決定!

ところが、そう思ったのが午後1時をまわったころ、で、よくよくページを見るとこの店は11時30分~14時30分、17時30分~21時30分って書いてある。 ということはダメじゃん!

まあ、人生往々にしてこんなもんです。 4月に札幌に行ったときには目当てにしていたスープカレーの店が皆閉まっていたし、もっとも日曜だったけど…

でも、昨日は、あの熱波の中、どうしてもハローワークに行く用事があったついでに飯田橋の「SAPANA」に寄ってきました。 うん、初めてだったけどなかなか美味かった!

ところで、なんだかさっきからカレーの話ばかりしているようですね。

そう、最近、又、カレー熱が復活しました。

というのは、元来「カレー狂」なのですが、これでも、暫く「メタボ」を気にして遠慮していたところ、ある友人から "カレーは関係ないよ" と言われ、又、先の「一個人」の特集にも  "『カレー』を食べると病気ならない"  "ボケ・ガン・糖尿病予防からデドックス・メタボ症候群にまで効果がある" という記事が載っていて気を強くし、不死鳥の如く甦ったのです!

つまり、彼らによれば、 "減量で重要なのは、体重ではなく体脂肪を落とすこと。それには、肝臓や腎臓周辺の『深層体温』を上げて新陳代謝を促進することがポイント"  "カレーを食べると、この深層体温がぐんぐん上がり、新陳代謝が非常に活発になることがわかっている。」というわけで勇躍、「8月〇日は『カレー記念日』」といたしました。(笑)

しかし、いくらカレーが健康に良くても、「らっきょ」でWチキン(しかも大盛り!)を食べてるようではいささか問題がありそうです。

若くはなく、明日死んでもいいというほどの年齢にはまだ間があり、ミドルエイジは仕事はおろかプライベートの衣・食・住にまで「挟まれる」お年頃のようです。

さて、明日こそはどこかに出かけるぞ~! でも、ひょっとして又、猛暑?

あ~~~あ、やだやだ。

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2007年8月11日 (土)

夏バテ

Photo もうすっかり夏バテ! だるくてだるくて気力が湧きません。

食事も睡眠もちゃんと取っているし、別に体を使う仕事ではなく、残業もほとんどないのに帰りの電車でグッタリ。 いや、朝起きたときからグッタリしています。

したがって、電車の中で座れたときには、座ったとたんに条件反射のようにすぐ眠ってしまします。 持って行った文庫本もなかなか進まないし、gigabeat もただの箱状態。

うちの会社は夏休みもないので・・・ いや、取らせないわけではないけれど、就業規則に夏休みという規定がないから、休むと「有休」が減ってしまうし、一斉に休みを取らないので出てきたとき仕事が増えている! ということがあって、あまり取る人はいないようです。 だから、ひたすら働きながら休息を取るように努めています。(笑)

それにしても、今年の首都圏の暑さは半端ではないですね。 昨日の読売新聞によれば、8月に入ってからの東京都心の平均気温は29・2度で、気象庁観測開始以来、これまでで2番目の暑さとか。 しかも、8月下旬まで厳しい暑さが続くそうで、史上最高となるのは確実視されているそうです。

そういえば、去年の今頃は、仕事にあぶれて「社労士」、および「キャリアカウンセリング」の勉強をしていたし、一昨年までは北海道にいたから、首都圏の夏を「満喫する」のは久しぶり。 あ~あ、夏の間は北海道で仕事がしたい!

民主党の時代錯誤な代議士はともかく、クールビズはいいと思うけど、それよりも、「猛暑日」は会社は休まなければならない法律でも作ってくれませんかね! クールビズ以上に「地球に優しい」と思うけど、どうでしょう?

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2007年8月 5日 (日)

アシスタントデビュー

Jcda とうとうこの日がやってきました!

CDA(キャリアカウンセラー)のアシスタントデビューです。

要はセミナーの講師の先生がセミナーで使われる資料を配ったり、スライド機やビデオ機の操作、受講生ならびに先生のお弁当やコーヒーの手配、会場(設備)の管理等、セミナーのスムースな運営のお手伝いをするだけなのですが、何をするにもタイミングがあるのでとても気を使います。

でも、結論からいうと、こん心配は思い過ごしでした。

初日ということで、サポートに来てくれたセミナー主催会社のNさんがとても好くしてくれたし、先生(KIdsもかつて教えを請うたA先生)もいろいろと気を使ってくれたし、受講生がたまたま10人と少人数だったこともあって打ち解けるのも早く、スタッフ(アシスタント)というよりは、半分受講生の気分で、Nさんと2人受講生に混じって学んでしまいました。

それにしても、相変わらずA先生の講義は圧巻です。いや、さらにレベルアップしています!

今回から課目が増え、セミナーも8日間となっただけに教える範囲も増えたはずですが、淀みない自信に満ちた、それでいて優しく人を思わず引き込んでしまう話口調はもはや芸術品ですね。

でも、この一種のカリスマ性もありそうな様子が、普段でも一向に変わりなく、お付き合いさせていただくに連れ、元々の人間性であることに気がつきます。

優しくて、温かくて、大きい。 こんな風になりたいものです。 いつの日かなれたらいいなぁ~。

セミナーの終わり頃には、Kidsが受講生だったときのアシスタントHさんも駆けつけてきてくれて本当にありがたく、様々な方の支援があって生かされている自分を再確認できました。

「支援」、これはCDAの姿勢の根底にある一番大切なものです。

そう、Kidsは、「指導」でも「教育」でも「コーチ」でもなく、「支援」がしたいんだ!

ビジネスの場が今一つしっくりこないのは、恐らくこのせいなんでしょうね。

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2007年7月29日 (日)

ダンス・フェスティバル

Photo_123 CDAの勉強を通じて知り合った友人から、所属するダンス教室のパーティ招待状を頂いたので出かけてきました。

会場は新横浜プリンスホテル、その1番広い宴会場を借り切ってのパーティです。

まず、会場の階に降り立った瞬間から、色とりどりのゴージャスな衣装に身を包んだ紳士淑女がロビーで歓談している姿が見えてちょっと緊張気味。

そこに友人が現れると、いつもより化粧が数倍濃い! でも、演劇なんかと同じで、遠くからでも見栄えがしないといけないから、うん、納得。

その彼女に導かれて、もう一人の友人(招待客)とともに会場へ。 広い会場の真ん中にこの日の為に床板を敷き詰めたダンスフロアーがあって、その周りに10人掛けの丸テーブルが30ぐらい。 なかなかの盛況です。  生バンドそして、既に何組かのカップルが踊っています。

さて、そうこうするうちに時間が来て、パーティがスタート!

まずは、紅組、白組に分かれて、アマチュア・ペアによるワルツ・ジルバ大会。 ちょっと硬くなっているカップルもいるかな。 これが、ワルツで4組3ステージ、ジルバで3~4組2ステージ行われました。

合間に休憩時間ともいうべきダンスタイムが30分あって、今度は選ばれたアマチュア・ペアによる第一部デモンストレーション、さすがにダンス教室の代表だけあって皆上手です。 何よりも楽しそう! 「ダンスが好き」という気持ちが伝わってきます。

そして、いよいよここで我が友が登場。 かなり長年、一生懸命練習されているようなことを伺いましたが、贔屓目ではなく他に優るとも劣らないと思いました。

さらに、ダンスタイムをはさんで第二部のデモンストレーションが続いて

それが終わると、ようやく「お楽しみ」のディナータイム! メニューは、シーフードサラダの前菜、コンソメスープ、スズキ(?)のソテー、フォアグラとステーキ、最後にデザートとコーヒーでした。 さすがに質量ともにプリンスホテルの名に恥じない一級のディナーですね。 大いに堪能させていただきました。

さて、その後は、またダンスタイムを挟んで、今度はプロフェッショナル・デモンストレーション!

これが凄い! プロというのは、要するにダンス教室の先生たちで、彼らの技術がアマチュアと比べて卓越しているのは当然だし、その力量は、アマチュア・デモンストレーションで生徒をリードしていた姿から分かっていましたが、プロだけになると様子が全く違います。

タンゴ、ワルツ、チャ・チャ・チャ、ルンバ、サンバ、フォックストロット、クイック、パソ・ドブレ・・・ それぞれでダンスの表情が全く違うし、アマチュアだと「踊る喜び」なのに対して、プロは「踊る喜び+魅せる喜び」とでも言うのでしょうか。

なんと言っても、Kidsがそのプロ意識を一番認識したのが「笑顔」

先生たちの誰もが、3分間、笑顔を全く絶やさない! これには驚くと同時に敬服しました。 さすがとしかいいようがありません。

それにしても、このダンス教室の先生方は、殆どが30歳~40歳前半だと思うのですが、鍛え抜かれた肉体に加えて、皆イケメンに美女ばかり。 ルックスが採用基準かと思うほどです。

背中の開いたドレスも、アマチュアの時には、「ご勘弁」というのも正直言ってありましたが、プロのは、う・つ・く・し・い。

あのぉ、・・・・・・・・ こういうのもセクハラになるのでしょうかね?(汗)

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2007年7月21日 (土)

炎舞

Photo_122 以前から、いつかは見たいと念願していた「炎舞」をついに見ることが出来ました。

速水御舟の「炎舞」は、重要文化財にして、日本画の最高峰といっていい作品です。

つい先日も、テレビ東京の「美の巨人たち」で放映されたので、ご覧になった方も多いことでしょう。

ちなみに、その番組では、「炎舞」をこのように描写していました。

紅蓮の炎、妖しい光。
観察の眼力とその結晶。身を焦がすように、身を躍らせるように。

美しき「蛾」の飛翔。モノノゴマダラメイガ。ヨツメアオシャク。シロヒトリ。
渦巻く炎に乱舞する蛾たちがいざなうのは、漆黒の闇。速水御舟、写実と幻想の果て。

専門家のコピーでしょうが、さすがに御舟の写実を遥かに超越した「心眼」を見事に表わしていて感心しました。

現実ではなく幻想、しかし、その幻想は「心眼」を通して現実よりもさらに現実的なものとなって現れます。

一目見て眼を奪われる「紅」の炎、乱舞する蛾たちの「黄」、そして、俯瞰してようやく、その「紅」が徐々に「漆黒」の闇を侵食するような印象を持ちました。

渦巻く炎が、なぜか詩的な叙情性を感じさせてくれます。また、決して大きな作品ではないのですが、会場でどこにいても振り返ればそこにある圧倒的な存在感がありました。

聞くところによれば、速見御舟は、精密を謳われたその描写力で「変貌を繰り返す天才」と呼ばれたといいます。

確かに、時代時代で作風が異なり、Kidsは、御舟自身が「群青中毒にかかった」と表現した1918年頃の作品も好きです。また、今回の展覧会では、もう一つの重要文化財「名樹散椿」は見ることが叶いませんでしたが、他に数点の花の絵が出品され、いずれも墨と淡彩による筆で清涼で凛とした花を描き、余人に到底及ばぬ画域を示しているように思いました。

しかし、多くの芸術家がそうであるように、天才は、生き急ぐかのように早世してしまいます。

今日、山種美術館に118点に及ぶコレクションが残されたことを心からお喜び申し上げます。

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2007年7月14日 (土)

学校訪問

Photo_121 昨日、一昨日と求人票を携えて、東京、神奈川、千葉、埼玉の工業高校を回ってきました。

7月2日に求人が解禁になって、もう、とっくに求人票は送ってあるのですが、売り手市場の情勢を見ながら、特に、技術系の求人が多いと考え、「全体的な状況をお聞きしたい」・「当社の内容をお話したい」とのスタンスで事前にアポを取って出発。

久しぶりにデスクワークから開放されて、少しは気分転換できるかなと期待したのですが、訪れる高校が駅前にあるはずもなく、特に、工業高校は、駅から数十分歩かなければ辿りつかないところもあって(唯一の交通手段であるバスは、一時間に一本程度!)、梅雨空の下、2校目から早くも挫折気味。

しかも、進路指導の先生のお話では、どの高校でも、概ね、就職希望の学生100人に対し、求人数が700~1,000! 社会経験のない学生の志望は職住近の有名企業とあって、我社には前途多難です。

もっとも、中には、数年来の交流(実績)があり、あるいは、そうでなくとも非常に好意的な学校もあって、「貴方のおっしゃる通りです。 いやあ、話せるなあ! 何とかしましょう!」と言っていただけた先生もいました。 カウンセリングの技術が役立ったかも。

でも、それにしても暑い。 体感する不快指数は1,000%! 2枚持っていったハンカチは、もはや雑巾状態です。

それに、時々、雨脚が強くなって、田舎の舗装されていない道路はドロドロだし、バスどころかタクシーすら通らない。 参ったなあ~!

二日目の夕方には、もう、体力を消耗尽くして、口をきくことすら億劫になってしまいました。

これじゃあ、この時期の営業は大変でしょうね。 北海道なら車でドアツゥドアだけど、ここらじゃ車でも渋滞に引っ掛かるし、増してや、公共交通機関を使っての移動はもう懲り懲り!

そんなことで、今日はバテきって一日寝ていました。 まあ、台風による大雨じゃ出かける気にもならないけど、明日は用事があるんだよなあ! 楽しみにしていたはずなのにちょっと憂鬱。

「梅雨時には北海道に一時避難したい」と本気で思うKidsなのでした。

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2007年7月 9日 (月)

綱島温泉

Photo_120 大きな風呂に入りたくって、いろいろ考えた末、思い立って「綱島温泉」に行ってみました。

横浜から13分と近いのに今まで訪れたことがなかったのは、多分「年寄りの行くところ」・「場末」といった先入観念があったせいでしょう。

戦後は、一時「東京の奥座敷」・「関東の有馬温泉」などと呼ばれて栄えたころもあったようですが、どちらかというと、観光あるいは湯治というよりは、花街といった風情であったらしく、その名残は、今も鶴見川沿いに点在するラブホテルに窺うことができるそうです。

そういえば、歌手の故三橋美智也が下積み時代にボイラーマンをしていたのだとか、誰かに聞きました。

ところで、そこに敢えて行く気になったのは、何よりも「ハンジロー」のスープカレーが食べたかったから、そして、通勤定期があるので、途中下車で交通費がかからないこと。 そして、そこに温泉があるから!(笑)

さて、予定通り、「ハンジロー」で<納豆オクラ+チキンカレー>を食し、駅前の、この日たまたま縁日が出ていた喧騒を掻き分けて、どこかと思えば、すぐそこに黄色の建物が見えました。 何だ、駅前じゃん。

それが、「綱島温泉東京園」。 昔はたくさんの温泉宿があったそうですが、今では、この日帰り入浴施設と温泉銭湯が数ヶ所あるだけということです。

入口で「入園料」800円(1時間以内だと390円)を払って、中へ進むと、内装はさすがに年季が感じられるものの、思ったよりも清潔できれいでした。そして、休憩室が広い!

と思った瞬間、早くも奥からカラオケの音が! 近づくにつれ、広間に人がいっぱいいました。 やはり、十中十九(笑)お年寄りです。

それを横目で見ながら中に入ると、なんと番台! ここで入口でもらった入場券を渡します。

脱衣場は普通、でも、ロッカーの金属の鍵に靴箱の木札みたいなのがついている。 これは何?と思いましたが、結局、何だか分かりませんでした。

そして、いよいよ温泉です。

おっ、真っ黒。 でも、お湯が軟らかい。 うん、さらっとしている。 これはいいお湯だ!

しかも、空いている。 え、どうして? さっきいっぱいいたのに。 みんなカラオケに来たのかなあ~。

まあ、いいや、極楽極楽っ ・・・・・ という具合に、結局、結構長湯してしまいました。 でも、本当に温まっていいお湯でした。

後は、カラオケから出来るだけ離れて、畳の休憩室でお昼寝。 休憩室の縁側を下りるとその先は庭園になっていて、緑がタップリ! なんだか気が休まります。

風も爽やかに吹いているし ・・・・・  なんて、気がついたら、もう夕方なのでした。

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2007年7月 7日 (土)

オフ

Photo_119 先週は仕事ばかりしていてすっかり疲れてしまいました。

日中、会社で働くのは当然としても、電車の中、昼休み、帰宅後のプライベートな時間まで想いが仕事に関わることばかりで… 好きな読書もビジネス書や啓蒙書ばかり

実をいうと、ビジネス書はあまり好きでなくて、必要に応じて読むべきものは読みますが、どちらかといえば、日常を逸脱した小説の世界の方が楽しめるし、自分を取り戻せる気がします。

映画やビデオでも、もちろん話題のエンターテイメントを見たりしますが、特に好んで見るのは、レンタルビデオ屋の棚でいえば「ドラマ」という範疇のところ

大きな事件や出来事がなくても、人と自然や人と人の関わりが描かれていて、淡々としていながら、登場人物の濃密な想いが伝わってくるような映画がいいですね。

出来れば、舞台は都会より田舎の方がいい。 そして、台詞は少なめで、それでいて言いたいことは十分伝わってくるような… だから、有名でなくとも上手な俳優さんが出ている映画ということになります。

最近見た中では、北海道文化放送で放映されたノースポイントの一連の作品、特に、宮崎あおい主演の「ポートタウン」が良かったです。

もっとも、彼女は「格差婚」で話題になっている「一流女優」ですが、Kidsは、上手いことでは、芸能界でもう何年もやっている俳優さんに優るとも劣らないと思っています。

ストーリーはよくあるパターンで、新鮮味はなくても、舞台が小樽でスローライフな感じがよく、又、皆あまり饒舌でないのが高ポイントでした。

そう、ビデオの話をするつもりではなかったんだ! オフは必要だということで(笑)

その「オフ」、とはいっても、休暇という意味の「オフ」もあれば、忙しない毎日の中で、時に応じて切り替えるスイッチの意味での「オフ」もあります。 そして、休暇は勿論、Kidsが結構大切だと思うのは後者。

このオフを上手に使うことで、過剰なストレスを溜めずに活動のエネルギーを維持できると思うし、自動車の運転なんかもそうですが、所詮、人間はそんなに緊張を継続できる生き物でもないわけですから、適時に弛緩させないと具合が悪くなります。

テンション(tension)という単語は、もともと糸の張りを表わすそうです。 糸は引っ張り過ぎると必ず切れます。 切れない糸は存在しない。

自己のメンタリティを正常に維持するために、オフを有効に使いたいものですね。

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2007年7月 1日 (日)

はきちがえ

Photo_118 最近、日経ビジネスオンラインに、深澤 真紀氏(「平成男子図鑑」の著者)、城 繁幸氏(「若者はなぜ3年で辞めるのか?」の著者)、阿部 真大氏(「搾取される若者たち」の著者)の対談が載っていて、大変興味深く読みました。

特に、40代以上の先輩社員が、今どきの若者について言う「覇気がない」というセリフに関するくだりでは、思わずひざを打ちそうになりました。

曰く、「先輩たちの方がよっぽど『牙』がない」、「両手両足だけじゃなく、口まで使って必死に会社にしがみついている状況で、何を言われても『はい』、それは人としてどうなのかな?」

これは、Kidsが、どこの会社に勤めても感じることです。

つまり、会社の上の層は、ステイタスという「既得権益」をキープするために汲々としていて、そのために、自分たちが指示(命令)したことに従わない下の層(若者)を「覇気がない」と言って見下しながら、実は溜飲を下げているわけです。

ところが、「会社の存亡の危機」あるいは「ターニング・ポイント」にあたっては、組織を大胆に変革するために身を捨てて、あるいは、敢えて「牙」をむく志や勇気はありません。

というのも、彼ら、上の層の価値観は、「既得権益の安定に全エネルギーを投入すること」で、多様性という価値観はないので、発想の転換が容易に出来ないからです。

だからといって、自分たちの権利を手放す気はないのですから、「革命」の、むしろ「抵抗勢力」になってしまう。 一方、「革命」の推進者たる若者たちは、彼らの手によって流動化されてしまう。 Kidsは、これが今の企業の発展性を阻んでいる大きな要因の一つだと思います。

Kidは、世代的には上の層で、ポジション的にもそれに準ずる位置にありますが、この点においては、これまで、常に「上の層」の価値観、やり方に憤りを感じてきました。

最近の若者たちに顕著な(ように思われる)旧来のシステムを冷笑するスタンスは取れないし、また、バカにして、見ないようにしても「既得権益層」はなくならない。 だから、誰かが「牙をむく」必要があると考え、「上の層」に真っ向から立ち向かって粉砕し、何回も「貧乏くじ」をひかされた経験があります。(苦笑)

ゆえに、今の若者たちのスマートな頭脳と、意外に戦略的なやり方には大いに期待しています。

アウトサイダー、大いに結構! ひとりひとりがアウトサイダーとして自立的に機能する社会なら、今よりも数段良い世の中になるかもしれないと思うからです。

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2007年6月18日 (月)

社内コーチ シンポジウム

Photo_116 今日は、社命により、コーチ21&コーチA主催の「社内コーチ シンポジウム」に参加しました。

Kidsの会社の専務が、コーチの伊藤社長から直接依頼を受けたらしく、でも、正直言って、「うちの会社じゃ無理だろう!」 と思いつつ会場の六本木ヒルズへ

六本木ヒルズは初めてでしたが、世間で騒ぐほど何の感銘も受けず、ただ、広すぎて、入ってからあちこち動かされ、煩わしくて嫌になりました。

さて、その「シンポジウム」ですが、「シンポジウム」というだけあってセミナーではなく、国内外の著名な企業において、「社内コーチング」を導入したことにより、どれだけ経営に効果があったかを検証・報告するものでした。

聞いた結論から言えば、おそらく効果はあるのでしょう。 例えば、営業の生産性・人材の流出防止、企業風土の改革等にコーチングを上手く活用すれば、企業のパフォーマンスは高まるだろうと予測できます。

しかし、現実面で「社内コーチング」を取り入れられる企業はやはり少数だと思います。

と言うのは、「社内」コーチ、しかも、ファシリテーターとして制度の中心を担う「認定コーチ」が要ること、それよりも、前段として、「社内コーチング」を理解し、後援する企業スタンスがあって、しかも、そのサポートが継続的に行われる保証がなければなりません。

となると、短期間でCP(コストパフォーマンス)云々なんて言っているような企業では到底無理です。 大体、好景気とか言って投資を増やしても、人件費は抑制したまま格差社会を歓迎するような中小企業が絶対多数なのですから。

でも、「コーチング」自体は、個人的には俄然興味が湧きました。 CDAと融合したら何か新しいビジネスモデルが出来るかもしれません。(「金持ち」になりたいとか、「先生」と呼ばれたいとかいう気持ちは全くないのですが、何か面白そうですよね!)

まあ、今は先立つものがないから問題外ですが・・・、だって、すごくお金がかかるんですよぉ~

だから、「社内コーチング」導入は無理でも、付き合いで仕方なく、会社が費用を持ってくれないかなと 少しだけ期待しています。(笑)

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2007年6月16日 (土)

障害者就職面接会

Photo_115 「障害者就職面接会」にブース参加しました。

Kidsは、これまでも、行政あるいは民間人材会社が主催するこうしたイベントに参加した経験はありますが、「障害者」(←嫌な響きですね)の面接は初めての機会でした。

当日は、かなりまとまった雨にも関わらず、東京体育館がほぼ満員となるほどの大盛況。 そして、時間が午後の3時間半と限られた中で、当社にも8名の面接希望者が訪れました。

そんな中、正直言って驚いたのは、私がそれまで描いていた身体的に完全でない状態の「障害者」と今の「障害者」のイメージがかなりかけ離れていいたことでした。

というのは、例えば、当社に来られた8名の応募者中、「うつ」を始めとするメンタル的な障害を持つ方が7名! 会場全体を見渡しても、”どこが障害者なの?” と訝ってしまう来場者の数が極めて多く、やはり ”こういう時代」を反映しているのかな?” と思いました。

ゆえに、会社が求める経験、スキルが十分なうえ、専門資格さえをもお持ちの方も数人おられ、なかには、”えっ!?” という経歴の方さえおられて、とても驚きました。

そして、皆さん、大変熱心、かつ真剣に取り組んでおられることがひしひしと伝わってきて、感動的ですらありました。

また、これらの方々をサポートする立場で、就労支援団体やボランティア、内部障害者厚生施設の担当者がグループで付き添い、「静かな熱意」で支援活動をされていたのも印象的でした。

ところが、こうした障害者、あるいは関係者の方々の思いを痛感しながらも、実際、企業側の本音をいえば、企業の社会性を果たしたいという意思よりも、「果たさなければならない」労働法の基準をクリアするだけで、出来れば、リスクは冒したくないところではないでしょうか?

即ち、簡単に言ってしまえば、フィジカル的な障害者に対しては、「気をつけてればいい」 のですが、メンタル的な障害者を採用すると 「気をつけていてもどうにもならない」 リスクが高いと考えてしまうのです。

従って、二次面接や、増してや内定となると、狭き門になってしまう傾向があります。

個人的には、「だったら、ここにいる面接官のいったい何人が正常なんだ!」 と言いたいところですが、サービス業、しかも人材集約的な業務を行う企業においては、クライエント企業の意図も斟酌しなければならない「辛い立場」もあるわけで、あまり強弁もできないところです。

しかし、日本ほど「黄色い車」や「黄色い病院」と言って、「知的障害者」に偏見を持った国も少ないでしょうね。

何でなんだろう?

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2007年6月10日 (日)

時の過ぎ行くままに

Photo_114 今日は、一日、敢えて何をしようとも思わずに「時の過ぎ行くままに」生きてみることにしました。

Kidsは、普段、どちらかといえば、さほど計画性のある方ではなく、でも、休日は有意義に使いたいと思って、あれもしよう、これもしようと焦るのですが、気がついたら一日終わってしまうということが往々にあります。

なに野球選手だって3割打てば強打者だとうそぶきつつ、自分で自分を慰めるのですが、考えてみれば、やろうとするその10割も定かではなく、だったらもういいじゃん、適当にやろうと思い至ったのでした。

まずは朝から ―  食事は腹が空いていたら食う、でなければ食わないと決め、起きた時、どうでもよかったので止めといたら、母がわざわざ家に運んできました。 (^。^;)

ならば、食べないのも変なので、食事をしてメールチェック、相変わらず「ひま主婦系」のスパムが多いなと思いつつ、必要なメールを返信。 ついでに、ここ暫く、音楽ブログの更新をしていないことを思い出してテーマを考えつつ、テーマにちなんだCDを取り出して聴き出したら、聴いているうちに別のCDも聴きたくなって、気がつけば昼になっていました。 (/ ̄▽)/

それでも、ようやくブログを更新して、数日前に借りておいたDVD「いぬのえいが」を見ると、ストーリーはありきたりながら出てくる犬があまりに可愛くて悶絶! ついつい前田のクラッカーを食べ過ぎました。 (*´ー`)

さて、その後は、そのDVDを返却しに横浜へ行きました。 急ぐ旅ではないので、花屋や古本屋をひやかしながらのんびりお散歩。 「隅田の花火」(あじさい)が欲しかったけれど、2600円は手が出ないので諦めました。 ヽ('ー`)ノ 

駅前のレンタルショップでDVDを返却&来週用をレンタルして、HMVを覗き、一瞬買おうと思ったCDがあったのですが、考えてみたら、インターネットで買った方が安いので止めました。 ( _ _ )/'

帰ってきて、お夕寝して、カレーを食べ過ぎて、胃薬飲んで、旅番組を見て、御手洗物の小説を読んで、ニュースを見て、気がついたらこの時間です。 (;_; ) ( ;_;)

「時の過ぎ行くままに」っていうのは、本当に適当なんだと改めて思いつつ、凡夫の日常なんてこんなものと特に不満も感じず、唯々、月曜が近くなってしまったことに不満と不安を感じつつ・・・・・ 眠くなったのでもう寝ます。 ○Oo。.(T¬T)/~~~

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2007年6月 9日 (土)

通勤カバン

Photo_113 ビジネスバッグと呼ばれるA4書類が入るサイズで、通勤時にビジネスマンが持ち運ぶバッグがありますが、ひと昔前までは、合皮のチープな作りのものが多かったのが、最近は素材やバリエーションも増え、かなりお洒落になってきました。

裏側ポケットにスポーツ新聞を突っ込んで電車で通勤する「ビジネスマン」の姿はほとんど変わりませんが(笑)

ところで、サラリーマン生活ウン十年にして、初めて通勤ラッシュを経験するようになって、非常に困って・・・ というか、正直言ってイライラするのがこのビジネスバッグ。

特に不快なのがショルダーバッグです!

はっきり言って、中高生でダラッとしたのがかっこいいと思っている(?)のはともかくとして、いい大人が、あまりにも低い位置にバッグを下げているので、動くたびにバッグが大揺れで迷惑なのです。

だいたい、混雑の車内で、物を持つときは、極力前に抱えて持つのが常識です。 百歩譲って、それに我慢するとしても、人の体にぶつかるのは・・・ 特に長身の人の場合は、人の顔を直撃することも珍しいことではなく、何を考えているんだと言いたくなります。

増してや、ハードデューティな、例えば、ノートPC用の頑丈なバッグなどをぶら下げるのは勘弁してほしいものです。

バッグといえば、リュック型のバッグもどうにかしてほしいと思います。 担いだまま乗っていると、人の1.5倍、時には二人分のスペースを占領して乗っていることになるので、周りにこうした乗客が2,3人いると、その車両に乗りたい人が乗れなくなることすらあります。

まあ、都心の車内を考えると、網だなに載せたのでは降りられなく恐れがあるので、そこまでは言いませんが、やはり背中から下ろして前に抱えて欲しいと思います。

うるさい事を言うようですが、これこそ「大人のマナー」というやつです。 いや、マナーと言うよりも、他人を思いやる心があれば気づくことだと思います。

「美しい国」は、相手を思いやる心から始まります。 いくら優秀で、立派な仕事をし高収入をあげるエリートても、これでは社会に不利益しか与えないでしょう。

まあ、どう見ても収納不能な電車に押し込められるのも、階段の幅よりいくらか広いだけのホームで押されて落ちそうになるのも、あたかも広い蛇口から出た水を口の狭い瓶で受けようとしているようで不合理ですが、こうした国に生まれた宿命と取り合えず諦めるとして

「manner」は、「man」(人たる)+「er」(者)だと思います。

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2007年6月 3日 (日)

こころ

Photo_112 心に余裕がなくなってくると、一つのことしか考えられなくなることはよくあることです。

仕事のこと、勉強のこと、お金のこと、彼女(彼氏)のこと、etc. その他のことは、上の空になってしまいます。

そうなると、そのときは気がつかないけれど、後でコミュニケーション上の問題を生じることが往々にしてあります。

「私が一生懸命話をしているのに聴いてくれなかった!」とか、「あれだけ言って、分かったって言ってたのに!」とか、これが結構予想外の事態を引き起こしたりします。

また、それほど一生懸命に一つのことに集中しているのにもかかわらず、大抵そうした場合は考えていることが堂々巡りで、建設的なアイデアや解決策が浮かぶことは殆どありません。

だったら止せばいいのに、「下手な考え・・・・・」とも言うことだし(笑)、でも、止められないんだよなあ!これが。。

でも、このとき派生した「予想外の事態」が、それほど大事、かつ深刻な事態を生じなければいいのですが、特に、相手が女性・子どもだと論理性より感情面が先行するので大変です。

しかし、思えば、「建設的なアイデアや解決策が浮かばない考え」に埋没していて、「人間関係を損ねる」のが論理的とも言えないわけで(笑)、それに、例えばKidsの場合、「閃く」のは、ぼんやり空を眺めているときとかボーッとしているときが多いので・・・ コミュニケーションを優先すべきとも言えますね。

そういえば、突然、こんな詩を思い出しました。

こころ

お母さまは

大人で大きいけれど。

お母さまの

おこころはちひさい。

だって、お母さまはいひました。

ちひさい私でいっぱいだって。

私は子供で

ちひさいけれど、

ちひさい私の

こころは大きい。

だって、大きいお母さまで、

まだいっぱいにならないで

いろんな事をおもふから。

気をつけましょう!

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2007年6月 2日 (土)

ランチ

Photo_111 今の会社に入ってようやく一ヶ月が経ちました。

少しずつ分かってきた部分も、未だ慣れない部分もあるけれど、そんななかで、これまであまり経験してこなかったことがあります。

それは、上司や同僚と連れ立って行くランチです。

「えっ、なんで、普通じゃない!」と思った貴方、そうですよね、普通なんですよね。 でも、Kidsにとっては、新鮮な驚きなんです。

というのも、長年勤めたデパートには社員食堂があり、また、ランチの時間は、お客様次第で時間が決められないので、殆どの場合、単独か、そうでなくても特に仲の良い他社の同僚と二人連れでした。

だいたいが、「社食」でするランチは外食と言えないで、仕事の延長という雰囲気。 実際、よく仕事場に呼び返されたものです。

その次に働いた木工所にも、賄いの小母さんが常勤する「社食」があって、工員も事務方も揃ってランチをしていました。

ついでに言うと、この「社食」の二階が休憩室で、主に工員たちが横になったりTVを見ていたりするのですが、敷地に後から作ったプレハブだったので、冬はストーヴを燃しても、寒冷地北海道では「しばれて」休むどころではなかったのを覚えています。

北海道と言えば、その後、勤めたハウスメーカーは、工業団地の中にあり、一番近いコンビニまで車で5分、飲食店に行こうと思ったら7、8分かかる場所でした。

そこで、この会社にいるときは、家から弁当を持参するか、来がけにコンビニで調達するかしていました。

また、この会社もランチの時間は本人次第、極端に言えば10時でも夕方4時でもOKなので、結構自由にしていたものです。

そんなわけで、今回のように、仕事仲間と連れ立って行くランチは、殆ど初体験に近く、ちょっぴり楽しみ、そこそこ緊張という感じなのですが、ありがたいのは、皆よく安い店を知っているということです。

Kidsは、先ほど説明したように、連日外食というのは初めて。 そして、経験して驚いたのは、昼食代がかかること! 参りますね。

特に、東京オフィス街のランチは、ビックリするほど高く、皆、当然のように振舞っているのを見ながら、そんなに高い給料を貰っているのかと訝しげに思うほどなのですが、Kidsは貧乏なので、出来る限り節約しなければなりません。

でも、折角の休憩時間、出来れば美味しいランチを食べて、少し休んでと思うのは人情です。

まあ、休憩できるかどうかはさておいて、その点、事情通が連れていってくれるランチは安くて美味いところが多く、大いに助かっています。

それでも、出来たらもっとリラックスしたい! ということで、時には、仕事の外出時間をランチの時間とダブらせたり、来客との打合せ時間を調整したりしながら「仕組んで」います。

仕事の中でも、「余暇」にはプライベートな時間が持ちたいですよね。

さて、Kidsもランチの「知られざる名店」を開拓しなきゃ!

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2007年5月27日 (日)

家探し

Photo_110 先週は、地方から出てくる新入社員のアパート探しに奔走しました。

今の会社に「借り上げ社宅制度」という有り難い制度があって、契約が会社になるので、その為のお仕事です。

そこで、実際に社宅住まいをする当人が上京してくるのに合わせて不動産屋とあらかじめ候補をピックアップしておき、配属地の周辺部の町を忙しなく動き回りました。

彼は、新入社員とはいっても学卒ではないのですが、これまで会社勤めの経験がなく (でも、一人暮らしの経験はあり) とても初々しい。 しかもスポーツマンタイプのイケメンなので (最近多いな!) たちまちセールスレディの気持ちをつかんでしまったようでした。

しかし、アパート選びに対しては、候補物件の中に気に入ったものがないらしく、あちこち見て歩くうちにタイムリミットがだんだん近づいてきて..... やっと「確定」に至ったときは、不動産屋の営業時間外、そこで、今日はここまでとなりました。

まあ、これも仕事ですからいいのですが、驚いたのは「住む家」に対する視点の違い

Kidsや不動産屋は、アパートの構造や設備、間取り、周辺環境、コストパフォーマンスなどを基準に考えるのに対し、彼の基準は、ひとことで言ってしまえば「格好良さ」、 だから、例えば、天井が低くたって、収納が少なくたって、北向きだって、トイレ・バス共同だって、近くに商店があまりなくたって気にしない。 それよりも、外観が良くて、新しくて、フローリングで、近くにコンビニすらあればいい、という具合なので話がどうも噛み合いません。

まあ、でも住むのは彼ですから

しかし、借りるのは会社という訳で、一応、会社規程の基準には収まっているので、決裁が下りればKidsにはどうでもいいのですが、敷金、礼金、仲介手数料の全額、及び月額の家賃と管理料の半額を会社が負担するという規程の中で会社の負担を考え、また、期間は2年という規程からして、2年後には自分で家賃と管理料を払うということを考えたら、2年後いくらの給料をも貰っているつもりなのかは知りませんが、かなり窮屈なはずですから、今贅沢なことを言っているべきではないと"おじさん"は思うのですがどうなんですかね?

これもジェネレーションギャップなのか、それとも、初々しいということは「無知」ということなのか、どうも結構いいとこのお坊ちゃんみたいなので、これまで必ず困ったときは周りに誰かがいて助けてくれたんだろうなぁ~

世の中そんなに甘くないと言いたいところですが、こういうタイプって、一生誰かが助けてくれるっていうパターンが多いんですよね。

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2007年5月26日 (土)

ヒューマンスキル

Photo_109 マイミクさんに感化されて、コミュニケーションやコーチングに関するコミュニティに参加したところ、無料コンサルティングのお誘いを受けたので会社帰りに出かけてみました。

目的は正直言って興味本位、特に差し迫ってコミュニケーションに困っているということはないのですが、コミュニケーション力を高めたいという思いがあるのでどんな話が聞けるのか楽しみでした。

というのも、CDAの資格は得たものの、JCDAの研修やセミナーに出席するだけでカウンセリング能力が十分磨けるのか、また、カウンセリングスキルだけでなく自分の「ヒューマンスキル」を高めていく必要があるのではないかと考えていたからで・・・

具体的に言えば、これからの行動において、CDAの役割に加え、よりメンタル面に踏み込んで産業カウンセラー等に挑戦するのか、人事の立場でESマネジメントやコーチング能力を身につける方向を目指すのか、それとも若年者や中高年の転職者等に特化したカウンセリングの実践を進めるのかどうも視点が定まらないからで・・・、しかし、どの選択肢を選ぶにしても、共通して必要なのが「ヒューマンスキル」だと思うのです。

さて、そんな思いを携えて訪れた会社は、「会社が求めるヒューマンスキル」を独自の人材教育プログラムを通じて育成していこうとするもの、従って、一番の目的は「ビジネスシーンで最も競争力を発揮する能力」の獲得です。

ゆえに、「高いモチベーション」で個人のポテンシャルを最大限に引き出し、仕事の生産性を高め、「高いコミュニケーション能力」で顧客やチームとの連携をスムーズにして仕事の効率を上げる「リーダーシップ」を持った人材の養成を行うものとしています。

確かに必要なのでしょうね、リーダーシップ。 なかでも、CLの承認を得ることのできるコミュニケーション能力は、相手にそれまで受けたことのない「新しい気づき」を与え、「新鮮な感動」を呼び起こすことが可能だからです。 ある意味、CDAのスキルに共通する部分があります。

でも、今回のコンサルティングでは、ビジネスという視点が強くて、「企画力」・「提案力」・「説得力」(CLに自分で発意したように思わせるさりげない説得力)といった観点が、上手く言えないのですが・・・・・、どうも微妙にKidsのしたいこととずれているような気がしました。

ちなみに、この日のコンサルタントは、20代後半のイケメンで、谷原章介をもっと明るくしたような好青年でした。 頭の回転も速く、有能な営業マンといった感じ。 特に女性なら、思わず印鑑を押したくなりそうなタイプ。(爆)  一度会って見たい方はKidsまでご連絡ください。(笑)

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2007年5月20日 (日)

祝賀会

Cda 今日は仲間とCDAの合格祝賀会を開きました。

やあ、楽しかった! やっぱり「同好の士」の集いはいいですね。

それぞれ立場は違うけど、人生目標や課題を持って前向きに生きている友の話には聴きどころが多くて勉強になります。

例えば、マイミクのHさんなんかは、すでに次の目標を持って行動を開始していてエネルギッシュというか、エネルギッシュな活動を支えるモチベーションの強さに感動してしまいました。

もちろん、堅い話ばかりではなくて、時にはバカ話やヨタ話もあって(結構多い)、でも、 " どうしてそう思われるのですか? " とは、取り合えず聞かないでおきました。(笑)

さて、CDAに話を戻せば、「合格」は取り合えず "やってもいいよ " と免罪符をもらっただけのこと、資格を活かすも殺すも今後の研鑽次第です。

そして、その研鑽は、学究的に理論を学ぶことよりも、やはり実用に供するスキルを身につけ、かつまた、カウンセリングの実践を通じて、自己実現の欲求を満たして、同時に他者のため、未来に実を結ぶことができるという結果を出すものでなければなりません。

道のりは果てしないけれど、職場で、あるいは、ボランティア等プライベートの場で、ベースをきちんと据え、決して急がず、しかし熱意を持って頑張っていきたいと思います。

このブログをお読みいただいた皆さま、今後もどうぞ宜しくお願いいたします。

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2007年5月19日 (土)

ヤフオク

Photo_108 どうしても欲しい物があって、久しぶりにヤフオクに復帰しました。

ヤフオクは、さすがに出品数が1000万点以上にものぼる日本最大級のインターネットオークションサイトだけあって、価格をあまり気にしなければ大概のものは手に入ります。

ヤフオクでは、とにかく欲しいものを1円でも安く買いたいという一念で「競り」の醍醐味を味わうも一興ですが、世間にあまり出回りにくいニッチなアイテムを価格抜きで探すのには大変適していると思われます。

それでも、「価格抜き」と言っても、それでもいったん始めれば安い方がいいのは当然の心理。 また「同好の士」とのせめぎ合いに勝つのはなかなか快感なので、ついつい熱が入って、落札はしたけれど、後で送料も含めて計算したら価格comの方が安かったなんてことも以前ありました。

また、届いてみたら、" 本当にこんな物いるの? " なんて場合も・・・・・  ある意味「テレフォンショッピング」の静止画版かも (笑)

さて、その600万人以上の利用者がいるといわれるヤフオクも、さすがに最近では、利用者の増加に伴い詐欺まがいの不正利用も多くなってきたようですが、Kidは幸いにして「悪い」と評価しなければならない出品者に当たったことがありません。

まあ、オークションも、ある意味、自分の価値観に基づいて行う投資に似たアクションですから、となれば、「入札」にリスクが付きまとうのは当然。 ゆえに、利用者は自己責任で審美眼ならぬ「審査眼」を養うことも務めのうちと思ったりしています。

ところで、今回は、そのヤフオクでウォチングしていたものを、2回続けて最後の5分で掠め取られました。 これほどまでにマニアックならば、誰も関心がないだろうと高を括り、事実、寸前まで全く入札歴がなかったのに・・・ まだまだ修行が足りないですね。

ともかく、修行は継続が肝心! そこで、その後もウォチングを続行中。

いけない、あと終了まで2分だ! 集中、集中!

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2007年5月13日 (日)

水の情景展

Photo_107 今日は横浜美術館で開催中の「水の情景」展に行ってきました。

”モネ、大観から現代まで” というサブタイトルに惹かれたからでしたが、実際に出かけてみると展示してあったモネは3点、大観も2、3点でした。 しかし、さほどガッカリもしませんでした。

というのも、それ以外の展示品が充実していたからです。 今回はセクションごとにテーマを持たせ、Ⅰ:たゆたう Ⅱ:動く Ⅲ:満ちる Ⅳ:水と人 という具合に、水に魅せられた芸術家たちによる、絵画、写真、映像、彫刻など、水を主題とした作品約100点を紹介したものでしたが、その「魅せ方」がなかなか手が込んでいて秀抜でした。

特に気に入ったものを言えば、

Ⅰ:たゆたう では、川瀬巴水の大正・昭和の美しき日本の風景にノスタルジーをかきたてられ、また、水野勝規の水(海、川、湖、池、水溜り)の視点から見た1分間9種類の斬新な映像がとても美しく癒されました。

Ⅱ:動く では、クールベのほぼ同じ構図によるノルマンディの「波」5点に、水の美しいだけでなく、時には凶暴な本質を見せつけられました。

Ⅲ:満ちる では、シニャックの2点の点描画、何と言っても色が魅力ですね。 菱田春草、鏑木清方、今村紫紅の日本画は、相変わらず繊細で素敵でした。

Ⅳ:水と人 では、キャパや沢田教一の「戦時写真」が能弁に語るべきものを語っていました。

今回の展覧会で、内容以外で驚いたのは、土曜の日中なのに人が少なかったことです。 混雑を覚悟して訪れた者としては、見易くて大変助かりましたが、これだけの内容の展覧会としてはちょっと寂しい気もしました。

好天気の土曜日とあって、家族連れで出かけてしまったのかもしれませんが、それでも「ダビンチ展」や「モネ展」、「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」は盛況だと聞きます。

世界の名画も結構ですが、こうした一見地味な展覧会もなかなか見るものがあります。 是非、多くの方々に見てもらいたいと思います。

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2007年5月12日 (土)

考える人

Photo_106 人事制度の設計なんてことをいざ始めてみると、「こうしたい」という思惑とは別に、現行の制度との折り合いのつけ方が実に難しいことに気付きました。

というのも、会社としては、改革を断行したいと言う考えはあっても、総人件費の増加は出来るならば避けたいのが本音です。 しかし、AシステムからBシステムへの移行に伴って等級が変われば、それに応じて賃金テーブルが変わるということになります。 ところが、労基法では「不利益変更」は出来ないので、移行原資が必要になってくるというわけなのです。 となれば、従業員が3,500人いる会社では、全員を直近の等級に移行するだけで多大な経費負担が新たに生じる結果になります。

ES(従業員満足)が定期昇給や賞与額だけでないにしても、現実的には、やはり「お金」の比重は高く、そうなると、「世間並み」という言葉が業界平均水準が「世間並み」なのかという疑問もありますが、考慮していかなければならないポイントの一つです。

また、組織がそれなりに大きいということは、セクショナリズムもそれなりに生じるということで、現場現場で「思想」にズレがあり、全てのセクションに満足を与えることを意図していなくても調整の仕方に苦慮します。

保有能力だけではなく、発揮能力や目標管理に応じた評価軸を定め、執務態度も踏まえて・・・ なんて考えたら、そのうち、レベル間のスパンをどうするかなんていうことに今の段階から頭が及び、先走る思いを控えたり(苦笑)

やっぱり、「絶対多数の絶対幸福」を考えちゃうんだよなぁ! 大げさかしら?(爆)

特に、CDAの勉強を始めてから、”誰にでも長所がある” ”誰もが自分なりに頑張っている” みたいな感が強くなって、「落としどころ」の調節がより困難になりました。 ”支援はしても評価はしない” のがキャリアカウンセラーですが、人事は ”支援をしながら評価もする” ので大変なのです。

さて、愚痴はこのくらいにして、週末は自分の支援に徹することにします!

決して評価はしないでね。(笑)

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2007年5月 6日 (日)

誕生日

Photo_105 今になって何を期待しているのかも定かではないのですが、子どもの頃の記憶の残像が長引いているのか”誕生日には好いことがある”という根拠もない希望があります。 これは、齢ウン10歳であっても変わりがなく、誕生日に何もないとつまらなくて仕方がありません。

といって、子どもの頃に何ら特別なことがあったというわけでもないのですが、5月5日が誕生日だと「子どもの日」で祝日、だから必ずお休みです。 休みだと父も家にいるし、子煩悩な父だったので居ればどこかに連れて行ってくれる。 増してや、長男のお誕生日ならいつもの休みより豪華版です。

ああ、誤解のないように言っておくと、豪華版とは、「お金をかける」という意味ではなく、一日中かまってもらえるといった意味です。 (当家の辞書に「親離れ」・「子離れ」といった言葉はありません)

また、5月5日は、気候的にも、横浜あたりで一年中で一番マイルドな季節、陽は穏やかで、風もやさしく、空気もふんわりして気分がなごみます。 ( ※大好きなスズランの写真をアップしました!)

その「特別な日」が、今では、連休のはざま、しかも終わり近くの単なる休日になってしまいました。 父もとうに亡く、母も、歳をとって以前ほど出歩くのを好まなくなり、弟や友だちは仕事だったり、家庭やその他、独自の世界や制約があって、 彼女は? ....... ノーコメント!(笑)

しかし、不思議に思うのは、同じように「退屈な一日」であっても、バレンタインデー、夏休み、クリスマス等には、これほどまでに期待を裏切られた感じがないことです。 むしろ、言ったしまえば「どうでもいい」くらいです。

どうして誕生日にこんなにこだわるのか? セルフカウンセリングは不調。。

それでいて、「おめでとう!」なんていわれると、「この歳でおめでとうもないけれど・・・」、「当年(10年)とって(取って)〇〇歳」 なんて言ったりしてるんですもんね。(笑)

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ESコーチング

Em 今回、新しく入った会社で、人事制度改革を担当することになりました。

この会社、総合ビルメインテナンス業を営む中堅どころなのですが、警備、清掃、設備、人材派遣と職種が多様で、また勤務形態も正社員、準社員、契約社員、パート社員とさまざま、かつ現場サイドで勝手に昇給、昇格等を決めてくるので、人事・労務はメタメタです。

まあ、現場には現場で、クライエントや勤務の実情に合わせて「緊急対応」しなければならない現実もあり気持ちは分かるのですが、それを認めてきた会社の姿勢が正直よく分かりません。

だから今回、これではダメだということで本腰を入れてプロジェクトチームを組み、予算も計上し、その結果、Kidsのような未就業者が再就職できることになったのは嬉しい限りですが、リミットは9月とあってかなり厳しい状況です。

入社1週間、チームの打合せや部門の会議に参加しましたが、だからといって未だ何が分かるわけでもなく、特に、現場を見ていないので(想像はつきますが)しばし静観しています。 それでも、取り合えず分かったことは離職率が高い業種だということ。これは当社に限らず大手の会社でも同様です。

ちなみに「2ちゃんねる」を見ると、”貴方を守りたい” S社も ”1,2,3,4,・・・”のA社も、まるで「悪の巣窟」のような言われ方をしています。 聞くところによれば当たっているところもあり、そうでないところもあるそうで ・・・・・ だいたいが日本のサービス業の地位は低過ぎるんでそんなもんでしょう。

そして、この2ちゃんねるをながめて感じたことは、人材マネジメントの難しさ。 ”欧米か!” の機能不全に陥った成果主義によるモチベーションクライシスは、企業と従業員が相互に選択的な関係になった現状を捉えきれずにお金や地位の報酬で拘束的な関係を結ぼうとして生じたといって過言ではありませんね。

そのことへの反省から、近年、取り沙汰されているのがES(従業員満足)やモチベーションマーケティング。 しかし、現実的には実用に供している会社は極めて少数のようです。 まあ、あらゆる面で「余裕のある会社」でしか導入できないといったところでしょう。

しかし、完全なESやモチベーションマネジメントが不可能でも、断続的な「コーチング」は可能かつ絶対的に必要なことだと思います。 それは企業が求める「役割貢献」にESによるモチベーション向上が不可欠だからです。

さて、そんなことで、今日、書店でこうした内容の本を買い増ししました。 もう少し勉強して考えをまとめたいと思います。

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2007年4月30日 (月)

運気

Photo_103 この1週間ばかり、運気が極端に低下していて、世の中のリズムと波長が全く合わなくなってしまいました。

まず、電話、話したい相手に連絡するとたいてい不在、もしくは話中、電話を待っているときには、用も無い相手やどうでもよい些事の電話ばかり、電話だと忙しくて出れない場合も当然あるから、見たときでいいからと思ってメールすると何日も返信が来ないで気が急く一方なのです。

”まあ、ゴールデンウィークっていうのもあるから、旅行でも行ったのかなあ!” と好意的に判断して、前から気になっていたあれでも買おうかと街に繰り出すと在庫切れ、別の店に回ると改装中、”やれやれついてないや。。” と喫茶店に入ると、マシーンの故障中でエスプレッソが作れない、ラーメン屋に行くと臨時休業、駅一帯のトイレというトイレは使用中、もはや笑う気にもなりません。

”もう、いいや、帰ろう!” とポケットを探ると小銭切れ、仕方なく歩いて帰ることにすると雨、そして、いつも携帯している折り畳み傘を持ってきてないことに気付き、両替のために小額の買物をして置き忘れて引き返しました。

幸いモノは有ったのでひとまず安心して、気だるさだけを引きずりながら家へ帰り、もはや寝るしかないと判断、起きた時はもう夜で、夕食と風呂を済ませテレビを見ているうちにその日が期限のレンタルビデオを返していないことを思い出し、しかし、返しに行く気力も湧かず、テレビの野球もひいきチームは惨敗しました。

こんなことが1日のみならず数日続き、ちょっと休んではまたリフレーンしています。

さて、5月からは久しぶりに社会復帰することになったので、この機会にこの低調な運気を追い払いたいと、先ずは現状を測るにYahoo!占いを見たところ、思いがけない結果に!

即ち、世で言う「占い」において、Kidsの今の運気は決して悪くないというのです。 まあ、”当たれば八卦” の世界なので、良い時しか信じてはいないのですが、星座、タロット、四柱推命、おみくじ、風水に至るまで全てに「好調」と出るのも珍しいらしく・・・・・、本当かね?

だとすれば、最近の「空滑り」は何なんでしょうね。 まあ、出来るだけ気にしないことにします。

でも、典型的なA型には難しいんだよなあ!(笑)

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2007年4月28日 (土)

図書館

Photo_102 少しばかり調べたいことがあって中央図書館に行ってきました。

横浜市立中央図書館は、横浜市中区老松町にあって、文字通り市立図書館の中核的存在です。 Kidsは、小学校、中学校時代を中区で過ごしたので、この図書館のすぐ隣の団地に住む友人がいて、当時はよく図書館を利用していました。

しかし、久しぶりに訪れた中央図書館は、その時分とは全く違っていて、そのころはバス通りの反対側に入口があり、「蔦の絡まるチャペル風♪」で「プチ山の手チック」、多分2階建で、その道の先に野毛山公園がある割りには人通りもそれほど多くなくゆったりとした風情がありましたが、今は5階建て、表通りから直接スルーでき、軽食レストランをも併設する立派な図書館に変貌していました。

入ってすぐ一階は、小説と暮しのコーナー&子どもの本、総合カウンターもここにあります。三階が、一般調査部門&ヨコハマ資料部門、新聞や横浜市・神奈川県関係の資料、市立大学や市内企業の資料が収めてあります。四階は、社会科学&自然科学部門、五階が人文科学部門、そして地下一階が音楽映像部門、CDやビデオ、楽譜や映画・音楽の本が所蔵されていて、学習室、談話室が隣接しています。なぜか二階がないのですが、バックストック(倉庫)のような気がしました。

今回は、四階でビジネス関係の資料を閲覧してきたのですが、蔵書が多くなかなか利用価値がありそうでした。(但し、貸出し中も多い) そして、近くの机では、年配の男性が古地図をルーペで見ながら唸り声、そして腕組み。いったい何を調べていたのか? 興味深く思いました。

今日は2時間ぐらいしか居れなかったのですが、図書館にいると時間を忘れてしまいます。そして、何となく幸せな気分になってきます。出来たら好きな本に埋もれて過ごしたい。だから、男は書斎にこだわるのかも。 それとも、単に居場所を確保したいだけなのかな? 考えたら、マイホームってユアホームですもんね。 ねえ、奥さん。(笑)

ちょっと脱線してしまいましたが、市内図書館全館で使える共通カードも作ってもらったことだし、これからはちょいちょい利用してみようと思っています。

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2007年4月24日 (火)

自殺大国

Photo_101 皆さんは1年間に交通事故で亡くなられる方がどの位おられるかご存知ですか?

約7,500人です。

それでは、自殺者はどうでしょう?

約3万人、交通事故の死亡者の4倍です。しかも、日本は主要8カ国(G8)の中でロシアに次いで2番目、暫く前までは1番でした。

異常ですよね! それにしては、あまりニュース等で取り上げられません。 報道規制でもかかっているのでしょうか? 

特に日本の自殺率は、バブル崩壊で不況が深刻となった1998年に急上昇して以来、高い水準で推移したまま。 となれば、明らかに社会問題だと思うのですが、この深刻な状況に対して、少なくともKidsの知る限り、行われたのは、昨年の『自殺対策基本法』の施行ぐらい、しかも、国民の何%がこの法律の存在を知っているでしょうか?

さて、今日(4/24)付の読売新聞の社説によれば、内閣府が設置した有識者による『自殺総合対策の在り方検討会』が自殺者を減らすための提言をまとめたとあり、その報告書では、「国民が自殺について正確な知識を持つよう、国や地方自治体が、あらゆるレベルで教育活動、広報活動を実施する必要がある」とか「職場での心の健康への取り組みが、特に中小の事業所で遅れているため、商工会議所などを活用した支援策の拡充などが必要」などとあるそうですが、なんだかこの社説を読んでいてやたらと疲れてしましました。

ちなみに、『東京 いのちの電話』では、自殺の理由について、「人はなぜ自殺したくなるのかという問いに対して明解な答えをだすことは誰にもできません。しかし、自殺する引き金となるものはいくつかあります」とした上で、引き金の原因として ①人間関係のストレス ②喪失体験 ③性格(仕事熱心、責任感が強い、生真面目、凝り性、几帳面、頑固で融通が利かない) に根ざした「うつ病」が自殺念慮を引き起こすとしています。

また、ひとたび「うつ病」に罹ると、気分の低下、意欲の低下、生命力の低下が見られ、治療が必要になりますが、「うつ病」は治りがけに自殺の多い病気で、些細な状況が自殺につながるため、自殺者の心理理解、特に自殺企図者に共通する「二分思考」と「否定思考」の理解、簡単に言えば「わかってもらえない孤独感」を知ることが必要だといいます。

この点、日本では、精神科への偏見や心理カウンセラーの必要性に対する理解が欧米ほど進んでいないため、このことも自殺の増加に歯止めがかからない理由のひとつだと思われます。

仮に、中高年の自殺の多くが経済・生活問題に起因するとしても、それは金銭の問題というよりは、失業やリストラに臨んでの心理的な逃げ口がないこと、家族関係、親子関係、職場の人間関係、友人関係の希薄化がもたらすような気がしてなりません。

ゆえに、今回の有識者による『自殺総合対策の在り方検討会』の提言なども極めて表層的というか他人事に感じてしまうのです。

「当事者には言葉は届かない」、「自殺を防ぐのは周囲の人間の力」 ということをもっと認識して、血の通った施策、しかも、緊急かつ具体的な対策を実施していかなければいけないと思います。

例えば、学校、職場、地域等におけるカウンセリングの重要性にかんがみ、スクールカウンセラー、キャリアカウンセラー、産業カウンセラー、臨床カウンセラーの適性配置を法制化して、「うつ病」を「悩み」の段階で自殺の芽を摘む努力をする。

このぐらいのことは、直ぐにもできるような気がするのですが。。  如何でしょうか?

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2007年4月23日 (月)

予定調和

Photo_100 秦建日子氏の「推理小説」を読みました。

たまたま、近所の古本屋に行ったら、平台の上にお買い得品が積んであって、暫く前までTVでやっていた篠原涼子主演「アンフェア」の原作だとの説明がついていました。それなりに興味があったのと160円の安さにつられて購入したものです。

そうしたら、中にこんなような文章がたびたび出てきました。

「推理小説にはオリジナリティとリアリティが必要だ」、「しかし、読者は予定調和的な結末を求めている」

前半の文章は、これまで、それこそ飽きるほどにお目にかかったもので、特に新鮮味はなく、おそらく作者も、小説の中でそれを揶揄するつもりで、また、筋書上必要で使ったと思われますが、後半の文章には「なるほど」と思わされました。

推理小説に限らず、映画、音楽、そしてビジネスにおいても、私たちは今までに無い新しく斬新なものを求めています。しかし、それには一定の制約があって、それを逸脱したものは社会から認められず、時には制裁を与えられる場合があります。

それが、慣習なのか、社会的ルール、あるいはモラルというものなのかは定かではありませんが、もしかしたら、これが「予定調和」かと考えたからです。

ちなみに、大辞林によれば、予定調和とは、「ライプニッツの説で、単純で相互独立的なモナドの合成体である世界は神の意志によってあらかじめ調和すべく定められているのだという考え」とのこと。また、モナドとは、「万物を構成する不可分で不滅の実体」だとか

何のこっちゃ!?(笑)

まあ、簡単に言ってしまえば、目覚まし時計が二つあって、毎朝同じ時間に鳴るようにしておけば、二つの時計に相互作用がないにも関わらず、あたかも相互作用があるかのような一致が結果として生まれる。そして、その結果が、「可能である最善の世界」であるとのことらしい。言い換えれば、「可能である最善の世界」というのは完全に最善なのではなく、ありうるうちでいちばんマシというと考えてもいいかもしれません。

つまり、世の中の人間の大半は、悪人が民衆の味方によって懲らしめられたり、生きて結ばれない恋人が天国で結ばれたりするストーリーを潜在的に望んでいて、この予定調和の範囲でしかオリジナリティは認められないし、この範囲を超えるリアリティはむしろ封印したいと考える。でも、そんなリアリティは実際ほとんど無いし、その予定調和の場でオリジナリティを発揮するには制約が多過ぎるということでしょう。

うん、それは確かかも

特に、日本人は、「完全に最善なのではなく、ありうるうちでいちばんマシ」というのが好きな国民のような気がします。そして、それをいいことに見事な舵取りをみせているのが為政者やこの国のビジネスリーダーだといって過言ではないと思います。

とはいえ、予定調和を成立させずに健全な公平性を図るのは心理的にも難しいように思います。

さて、どうしたらいいのかな?

皆さんはどう思われますか?

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2007年4月18日 (水)

医者が足りない!

Photo_98 医師不足が深刻化しているというニュースが、テレビ等で頻繁に取り上げられるようになりました。

その中で一番問題視されているのは、昨年4月に始まった医師研修制度改革のこと。

即ち、これまでの研修医は各大学に所属して、そこから各地の病院へ派遣されるのが一般的でした。そこで、中には医師が極端に少ない無医村のような地域へ出向くケースもあって、これが、ある意味地方の病院の医師不足を補っていました。 ところが医師研修制度改革によって、研修医と病院側のマッチングで研修先が決まるようになり、研修医の希望が中央の有名病院に集中して、大学に籍を置いて研修を受ける医師が減る結果になりました。 なぜなら、研修医にとっては給料が高く、早くから戦力と見なされるケースが多い有名病院の方が魅力的だからです。

そして、その結果、地方の大学病院は人手不足となり、大学が医局の医師不足を補うために、病院へ派遣していた医師を引き上げるケースが増えて、これが地方の病院の医師不足に拍車をかける一因となっているといいます。

しかし、Kidsは、このようなことは予め想定できる事柄だと思います。

研修医と言えば、これまで大学の医局では「丁稚奉公」的に使われ、医師としての仕事に加え、先輩医師の学会準備など雑用もしなけらばならず、しかも、給料など待遇面でも一般病院に劣っていたと聞きます。

医師とて、条件の良いやりがいのある職場を求めるのは至極当然です。 特に、若い医師にとって、地方の、あるいは人手が十分でない病院で、夜勤や当直勤務、深夜呼び出しは日常茶飯事、夜勤明けで次の日に長時間勤務することも珍しくはない状況は耐えられないでしょう。 このことは、勤務医の自殺率が他の職業と比べて高いという統計からも明らかです。 また、若い医師にとって魅力のある病院とは、豊富な症例数、充実した研修体制、専門医の資格取得が可能であること、責任ある仕事を任せてもらえることなどが考えられます。

このことについては、「研修医が早くから実地経験を積むのは良いことのようだが、言い換えれば研修を十分に受けていない医師が第一線に立つ可能性があるということ。これまでは大学から派遣してきたので、教授は研修医に対して責任を負う必要があった。大学でしっかりと教育してから市中病院に送り出してきたし、何かとバックアップもできた。ところが今の研修医はそういう『後ろ盾』がない。不測の事態が起きたときに、どうなるかを考えると恐ろしい」という反論もありますが、その『後ろ盾』についてはどうでしょう? 大学病院は、教育機関でありながら、専門医を育成するための研修プログラムを整備していないところも多いと聞きます。 そうした点では、これまで、医師の臨床能力を育てる努力を怠っていた面もあると思うのですが。。

さて、こうして部外者が評論家めいたことを語るのは簡単です。 しかし、実際は、特に地方の病院で、内科、小児科、産婦人科の医師を確保するのが至難の業で、休診、病棟閉鎖などが加速度的に広がっているといいます。 また、Kidsの周辺をみても、内科、小児科の病院は、医師の高齢化に伴って廃業する病院も少なくなく、ことは急を要します。

そこで、ここは思い切って、新研修制度は旧に戻し、専門医の研修プログラムの整備、ならびに勤務時間等、医師用の労働基準を定めることを提言したいと思います。

「絵に描いた餅」かなとも思いつつ・・・ どうかな?

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2007年4月14日 (土)

2次試験

Pic 今日はCDA資格認定2次試験を受験してきました。

結果は?

残念ながら未だ出ません。5月8日発送だったかな。

出来は? 上出来とは言えないけれど、1回目よりは手応えを感じました。 明らかに練習した分、前とは違います。

特に、振り返りは、準備万端だったので、ツボにはまった質問もあってロープレよりも良いぐらいでした。 「〇〇〇〇に成りがちなので、特に気をつけて対応したのですが、未だ少ないかなとも感じています」なんて、わざと言われそうなところ(弱点)を言ってみました。(笑)

それにしても、今回のCLはよくしゃべってくれて、試験内容を公開すると不合格になるというので設定のことは言いませんが「異動」に関するご相談で、これまでの職務内容やその職務に対するCLの考え方を滔々と語ってくれました。(もしかしたら、そこまでが予め設定に組み込んであるのかも)

従って、裏主訴(?)があるのかもしれませんが、7分間という時間の中でそこまで把握するのは到底無理です。 特に、現在のKidsの実力(経験)ではこの程度が限界、「今の段階では△△△だと思いますが・・・・(以下省略)」という見立てでお茶を濁してきました。

それにしても、カウンセラーの世界は奥の深い、ゆえに非常に難しいものがあります。 なんて言っても、相手がモノでなくて人間ですから千差万別、しかも環境やその他、その時の条件で言語面も非言語面も変化するので、前もってのストーリー付けは実際には不可能です。 これを仕事でやっている人は偉いなあ!

といいながら、実はやってみたいのですが、なかなか需要と供給がマッチしません。 仕方ない、仕方ない。。。

さて、今日はお日柄も好く、試験終了後、仲間と5人で残念会、じゃなくて!お昼ごはんをしに行きました。 なぜか、今回は、同じ時間に同じクラスの仲間が集結し、しばし試験を含めて四方山話に興じました。 こうした場だと、とても素直にコミュニケーションが取れるのに・・・ ラポールが出来ているせいなのかな? 不思議です。

まあ、試験は試験、知人の心理カウンセラーも「実際はあんなことやっていない」と言い切っています。 ということも踏まえて、明日受験される方は「試験対策」を万全にしてください。 試験には対策が付きもののようです。

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2007年4月10日 (火)

Photo_97 10数年ぶりに友人と食事をしました。

Kidsがこの前まで勤めていた老人ホームの名簿に、たまたま彼の懐かしい名前があって電話したのがきっかけでした。

彼は、1985年に、その時勤めていた会社を辞めて、単身アメリカに渡りロースクールに入学、2年後帰国したものの職がなく、数年間苦労したそうですが、その後、知人に誘われて始めた会社が今や業界でも有名な上場企業となり、副社長を勤めていました。(驚)

ところが、数年前から、お母さんが病気で看護が必要な状態になり、仕事をしながら看病を続ける中で、ホームと言う選択肢をも考えたのだそうです。

しかし、経済的にはなんら支障はなくても、お母さんが家を離れるのを嫌がったため、この話は白紙撤回。でも、何とかしなくてはならない ・・・・・ いろいろ考えた末に、このたびアーリーリタイヤすることを決心しました。

ところが、会社にとっては創業者にも匹敵する貢献者、年齢的にもリタイヤする歳には程遠く受け入れてもらえません。 何やかや ・・・ で結局は非常勤の監査役ということに落ち着き、それでも1日数時間は会社に行かなければならないようですが、「遊んでるようなもの」になったらしく、今後は、外遊から帰国後数年にわたり迷惑を掛けっ放しだったお母さんの「罪滅ぼし」をすると言っていました。

それにしても、いろいろな人生がありますね。

当然ながら、仕事上でも、結構大変な思いをしてきたに違いないのですが、彼は「人と違って、俺の場合、99%は運!」 「人生は努力ではどうにもならない、結局は運!」と言って憚りません。 だから、これからは、「他人に運を与える手伝いをする」と言い、「当てにはならないよ」と言いながら、その場でKidsの再就職に関する電話を数本かけてくれました。

嬉しかったですね。 たとえ最終的に「当てにならない」結果だったとしても、これが彼の言うKidsの「運」なのかなと思います。

そう言えば、決して友人が多い方ではないと思いますが、「友人運」には恵まれているかも! ところで、「友人運」って、Kidsの「人徳」から来るものなのでしょうか?(笑)

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2007年4月 6日 (金)

免許更新

Photo_96 今日は運転免許の更新に行ってきました。

何回も出直すのが億劫なため、最寄の警察署でなく即日交付の運転免許試験場で更新することにして、最寄駅から二俣川へ。こういう時同じ路線に試験場があるのはとても便利です。

約10分で二俣川へ到着。 そこで、まずビックリ! ここってこんなに都会だったっけ?

考えてみれば、Kidsが学生時代、毎日乗り換えに使っていたのは四半世紀前、最初に免許を取ったのは15年前、あの頃は駅前にやたら代書屋さんが目立ってて←いつの話やら。 それが今では相鉄ローゼン、長崎屋、バスターミナルも近代的になっていて、札幌を除く北海道の町よりよほど立派な感じに見えます。

それにしても見覚えが薄いと思ったら、そう言えば、あれから何回か運転免許の更新をしたのは帯広、手稲といつも道内でした。行くのはいつも車で、しかも、この時期、北海道は季節的に雪がようやく少なくなって、しかし花は未だ咲かず、畑の湿った色の土と葉のない木々をフロント越しに眺めながら出かけていました。

ところが、二俣川の運転免許場ならびにその周辺は、いまや桜の真っ盛り、でも外に立って見ているのはちょっと寒かったですね。

ところで、運転免許の更新手続ですが、まず、来ている人が多い! そのせいか実にシステマチックに運用されていました。 講習もなかなかスマートで、以前、札幌の手稲で更新した時は、講習官の「北海道のワースト1を何とかしなきゃならん!」という力説に閉口しましたが、そんなこともなく、入場から1時間程度で全て終了。

ついでに近くの駅の日帰り温泉に寄ろうと思ったのですが、考えた末に止めて帰ってきました。

何故って? それは少々肌寒かったのと、ここらの温泉には寝る場所がないので・・・ そこが北海道と違って大いに不満です。食事処があって、場合によっては床屋まで併設されているのに、休憩室はあっても手狭で椅子があるだけで到底仮眠はしてられません。

これって、風呂入って、飯食って、金早く落として帰れ!っていうこと? と考えるのはいささか穿った見方でしょうか?

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2007年4月 1日 (日)

格差社会

Photo_95 ここ数年、格差社会ということが多く言われるようになり、書店には関連書籍が常にならび、最近では民主党のテレビCMで連呼されるまでになっています。

格差というか、同世代の「いい暮らし」との溝は昔から身に沁みて感じていました。

というのは、私は、親の倒産(そして父の死亡)を機に望まないまま社会に押し出された思いが強く、いわゆる環境要因(経済状況、家庭状況、人間関係)のために通常ルートを外れたと感じていたからです。

つまり、自分は決して人と比べて能力や才能面で劣っているというわけではなく、運が悪かっただけで、同じスタートラインに立ち挑戦する機会さえ与えられれば、状況は逆転するかもしれないというやりきれない思いがありました。

私の父は、当時こそ小さな会社を経営していましたが、元はといえば、一流私大卒のジャーナリストで、母も結婚前は銀行支店長の娘だったので、決して裕福ではないまでも、バブルのころは世の中の大半の家庭同様中流だと思っていました。 だから、当時は進学すらままならずに、ショックで「没落」したような気がしたものです。

だから、その後の20代~30代は「負債」を返す為に生きてきたようなもので、青春時代なんてものはありませんでした。

少なからぬ時を経て

自分は歳をとり、やっと希望を持って再出発できるようになったときに、時代はグローバル化(リスク化)し始めていました。

そして、現在、以前感じていた溝は、もっと根深い格差となって存在しています。 即ち、経済格差が無くなれば生活格差が解消し社会格差も解消に向かうということが全く望めなくなった世の中に、jealous(羨む) ではなく envy(妬む) を感じる格差として存在しているのです。

つまり、頑張ればどうにかなるという題目がもはや幻想であり、専門的な能力とクリエイティブな才能に恵まれ、かつそれを伸ばす環境が生来備わった一部の「勝ち組」と、普通の能力と才能、およびバックボーンしかない「負け組」の二極化 = 産業構造の変革(グローバル化)によって有用な人材は限られ、その他は単純労働ないしはそれほど重要でない仕事の担い手であるため、頑張っても収入は増えず、むしろ目減りするする現実が生じています。 そして、それは歴史の流れとして、基本的にもはや食い止めようのない様相を示しつつあります。

しかし、問題を一層深刻化させるのは、海原純子氏がいうところの「こころの格差」、山田昌弘氏がいう「希望格差」、中野雅至氏のいう「トラストの喪失」です。 即ち、為政者や役人、産業界・財界のトップなどの「勝ち組」、一部のエリートは「負け組」の気持ちが分からないからです。 だから、格差社会を論じる中にも、三浦展氏が「下流社会」の末尾で述べられたような「下駄履き入試」(親の所得の低い家庭の子どもは合格点を下げる)などという意見も出てきます。

「こころの格差」や「希望の格差」はアイデンティティを見失って発生します。 従って、必要なのは「経済的セーフティネット+心理的セーフティネット」、「社会承認欲求」+「なりたい自分×他人のためになる自分」の方向付け、小手先の対策でない「個人的対処の公共支援」を大胆な社会構造変革を踏まえて本気で取り組むことだと思います。

特に、「選ばれた者たち」は、「負け組」の視線まで降りて相手の感情、本音がどこにあるかまで考えなければ「選民」たる所以がありません。 自己中心的に自己満足を推進する以前にカウンセラー的視点が望まれると考えます。

そろそろ、金や地位、名誉と言ったマズローの社会的欲求を超え、「勝ち組」・「負け組」の枠を越えたコミュニケーションの上に、真の意味での「美しい国」の建設を目指していきたいものです。

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2007年3月30日 (金)

小事雑感

Photo_94 Kidsは、ブログを更新しようと思うと、後から読んだときに「真夜中のラブレター」みたいに赤面しないようにしようという意思が働くため、ついつい色々推敲するうちにまとまらなくなってしまって更新が滞ってしまうことがあります。

また、平凡な毎日が続くと、日記とはいえ、一般に公開するのにあまり些事を綴ってもという思いがあり、この時も更新が遅くなります。

でも、その平凡な日々を過ごすのも、青臭い、また阿呆くさい(うん?韻を踏んでいるな(笑) )話をするのも他ならぬ自分なので、今日は結果を恐れず小事を語ってみたいと思います。

◇今日心に残ったこと

・夜、まだ外に明るさが残るころ、桜が満開の近くの公園に二組のカップルがベンチに座っていました。一組は若いカッブル、大学生かな? 会話は殆どないようなのに、二人とも広隆寺の半跏思惟像のように穏やかな微笑を浮かべて座っていました。 そして、もう一方のカップルは年配のご夫婦、旦那が一方的に話していて、奥さんは頷きながら桜を見上げていました。 どちらもとても印象的でした。

・電車の中で、小学校低学年位の男の子がお母さんに「あっちだったら座れたのに!」と不満げな様子、お母さんはわざと作ったように無表情でした。 なぜか気にとまりました。

・二次面接で、初めて会ったCEOは経歴を確認するような質問を一つしただけ、後は女性の担当マネージャーが専ら質問して、Kidsの答えに「うんうん」と聞いていました。 でも、感じは悪くなかったし、自分でもリラックスして自然な回答ができた。 それに、応募者60名を超える中、最後の3人に残ったのはスゴイこと。 たとえダメだったとしても自分を褒めてあげたいと思いました。

・一昨晩、偶然チャンネルを合わせたNHKドラマ「グッジョブ」にはまってしまって、しかし、なぜこの番組がいいのかは自分でも不明です。 しかも主人公役の松下奈緒よりも市川実日子が気になって仕方ありません。

・ここ数日、マイブームの島田荘司を中断して「格差社会」・「下流社会」に関する本を読み漁っています。 著者によって論旨に温度差があって面白いと思います。 これについては、自分なりの考えをまとめて近々ブログに書きたいと思っています。

では、今日はこの辺で。

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2007年3月24日 (土)

人間って・・・

Photo_4 帰省していた親友と、昨年末に自殺したもう一人の親友宅にご焼香に伺いました。

成り行きでその父親と三人で夕食に出かけることになり、夜の池袋で結局ご馳走になるはめになりました。

お父さん曰く、「君たちが来るのをダシにして飲みに出てきたんだから」、まあ、確かに飲みたいのは事実のようでした。(笑)

そこで、当然故人に関わる色んな話が出てきたのですが、彼は、生前、大工をしていた父親と折り合いが良くなかったようで、特に、北海道に移住してからはほぼ音信不通。 従って、お父さんの話は、必然的に子どもの頃の話になります。

方や、我々の話は、その北海道の移住を契機に知り合ったので、最近12、3年の話です。すると、彼のイメージにはかなりの食い違いがありました。

例えば、お父さんの話では、中学の時に登校拒否を繰り返し、高校にも行かずに仕事を転々として、ようやく奇跡的に公務員に成れたと思えば、知らないうちに辞めてしまい、ある日突然、北海道へ行ってしまった。 友だちもほとんどいない内向的な少年のイメージです。

ところが、我々のイメージは、多趣味で行動的、明るく、得意な分野の話をさせたら止まらないし、話は明快かつ論理的で、確かに鉄道、野鳥、写真とオタク系が混じってはいたけど、移住仲間でそんなのは珍しいことでも何でもなく、反ってそのせいで友人は多いイメージなのです。

だから、お父さんの 「孤独に一人で死んだのかと思った」に ・・・ 

すると、どっちが本物なのでしょうね?

もちろん、両方なんでしょう。 お父さんも親友と称する我々も彼のほんの一部しか見ていなかったことになります。 ある意味、「はしゃいでいても孤独だったのかもしれない」 とKidsは今になって感じています。

だから、自殺したのかというと、どうなのかな?  Kidsはそれは違うような気がするのですが・・・・・ そう信じたいだけなのかも

ところで、大分以前に、このブログで「レッテル」の話をしましたが、私を含めて、誰もが、第三者の話をする時 「あの人はこういう人」と決め付けがちです。

それはある意味、そういう言い方が第三者の話をするのに便利だからという理由もあるような気がするのですが、上の話も踏まえて、どこまで相手を言い当てているのかな? と又考えてしまいました。

その点、今、トレーニングをしているキャリアカウンセリングは、クライエントのさらにその特定の一面や瞬間を映す鏡に過ぎません。 だから、「分かったつもり・何とかしてやろうと思ったりせずに相手の「気付き」を促す」というのは理に適ったことなのですね。

それにしても、人間って難解で、奥深くって。。 だから面白いのかもしれません。

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2007年3月20日 (火)

他流試合

Photo_93 他流ってわけでもないのですが、仲間の勉強会を離れて、若者キャリア研究所主催の2次試験対策トレーニングに参加してきました。

というのは、そろそろ専門家の個人的なフィードバックが欲しいと思ったからです。 ちょうど先週は、都合でいつもの勉強会が出来なかったこともあっていい機会だと思いました。

やり方は、参加者がキャリア・カウンセラー、クライエント、オブザーバー(審査員)役に分かれて役割を交換しながら繰り返す方法で、これ自体に新味はなかったのですが、講師のフィードバックがやはり根本的に違って、経験と自信に満ち溢れていて「傾聴」に値するものでした。

特に、言葉だけに限らず、表情やうなずき、声のトーンにまで言及するあたりは実に鋭くいささか恐ろしいものがありました。 また、「習ったスキルを見せる」 「振り返りは意味がある~感想を聴いているのではない!」あたりは、言われてみれば当然のことながら、これまで比較的安易に考えていた態度を改める必要性を痛感しました。

結論としては、行って正解でしたが、やはり東京は近くて遠く、また、他所のトレーニングに比べればビックリするほど安いのですが、毎回となると出費も交通費を含めてそれなりになるので、今後は自分のスキルを確認したいタイミングで参加したいと思います。

また、今回の講師は資格取得のみならず、その後の、例えばプロとしての方向性についても相談に乗ってもらえるようなので、頼りがいがありそうで心強く感じています。

受験者の中にも、スキルアップとキャリアアップを結び付けたいと思う方は決して少なくないはず、 キャリアアップの支援をしていただける機関がもっとあるといいと思うのは私だけでしょうか?

さて、試験勉強もそろそろ最終局面に入ってきます。 そんな意味でも、「自分を信じてもうひと頑張り!」と決意を新たにする上で、なかなか充実した一日だったと思います。

※ 念のため、「他流道場」のアドレスを載せておきますが、利害関係はまったくないので、アクセスする方は自己責任でお願いします。

http://d.hatena.ne.jp/y-career/20070213

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2007年3月17日 (土)

古書店街

Photo_92 たまたま所要で水道橋に行く用があり、ついでに神保町の古書店街に足を延ばしてみました。

古本はとても好きで、背表紙が焼けて、頁の角が丸くなった専門書などは、自分が知らないジャンルの本でも、いかにもアカデミックな風情があって憧れてしまいます。

又、そのような本が棚に並んでいる店内の饐えた(すえた)ようなにおい、しかめっ面で笑うことがあるんだろうかと思わず考えてしまう店主、なんか昭和のノスタルジーを感じてワクワクしてしまうのです。

だから、改築してコンクリートのビルになってしまったお店には興ざめしてしまいます。 それに、そういう本屋はたいてい世代交代して、置く本も変わってしまっていることが多いものです。

そんな中で、Kidsの行きつけとまではいかないけれど、昔からのお気に入りは、音楽専門店の古賀書店、シナリオ・パンフ・映画雑誌の矢口書店、洋書の品揃えが抜群の田村書店、その他にも廃刊の歴史書を探すならやはり神保町に来るしかないと思います。

その昔は、ここで、藤野保先生の「幕藩体制史の研究」とか、外の平台でマルローの詩集やベイツの原書を見つけてホクホクしたものでした。 でも、今の世知がない世の中、あまり出物はなくなってきましたね。

それにしても、いくら平日の昼間だと言っても、年配の人ばかりで学生風の若者を見ないのは、やはり活字離れが深刻なんでしょうか? 駅の近くには大勢歩いていたのですが・・・ちょっと寂しい気もします。

ところで、この日は風邪の治りかけ、しかも、冷たい雨が降っていて、とてもゆっくりしている気持ちの余裕がなく、特に探していたものがなかったこともあり、早々に退散してきました。

また近々来たいとは思うのですが、やりたいこと、勉強しなければならないことは他にもたくさんあって、増してや、最近はインターネットで古書も買えるので、今度はいつになるのかな?

こういうときは、気軽に散歩できるご近所さんが羨ましかったりします。

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2007年3月14日 (水)

視力低下

Photo_3 風邪と慢性的な体調不良からすっかり寝込んでしましました。

未だ万全とは言えない状態ですが、まあ、それはともかく・・・  驚いたことに、最近、すっかり目が悪くなってしまいました。

学生の頃は両眼2.0! 駅の改札を抜けて、プラットホームに上がった端からプラットホームの時刻表が読めたもので、社会人になってからも、仕事で扱う腕時計の部品No.なんかは肉眼で確認できていました。

それが、この頃、番号ポータビリティで携帯電話をドコモからソフトバンクに変えたら、すっかり増えた絵文字が分からないのです。 例えば、顔文字で言えば、〇の中の顔が笑っているんだか泣いているんだか分からない。

本を読んでいても、二段組のページになると、画数の多い漢字は読めない。

腕時計の部品どころか、文字盤の針が37分なのか38分なのか、どっちに寄っているかも不確かです。

これはマズイ! と思って眼鏡屋に言ったら、左右の度数がかなり違うので、これ以上調整するのは無理と言われてしまいました。 即ち、左は遠視、右は近視で乱視なんだそうです。

なんだ、そりゃ!!  原因不明。。

そのせいかどうか、目がとても疲れやすいのです。 本を読んでいると、すぐ寝てしまいます。 ソファーや炬燵、ベッドはもちろん、だから、絶対読まなければならない本は、机の前に座って読まなければなりません。もっとも、これは体調のせいもあるかも。

それとも、加齢?...ヤダヤダ。

あ、また熱が出てきた。(笑)

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2007年3月 8日 (木)

売り手市場?

Photo_9 昨日説明会に行った人材サービス会社でとても面白い話を聞きました。

というのは、昨年来、景気回復が謳われ、新卒者も「売り手市場」のように言われているのに、3月も2週目に入った今でも就職できない新たな登録者が後をたたないそうです。中には、大学の就職科の先生が同行で「お願いします」とやってくるとか。

お話をされていた担当者の話では、原因は、企業側にもあるが学生側にもあるそうで、第一に、今はインターネットの時代なので、多くの学生が、まず複数のweb求人サイトに登録する。そうすると、次から次へと「セミナー案内メール」が来て、学生は日程調整に追われ説明会に参加、そしてエントリーに進むわけですが、この時の学生の選択基準は「名前を知っている有名な会社」、即ち、多くは「大企業」なのだそうです。

ところが、こうした「大企業」(従業員1,000人以上)は日本企業の0.1%以下の数しか存在せず、また、web求人サイトの検索ページの見やすい所に載っている企業(宣伝にお金をいっぱい払っている会社)には、全国から何万という応募が殺到するので、人事は到底まともに応募書類を見ている隙などなく、書類選考は殆ど営業がやっているそうです。

そして、何万が何千になったところで、SPI試験などをしてさらに応募者を絞り込むわけですが、この「試験」も実は試験などではなく、結果を公表しなくていいのをいいことに、例えば、「男性」・「国公有名私大」・その他、企業の決して明かされない理由で足切りしていくといいます。

となれば、これは正に狭き門、しかも、その人材会社の担当が言うには、「名前を知っている有名な会社」や「大企業」って本当に良い会社? といいます。

つまり、つい先日のニュースでもやっていた、5,000人もリストラしなければならない企業に応募者が殺到するのは異常だというのです。 それに、こういったリストラにも実は裏があって、実際のところ、今はもう大企業なんて存在せず、〇〇会社ではなくて〇〇グループという複数の企業の集合体、従って、この内、不採算に陥った会社の一つ二つを整理すればすぐ出来ることなんだそうです。

彼は、むしろ、中小の特別な技術やノウハウをもった企業の中に真の「良い会社」・「成長する会社」があると力説していました。そして、こうした会社の多くは、web求人サイトの検索ページの見やすい所に載っていない会社(宣伝にお金をかけていない会社)なので、こうした点を学生に教え、理解させ、内定をもらった後で辞退がないようなマッチングをしていきたいといいます。

なるほど、正に「目から鱗」の思いでした。 こんな人材会社(あるいは担当者)もあるんですねぇ~。

それと、これに関連して思ったことは、これじゃKidsも再就職が難しいなということ。 不採用通知がバレンタインチョコの何倍もたまってしまって、いささかグロッキー気味な毎日をおくるKidsなのです。

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2007年3月 4日 (日)

言葉にできない

Photo_91 最近、仲間とカウンセリングの練習をしていて度々指摘され、自分でもそう感じていることに「共感」が足りないことがあります。

と言いながら、正直いうと、そう言われた心の中では、「共感はしているよ。 ただ、言葉に出していえないんだ。。。 」 とつぶやくもう一人の自分がいます。

カウンセリングの練習は、あらかじめ用意された「事例」を元にクライエント(相談者)役がストーリーを組み立てて相談します。 自分の実話を話す場合もありますが、たいていは別の人の話、あるいはフィクションです。 だから、失礼な話、クライエント役も、どこまでその「事例」に共感しているか不明です。

でも、だから共感できないかというとそういう訳ではなく、例えば、突然、会社が倒産して呆然とする気持ちも、自分だけ昇進しない悔しさも、今も仕事が自分に合わないんじゃないかという思いも、長いブランクがあって久しぶりに就職しようとする時の不安な気持ちも、色んな仕事を経験してきたKidsには、すぐ頭に情景が浮かぶようによく分かります。

ところが、この「情景」が曲者で、情景に伴う感情に自分自身が「特化」してしまうと、感情を言葉にするのが皮相的で空しいものに感じてしまって言葉にならない。 面談では、相手の使った言葉を違う言葉で置き換えるのは「言い換え」と言って基本的にNGなのですが、たとえクライエントの発した言葉を繰り返すだけでも「この言葉でいいのかな?」 と思ってしまう自分を感じます。 これじゃ試験に受からないですね! 先ずは己を無にして立ち向かわなければと反省しています。

ところで、この「言葉にだしていえない」現象は、Kidsの場合、実際の生活においても当てはまります。 話し好きで、よく言えば弁が立ち(理屈っぽくてうるさい)、誰とでも仲良く話せるみたいに言われることの多いKidsですが、確かに、どうでもよいことはよく話すのですが、こと感情の機微に触れる場面に遭遇すると言葉にできない。 どうしてなんだろうと自分でも思うのですが、臆病なのかどうなのか、特に相手が女性だと困ります。(泣)  突然構えてしまう。(笑)

できれば、一人でもいいんで、「言葉にできない」でも分かってくれる人に傍にいて欲しいですね。 そうでないと、将来わびしい独居老人になりそうです。(笑)

あれっ、また、その情景が浮かんでしまった!(爆)

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2007年3月 1日 (木)

ハケンの品格

Photo_90 大阪府の30歳の派遣社員が、働いていたタイガー魔法瓶から直接雇用を拒否され「屈辱的な扱い」を受けたとして、同社に正社員としての地位確認と、毎月の給与約14万円など総額511万円の支払いを求める訴訟を大阪地裁に起こしたというニュースを興味深く読みました。

訴えによれば、彼女は、同社で実質的には約5年も派遣されていたにも関わらず、長らく派遣会社での就業という「偽装請負」の状態で、その後、派遣契約に切り替わり、派遣期間が最長で07年2月までと明示されたことに不安を感じた彼女が、地域労組に相談のうえ、労働者派遣法の規定に従って直接雇用するよう大阪労働局に申告したということです。

これに対して、大阪労働局が06年11月、派遣期間などが同法に抵触することを認めたうえで、女性の雇用を前提に契約を解除するよう指導したところ、タイガー魔法瓶と派遣会社の契約は解除され、雇用も実現しなかったとのこと。

また、この際、門内への立ち入りを拒否され、私物もロッカーにおいたまま締め出されるなど「屈辱的な扱い」を受けたトラウマで、彼女はもう派遣では二度と働きたくないと話しているらしく・・・ 事実だとすれば、許されない話ですね。

ところで、KIdsが、このニュースを「興味深く」などと、ある意味「不適切な表現」をしたのには二つ理由があります。

一つは、最近見ているTVドラマ「ハケンの品格」に関連した話。

ストーリーを簡単に述べれば、派遣社員として特Aランク(時給3,000円)の評価を受ける大前春子が、3ヶ月契約で、丸の内にある食品会社の営業事業部マーケティングに雇われる。彼女は、社内の人間関係に追われつつも、与えられたノルマを淡々とこなし、相手構わず言いたいことを言う。契約した事以外は一切しない。休日出勤はしない。残業は一切しない。そんな彼女に周囲は振り回されつつも、徐々に認め始めるといった具合。

面白いのは、彼女は、謎めいた女であるが、仕事は素早く正確、会社からの信頼は深く、判明しているだけでも超難関の資格を26個持っていて、しかも、ただ持っているだけではなく、その資格を縦横無尽に使いこなすことができるという点です。

見ていて、こんな奴いるかよ!といったところが、そのストーリーとあいまみえて、馬鹿馬鹿しく、反って爽快な気分になります。

ところで、今まで、何気なく見ていたドラマですが、先のニュースと照らし合わせて見ると、ドラマの冒頭でいつも出てくる「驕れる正社員は久しからず・・・」といったところが、今回のケースとまるで逆、また、残業するのは無能な証拠(時間内に定められた仕事がこなせない)なんてセリフも、まるで、今話題の「ホワイトカラー・エクゼンプション」を後援するかのように聞こえます。

しかし、実際は(これがKidsの二つ目の理由なのですが)、派遣を始めとする労働者の立場は昔とは比べられないほど低くなっています。ご承知のとおり、終身雇用制度が崩壊し、真面目にコツコツ働いてきた社員であっても、成果不足や加齢が原因でいつクビを切られるか分からない。(この点、景気が若干上向いてきたことからの恩恵はありません) 増してや、派遣社員は、①自社で保険をかける必要が無い ②賞与を出さなくてよい ③いつでもクビを切れる が会社の三大メリットですから、今回のニュースなどは、Kidsにとっては日常茶飯事で、今さらニュースになったことに、とても興味を覚えました。

また、こうした個別労働争議にあたって、行政の対応はかなり不完全です。 Kidsは、以前、別件で会社と争い、労働局の「あっせん調停」に臨んだことがありますが、会社の不正を正すため、いくら客観的な資料を揃えようとも、あっせん自体に強制力はなく、会社が認めなければ、民法に基づく裁判で争うしかないわけです。

となれば、経済的弱者であり、時間的にも拘束され、モチベーションの維持、あるいはエネルギーの持続が難しい一労働者は、たいていそこでドロップ・アウトしてしまい、今回のように裁判に発展するのは、正に氷山の一角なのです。

つまり、かなりきつい表現になりますが、ホワイトカラー・エクゼンプションなどは、企業と行政が結託した ①サービス残業の合法化 ②過労死の推進 ③奴隷制度の復活としかKidsには思えません。

それにしても、現在の日本に、「慈」という文字はなくなってしまったのですかね。 「個」のレベルでない「民」のレベルで言えば、絶望感に近いものを感じるばかりの昨今です。

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2007年2月25日 (日)

旅と旅行

Photo_89 Kidsは旅が大好きです。

ところで、「旅」と「旅行」ってイメージがかなり違うと思いませんか?

たとえば、Kidsの場合、仲間や家族とつるんで出かけるのは「旅行」、このときは、たいていホテルや旅館に泊まります。 一方、ひとりで出かける場合、特に、目的や場所が明確でないとき、この場合は民宿やとほ宿に泊まることが多いのですが、こうしたときは「旅」と称しています。 ところが、辞書とかを調べても、違った説明が出ているわけではありません。

ちなみに、ある人は、この違いを、「移動」の意味が違うと言っています。 曰く、「旅行客にとって移動は移動に過ぎない」 「旅行客は目的地こそが目的になる」、一方、「旅人にとって移動=旅路も目的である」  う~ん、なるほど。

また、こういう意見もあります。「旅行者は表面だけ見て、旅人は内側も見る」  観光客は名所が目的だけど、旅人は地元の人達との触れ合いも目的ということのようですが・・・・・ う~~ん、どうかな? そうとも限らないと思うけど。。 でも、言っていることは分かる、言いたいことはよく分かる。 だいたい、旅行の時って、仲間や家族の思い出づくり、それも名所の写真や旅館(ホテル)の風呂や食事、お土産程度で完結していますものね。

そういえば、Kidsも、一人旅でユースやとほ宿に泊まるときは、そこでの出会いや旧知の友との心の交流みたいなものが目的で、極端をいえば、そこからどこにも出かけなくてもいいわけで・・・ そう、だから旅=ひとりのイメージなのかも

一方、これが「旅行」だと、同行者がたとえ家族であっても、気遣いというか一種無駄なエネルギーが必要になります。 ツアー等なら時間の制約があったり、のんびり空間(自然)や越し方の余韻に浸っているひまも無い場合が多く、「心の道草」は確かに難しいかもしれません。

もっとも、Kidsは、「旅行者は表面だけ見て」と決め付けてしまうつもりも自信もなく、実際、たまにツアーも行くし、それはそれなりに楽しいひとときを過ごせます。 でも、最近になって、特に、現代人には、「心の道草」が必要ではないかと思うところしきりになりました。

その点、「旅」は若者のみならず、それ以上の世代にとっても、有効な自分探し、あるいは自分復帰ができる有効な手段の一つではないかと思います。

ワーカホリックのお父さんも、たまには「旅行」ならぬ「旅」をしてみませんか?

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2007年2月21日 (水)

リサイクル

Photo_88 横浜西口に程近いビルの1階に何だか高級そうなお店が!と思って通りから覗いて見れば、ブロンズ色のガラスの向こうにヴィトンだのプラダだのが並んでいて、「なんだ、ブランド品のセレクトショップか」と思えば、実は、リサイクルショップでした。

そういえば、たまたま昨日見たテレビで、名古屋の大型リサイクルショップの密着レポートをやっていました。そこは本当に何でも扱っていて、お決まりのブランド品以外にも家電や楽器なども、もしかすれば量販店以上に充実した品揃え、そして、その殆どが一般消費者からの買取品だそうです。

物を売りにくる人たちも様々で、衝動買いした高級コートがやっぱりいらないとか、もっといいギターが欲しくて持っていた愛用のギターを売りにくる若者、子どもに地球儀をねだられて、独身時代に夫からもらったネックレスなど宝飾品を売りに来た奥さんとそのファミリー、祖母や母親から受け継いだ着物を売りに来たちょっと派手めな小母さん等、皆、いろいろ事情があるようでした。

それをまた買う側も、限定品のギターがどうしても欲しくて、奥さんと相談のうえ、いったんは引き上げたものの、諦めきれずに買いに来たおじさん、結婚指輪が欲しいけれど予算がなくてやってきた若いアベック、貴金属品を体中に着けながら指輪を熱心に物色している年配のご婦人など、まあ、千差万別です。

Kidsは、結構、ブランド品にも興味があるし、また、不要品を処分して必要な物を買うのは合理的だと思い、リサイクルショップには肯定的なのですが、衝動買いの商品を買って数日後に売ってしまったり、男の人からプレゼントされたブランド品をそのたび換金して遊びに行ったり、結婚指輪をブランド品でなくては嫌だとリサイクルショップで購入するのには抵抗がありますね。

即ち、テレビでバイヤーから査定を受けたご婦人が「思いがこもっていてもダメなんですね?(その値段になってしまうんですね?)」と問うのに対して、お店のバイヤーが「思いは買えませんし、売ることもできませんから」と切り返した場面に象徴されるように、物には程度の差こそあれ、それを買ったときの、あるいは、あげたり貰ったときの「思い」が籠っているからです。

物は確かに物です。それ自体を売買するのはビジネスで、市場価値にもとづいて取引きされます。しかし、個人が物を手に入れ、また、手放すときには、必ず何らかの「思い」がついて回ります。そして、この「思い」は時として物より高価になります。

最近はこうした「思い」に鈍感な人たちが増えています。というよりも、むしろ、こうした「思い」に縛られたくないという人もいるのでしょう。でも、大げさにいえば、人生って、人間関係っていうものは、こうした「思い」のやり取りなのではないでしょうか?

先の例で、独身時代に夫からもらったネックレスなど宝飾品を売りに来た奥さんとその旦那さんが、「子どものためになるなら・・・」といいながら、どこか寂しげな表情を見せていたのを思い出し、二人のこれまでの歴史を思い描いて、それだけで不思議と温かな気持ちになったこと、 Kidsは、そうした「思い」をこれからも大切にしていきたいと思います。

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2007年2月18日 (日)

孤独

Photo_2 奇しくもバレンタインデーにユニセフが発表したニュースによれば、先進国に住む子どもたちに意識調査で、「孤独を感じる」と答えた日本の15歳の割合は、経済協力開発機構(OECD)加盟25か国の中でずば抜けて高く29.8%であったそうです。

ビックリしたのは、その数字はともかく他の国々との比較、なんと!日本に続くのはアイスランドで10.3%、日本は、そのアイスランドの3倍です。 Kidsは、思わず言葉を失ってしましました。

孤独な現代人については、最近、社会心理学を中心に言及されることも多く、ある程度認識してはいました。

曰く、「他者との関係を失った世界では、他者を知ることができない。他者を知らなければ、他者を信用できず、他者も自分を信じてくれない。だから、孤独が生まれる」 ・ 「かつてなら強制的に他者と接しざるを得ない状況―親戚同士のつながり、町内会の集まり、近所づきあい等があったが、今はそれがない。そのような状況を打開するのに必要となったイベントは、特殊な状況下で他者との距離感を狂わしてしまう」 ・ 「欧米では”個を認める”という考え方が浸透しているが、日本は”個より集団を優先する”から”集団の中で個を認めていた” そして、今はその集団をなくしてしまった」云々

これは確かに事実でしょう。 しかし、その”個を認める”欧米ですら、映画「アバウト・シュミット」のように「孤独」は現代の日常に潜んでいるもののようです。 大人の世界ですらこれならば、大人の鏡である子どもたちが「孤独を感じる」のは当たり前なのかもしれません。

でも、なぜ日本だけが!

それは、企業や銀行ばかりが儲け、勤労者に配分のない経済状況を「いざなぎ景気」を超える景気拡大として得意がっている政府、深刻化するDV(家庭内暴力)に眉を顰めながら「他人事」には何もしようとしない市民、賞味期限切れを知りながら商品を出荷してしまう食品会社、状況を把握していながら、いじめは知らなかったと繰り返す学校などを見ていれば自ずと明らかでしょう。

子どもたちが「他人を信用できる」社会づくりに今すぐにでも着手しなければなりません。

それにしても、このニュースをTVで配信したテレビ局はどれだけあったのでしょうか? この内容は大変重要な問題であり、他のくだらないニュースを流す前に取り上げるべきことだと思います。

そのこと自体がすでに「他人事」と言っているような気がするのはKidsだけでしょうか?

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2007年2月17日 (土)

カラオケ

Photo_8 皆さんはカラオケがお好きですか?

毎日行っているという愛好家もいれば、付き合いでたまにという方、歌はどうも苦手という消極派、下手な歌を聞いていると頭が痛くなるという毒舌家、その他、色々な方がいることでしょう。

ちなみに、Kidsは、付き合い以上、毎日以下。 本当は毎日行ってもいいのだけど、社会的、経済的、その他の理由でそうもいきません。 でも、マイクを握ったら、あなた、逃がしませんぞ!(笑)

ところで、先ほどネットを見ていたら、韓国で52歳の女性がカラオケの連続最長時間の世界記録を更新したというニュースが出ていました。その時間がなんと!59時間48分☆ 1時間に1回、5分の休憩以外は歌いっ放しで1,000曲を歌い切ったそうです。

記録に挑戦したのは、脳腫瘍と闘う夫を励ますとともに、病気の家族を抱える人に希望を持ってもらうことが目的だったということですが、傍にいた夫以外の人が脳腫瘍になってなければいいのですが(笑)

冗談はさておいて、カラオケはよくストレス発散に良いと言われますが、これは心理学的にも根拠があることのようです。

というのは、ストレスは、感情を何らかのかたちで表現できないときに生じるものなので、言語や身体を使って感情表現をすればストレスは消滅するからです。 そういう意味では身体を使う運動も効果的ですが、言葉を使っての「表現」は一層効果が高いようです。

ついでに言えば、言語表現できなくなった強烈な感情表現が身体化すると心身症になり、心身症として、身体にストレスをぶつけられない最後の手段で、生きるエネルギーを最小限にしようとすれば「うつ」になると言われています。

こうして見ると、カラオケは俄然市民権を得てきます。 Kidsだって、59時間48分には到底及びませんが、6人で9時間、また、2人で5時間という記録があります。 しかも、まだまだやれたもんね!

もっとも、これは、あくまでも本人のストレス発散に良いということです。 果たして、あなたの周りで、もう聴くのが嫌とも言えずにストレスを感じ、増してや、心身症予備軍になりそうな友だちがいないか、よく観察して歌いましょう!

なんですって、Kidsの周り? 皆、楽しんでますって!(笑)

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2007年2月12日 (月)

面接

Photo_87 某国の関連団体を思わせる「協会」から面接のリクエストをもらって出かけてきました。

場所は虎ノ門のとあるビル、かなり古いビルです。しかも、玄関の掲示板に名前がありません。

面接会場は地下、ビル入居者共有の会議室を急拵えした様子がしました。また、会場の案内をする中に着物姿の中年の女性が・・・うむむ

それでも、30名程度の応募者らしき同年輩の男性(1名のみ女性)が揃って「説明会」が始まりました。ここでなぜか「面接会」が「説明会」になっています。

まず、説明に立ったのは40年配の男性、髭の感じがいかにも某国風です。しかし、説明はどこかおざなり、ビデオを見せても途中で止めてしまうし、そうかと思えば、また別のビデオを回してまた止める、どうも次の説明者のつなぎ役のように思いました。

そして、同協会の理事長が海外出張中とかで、同協会の上部団体の理事長という人物が登場しました。なんと、金髪!年齢不詳、でも、よく見るとかなりご年配のようです。ただし、着ている物は高そうだし、押し出しもあり、独特の風格があって・・・ なんか変。

そして、まずは協会ができた経緯および理念-ここで「相互の利益理念」・「豊かな明日」という言葉がたびたび出てきました。曰く、「相互の利益の理念を実践するということは、支援する側もされる側も豊かになるということ、即ち〇〇国が豊かになればなるほどあなた自身も豊かになる」 う~ん、変。

「貧しい国のために寄付を募っても、自身の生活に余裕がなければ、見返りのない義援金を出そうという人間は殆どいない。たとえ1万円の義援金を1万人集めたって1億にしかならず、月にすれば1,000万にも満たない。これじゃNGO職員の給料をまかなうだけ、だから日本のNGOは何もしていない。だから、日本で国際連合に認定されたNGOはゼロである」 う~ん・・・

そしてぼちぼち本題に近づくのですが、「〇〇国には膨大な地下資源が眠っている。たとえばダイヤモンド、しかも地層の関係で露天掘りできる。しかし、内陸にあり、交通手段がないので、一番近い隣の国の港までそれを運ぶ術がない。だから鉄道建設を支援したい」

「このたび、〇〇国大統領閣下のご承認のもと設立された当協会では、この資源開発のために義援金を募る人道的プロジェクトを後援することになった。基金を投じた義援金協力会員には、その協力の度合いに応じて、開発するダイヤモンド鉱山からダイヤモンド原石が基本開発時(1~2年後)に国際貢献記念品として贈呈される」  えっ!?

「そして、この独創的で大きな可能性を秘めた支援活動の展開は、確実にあなたを豊かにします」 ちょっと待ってよ!それって・・・・・

近未来通信と同じじゃないの?!

ということで、ほうほうの体で帰ってきましたが、驚いたのと同時に、途中から他の応募者の表情、特に視線がさまようのが可笑しくて(多分、Kidsもそうだった)、いやぁ、いい体験をしました。

本当にあるんですね、こんなのが。 参った、参った。

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2007年2月 8日 (木)

自己主張と自己中

Photo_86 このたび昨年10月から勤めていた有料老人ホームを退社しました。

入居者には、当然受けられてしかるべき必要十分なサービスを提供することが適わぬまま志途中でリタイヤすることに罪悪感が残りますが、介護・看護・フロントがそれぞれの立場から疑問に思い、改善を意図しながら、本部がその訴えを一切無視し、結果、少ない職員がしゃかりきに働かされ疲弊していく職場では改革は無理だと判断しました。

どんなに長いトンネルでも、遥か向こうに一筋の光りが望め、出口が確実にあることが分かれば暗闇を歩いていくことができます。しかし、トンネルの出口がないことを知ってしまった後では引き返すしか方法はないわけです。

この会社は、これまでもこのようにして多くの人材を失ってきました。今回、戦友だったマネージャー、ケア・マネージャーも春までに退社することが決まりました。

Kidsは、医療・福祉の分野では全くの素人でした。しかも、中途入社であったことから、入社に際しては無条件で会社の指示に従うようにと繰り返し言われ、また、Kids自身も、それは当然のことで、少なくとも一通りの仕事は出来ると他人から認められるようになるまでは、誰に対しても出来るだけ謙虚に接しようと己を律してきました。

しかし、もしかすると、これは誤りだったかもしれません。というのも、自己主張と自己中心的主張は違うからです。自己主張は、自分のことを主張することであって他人には関わりません。これに対して、自己中心的主張は、他人のことに侵食してまで自分の利益を図ることです。だとすれば、本音を言わないで黙っていることは、本音を言うと自分が損をするという自己中心的主張だと思うからです。

日本では、欧米と異なり、「我が強い」ことはイコール「協調性がない」と見なされます。しかし、職場全員の自己主張が同一の場合、「我が強い」ことは「協調性がある」ことだし、改善につながる有効手段ではないでしょうか?

もっとも、その自己主張が通るとは到底思えません。でなければ、マネージャ以下が次々と辞めていくことにはならない。何といっても、鉛筆一本買うにも本部のお伺いが必要な会社なのですから、現場に決定権は全くないのです。

可哀想なのは高額な入居金、月々の管理費、介護保険料を支払って真っ当なサービスを受けられない入居者たちです。そして、彼らの殆どは介護職員・看護師・フロントがこれ以上言っては気の毒だというほど働いているのを知っています。

聞くところによると、ある意味、仕事以上に奉仕、あるいは献身が求められる医療・福祉の世界で、反ってこうした経営的判断が優先されているとか

あまり信じたくはないですがね。

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2007年2月 6日 (火)

焦り

Photo_85 キャリアカウンセリングのロープレを再開しました。

今回はこれまでのメンバーと違って初見の方ばかり、しかも皆CDAの有資格者でかつ熱心に勉強されている様子とあって、「傾聴」に足ることが多くかなり緊張しました。

そんな中で、自分がカウンセラーとして不十分な点が2、3見つかりました。

まず、感情の反射が出来ていないこと、これは致命的です。 自分自身はクライエントに共感しよう、受容しようと努めても、「心を込めて聞く」のと「心を聴く」のとは異なります。 この点はクライエント役の振り返りも含めて痛切に思い知らされました。 Kidsは映画やドラマに感情移入しているのと同じ次元でしか聴いていない、相手が感情をあらわにして泣いたり、怒ったりすれば、感情を重視することができますが、話し手が冷静に話していると話題や筋道に引きずられて感情を見失ってしまうようです。

二番目はクライエントの反応が鈍いと焦ってしまって、情報を得るためにあの手この手の質問(脈絡のない質問)をしてしまうこと。 自分に余裕がない、あるいは自信がないために冷静でいられなくなるのです。 ボキャブラリーが豊富で、仕事では自他共にコミュニケーション能力があると言われ続けたことが反って仇になっている感じもあります。

そういえば、老人ホームでお年寄りと話すときは相手の反応が鈍い、あるいはどこまでが本当でどこまでが空想の話かわからないことが前提なので、Kidsもゆったりと自然にかまえて焦りなど微塵も感じません。 もしかしたら、このときの方が傾聴しているかも知れませんね。

どちらにしても、人間の成熟度が低いことが一番の問題だと思います。 もっと心の広い、器の大きい、真の意味でやさしい人間になりたいです。

えっ、だれ?今、無理って言った人、出てきなさい!傾聴してあげますから(笑)

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2007年2月 3日 (土)

理不尽と不可解

Photo_1 世の中には理不尽、あるいは不可解なことが多すぎますね。

たとえば、ある会社。 IDカードで始業・終業を記録すると就業規則に載っているにもかかわらず、残業手当は命令簿に押印しないと出ない。しかも支給は翌月。ところが遅刻や欠勤はその月の給与からタイムリーに控除されるのです。

ビジネス以外でも不可解な話はたくさんあります。 そうそう、かつて彼女と映画を見に行ったときの話。 ポップコーンが食べたいというので 「すみません、(中)ください!」と言ったところ、「(中)は売り切れです。(大)なら有りますが」 (絶句)(笑)

事のついでに調べたのですが、不可解とは、Kidsの手元の辞書によれば 「理解できないこと、謎」、即ち、心霊現象などの神秘体験は科学で実証できないので不可解なことです。

一方、理不尽とは、「道理に合わないこと」。安売りのチラシを見ていつもと違うスーパーに行ったら、反ってガソリン代が高くつき、おまけに駐車代も取られた。 あるいは、Kidsが若いころ、女の子たちの話を聞いて何となく釈然としなかったことには、大勢でつるんで歩くと「友だちが多い」、また、動物が好きと言うと「やさしい人」という反応があったこと。そう言えば、「もう電話かけないで!」と言われ放っておくと「なぜ、電話くれないの!(怒)」と向こうからかけてくるのも不可解、あれ、理不尽? どっちだったっけ??

裁判の判決なども不可解です。(←理不尽と書いて突っ込まれると対抗できない(泣) ) 勝訴した原告が、裁判に多くの時間と費用を投じたのに損害賠償も慰謝料ももらえないなんていうのはその最たるものですね。

こうしてみると、理不尽はたいてい不可解、不可解は必ずしも理不尽ではないということなのかな? まあ、理不尽も不可解もKidsの場合は80.80%不愉快なのですが。。。

えっ、その数字はなんだって? 不可解ですよね? 8080(やれやれ)

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2007年1月28日 (日)

ロマンチスト

Photo_84 Kidsはときどき人からロマンチストと評されることがあります。

正直言って、言われて悪い気はしません。 何か芸術家みたいで格好いいと思ったりします。でも、その割りに、これまでの人生でロマンチックな経験はゼロに等しく、どうしてなのかと長らく疑問に感じていました。

そうしたら、この間ご紹介した本に回答と思しきものが載っていました。

「ロマンは、空想的、小説的、恋愛的であり、現実的なことの対極にあります」 「子どもから大人になる過程とは、現実と空想の区別がついていくことです」  な~んだ、KidsがKidsってことじゃない!(笑)

要するに、ロマンの典型的なもの恋愛を例にとるならば、恋愛は「現実世界の非現実的な感情」ということなので、非現実世界で非現実な感情に浸ることを好むKidsが得意であるはずもなく、又、「結婚は現実吟味(打算)がなければ早晩破綻する」そうなので、ロマン過剰なKidsにはなかなか適わないのもむべなるかなといったところ。

そういえば、Kidsの母親は、「あなたはおよそ自分に合わない相手ばかり好きになる」といいます。もちろん、彼女が全部を知るはずもないのですが、親であっても第三者的にはちゃんと現実吟味できているわけですね。(苦笑)

つまり「バランス感覚というのは現実感覚がベースにあります。バランス感覚を意識しますとロマンがなくなります」とあるのを言い換えれば、ロマンチスト=バランス感覚を意識しない=現実感覚がベースにないという方程式によって、Kidsには、きわめて子ども的という診断が下されたわけです。

でも、そう言われても意外とがっかりも頭にくることもありません。 「ああ、やっぱりそうか」と思ったり、さらに「それって純粋ってことだよね」と自分に都合よく解釈してみたり ・・・

それとKids=子どもである故に、現実社会の最たるもの「企業戦士」に抵抗感があり、ワーカホリックに恐れ、あるいは冷笑的な気分を抱き、「ぼちぼちの人生でいい」 「心豊かに暮らせればいい」と思うのも道理なのです。

どうやらKidsのロマンが人生に占める位置はかなり高そうですね。

非現実社会だけで生きられないならば、必要に応じて現実社会を行き来すればいい。そして、できれば非現実社会の我が家には誰かがKidsの帰りを・・・・・

あれ? また空想の世界に入ってしまったようです。(笑)

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2007年1月25日 (木)

「~したい」と「~する」

Photo 今日読んだ本に「~したい」と「~する」について、夢と現実という観点から説明していました。

そこでは、人間は夢がないと生きていけないから(夢は生きるエネルギーであるから)、現実を語ることによって夢を壊すべきではない。そして、現実吟味は夢を現実化するときの課題として、選択は本人にまかせると述べていました。

つまり、娘がアイドルに憧れて、「スターになりたい!」と語るのと、「スターになるために東京に行く!」と宣言するのとは違うので、「~したい」の段階で「何をバカなこと言ってるの、鏡を見てから言いなさい!」というのは禁物、それが非現実的であればあるほど自分で判断して「やっぱりやーめた」となるから、それまで夢を持てた幸せを元に現実に向かうのと、たとえ親であれ人から夢をついばまれるのは「いたみ」が違うというのです。

なるほど、Kidsが「若い嫁さんをもらいたい」と言っても、女性社員が「アホ」と言ってはいけないわけか!(爆笑)

まあ、それは冗談として・・・  そうですね、そう言われてみれば、世の中の現実を知るオトナ、一般に年齢が高ければ高いほど若者の夢をこわす言動が多いような気がします。

また、同書は「心が弱っているほど夢がもてない」といいます。 となれば、今の「ひきこもり」の若者たちは、新聞・ニュース等、ただでさえ夢がもてない世の中で、わずかな夢すら親をはじめとするオトナに否定され、生きる縁を無くしたすがたなのかもしれません。

う~ん、とても大きな課題です。

CDAを目指す身にとっては、この課題を「乗り越えたい」だけでなく、現実に「乗り越える」べく己を磨いていかなければなりませんね。

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2007年1月21日 (日)

バランス

Photo 明日から、ちょっと野暮用で、また北海道に出かけてきます。

この前が10月で、寒い寒いと脅かされて行ったところ、ダウンジャケットは一度も着ることなく持ち帰ってきました。

さすがに1月も20日を過ぎれば、もうそんなことはないでしょうが、モスクワでは記録的な暖冬でクマが冬眠できずにふらついているとか、国連予測では、このまま温室ガスを排出し続けると今世紀末に地球の平均気温は6.3度上昇するということで、札幌の友人の話でも「寒いけれど、そんなでもないよ」という話、何か核戦争が起きなくとも終末時計の針は確実に進んでいるようです。

まあ、それでも今の時期、スキーでもするのでなければ暖かいに越したことはないわけで、初日札幌で用事を済ませたら、足を延ばして温泉でも行こうかなと計画しています。

寒い季節は何といっても温泉がいいですね。体だけでなく心すら温まり癒される気がします。何せ長時間かつメンタル的にかなり疲れる仕事なので、適時リフレッシュしないと勤まりません。その点、北海道はその空気の匂いを嗅いだだけで安らぐ感じがするのです。

そして、気のおけない仲間との交流。利害関係がなく、また利害関係に価値を見出さない友たち、中には相当変わったのもいるけれど、その友に言わせるとKidsも相当なものらしいです。

我々の間では先生も社長もなく、あるのはそれぞれのパーソナリティだけ。こういうのが本当の「つきあい」だと思います。

それでも「ふれあい」まで発展する人間関係はほんの数人止まり。だからといって「ふれあい」だけでは人は成長できないでしょう。子どもに対して、親には親としての「ふれあい」と大人としての「つきあい」があって初めて育てられるものだと思うからです。

それにしても、最近、このバランスの悪い親、あるいは大人が多過ぎますね。

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2007年1月16日 (火)

ニライカナイからの手紙

Photo_83 Kidsには北海道に大切な娘が2人います。

といっても、Kids自身の娘ではありません。親友の娘です。

初めて会ったときは、それぞれ1歳と4歳。 それがいつの間にかお姉ちゃんはこの春から就職、妹も高校1年生になります。

それでも、テレビや新聞等でいわれる今どきの子どもと違って、とても素直で優しい、人の心が分かるとても良い娘に成長しました。

両親の教育、そして、元々は東京っ子なのですが、小さいころに北海道の田舎に移住しそこで育った環境がそうさせたと信じています。もちろん、生来の資質というものがあるとは思いますが・・・

最近は、さすがに、昔のように相撲をとったり、雪まみれになって鬼ごっこや雪合戦をしたり、スノーモービルでタンデムをやって転んだり、沢蟹を取って遊んだりはしなくなりましたが、それでもKidsの呼び名はいつまでも「お兄ちゃん」、お母さんより年上のおじさんがお兄ちゃんのままです。

遠くてなかなか会えないのが残念ですが、仕事の手をちょっと休めてコーヒーブレイクしたとき、何かの具合でふと思い出すと、思わず胸の奥がじわーっと温かくなるのが分かります。決して熱いコーヒーのせいではないでしょう。

そんな温かい気持ちを久しぶりに思い出させてくれる映画に出会いました。 「ニライカナイからの手紙」

沖縄本島の遙か南にある竹富島。父の死後そこで母とオジイと3人で暮らしていた風希。そんなある日、母が東京に行ってしまう。誕生日には、毎年手紙が送られ、その母からの手紙と共に成長していく少女。いつしか亡き父のカメラを手に写真の練習を始める風希。14歳の誕生日に20歳になったら全てを話すという内容の手紙が届き…

というストーリーとともに島の美しさ、言葉の美しさ、そして人の心の美しさが深く伝わって思わず。。。 感傷ではなく感動で泣かせてくれる映画です。

Kidsは、どうも最近の日本に懐疑的というより、かなり絶望的に近い思いを抱いていたのですが、この映画を見て、日本人もまんざら捨てたもんじゃないと思い直しました。

ところで、またこの映画でも、最近のKidsのお気に入り・蒼井優は瑞々しく、これ以上風希に相応しい役は誰にも出来ないだろうと思われる演技をしています。 というよりも、役をまったく感じさせません。スゴイです。 「花とアリス」のアリス役もそうでしたが、決して美人ではないくせに映画の中では「きれい」に見えてしまうのはなぜなんでしょうね?

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2007年1月14日 (日)

エネルギー

Photo_82 最近、若者、特に20代~30代の仲間と話していてエネルギーの違いを感じることが多くなりました。

歳のせいかなとも思ってみたものの、どうもそればかりでもないようです。

確かに、エネルギーを物理学的に定義するならば、あるものが潜在的に持っている外部に対して行うことができる仕事量なのですから、身体能力の低下と共に減ることは避けようのない事実であってこれはどうしようもないことです。

ところが、エネルギーには心と体をつなぐ目に見えないエネルギーというものもあって、KidsのCDAの先生などには間違いなくこれが備わっています。このエネルギーを俗にオーラと呼んでいます。

また、エネルギーは、一般に「上を目指す」「成長する」「進化する」といった方向で消費されるものと捉われていますが、「元に戻る」「自然体」「本来の自分」といった修復や維持にも使われます。

となれば、若者の熱い血潮、活力といったエネルギーを羨むのではなく、Kidsあたりは、そろそろエネルギーを伝達、あるいは維持・修復のために費やす時期に来ているのだと捉えて、その為に自分が成すべきことを考えるべきかもしれません。

それを、ただでさえ減りつつある物理的なエネルギーを若者達と同じように、また、それ以上に消費しようと頑張って疲弊するのは、考えてみればエネルギーの浪費ということでしょう。

人間には、その人生の時代に応じた複数の役割があり、エネルギーの総量、配分も違って然るべきことです。 なのにシニアが粉骨砕身、もっぱら物理的エネルギーを消費することにKidsは疑問を感じています。

団塊世代の大量退職を目前にひかえ、社会全体のエネルギーのあり方を見直す時期に来ているのではないでしょうか?

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2007年1月13日 (土)

心の闇、そして叫び

Photo_81 「リリイシュシュのすべて」というDVDを見ました。

最近、何かと気になる若手女優・蒼井優のデビュー作ということで、それ以外の先入観は全くなしで見たのですが、倖田來未の「エロ格好いい」風でいえば「キモ格好いい」とでもいうべきか、イジメ、暴力、SEX、象徴と現実逃避など、登場する少年少女たちの心の闇・切なさと苛立ちを描いて見る者にも切なさと苛立ちを感じさせる映画でした。

ところで、こうしたテーマは、最近でも「子どもの無邪気さの裏の残虐性」に集約されて新聞、テレビ、雑誌、小説に殊更取り上げられる風潮がありますが、その論調がいたずらに無邪気さと残虐性を対比するため、実際以上にセンセーショナルなものとなってしまっています。

つまり、それらの多くが、大人子供どちらに対しても、それぞれかたちの違った「痛み」を訴えたい意図は分かるのですが、「だから?」という気分になるのです。 少なくとも世の中の啓蒙に役立つというよりは幻滅を与えるだけのような気がします。

さて、この「リリイシュシュのすべて」が上演されたのは2001年ですから6年前で、今とは多少状況、意味合いが異なります。また、この映画には痛みだけでない「救い」もいくらか描かれています。しかし、この「心の闇」の題材は余程アカデミックな人々のお気に入りなのか、今でもこの手の、しかもかなり程度の低い映画や小説が巷に氾濫し続けています。

だいたいが、人間には必ず二面性があり、高潔なだけの人間もいないし、下劣なだけの人間も有り得ません。いい悪いではなくそれが人間というものでしょう。そして、誰もが密かに抱える澱のようなもの、それが「心の闇」なのです。

思わず眉を顰めざるを得ないことながら、僧侶や教師、医師にだって異性を求めることはあるでしょうし、それが世間でそうした「聖職」に恥ずべき行為と見なされても、だからといって「人間」として下劣というわけでもありません。

Kidsだって、基本的には思いやりのある優しい人間で、またそう有りたいと日ごろから念じていますが、裏を返せば相手からも同様の扱いを求めているという側面があり、従って、自分の優しさを受けとめてくれ、感謝の意を示してくれる人間にはもっと優しくしたいと思う反面、自分の好意を無視する行為、悪意の反射には怒りを感じる場合があります。 これまでも、我儘で他人の事を慮らない入居者の老人に、心の中で「死ねば」と思った瞬間も確かにありました。

ならば、そうした情緒的混乱・「心の闇」を解きほぐそうとするのでもなく、やたらとつつき回し問題化することにどれほどの意味があるのでしょうか? Kidsにはマスタベーションにしか思えません。

評論家になるよりも、洞察力に富んだ「大人力」、そして抱擁力に富んだ「親力」を併せ持つヒューマンパワーを養成して、「心の闇」に光りの道標を与える人材に成長すべく研鑽・努力していきたいと思いつつ。。。

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2007年1月 7日 (日)

正月太り

Photo_80 すっかり正月太りしてしまいました。

あっ、今、「お前もか」みたいに思った方、実は内容はちょっと違います。

というのは、正月中「食っちゃ寝」していて太ったわけではなく、だってKidsは元旦以外は働いていましたし、第一、我が家には「正月のご馳走」がないのです。

正月料理といえば、思いつくままに並べてみると ・・・・・・・ お雑煮、紅白蒲鉾、伊達巻、栗金団、黒豆、鯛塩焼、有頭海老、銀鱈西京焼、ニシン昆布巻、錦玉子、紅白なます、数の子、田作り、錦牛蒡、いくら、煮しめ、刺身、カニ、ふぐ、洋風でハム、チーズ、ローストビーフ、まだまだ有りそうですが、Kidsの乏しい知識ではこんなものかな

そして、今挙がった中で我が家に存在するのは、紅白蒲鉾、伊達巻、栗金団、紅白なます、煮しめ、刺身、こんなものです。

だいたいにして、我が家では昔から餅を殆ど食べない。 全くなしではあまりに寂しいので、Kidsと母だけは、一食だけ餅一切れのお雑煮を食べますが、弟連中は皆無です。 といって嫌いというわけではないんだそうですが、積極的に食べたい気もないらしい。

ご馳走なし、餅なし、うん? それならKidsはなぜ太った??

理由は、ジャーン! ・・・ お菓子。 特に、今年は昨年来老人ホームなんぞに勤めてしまったら、お正月に来館されるご入居者のご家族から貢ぎ物がドッサリ溜まりました。

というのも、さすがに正月ともなれば、日頃どちらかというと疎遠なご家族も、さすがにおじいちゃん/おばあちゃんの所に来なければならないようで、次から次へとおいでいただくと共に「お年始」のお菓子が文字通り積み上がっていくのです。 100人からのご家族の、しかも一人一件とは限りませんから、お菓子、お菓子、またお菓子、ある意味見物! まあ、老人ホームに海苔でもないでしょうから、そうなっても仕方がないのでしょうが。。。

そして、お菓子といっても、うちの施設におられるようなハイソな方々のご家族がお持ちになるお菓子には有るんです。 賞味期限が!

従って、我々職員は、お昼ごはんと一緒に、おやつに、小腹が空いたら・・・ とお菓子を食べ食べ、一週間もしないうちに男も女も正月太り。

これって、職業病っていうのでしょうかね?


 

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2007年1月 4日 (木)

駅伝

Photo_79 お正月の箱根駅伝の視聴率が33.7%を記録したとか、「なるほど、さもあらん」という気がしました。

考えてみれば、これほど感動するドラマもそう多くはありません。

ランナーはもちろん、沿道で応援するファン、マスコミ、先導する白バイの警察官ですら、さすがに笑顔を見せることはないものの、皆光り輝いて見えるのはあながち錯覚ではないでしょう。

しかも、街中であれ、郊外であれ、橋の上、そして箱根の山道までも、お正月の雰囲気が濃厚に漂っていて、競技のドキドキ、ハラハラの一方でなごみすら感じさせる大河ドラマなのです。

また、特に今年は面白かったですね。

何といっても5区の山の神様、順天堂大学キャプテン 今井正人

いやあ、驚きました!

坂道を実に軽やかなステップを踏んで、見る見るうちにトップとの4分9秒差を縮めて、16kmで逆転には恐れ入りました。

今大会の順天堂優勝の立役者は何といっても彼です。 主将がチームに火を点けたと云って過言ではないでしょう。

ところが、そんな山登りのスペシャリスト 今井選手でも、下りになるとスピードをコントロール出来ずに「おっとっと・・・」みたいな感じになるところは、人間万能ではない証拠でしょうか。

それにしても、よいものを見せてもらいました。

ひとりひとりの、チームの、参加者全員の、見るもの全ての感動を呼ぶ駅伝をこれからも末永く繰り広げて欲しいものです。

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2006年12月29日 (金)

ふれあいの美学

_ 年末もいよいよ押し迫ってきました!

Kidsの家は、安売りで有名な商店街に隣接しているため、他所にも増してワサワサしていますが、この時期の喧騒はそれほど嫌いではなく、むしろ年末の風情を醸し出していて興味深いものがあります。

帰ってきて二度目の正月ですが、買い物客の様子を見ていると、普段はそんな気は全くしないものの去年よりは財布の紐が緩いようで、いくぶん景気は良くなったのかなという感じ ・・・ もっともKidsの家計はそのままですが(泣)

さて、ところで、Kidsの2006年はどんな年だったのでしょう?

良かったこと : CDAというものに巡り合い、キャリア・カウンセリングの勉強を通じ新しい出会いがあって新境地を開けたこと。 家族(親・兄弟)に大病がなく無事に過ごせたこと。

悪かったこと : 1年を通して体調がすぐれず、また、そのせいが有ってか無くてか仕事に身が入らず未消化であったこと。 相変わらずの貧乏暮らしから脱却できなかったこと。

他にも探せばもう幾つか出てくるかもしれませんが、だいたいそんなところでしょうか。

そして、来年の抱負は?

ありがままの自分でいること、即ち、マイペースで、人に抜きん出ようとか、人に気に入られようとか無理をせず飾らず、それでいて人にぬくもりを感じさせられるような自分でありたい。

そして、そのためには、部長とか、親とか、夫とか、役割を媒介した人づきあいを抜け出して自分を表現しなければならず、つまり、いつも「ふれあいの瞬間」に準備が出来ている状態 ― これは大変難しいことです。

だから、これは来年のというよりは来年以降の永遠のテーマです。 でも、達成しがいのあるテーマだと思いませんか?

Kidsは、昔から社会的地位とか金銭、勝ち負けにさほど関心がなく、ゆえに、会社にあってはそこそこ出世しても限界があって、でも、あまりそういうことに本当興味がないんですね。

それよりも、お笑い芸人が「人を笑わせたい」っていうのとは違っても「人の笑顔が見たい」というのがあって、そのことがデパートにいても、会社の総務・人事であってもKidsの職能上の限界でした。

でも、今からやろうとしていることは、これまでの限界やプレッシャーを感じないで自発的にできることです。

だから、どうしてもCDAの実践がしたいのです。

誰かその機会を与えていただけませんか!?

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2006年12月25日 (月)

涙も出ない

Photo_78 親友が自殺しました。

しばらく前から「抑鬱状態」という精神病にかかっていて、それでも先月出てきた時は全くそんな徴候すらなく、調子の良いときは常人と変わらない病気とのことでした。

障害者認定の申請をするという話、又、IP電話の中継局になっていて「不労所得」があるから生活は問題ないなどという話もしていましたが、後から聞いたこところによると、どうも例の近未来通信の詐欺に引っ掛かってしまったようで・・・・・

でも、それが直接の引き金かどうかは本人がいない今となっては判りません。 「時折、何をするのも嫌になってしまって引きこもっている」状態が長い時には一月ぐらい続く病気のようでしたから

でも、焦りはあったでしょう。 Kidsより若いとはいっても、それなりの歳のご両親が東京にいて、先月11年ぶりに帰ったとき、初めて母親が癌でこの4年間に2度手術したことを知ったそうです。

「一人っ子なんだから、帰れば?」に「帰る気はない!」という言葉には、今になって考えれば、わがままだけでない色々な思いがあったのかなと思います。

しかし、彼に限らず、精神病と認定されないまでも「精神病予備軍」はKidsの身の回りにもたくさんいます。

「気がふれた」人間は昔からいました。 でも、「気がふれそう」な人間は今の「気がふれそう」な世の中でやがて「気がふれて」いくのかもしれません。

「美しい日本」は外面だけでなく、内面=心にまで踏み込んだケアが必要なのではないでしょうか? そして、今の日本にそれがありますか?

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2006年12月20日 (水)

運転

Photo_77 仕事で東京・六本木まで車を運転しました。

とても怖かった! Σ(゜▼゜lll;Σ) だって、東京なんて右も左も分からないのですから。。。 だいたい免許を取ってから北海道以外では一度も走ったことのないKidsにいきなり首都高なんて無茶です。

車の量は数倍あるし、それに左からも右からも合流してきて鼻づらが着きそうに接近するし、ところで、合流って左からって決まっているものじゃないんですか? 少なくとも北海道ではそうですよぉ~

それ以上に何とかならないのかと思ったのが標識、それまで無かったものが突如あらわれていきなり進路を右だ左だ言われても、気づいたときは車線変更がかなり難しい状態になっていて・・・ あれは何回か通っているドライバーならともかく、初めてそこを通る運転手にはいたって不親切ですね。

また、もっと嫌だったのはインターを降りて一般道に入ってから。 車もそうですが、何でこんなに人がいるんだ! しかも、信号も横断歩道も無視して変なところで勝手に横断しているし、これで轢いた方が悪いといわれるのならドライバーも浮かばれないというものです。

とにかく、通算30kmの運転歴があるっていったって、それは北海道内だけ。 しかも、それは車がないと生活できない(会社にも買い物にもいけない)から乗っていただけで、元来、運転は嫌いだし下手。 ドラえもんのどこでもドアがあったら絶対乗りません。

何とか無事帰って来ましたが、もう嫌! 今後は絶対乗らないことにします。 しかも、電車等、一般公共交通機関の方がむしろ安くて速いのですから、何であんなに車が必要なのでしょうか?(しかも外車ばかり!)

意味がないと考えるのはKidsだけですかね。

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2006年12月17日 (日)

きくこと その2

Photo_76 CDAの二次試験が終わりました。

いやあ、相手の話を素直に聴くことがこんなに難しいとは思いませんでした。 というのも、会話というのは言葉のキャッチボールですから、私たちは日ごろ人と話をするとき、話すと同時に聴いていると思いがちです。 ところが、人間は、かなり口数の少ない人でも、話を聴くより話す方が好きなものです。

考えてみてください。 貴方は相手の話を聞いている一方で、次に自分が何を話そうかと準備をしていませんか? 興味をひかれたこと以外の話の細かい部分を覚えていますか? 感情を聞いていますか?

そんなことしていたら疲れて仕方がない。。。 そのとおりです。 カウンセラーは、クライエントの鏡、特にインテーク(初回)面談では、クライエントの話を好意的関心をもって聴く。 しかし、聞き出そうとしない、評価はしない、飾らない、自分のことは話さない・・・ かなりしんどいです。

だから、思うには、かなり人間的に、人格者とまでは言わなくても成熟していないとダメなのかもしれませんね。 そういえば、お釈迦様はというか仏像は、皆、口が小さくて耳が大きいです。

Kidsは、いまのところ、虚心坦懐に聴けるのは、施設にいるお年寄りの話ぐらいかも。 だって、よく聴いていないと何を言っているのか分からないし、といって、ちゃんと聴いてあげないと元気がなくなったり不穏になるし、普通、こちらから伝えることはないし、ある意味、いい訓練かもしれません。

でも、認知症のお年寄りの話を30分も1時間も聴いた後は・・・・・・・・・・  もちろん、疲労こんばいです。

ということで、今日は短めにしておきます。(笑)

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2006年12月14日 (木)

業(ごう)

Photo_75 老人ホームで事件が起こりました。 入居者のAさんの行方が分からなくなってしまったのです。

Aさんは、しばらく前までは杖を使って歩いていましたが、最近、急に足腰が弱くなって、食堂に行くときには車椅子を使っています。 だから、そんなに遠くに行けるはずがありません。

ところが、30分経ち、1時間が経過しても、一向に足取りがつかめません。 介護はもちろん、ナースやフロントの職員も手の空くものは総出で、居室、食堂、避難階段、その他、建物の全フロア、外に出た可能性も考えて、公園、そしてコンビニの聞き込みをしたところ、それらしき人間が大分前にコンビニで買い物をしたことが判明しました。でも、もう2時間ぐらい前の話です。

ならば、飲み屋か? そうAさんは大のお酒好き、夜間巡回の時はたいてい酩酊しています。 もちろん、酒量の制限はしていますが、どこから入手するのか部屋のあちこちにワンカップが1本、2本、3本、4本・・・ 飲ませないと不穏になり他の入居者の迷惑になるので、ドクターの指示がない限りは放っておきます。 でも、最近、その制限があって。。。

でも、その飲み屋にもいません。 仕方なく警察に捜索願を出し、仕事に支障が出るといけないので、一部の職員を除いて仕事場に戻りました。 そして・・・・・ 4時間が経過

そこで、「いた!」コール、 なんと、玄関を出て道を隔てた自動販売機の傍で、もう歩くこともできず壁を伝い歩きしていたそうです。 でも、そこは何度も通ったから

結局、本人の言うところによると、コンビニにワンカップを数本買いに行って、出て帰ろうと思ったら方向が分からなくなってしまい、その辺をぐるぐる回っていたということ。 でも、見つかってよかった! 無事で良かった!

ところで、このことに限らず、入居者の方々の行動を見ていると、人間の欲、あるいは「業」の深さに唖然とすることがあります。

お酒を飲みたい一心のAさんもそうですが、隣室のBさん(お婆さん)と一緒にベッドに入っていたCさん、とにかく何でも食べたいDさん、認知症のEさんがどっかに行ってしまって見つかった時には、避難階段にいたのか、それとも下の病院のバックヤードかなんかに迷い込んだか、本人は暗いところで相当怖い思いをしたせいか一時的に認知が解けてハッキリした話をしたのには驚きました。

施設は住まいであって、牢獄ではありません。 従って、事故につながらない限りは出来るだけ自由にしていただいているのですが、ときたまこうしたトラブルがあります。 そして、どんなに目を配っていても、人間にどうしても何かをしたいという欲がある限り全部を防ぐのは絶対無理です。

それだけ人間の業は、たとえ高齢者(障害者)であっても計り知れない深さ・重さを持つものなのだということを日々実感する今日このごろです。

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2006年12月 7日 (木)

人生相談

Photo_74 今日は、とある人材紹介会社の人材紹介コーディネーターの求人に応募して面接に行ってきました。

仕事の内容は、求人会社の開拓、人材紹介事業の運営・管理、求人会社と求職者の橋渡し、求職者の面談・アドバイス。まあ、これを見て、「半分ぐらい営業かな」とは薄々思っていたのですが、それでも、出来れば、キャリアカウンセリングの実践がしたいと思い、「求人会社と求職者の橋渡し、求職者の面談・アドバイス」の仕事に期待して応募したわけです。

結果は、バリバリの営業職! 求人企業に人材を紹介することによって貰う紹介料(紹介者の年棒の30%)が売り上げで、この売り上げを半期で1000万円上げることが至上命令。 かつ、基本的には、4つの仕事の全てを自らがコントロールして行う。 即ち、ノルマ達成を考えるとのんびり「人生相談」している閑はないそうです。

だったら、正直言って、あまりやりたい仕事とは思えません。 たとえ、結果的に、良い会社に就職できたと言ってクライエントに喜ばれようとも、それは企業の求めるスペックを満たす条件を、たまたまそのクライエントが有していたということだけであって、営業のツボを押さえた証明に過ぎないからです。 ところが、Kidsがやりたいのは、単なる条件のマッチングではなく、クライエントが本当にその会社で自分の価値観に合った仕事を見出し、人生を肯定的に生きられるかどうか見極めるお手伝いをすることなのですから。

そして、これは、ある意味、営業より遥かに難しい仕事で、だから、クライエントとは、ある程度時間をかけてじっくり話し合いたいし、それを「人生相談」というならば、存分な「人生相談」をしたいと思うわけです。

ところが、このことは、職業紹介・斡旋以上に今の日本に求めれることであるにもかかわらず、面倒で時間がかかり、しかもお金にならないことなので誰も本気でやろうとしない。 国や地方自治体も、若者の未就労問題や就職難による中高年の自殺、団塊の世代の大量リタイア等、その時々では対策を講じるポーズをするけれども、少しでも景気が上向き求人倍率が改善の方向を示し始めるととたんにトーンダウンする。

増してや、本来営利事業体であり、非営利事業に先行投資する体力のない人材紹介(派遣)会社にそれを求めるのは酷なのかな。

つまり、Kidsのやりたいことに対して、賛同・援助の手を求めても、今ところは、かなり望み薄と言わざるを得ません。 だいたいからして、こんなことを言っていること自体が日本の職業社会から逸脱しているような気もする今日このごろです。

誰かじゃないけど、最近、自分に合う会社はこの世に無いのではないかと思うようになりました。

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2006年12月 3日 (日)

人生の重み

Photo_73 師走に入り、無精者のKidsもさすがに年賀状を書かねばと思うようになりました。

というのも、ここ暫くの間に喪中はがきが何通か舞い込んだからです。

以前はかなり親しく交わり、懇意にしていただいた友人・知人も、環境の変化と共に自然と疎遠になり、年賀状で近況を知るばかりになって、ましてや、そのご家族のこととなると文面に表れない限り知る術もなく、頻繁に行き来をしていた時代には、夕食をご馳走になったり貰い物をしたり、落ち込んだ時にやさしく言葉をかけてもらった友人の母親が、それほどの歳でもないのにもうおられないことを知るのも寂しいものがあります。

それとともに思い出すのは、色々な経緯で年賀状の往復すらしなくなったかつての友人・知人のことです。

別れようとして別れたとき、別れざるを得なかったとき、離れる経緯は様々でも、年を経ると反って懐かしく、「どうしているだろう?」 「元気にしているかな?」 「幸にやっているだろうか?」 と思うとき、当然ながら、頭に思い浮かぶのは昔の顔、それに引きかえ、ガラス戸に映る自分の顔は・・・ かなり歳を食いました。(笑)

この日本という国で、毎日たくさんの人間が色々な思いを抱いて生きています。 それぞれに環境が異なり、事情も違うことでしょう。

キャリアカウンセラーの勉強をしていて、クライエントの主訴をつかもう、感情に同化しようとするとき、ときおり、そのクライエントの背景にある「歴史の重さ」に打ちのめされそうになるケースがあります。 それでも、その重さを受けとめ、新たな歴史のページを開くお手伝いをするのがキャリアカウンセラーのつとめだと思います。

とにかく、目と耳と心で聴く、何よりもこのことに注力しようと決意を新たにしました。

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2006年11月26日 (日)

二次試験対策トレーニング

Photo_72 久しぶりにCDAの資格取得を目指す仲間が集まって、二次試験突破のための勉強会を開きました。

正直、幸いにも一次試験に合格した後は殆ど何もしていなかったのでかなり不安でしたが、それは皆も同じようで、しばらくぎこちなかったのが時間が経つにつれそれなりの格好がつくようになりました。

会場の関係で、Kidsの場合、CDA役を一度演じただけでしたが、仲間内では結構「話しやすい」、「自分が思っていたことを分かり易い言葉で紐解いてくれた」などと好評で、それはそれで嬉しいのですが、試験対策としては、むしろ難点を指摘してもらった方がありがたいかなという気もしました。

それでも、人間、褒められて嬉しくないはずもなく、だったら何が良かったのだろうと考えたところ、とにかくクライエントの目線でクライエントの気持ちを聴くことに徹することができたことではないかと思いつきました。

それなら、なぜそうすることが出来たかと言えば、おそらく今の職場でご高齢の方、あるいは/かつ障害をお持ちの方とコミュニケーションを取ろうとするうちに、その話の内容もさることながら、相手の感情の発散を促し、ひたすら心を聴くことに努めてきたこと、そして、それがある程度自然に出来るようになってきたからではないかと分析できました。

つまり、こんなことを書くとJCDAに怒られそうですが、二次試験の限られた試験時間内に、しかも初めてのクライエントに対し、その主訴(来談目的)を100%つかむのは無理であり、増してや、キャリア・プランニング上の位置を正確に知ることは不可能に近い理で、だったら、そのステップに進む以前にラポール(肯定的信頼関係)を形成することに注力することは、決して間違いではないと思うのです。

クライエントには色々な方がおられます。また、同一のクライエントでも、「転職したい」と切り出された場合と「何十年も勤めあげたあげく、突然、未経験の職場に異動させられて納得がいかない」と話を始めた場合では、主訴をつかむのにかかる時間は違ってきます。たったら、インテークにおいては、「納得がいかない」ことを相手の身になって聴いてあげて、その「納得がいかない」ことをどういう形で消化したらいいのか「一緒に考えましょう」とした方が、結局、より早くゴールにたどり着けるような気がします。

この考えが正しいかどうかは分かりません。 でも、少なくとも、施設のご老人方は、食事の時間には未だ早いことを知るよりも、お腹がすいたことを分かってもらった事実により納得してお部屋に帰られます。

どうなんでしょうね? まだまだ未熟なCDA候補生です。そして、12月の二次試験に向けて不安もいっぱいあります。

これからも仲間たちとトレーニングを重ね、合格だけを目指すのではなく、人間的により成長して人さまのお役に立ちたいと念じています。

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2006年11月25日 (土)

クレイマー

Photo_71 札幌から帰ってきました。

いやあ、やっぱり北海道はいいですねぇ~~~!

「素晴らしく寒い」(笑)と聞かされていて、週間天気予報でも「平野部でも雪」とか言ってた割には好い天気で、それでも、こちらのような生ぬるいダラーッとした温かさとは違い、空気に緊張感があるというか締まりがあります。

そのせいか、とにかく食べ物が美味しい、昼は回転寿司でカニ、サーモン、ほたて、イクラ、さんま・・・ 、夜はチーズチーズでイタリアン、翌日はSuageでスープカレー、味噌ラーメンも食べたし、すっかり堪能してきました。

ステラでショッピングと映画、Bossaでジャズを聴いて、ノベルサ(5月に中央区で開業したた複合商業施設)の屋上観覧車に乗って、温泉に入って・・・ 楽しかったなあ!

でも、楽しい時間には限りがあって、戻って来てからは前後の折り合いをつけるのに四苦八苦しています。

そんな中、施設でも折り紙つきのクレイマーのお婆さんに、穏やかで優しく福祉の鑑のような看護婦さんがついに切れたという話がありました。

なんでも大した用事でもないのに呼ばれてお話している最中、他の入居者に重篤な方が出来たので、ちょっと失礼してそちらに行きたいといったら顔色が変わり「何でそっちに行っちゃうんですか! 私がここで手首を切ったらいいんですか!」といったとか。

そこで、その看護婦さん、普段はそんなこと口が裂けても言わない人なのに、「やってみたらいかがですか、私でなくて病院の先生や看護婦さんが見てくれるでしょう。」とやったらしいのです。

まあ、このお婆さん、普段から 「私はあなた方にウン千万払ってるのだから、何を言ってもやっていただくのが当然」と言う人で、「水をくれ」 「電気を消せ」 「加湿器のスイッチを入れろ」 「さっきの介護の態度が悪い」 などなど、ひどい時には30秒おきに電話をしてくるので、内輪ではかなり評判が悪く、厄介者ということでクレーマーと呼ばれています。

ただ、この方の場合、他の入居者と比べると明らかに家族の面会が少なく、私は、密かに寂しさの裏返しのように思っていて、そのように接しているつもりなのですが、確かに他人への思いやりに薄く、また、なんでもお金で出来ると思っているあたりは、持って生まれた性格というよりはここに来るまでの環境のなせる業のような気がします。

尽くす側、尽くされる側双方に一番必要なのは思いやりと優しさ。こればかりは札束で顔を引っ叩いても気持ちは買えないものです。 思いやりと優しさから生まれた信頼関係が足りないのが、医療であれ、学校であれ、政治であれ、今の日本のあらゆる問題の根本原因ではないでしょうか?

話が飛び過ぎましたが、日常生活に疲れるたびに、今度北海道にいつ行けるだろうかと欠伸と一緒になった溜息をもらしている自分に気がつくのです。

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2006年11月14日 (火)

札幌行

Photo_70 ここのところ急に冷え込んできて、すっかり風邪をひいてしまいました。

週末には、久しぶりに札幌を訪れる用事があり、向こうは、そろそろ雪も散らついているようなので、ひどくしないようにしないといけませんね。

でも、久方の北海道は楽しみです。寒いのは嫌ですが、ちゃんと準備していれば空気が澄んでいて気持がいい。景色と気候がマッチしていて、東京(横浜)ののような人工的な雰囲気がない。何よりも食べ物が美味しい!

定番のラーメン、ジンギスカンにはあまり感心したことはないのですが、焼肉は都会では思いもつかないほど安いし、うに・かに・鮭・いかを始めとした海産物は、さしみで良し、鍋で良し、すしは勿論のこと。 Kidsの大好物のスープカレ、スープカレー以外でも、札幌は意外とエスニック系のお店が多くてレベルが高い。

また、デザートがうまいんだなあ、これが。 考えてみれば、小麦、卵、牛乳、小豆等、全部そこで調達できるのだから美味しいに決まってますよね。 ああ、浪漫亭のミルフィーユが食べたい!

ところが、ここで問題が ・・・・・ 成人病の巣窟状態でドクターストップがかかっているKidsが、果たして存分にこれらを食することができるでしょうか?

答えは勿論、否ですが、そこはそこ、それはそれで、ねえ~ ははは

そりゃ気をつけますよ、決まってるじゃないですか! へへ

ということで、気分はもう札幌です。 ところで、この時期何を着ればいいんだっけ? 友だちに確認しないと・・・ 去年までは向こうに住んでいたのですが、それと、冬の運転はヤバイかな?

じゃあ、行ってきます!

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2006年11月10日 (金)

横浜の休日

Photo_69 北海道から友だちが遊びに来たので、横浜のガイドをしてきました。

ところで、この友だち、実は、東京生まれの東京育ち、それでいて横浜は生まれて初めてきたといいます。曰く、「多摩川を越えたことはないんだ」って、江戸時代じゃないんだから。(笑)

そこで、横浜駅で待ち合わせた後、みなとみらい線で中華街へ。

結構好き嫌いの多い友だちなので、好きなものを勝手に選ぶようにと「ランチバイキング」の看板が出ていたお店に入りました。すると、「るぷぷ」みたいな旅行本を持った学生が沢山いて・・・ 修学旅行みたいですね。 いろんな制服の学生がいるなあ!すると、このお店なかなか有名なんだ。

まあ、味はそこそこ、でも、890円だったら文句なしです。

そのお店で互いに近況報告、実は、彼はここ2年ほど「抑鬱状態」という病気にかかっていて、今日みたいに普通の時があるかと思えば、数週間何もやる気が出なくなって、家に閉じこもってしまう状態が続いているといいます。原因は不明、でも、病気であることは間違いなく、この度、障害者の認定申し込みをしたそうです。

だったら帰って来ればいいのに。一人っ子で親だってそれなりに歳だから、お互いに心配じゃないのかな? まあ、ひとの家のことですが気になります。でも、本人は「東京には戻らない」と言い張ります。

中華街の後は、山下公園を散歩、すると、彼は氷川丸に入りたいと言いだしました。

800円も払って今さら氷川丸もないものだとちょっと引きましたが、結局「お客様」の仰せの通りということで、ところが、これが意外と見所が多く、木の重厚な客室の扉や窓枠、真鍮のドアノブや水道のカラン、当時としてはかなり豪華であったに違いないソファーや絨毯、時計や絵、エンジンルームなど結構一通り見て周るのに時間がかかり、かつ、かなり楽しめました。

そうこうするうちに、もう3時半、彼は、この後、東京ドームで日ハムの野球観戦だそうで、じゃあ、帰ろうと駅に行きかかると、今度はシーバス(船)で東口に行きたいと言いだしました。やれやれ(笑)

でも、このシーバスも面白かった。 山下公園から赤レンガ倉庫、みなとみらいのインターコンチネンタルホテルを経由して東口へ、海から見る横浜は地上で見る横浜と絵姿が違って、大桟橋には「飛鳥Ⅱ」も停泊していて、外から見ても豪華な船だなあ!

約15分位で横浜駅に着き、彼とバイバイして帰って来ましたが、思ったより充実した半日でした。

そこで思ったこと。 先入観を持たないこと、なんでも見てやろうと好奇心を持つこと、そこから視野が広がり、新たな世界が広がる可能性があること、考えるより行動することの大切さ。

そういう意味で、彼に「ありがとう!」と別れてから言ってみました。(笑)

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2006年11月 4日 (土)

親の思い

Photo_67 有料老人ホームにはいろいろな方がおられます。

一般人と変わらず、ここを拠点にビジネスにお出かけになる方、それほどではなくとも、自立で仲間と語り、ソシアルダンスや鎌倉彫、絵手紙などを習い、また、買い物や散歩を楽しまれる方、軽度な障害があって、歩行等介助が必要ですが、自分でトイレや食事をすることができる方、排泄、入浴等介護が必要な方、ほとんど寝たきりの方、それと認知症の方など。

それぞれの方にそれぞれの人生があり、それぞれの思いがあって、当然、性格も様々ですが、こうした方々と日ごろお付き合いしていて感動したことがあります。

それは、「子どもへの愛」。

気難しくて、時に不穏な行動を取り、介護さんや私たちを悩ませるご入居者も、息子や娘が訪ねてくると、不思議にその日は穏やかで、「こんなやっかいな婆さんで大変でしょう?」とおっしゃったりします。

この前も、若干アルツハイマー気味のご入居者が、「もう死にたい」というので、「そんなこと言うと悲しむ人が沢山いるよ」というと、「寂しい、貴方たちはとても良くしてくれるけど、家に帰りたい」、「息子は忙しいし、○○子さんは子供たちの世話で大変、他所の人と比べたら、こんなホテルのようなところに入れてもらって、面倒見てもらって、それなりにお友達もいるし、贅沢は言えないけど、そんなにいい思いさせてもらえなくても息子のそばがいい」といいます。

これに対して、ご家族にはご家族の生活があり、多忙な日常で、人より収入(あるいは資産)が多いから、お母様やお父様をこうした施設に入れることができるのでしょう。そのうえ、月に数度は面会に訪れ、時には外食やドライブ、短期間の旅行に連れていったり、やれることは最大限しているように見えます。でも、そのお母様の思いは 「そんなにいい思いさせてもらえなくても息子のそばがいい」なのです。

手前みそですが、かくいうKidsの母親も、子どもの為なら、自分が買いたい物・したいことを犠牲にしても子どもにしたいことをさせてあげたいという思いが強い傾向があります。正直、子どもにとっては、ある意味重荷であり、時にありがた迷惑であることもあるのですが、一方、その子どもといったら、そんな母の思いに報いてあげたい、これまで大変な人生を歩んできたのだから、せめて残りの人生は幸せであって欲しいという気持を持ちつつも、ついついそうした母の「好意」に甘えてしまうことが多いのです。

こうしてみると、子どもの親に対する愛は、とうてい親の子どもに対する愛とは質・量ともに敵わない。特に昔の親はそういう傾向が強いようです。

うちは、子どもの稼ぎが悪いので、いざとなっても、到底何千万もする有料老人ホームに入れることはできません。まだまだ元気で何でもできる母ですが、74歳になり、いつどういうことがあっても対応できるようでありたいと思いつつ、それも適いません。でも、子どもの考える「いい思い」が親の「いい思い」であるとは限りません。

お金がなくても、親に「いい思い」をさせてあげられる子どもでありたいと強く念じつつ・・・

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2006年11月 1日 (水)

レント

Photo_66 しばらく前に、おすぎだったかピーコだったか未だに区別がつかないのですが、多分、おすぎ、がベタ褒めしていた「レント」がDVDになったので ”レント” してみました。(笑)

ミュージカルということで、「キャッツ」や「オペラ座の怪人」をイメージしていたら大ハズレ! ロック、ゴスペル、タンゴなど色々な音楽が使われていて、ロックミュージックとブロードウェイミュージカルの融合をはかったとのことですが、成功したといって間違いはない、なかなか楽しめる映画でした。

ただ、ストーリーは、理解はできてもあまり日本人に近しいものではなく、ドラッグやエイズがメインテーマとなっています。

ここで簡単にご紹介すると、ニューヨーク・イーストヴィレッジを舞台に、ミュージシャンの主人公ロジャー、彼とルームシェアしている映像作家志望のマークは、彼らの元ルームメイトであるベニーに家賃(レント)を払うか退去するよう求められる。ダンサーのミミ、ゲイでハッカーのコリンズ、ストリートドラマーのエンジェル、マークの元カノのモーリーン、レズビアンでモーリーンを愛する弁護士ジョアンヌらを含めて貧しい生活から生きる喜びを求め格闘する。彼らの幾人かはHIVキャリアであり、残り少ない時間を懸命に生きようとする。といったところ。

この物語、実は、、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」の舞台を、現代のニューヨークに置き換えるというアイデアのもと、ジョナサン・ラーソンが作詞・作曲・脚本を担当し、ほぼ独力で作り上げたミュージカルだとか。また、このジョナサン・ラーソンが、1996年のプレビュー公演の前日に大動脈瘤破裂で夭折したことが「レント」が根強い人気を維持している理由のひとつにあげられるらしく、そのラーソンが、生前エイズで数人の友人を失った経験と彼の感じたことが「レント」に込められているといわれています。

内容が内容であるせいか、Kidsにとっては若干長く、また、そう何回も繰り返して見たいと思う映画ではないですが、それでも未だご覧になっていない方は、一度見ておいて損はないと思います。

何よりも ”Seasons of Love” を始めとしたミュージックがナウイ(死語)です。

アメリカの抱える「現代の闇」をも知ることができます。日本のそれと比べると、さらに濃度の深い闇のような気がしました。

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2006年10月29日 (日)

不調

Photo_64 最近、体調がすぐれません。

ハードワークのせいかと思っていましたが、今日あたり、10時ごろまで寝ていて、一切外に出ず、雑誌をめくったり、CDを聴きながら、また、ベッドに横になったりして、体を休めても全身のけだるさが全く軽減せず、頭は比較的クリアーでやりたいことはあるのですが、動くのが億劫です。

多分、内臓系が悪いのだと思います。だったら、医者に行けばいいのですが、実際数箇所の病院に通っても、検査を繰り返すだけで一向に原因がつかめず、その度に高い医療費を払うのが何のためなのか疑問を感じています。

まあ、今の日本で、個人が出来ることは限られていて、それでも何かこの世に生まれた存在意義を感じたいと思って、自分なりにやってきたつもりですが、この頃、そのエネルギーが保てなくなりました。

老人ホームに勤めていると、しかも自立の方が比較的多くおられる施設で働いていると、お年寄りとひと括りにできないパワー、生きる情熱やエネルギーを反って感じる機会に遭遇します。

介護や看護を必要とする入居者でさえ、食事をはじめ自分がやりたいことに対するエネルギーの大きさに驚かされることも往々にあります。

だから、Kidsのこのエネルギーの低下は何なんだろうと考えるのですが、精神面もいくぶん関わりがあるとは思いつつ、何といっても、実際体がいうことを利かないので・・・  とはいっても、養生第一に何もしないでは生活が出来なくなるだけなので・・・ 我慢するのみです。

あまり深刻に考える必要もないことかもしれませんが、とにかく、通常の「風邪ひいた」・「腹痛い」ではない調子で、嫌な思いばかりが付きまといます。

どなたか、横浜周辺で、優秀かつ親切な良い病院をご存じありませんか?

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2006年10月26日 (木)

スロウ

Photo_63 9日ぶりの更新です。

というのは、この10月から勤め始めた会社の労働実態がひどいもので、所定労働時間が12時間(昼休みは5~30分)、この間休む暇なく働かされ、しかも、聞くところによると、超過勤務手当は男性職員には殆どないらしく、研修期間中にあちこち移動したことで立て替えた交通費さえ未だにもらえない状態です。(もちろん、通勤費も)

したがって、毎晩、帰宅すると、晩ご飯の途中からもう舟を漕ぐ状態で、ブログはもとより、好きなCDを聴くこともかなわず、そろそろ慢性ストレス状態の徴候が出始めています。多分、あと、そんなに長く勤まらないと思います。

そんなとき、Kidsの友達が、「ほどほどの幸せ」というブログを書きました。

ちょっとだけ引用すると 「就職がやだなーって思う理由は、・・・・・(中略)ほんとうになりたい自分を偽ってる自分がいるように感じてしまうことかな」・「自分の価値観は、世界一の技術者でも、お金や出世でもなく、 ほどほどの幸せです」・「どこの会社もきっと合わないなーって思ってしまう自分を実感しています」なんて部分。

本当ですね。 恋愛や結婚でもそうだと思うのですが、価値観の合わない相手と付き合わなくてはならない場合、そのことに費やすエネルギーは通常の何倍ものエネルギーが必要で、Kidsに関して言えば、(認めたくはないけれど)加齢によりエネルギーの総量が減っているので対処能力に限りがあります。

しかも、「管理」・「業績」って・・・ 正直言うと、一番大嫌いな言葉です。 だって、「管理」って、価値観が違う人間に上司や会社の価値観を押し付けるということ。「業績」って、イメージなど目に見えない効果を無視して、仕事を数字に置き換えるもの。そんなことが許されるのでしょうか?

会社だからいいのかな? きっと、そんなこと言う奴は、自分で好きな仕事を始めるしかないのかも知れませんね。

でも、思い切って言ってしまうと、日本って、経済至上主義の本当嫌な国になりましたね。 今、久しぶりの休日で、少し前に届いた(全く読む時間が無かった)「スロウ」という北海道を楽しむコンセプト雑誌を読んでいて、その記事のスロウさ、ナチュラルさに少し癒され、人間らしさを多少取り戻している最中です。

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2006年10月17日 (火)

ハマちゃん

Photo_62 「ハマちゃん」が増えているそうです。そう、あの「釣りバカ日誌」の浜崎伝助ことハマちゃんのことです。即ち、人生の意義を仕事以外に見出すサラリーマンが多くなってきているとのこと。

Kidsは、別に取り立ててどうこういうことでもないような気がするのですが・・・ つまり、キャリアカウンセリングの理論家・スーパーは、人生やキャリアとは「人生における役割をいくつか選んで組み合わせることで自己概念を実現しようとする試みである」と説明していて、その役割とは、「息子」・「学生(社会人で学生ということもある)」・「職業人」・「配偶者」・「ホームメーカー」・「親」・「余暇を楽しむ人」・「市民」の8つであり、この役割の組合せによる人生空間を本人が満足感を持って過ごすことができている間、その人のキャリアは成功しているといえるといえる、といいます。即ち、人はその発達過程に応じて、その人の興味・価値観や環境要因に基づいて役割の組合せを選択するのであって、「職業人」はそのなかの一つに過ぎないのに、日本人の多くがそこだけに比重を置き過ぎるから、人によっては不適応が生じてメンタルストレスで病んだりしてしまうわけです。

もともと従業員には、「労働力」・「意思的役割行動者」・「賃労働者」の3つの側面があるにもかかわらず、日本では、その労働力=生産要素・賃労働者という2つの側面ばかりがクローズアップされることから、企業側に「給料を貰っているのだから働くのが当然」という想いが強すぎるきらいがあるのは大いに問題です。

従業員としては、「だったら、その給料の範囲でやるだけやって、後は自分の他の役割を演じたい」と考えるのは至極当然のことでしょう。もっとも、この「給料の範囲」というのが日本の大半の企業ではかなり不明確で、会社は「与えすぎ」、従業員は「少なすぎ」と思っているので、よほど人事考課のしっかりしている会社でないと、この辺の論議は平行線をたどる一方といった事情はありますが。。。

この辺のところは、テレビでもそれなりに焦点づけしていて、現実の「ハマちゃん」は、たいてい仕事もそれなりにこなしているようです。まあ、そうじゃなくちゃ日本の会社で「ハマちゃん」はできないでしょうね。

この「ハマちゃん」は、言うならば「余暇を楽しむ人」でしょうが、日本人サラリーマンには、「ホームメーカー」・「親」・「市民」という役割も不足しています。

それでも昔に比べれば良くなってきたのかもしれませんが、妻子のこと、隣人・地域のことなどにもっと気を配れば、思わぬ気づきがあって、自分の人生を見直すきっかけにならないとも限りません。「仕事が人生」、大いに結構、でも、死ぬまで仕事をしていられるのはほんの一部の人だけ、それ以外のサラリーマンはいつかはリタイヤしなければなりません。その時、別の役割にスムースに入っていける人間がどれだけいるでしょうか?

そう、「ハマちゃん」の増加は、それだけ自分の人生に関心をはらう人間が増えたということで大いにウェルカムな展開だとKidsは思います。

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2006年10月15日 (日)

復活

Dr 不慣れな仕事と試験勉強でエネルギーの消耗がはなはだしく全く更新していませんでした。すみません、マイミクさんからクレームが入ってしまいました。恐縮しております。

さて、そのCDA試験も本日取り合えず終了いたしました。取り合えず。。。 というのは、又が有り得るということです。まあ、仕方がないですね。自分自身に実力が備わってないのですから。

でも、CDAの資格は絶対に取りたいので、今回はダメでも諦めず再チャレンジします。何の試験でもそうですが、忍耐力と継続性が事の成否を決定すると信じています。それに一発合格した受験者が必ずとも良いCDAになれるかどうかはわかりません。資格を取った時が本当のスタートなのですから。(半分言い訳)

でも、これで気持ちは大分楽になりました。明日からは好きなCDも聴けるし、たまっている本も読めるし、この間泣く泣く諦めた「Dr.コトー診療所」も見れるので、ここらで少しの間、脱力してリラックスしたいと思います。

ということで、もしこのブログをご覧の方で、Kidsの「CDフリーク」http://blog.livedoor.jp/music2006/をも見ていただいている方がおられましたら今しばらくお待ちいただきたいと思います。明日から少しずつ復活します。

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2006年10月 7日 (土)

自己実現

Photo_60 既報どおり、仕事疲れと勉強疲れでなかなか更新の時間がとれません。

ところで、昨日の雨はすごかったですね。ちょうど西東京のはずれ、埼玉県境で、訪問先の会社を出たら雨が横向きに降っていました。しかも、時折風で向きが変わるから、空中でスプリンクラーが回っている状態で当然傘など役に立ちません。そのうち骨が2本折れてしまってスーツはびっしょり、特にズボンが足に絡まりついて気色悪いこと!こういう時は、こうまでして急ぐ仕事(重要な仕事)をしているのか疑問を感じます。なんか働いている事実(ポーズ)の方が大切なような気がして・・・極めて日本的ですね。

そんなわけで、いつもならば帰宅後1~2時間ぐらい受験勉強をするのですが、昨夜は浴槽に浸かりながら危うく眠ってしまいそうになるほどで、早々に休みました。

そして、今日はその挽回を図るべく張り切っていたら、胃の調子が悪くて我慢できずに医者に駆け込みました。帰ってきてからは落ち着いていますが、本当やれやれです。

まあ、環境条件や出来事は自分ではどうしようもないので受け入れるしかないわけで、それを含めて自分があるので、それが結果「実力」なのでしょう。人と環境要因を比較して羨んだり優越感に浸っても仕方がないことです。自分は与えられた環境で「やるだけやる」、そのことはきっと誰かが知っている、知らなくても自分はそのことを誇りに思う。何に対してもそういう意識で生きていければ、ゴールのテープは切れなくてもトンネルの何本かは越えられるはずです。

それがKidsの自己実現なのかもしれませんね。

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2006年10月 4日 (水)

社会復帰

P505i 試験が近いのに、突然社会復帰(就職です!ムショに入っていたわけではありません)することになり、ますます時間の使い方が難しくなってきました。

Kidsは何事にも集中してしまう性格で両立が難しく、公私共に順調といったケースが少なくて、ましてや今回は体調面に不安があるので余計に困っています。つまり、手が抜けないんです。真面目で融通が利かないというのとは違って、物事の優先順位を見極めるのが下手で時間の使い方にムダが多いせいだと思います。

ある意味完全主義者なのかなあ?でも、四角い部屋を隅から隅まで掃いたつもりが、角にホコリが・・・みたいな感じなのですが、文章の校正なんかでも、何度も何度も最初から最後まで読み通し、OKを出したら漢字が間違っていたなんてことはよくあります。文章の内容の推敲を重ねて語句のそれを忘れたというお粗末です。また、日常生活でも、買い物のリストを見ながら全部済んだと思ったら床屋に行くのを忘れたとか、ただ、そそっかしいだけなのかも。

それと、これは誰にでもというわけではなくて相手にもよるのですが、この人のためならと思うと損得を度外視して、その人の問題解決にのめりこむきらいがあります。でもね、それってよい場合と悪い場合があるんですよ。つまり悩んでると相談しておいて解決を求めてないパターンっていうものがあって、要は愚痴を聴いて欲しいだけという場合です。

これって傾聴できてないってことですよね。内容と感情を理解できていないということです。だから、試験のこともともかく、最近はなによりも傾聴を心がけています。

これまで何度傾聴ができずに○○の機会を逸したか。。。 (○○にはお好きな言葉を補ってお読みください)

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2006年9月30日 (土)

読書

Photo_59 お久しぶりです。(笑)

目下絶不調です。体調不良、精神不浄、脳拘束で泣いています。

それなのに試験日は順調に近づいてきて、”シェーン、Go away!”と叫びたい! でも、これ以上緊張感を維持するのは無理なので、”やるだけやった”なら良しとしましょう。

とか言いながら、電車内で家で、好きな推理(警官)小説だけはあれよあれよと進んで、先週だけでも、大沢在昌「狼花 新宿鮫Ⅸ」、今野敏「ST為朝伝説殺人ファイル」、佐竹一彦「駐在巡査」と三冊を読了、そして、今日からは、多島斗志之「二島縁起」に取りかかりました。

Kidsは、新聞記者だった父の血を引いているのか、幼少のころから本が好きで、誕生日プレゼントといったら、有隣堂で「ルパン」、「ホームズ」、「岩窟王」など、”お前は本しか言わないんだもんなぁ!」と死んだ父も笑っていたほどです。

推理小説は、昔は結構本格物を読んだのですが、最近は本編に至るまでのイントロを乗り越えるのが一苦労で、だからと言って、特に海外物はこの導入部が後半一気に意味を持ってくるので読み飛ばすわけにもいかなくて、結果、あまり読まなくなりました。

その代わり、増えたのが警官小説と時代小説、しかも、根っからのコレクターというかオタクなので、好きだと思ったら命がけ(笑)、先の新宿鮫シリーズ、今野氏の安積班シリーズ、横山秀夫氏の作品は、絶版も含めて全て入手し完読しました。ちなみに時代物では、乙川優三郎、山本一力、池波正太郎氏の「梅庵シリーズ」など。

「本格物」よりも「警官物」、「歴史物」よりも「時代(市井)物」、「フィクション」よりも「ノンフィクション」というあたりが、Kidsのキャラを映しているような気もします。

さて、そろそろ疲れてきたので・・・「二島縁起」を読んで寝ようかな。

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2006年9月25日 (月)

決起集会?

Photo_58Photo_57

今日は、久しぶりに、これからキャリアカウンセラーの資格を取ろうと頑張っている仲間数人と飲み会を開きました。

本当は、来月に試験が控えていることを考えてどうしようかなとも思ったのですが、行って正解でした。

というのも、試験勉強をするにもいろいろなタイプの方がいると思うのですが、Kidsは、独りでこつこつやる勉強も好きですが、今の環境を考えたときに孤立感に苛まれることも度々あり、以前のように緊張状態を続けると健康的にマズイと感じていました。元来、動物占いでいうと「ひつじくん」なんで、仲間の輪のなかにいないと自分を維持しづらいのです。特に若いころと比べると「我慢」が持続できず、すぐ楽な方へ行きたくなります。

それなら、いっそ生活にメリハリをつけて、やることをやるときはやる、そうでないときは、目いっぱい休憩するという体制にしてみました。例えば、遠距離ドライブの時のように、1~2時間運転したら暫く休んで、また・・・・・という具合です。今のところ、これが幸を製しています。すぐ横になりたくなる体調では仕方がないところもありますね。

それと、今日の飲み会の話に戻ると、それぞれライフスタイルもキャリアカウンセラー資格に挑戦しようとした動機も違っていながら、目指すものが同じ「同志」は元々マインド的に近い「匂い」がしてリラックスできます。言わば、相手のレッテルも自分のレッテルもそれほど気にならないというか、雑談にもスムースに入れるのです。そして、ある意味「ラポール」じみたものが出来てしまえば、話も弾むし有意義な時間が過ごせるというものです。

今日も結構「勉強」の話を差し置いて、それ以外の話題で盛り上がりました。(一部に放送コードに引っ掛かりそうな話題もあったようですが) それもまた良しです。

さて、楽しんだら次は・・・というところですが、今日は取り合えず止めておきます。なんせ、緊張感が続かないので、あ~ぁ、しんど。(笑)

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2006年9月23日 (土)

やせ過ぎ

Photo_56 今回、マドリード・ファッションウィークの”パサレラ・シベレス”で、「やせ過ぎのモデル5人が測定の結果、不採用となった」というニュースをかなり関心を持って聞きました。イギリスやイタリア等、ヨーロッパの他の国でも、今後、やせすぎの女性をモデルに登用することを自粛するそうです。

パサレラ・シベレスの主催者は、「禁止決定は世界保健機関(WHO)や国内の規定に基づいており、時には死に至る拒食症との闘いに資するものだ」と説明していますが、簡単に言ってしまうと、「やせた女性を美化する風潮が拒食症の女性を増やしている状況に歯止めをかけたい」ということのようです。

確かに、モデルに限らず、また、この日本においても、毎日街中で、また通勤途中で、思わずギョッとするほど痩せている若い女性に出くわす機会が多々あり、ドラッグストアでは、体型を気にする必要など全く無さそうな女性が、ダイエット食品を次々とカゴの中に入れていきます。

あれを見ていると、やはり、多くの女性の「ボディーイメージ」は少し歪んでいるようです。周りの人が見ても、医学的に見ても、太り過ぎとは思えないのに、「自分は太っている」と感じるらしく、その基準がテレビで見る人気歌手や女優、モデルであることは間違いないようで、問題には違いありません。

そういえば、ミロのビーナスを引き合いに出すまでもなく、かつて女性に求められたのは優しさと母性を表わすふくよかな体型でした。特に日本では、昔から太めの女性が美人とされていて、近代になっても、日本風の美人は八頭身でもグラマーでもなく、どちらかといえば、モデルさん達でさえ、今から見ればみんなウエストの太いずんどう体形です。それは、着物姿が美しいからという意味もあったからでしょうが、 それが、洋服を着るようになって、ミスユニバースに日本人も出場するようになると、西洋風の体形が望ましいとされるようになりました。さらに、西洋風ファッションの文化が浸透して、日本にも世界的なファッションデザイナーが出現するようになると、その傾向はますます進みました。

確かに、最近の若い女性はウエストの位置が高く、脚が長くて、スラッとバランスの取れた体型の女性のジーンズ姿などに思わずドキッとなることもありますが、前に言った「拒食症」じみた女性はそれ以上に多いような気がします。

拒食症の原因は、母子関係の葛藤、成熟拒否(「女」になりたくない)などと言われ、近頃の育児ノイローゼに基づく悲惨なニュースを見ていると、母性の喪失とやせ過ぎには相関関係がありそうです。

話は戻りますが、今回のパサレラ・シベレスで、主催者が出演基準として採用したのは「体重(キロ)÷身長(メートル)の2乗」で算出されるBMIで、出演条件として定めたBMIは「18以上」。身長175センチのモデル場合、55・2キロ以上の体重です。(WHOは男女問わず18・5~25を「正常」としています)

これによると、ナオミ・キャンベルはダメ、リリー・コール、エリン・オコーナー、アレック・ウェック、エバ・ハーツィゴバ、日本でいえば、山田優もダメ。

やはり、みんなやせ過ぎ ですよね。
 

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2006年9月21日 (木)

スーパー銭湯

Photo_54 ここのところ、試験勉強の追い込みで(と言っても、口で言うほどしゃかりきに頑張っているわけではないのですが)ついつい更新が滞ってしましました。

なんか気ばかり焦って、この三連休もほとんど家で机に向かっていましたが、若い頃と違って集中力が持続せず、最終日の午後になってついに「職場放棄」しました。

目指すは電車で3駅ほどのスーパー銭湯、訪れるのは初めてでしたが、駅に隣接したスーパーのそのまた隣といったところにあり、雨が降っても傘がいらないほどです。で早速入場すると、さすがに休日の午後は混んでいました。男湯の洗い場なんぞは順番待ちのようなありさまです。でも、施設はとても綺麗で、サウナや露天風呂なども、寝湯、打たせ湯、ジェット風呂、他にもいろいろあって結構楽しめました。

風呂から出ると、自販機、マッサージ機、休憩室、食事処、まあ、この辺は定番として、最近はこうした施設でもエステ、 マッサージセラピー、アロマセラピー、リクレクソロジーなど、SPA機能を備えたものが多くなりました。でも、ここまでくるとどうなんでしょう?あまり健康ランドと違わないような。。。

とういうのも、こうしたスモールサイズ温浴施設は、もともと総投資額を抑えて、単機能で人的サービスを徹底的に省く一方、低料金・低コスト・狭小商圏で、高回転薄利多売システムが「売り」にしているはず、そのため施設もコンパクトで動線もそれに合わせて設計しているのが、集客のため多角化を図ると、回転率が落ちてコンセプトと全く違ったものとなってしまうという頭があって。

つまり、健康ランドのように2,000円前後の入場料を取って、長時間ゆったりと寛ぐ中で、さらに食事や有料スパでお金を落としていってもらうものと比べて、500円からせいぜい700円程度のスーパー銭湯では、そのうち行き詰ってしまうような気がするのです。

また、コンセプト上の錯誤ということもあるのではないでしょうか?例えば、Kidsは、入浴したら、ひと寝入りして、また入るというパターンが好きなので、本当は健康ランド派です。しかし、そうはいっても、お財布の中身と相談するとたいがいはスーパー銭湯を選ぶことになってしまいます。即ち、両者の価格差が、多機能vs単機能に顕著にあらわれると思って我慢するわけですが・・・・・

ところが、人間というのは甚だ厚かましい生き物で、500円でも多機能を「売り」にするところに行くと、なぜ仮眠がとれるスペースがないのかという不満が生じてくるのです。そして、こうした単機能用施設で多機能なサービスを展開すると、他にも多くの矛盾に根ざした不平・不満が必ず出てくるはずです。

昔、町のあちこちにあった銭湯の代わりに、SPA機能を有するスーパー銭湯の存在意義があるとは到底思えないのですが、果たしてどうなのでしょうか?

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2006年9月16日 (土)

クールビズ

Photo_52 9月も半ばを過ぎ、さすがに多少涼しくなってきました。

実際の気温や体感的にもそうなのですが季節の移り変わりを顕著に感じるのは「衣」です。特に女性はこの点において敏感で、ついこの間半袖やノースリーブだったのが、いつの間にやら長袖、あるいは上衣を羽織るようになっています。それで街の様子が変わって見えます。

そういえば、今年あたりはかなり定着したかのように見える「クールビズ」、本はといえば、環境省が公募した「省エネルック」に代わる夏の軽装の新名称で2005年4月27日に発表されたものです。前回のネイミングと啓蒙活動があまりにひどかったので、今回もどこまで続くかと思いましたが、さすがに今回の石油製品の高騰においては企業も無視するわけにもいかないらしく、また、結構おしゃれなものも出回ってきたので定着したようです。

それが良く分かるのが、おじさんを中心とするサラリーマンのファッション、このごろは電車の中でネクタイをしている方が珍しいようになりました。そして、これだけで車内は急に涼やかかつ華やいで見えます。逆にスーツにネクタイの「リーマン」が隣に座ったときの暑苦しさ!つい立って移動したくなります。

Kidsは、どちらかといえば、大勢に影響されるのは嫌いな方なのですが、この「クールビズ」は良いことだと思いました。それと同時に、物事を集団や一般に定着させるためには、上から指示・命令を下すより、対象となる人々が自発的にそれをやろうという雰囲気、構造基盤を作り上げることが大切だと再認識しました。

もっとも、ウォームビスには未だにちょっと抵抗があります。だって、皆が着膨れて満員電車に乗ったころには特に雨の日なんて・・・・・ といって本格的に暖房を落としたりしたらお年寄りや病人に影響が出るでしょうし、何か良い解決策は有りませんかね?

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2006年9月12日 (火)

レッテル

Photo_51 よく誰かのことを「○○な人」と表現するときに「レッテルを貼る」と言いますが、あのレッテルはどうやらオランダ語のletterのことで英語のlabelと同様の意味のようです。瓶のラベルのラベルですね。つまり、中身について、そういうものだという評価をつけるということです。

ところで、私たちは誰かと会話をしているときに「コミュニケーションをとる」という言い方をすることがありますが、実は、ほとんどの場合、あなたは(私は)その人とコミュニケーションを交わしていません。コミュ二ケートしているのは、あなたが(私が)その人につけているレッテルです。この人はこういう人だという思い込みに過ぎません。つまり、レッテルは自分の頭の中の観念なので、生きた現実-リアリティと違うわけです。

ところが、私たちはこのレッテルを見て相手を理解したようなつもりになり、お互いにレッテルの交換で相手と関わりを持っています。従って、恋人に「誠実な人」というレッテルを貼っていたのにちょっと自分の意に染まない行為を目にすると「いい加減な人」になったりします。大体が人を○○な人と表現すること自体が無理なのです。人間は多面的な生きものですから。どうしてもそう表現したいなら「誠実なところもある人」がベターです。

相手ひとりとってもそうなのですから、誰かのことを職業や血液型や服装や年齢で分類して理解するのは止めるべきです。「今の若い人は」とか「政治家って奴は」みたいな表現は生のその人の理解を妨げます。

ところで、今までのレッテルよりもやっかいなレッテルがあります。即ち、自我(セルフイメージ)、自分自身につけたレッテルです。私たちは、思うがままに生きていると、家族や友だち、広い意味では社会が受け入れてくれないことを知っています。そのために自分自身はこういう人でなくてはならないというレッテルを貼っています。そして、この自分で貼ったレッテルと相手に貼られたレッテルは往々にして食い違います。そして、実をいうと自分もこのレッテル通りに演技をすることに少々疲れを感じています。しかし、同時に、このレッテルを剥がすことは自我の崩壊をも招くことのように信じています。世の中の幸不幸はたいていここから生じるようです。

とまるで、持論のように話を展開してきましたが、これらはカウンセリングやコーチングの勉強をするうえで読んだ一連の本や専門家の話をつなぎ合わせたものです。そして、ここで多少なりとも結論じみたことを言うと「あなたの内側からの声に耳を傾けなさい。そういすれば深い安心感とともにいられ、コミュニケーションをとることができます。」ということにつながっていくのですが、ここで端折った内容については、また頭をしっかり整理してからお話ししたいと思います。

私にとっては結構深遠な内容で、かつ興味深く、もっと若いころからこうした心理分析学に親しんでおけば良かったと後悔しています。まあ、それこそ人それぞれ、お好みに応じてお立ち寄りください。

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2006年9月 9日 (土)

コーチング

Photo_49 このごろ本屋の店頭で平積みになったコーチングの本をよく見かけます。店員さんに聞くとかなり売れているとか。

手に取ってページをめくると、経営者や管理職の視点に立って、いかに部下にやる気を出させるかみたいな内容のものが多く、こうしたビジネスのハウツー本は以前にもありましたが、これまでと違う点は、従来のものがリーダーシップ等に重点を置いた上司側のスキルアップにあったものが、最近では部下が自分から動くコミュニケーションの取り方とか安心感、満足感、期待感を与えて創造性を高めるといったような、昔から考えるとかなり「部下に歩み寄る方向性」のものが多い点です。

急速なビジネス環境、特に労働(雇用)環境の変化を考えたとき、企業側もこれまでのように「いつかはやってくれる」ような悠長な構えではいられず、自分で考え自分で動ける人材をスピーディに効率的に作って成果を上げる必要性が出てきたということなのでしょう。まあ、これまで「言われたとおりにすればいいんだ!」といったような、ある意味パワーハラスメント的な上意下達に慣れた経営者や管理職が、少しばかりコーチングを学んだからといって直ぐに結果が出るとは思いませんが、こうした流れ自体は非常に良いことだと思います。

実際カウンセリングの勉強をしていると、先の安心感、満足感、期待感といったものは大切なポイントです。なんといっても、人は自発的に考え行動したことにしか価値を見出さないものだからです。そういう意味では、上司が部下を無理やり納得させ、その結果、部下が意のままに動いて成果を上げたとしても、それはコミュニケーション能力などというものではありません。本来コミュニケーションというものは相手とビジョンを共有、かつ感情を同化したときに成り立つものだと思います。

ならば、コーチングはカウンセリングの発展途上、あるいは同じ目的地に向けて放たれた幾分角度の異なるベクトルの矢のようなものなのかとも思います。

もし、無事にキャリアカウンセラーになれたら、コーチングにも挑戦してみたいです。

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2006年9月 7日 (木)

ジーンズ

Photo_48 ジーンズを好んで穿くようになったのは、いつからなのかあまり記憶にないのですが、少なくとも学生の頃にはあまり穿いてなかったように思います。

当時は、今のように誰もがジーンズを穿いているわけではなかったし(例えば、女性がジーンズを穿いているのを見るのはかなり珍しいことでした)、しかもKidsは学生の頃かなり太っていたので、サイズもあまりなかったし、実のところあまり興味もなかったのです。

となると、ジーンズを穿き出したのは社会人になってから、しかも若い頃はDCブランドの方に注目していたので、社会人としてかなり経ってからでしょう。

しかも、私は、人と同じ物を好まないので、リーバイスなら501や505よりも606、ストレートよりスリムからジーンズの世界に入りました。

その後は、会社の先輩が穿いていたフランス製の2タックが入ったやつ(ブランド名は忘れました)をかなり意識したことがありましたが、先だつ物がなくて諦めました。そして、その後色々試したあげく、比較的最近になって海外ブランドに手が届く状態になったので、デザイナージーンズを中心に一時かなり凝っていました。

そうした経験から、着心地かつデザイン性に優れていると思うのはMF&G(マリテ・フランソワ&ジルボー)、国産品ではKENJI ITOでしょうか。ドルガバのようなセレブ系ジーンズも持ってはいますが、あれはやはりデザイン重視、しかも体型と年齢を選びます。私見では、若者には似合わないです。着ているというより着られている感じですね。

さて、本音を言えば、今でもいろいろ興味のあるものがあるのですが、今はそんなことにかまけている状態でもなく、少しお休みしています。

それにしても、最近はジーンズブームで雑誌とかでは「足が長く見えるジーンズ」とか「大人のジーンズ」等、始終特集が組まれています。そういう意味では経済が上向きになった実感はないものの、一部にプチバブルの傾向があるようです。

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2006年9月 2日 (土)

刑事ドラマ

Photo_46 夜、たまたまテレビを点けっぱなしにしていて刑事ドラマが始まり、何となく見てしまうことがありますが、正直言って十中八九は見るに耐えません。

それでも結構序盤は面白いんです。まあ、細かい点を言えばきりがありませんが。

ところが中盤以降、特に終盤はお粗末。特に謎解きの場面で、主人公(刑事・新聞記者等)や犯人が、滔々と事件の背景や事件に至る心理状況を「説明する」下りは阿呆くさくてうんざりしてしまいます。

時間の制約に合わせてシナリオを作らなければならない事情はわかりますが、それでも海外のドラマはもっとちゃんとしたものを作っています。そして、一番違うのは、向こうの役者は日本の役者ほど「しゃべらない」ということ。

人間の言葉がそれほど信用できるものではないことは皆さん経験的にご存知だと思います。よくエロおやじが "嫌よ嫌よもいいのうち" なんてことを言うのを聞いたことがあるかと思いますが、あれも一面真実をついています。言葉はそれほどあてにならない。

真実を語るのは、表情やボディランゲージ、特に目なんですね。この点、日本の役者のレベルが低いのか、演出家が役者のスキルを信用していないのか、ライターの脚本が悪いのか、登場人物の目や後ろ姿に見せる肩の動き、足の運び等で「説明する」方法が全くといっていいほど取られていません。

そして、その時の背景。同じ場所でも時間、天候、角度、照明の当たり方で色々な表情を見せることは、それなりに名の通った写真家の写真集を見れば明らかです。

あくまでも私見で言ってしまえば、「作品」を安直に考えすぎていると思います。ドラマは娯楽ですが、かつ「作品」です。その「作品」を視聴者に提示し選択して購入してもらい、その結果、生活の糧を得ているのであるからには、制作費に何十億も注ぎ込んだ「高級品」でなくてもいいから、一般の人々がコストパフォーマンスを感じ取れる「お得な作品」をもっと提案して欲しいと思います。

繰り返しますが、安易な謎解きがされるつまらない刑事ドラマはもう見たくありません。

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2006年8月31日 (木)

標識

Photo_7 Kidsの自宅前は国道1号線に面し、しかも数メートル先で国道16号線と交差する道路交通の重要地点にあります。従って、日中車の途切れることはなく、雑然とした喧騒に満ちた場所なのですが、さすがにカレンダーが替わる時分になると車も少なくなって、今しがた実家から歩いて帰ってくるときには珍しく車がまったく走っていませんでした。そして、交差点の少し手前の空中にくっきり浮かぶ標識。

そういえば、この標識、正確に言うと「案内標識」といって道路利用者に地名、方向、距離をを示し、交通の便宜を図るものなんですね。青色は一般道路用、緑色は自動車専用道路用だとか、多分運転免許を取る際には勉強したのでしょうが、もうすっかり忘れてしまいました。ついでに言うと、標識には他に車両又は歩行者に対して、交通の禁止・制限・指定を行うために設置する「規制標識」、特定の交通方法ができることや、道路交通法上決められた場所などを指示する「指示標識」、道路上および沿道に存在する運転上の危険または注意すべき状態を予告し、必要な減速や注意深い運転を促す「警戒標識」、今言った4種類の本標識を補足する補助標識があるそうです。〔ここから〕・〔ここまで〕とか〔日曜・休日を除く〕・〔横風注意〕なんていうのが補助標識です。

普段あまり標識のことなんて考えることはありませんが、よくよく考えるとかなりの優れものですね。皆さんはどう思っているのか分かりませんが、Kidsは標識が無かったならばどこにもいけないと思います。なんたって、ショッピングセンターの入口と出口が違った方向にあるだけで道路に出た時どの方向に進んでいいのか分からなくなるくらいですから(汗)

従って、道路地図を頼りになんて問題外、カーナビは便利だけど、真剣に見過ぎてどこかにぶつかることは確実なので使用しません。だから、洋画でよく見知らぬ土地の家を訪ねて何千マイルも走っていくなんて、見ていると標識もそれほどないようですし、よく出来るものだと感心してしまいます。

そこをいくと日本では、かなりの山奥や原野を走っていても要所要所に標識があるので助かります。こんな時だけは日本の道路行政に密かに感謝してたりして。(笑)

ところで、横浜に帰ってきて早9ヶ月、この間、まったくハンドルを握っていないのですが、果たしてKidsは車の運転が出来るのでしょうか? 不安です。

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2006年8月28日 (月)

横浜ラーメン

Photo_44 今日は何だかラーメンが食べたくて、でも休みの日にわざわざ乗り物に乗って遠くに行く気も起きず、結局地元(横浜)で探すことにしました。

横浜周辺は、繁華街なので飲食店も多く、また、予備校等があって安くて美味いラーメン屋があるはずだと信じ、先ずはネットで下調べ。結構有ります。でも、「家系」って言って、○○家という店が多く、中太のストーレート麺で醤油とんこつのスープが売り物のようですが、Kidsは、これまで、家系のお店で感心したためしがないのでパス。そうなると行けるお店がかなり限定されてしまいました。

好みは、もちろんスープとの相称もありますが細麺、醤油なら昔風のシンプルなもの、塩なら海鮮風、味噌はこってり味が好き、博多のとんこつ味も好きです。

前あったお好みのラーメン屋さんは、なぜか5年間横浜にいなかったうちにほとんど閉店してしまい、どこがいいのかさっぱり分かりません。

そこで、グルメな三男(弟です。息子じゃないよ!)に尋ねると、「そこまで限定されると横浜にはないよ!」とのこと。やっぱり東京とのことでした。本当にそうなのかな?しかし、もしそうだとしても、東京は広いし、電車であちこち移動するとその都度交通費がかかって、しかも時間がムダ!ラーメン屋さんじゃないけど、シャツ一枚買うのに東京を南から北へさんざん移動してしまったことがあり、若いときと違って休日に出て行くエネルギーがありません。

そこをいくと、北海道では、首都圏における東京以上に消費生活の場が札幌に一極集中しているので、欲しいものは札幌に行けばたいてい手に入ります。逆を言うと、札幌以外の街では、都市の規模を問わずまず定番商品以外はないと思った方がいいです。本、CD、ブランド品、食材、家具、etc.

ということで、やはり最初決めた通り、横浜で有名な北海道ラーメンのチェーン店に行ってきましたが、残念なことに向こうの味が分からなくなってしまうほど不満足な結果になりました。そう言えば、この前入った博多ラーメンも、その前の熊本ラーメンもいただけなかったなあ!

横浜人って味覚が違うのでしょうか?横浜に○十年居た人が言うのも変ですが、誰か美味しいお店を知っていたら教えてください。

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2006年8月26日 (土)

緑の街

Photo_43 横浜に帰ってきて思うことは緑が少ないということです。

もちろん、ある所にはあります。公園とかアメニティ・スペースとか・・・ でも、なんか人工的です。自生ではなく、後から植えたことが明らかで、なぜかといえば、雑草がほとんどないんですね。

あ、思い違いをされるといけないので、言っておきますが、別に北海道の人がだらしなくて雑草を刈らないわけではありません。人の手の入るところはきちんと除草されています。しかし、なにぶん土地が広いし、普段使われていない場所では、旺盛な雑草の生命力に侵食されてしまうということ。言い換えれば、休閑地があるということなのです。

だったら、ポイントは土地なのかと言えば、そうであってそうでないところがあります。

緑に対する意識というか関心というか、となれば、土や水に対する親近感みたいなものが関わっているような気がするのです。う~ん、その言い方もちょっと違うかな。 強いて言えば、都会の緑は「庭のペット」みたいな印象があるというか、周りの環境から浮いているというか、自然でないというか・・・・・

つまり、鶏が先か、卵が先か、ということになれば、緑は人間よりも先にあって、人間はその一部を後から占有しているわけなのですが、その人間が緑をいったん駆逐しておいて、あとから植えて鑑賞している感じです。

そんなこと言っても!という声が聞こえて来そうですが、ドイツをはじめとするヨーロッパの国の一部では、かつて造った護岸やダムを今になって壊して自然に回帰させようという動きがあります。

最近の異常気象がヒートアイランド現象の影響であることは繰り返し言われていますが、日本では、残念なことに、そのためになにかの対策を実践している様子がほとんど見られません。前にも書いたことがありますが、京都議定書の調印国でCO2を増加させている唯一の国が日本です。知っていて何もやらないのは、知らないで何もやらないことよりも性質の悪い「行為」です。

緑化のために、なんか一緒にやってみませんか!?

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2006年8月24日 (木)

法律の文章

Photo_41 訳あって毎日法律の条文ばかり見ていますが、難解というよりは不可解な文言ばかり、まったくこれが正当な日本語なのか疑問に思います。

法律なので、いろいろと差しさわりのある要件や、他から突っ込まれないように理論武装しているのでしょうが、ビジネスの場で、シンプルで分かり易い文章とか言われる割には方向性が全く逆ですよね。

だったら、むしろ全部チャートや図解にしたらと思うのですが、多分、分かる奴にだけ分かることにしておかないと